SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

オンディーヌのオンディーヌ(1)

2007年06月24日 00時00分07秒 | オーケストラ関連
★ラヴェル:夜のガスパールほか
                  (演奏:クリストフ・エッシェンバッハ指揮 パリ管弦楽団)
1.夜のガスパール (モーリス・コンスタント編による管弦楽版)
2.クープランの墓
3.古風なメヌエット
4.亡き王女のためのパヴァーヌ
5.道化師の朝の歌
6.オンディーヌ ~夜のガスパールより (ピアノ:ツィモン・バルト)
                  (2004年録音  オケ・ピアノとも)

このネタは来年の“夜のガスパール作曲100周年”まで取っておきたかったんですが、多分忘れると思ったんで・・・。
(^^;)

フィンランドのONDINE(オンディーヌ)レーベルは私にとって決して特別な意味を持ったレーベルではなく、あくまでも「たまたまスマッシュ・ヒット的な企画・演奏のディスクを発表するところだよな」・・・的な位置づけです。
ピアノ録音で言えば、やや残響も控えめでどちらかというと怜悧な音作りをするという先入観を持っています。
そりゃ、なんてったってフィンランドであり、オンディーヌ(水の精)ですからね。
そうでなくちゃ・・・とはおもいますけど。(^^;)
でも、楽器自体の響・・・特にピアノの場合、ペダルを踏んで弦を開放にしたときの響は繊細に収録されているので、デッド目の音場が好きな私には合ったレーベルともいえるでしょう。


さて、タイトルについてなんのこっちゃという方のために解説しておきますと、最初のオンディーヌはONDINEレーベルのことです。
このディスクは2005年の当該レーベル20周年を記念して、進境著しいマエストロ・エッシェンバッハを擁してライヴ録音されたもののようですね。
忘れないうちに言っときますが・・・おめでとう、ONDINE!(^^)/


そして、後のオンディーヌはラヴェルが1908年に作曲したピアノ曲“夜のガスパール”の第1曲オンディーヌ(水の精)のオンディーヌというわけです。
この曲は、3つの楽曲からなっていていずれもアロイジス・ベルトランという詩人の“夜のガスパール”なる詩集からの3篇をラヴェルが音化したものです。

そこは印象派に分類されながら、擬古典主義とも評されるラヴェルのこと・・・第1曲オンディーヌはソナタの第1楽章に則ってソナタ形式で作曲されており、第2曲“絞首台”はとんでもない緊張感を持つ緩徐楽章、第3曲“スカルボ”はバラキエフの“イスラメイ”より難しいと言われる超絶技巧曲であり、ソナタであれば第3楽章の働きを担っているといっていい曲となっています。

このブログで楽曲解説をしたことがあまりないので、極めて説明がヘタクソですね。(^^;)
これじゃわからんという人は、“夜のガスパール”で検索すればいっぱいヒットすると思うので調べてみてください。

なんでいつもしないことまでするかというと、ラヴェルのこの曲は『私が最も好きなピアノ曲3曲』と言われれば間違いなく入るだろうと思われるほど好きな曲だからです。

「こんな美しい曲がこの世にあったのか?」と最初に思わせてくれたのは野島稔さんの演奏でしたが、ピアニストというピアニストがこぞって気合を入れて録音するレパートリーでもあるので、その後はゲームの宣伝じゃないけど「魂抜かれっぱなし」状態に何度もなってしまったという曲であります。

もしまだ聴いたことがないという方は生きてるうちに、冥土の土産になるのでゼッタイに聴いておくべき曲だと思います。


いよいよ本題ですが、これを聴いて思うのはやはり“夜のガスパール”はピアノ曲であるということ。
これ以前にも別のオーケストラ編曲を聴いたことがありますが、余りにもピアノ版に慣れ親しんでいるためかどうしても違和感がありますね。

ラヴェルは若きペルルミュテールに対して、「スカルボの出だしはバスーン・・・」云々とオーケストラの響きを連想しながら演奏するようにと指示したと伝えられていますが「じゃ、何で(ここに収められているほかの曲のように)オーケストラ版に自分で編曲しなかったの?」と言ってやりたいですね。
ピアノ曲以上の、あるいはピアノ曲とは別のこの曲の魅力をピアノ曲ほどに発揮できると思えなかったから・・・であると私は思います。

さて、肝心の“オンディーヌ”ですがもう少し色彩感がほしいと思いつつもよくまとまった演奏であることを認めながら、また編曲家の努力を大いに認めながらも、やはり「曲自体があまりにピアニスティックなためにオーケストレーションに馴染まないだろうな」という印象でした。

まず、この曲の旋律線はピアノのアタックからすぐに減衰する音色・・・要するに打楽器としての音色があって、そしてペダルの加減で音色のブレンドと減衰の調節をするというピアノの機能があって初めて生きるものだと感じました。
こんな例は一杯あるんだと思いますが、ショパンの変ロ短調ソナタの第1楽章の旋律とか、スケルツォ第2番の長調部分の旋律とかは、決して管楽器や弦楽器では再現できないんじゃないでしょうか?
それと同じです。
私なら「オンディーヌをどうしてもオーケストラにせよ」と言われたら減衰の調整ができるハンドベルか何かを使ってメロディーを追うでしょう。

もう一点、この曲は水しぶきが曲中一貫してハジけているんですがオーケストラ編曲になると、これがどっかへ行っちゃうことがある。
このしぶきのリズムと言うか変奏がもう一つの大きな雰囲気作りのキーポイントとなっているだけに、これが音色も雰囲気も変わっちゃうとなるとオンディーヌのストーリー性は失われ、ただのショー・ピースになってしまうように感じられます。

何故か途中“亡き王女のためのパヴァーヌ”を思い起こさせるような響になっているところもあるし・・・王女は水死したんでしょうか?・・・どんどん旋律、伴奏を受け持つ楽器が入れ替わっていくさまには、どうしてもボレロのオーケストラの楽器紹介と言うか、“ウィ・アー・ザ・ワールド一節太郎状態”というイメージを持ってしまいます。

ただ、クライマックスというか盛り上がるところではピアノでは構造上、響が混濁しないように細心に注意を払ったうえでテンポを落としてムードを盛り上げるなど、どことなく誤魔化しているように思われる(ここを誤魔化さないのはミケランジェリのみ!)ところもイン・テンポで違和感なく進行できるというメリットはあるんですけどね。

あ、さっき誤魔化したって言ったのは楽譜を見るとそう思えるというだけで、ピアニストの皆さんの工夫次第でそれはそれはオモシロく聴かせてもらっていますよ。(^^)/


他のラヴェル当人による編曲の曲目はしなやかな演奏、熱気もある演奏、マエストロの棒が冴えているんでしょうね。
最後の“道化師の朝の歌”のクライマックスの粘りなど自然なうちに迫力満点で、終わった時の喝采も当然という出来映えだと思います。もう少しして、老境を迎えたら大手のメジャー・レーベルが触手を伸ばしそうな好演だと思いました。
(そう思って調べたらDGのキーシンのベートーヴェンのコンチェルトのバックがエッシェンバッハだったりして・・・キーシンと古いつきあいだからということのようですが、さすがメジャーは抜かりがないですね。)


最後に、ツィモン・バルトのピアノ独奏によるオンディーヌが入っているのもこのディスクのホスピタリティの行き届いたところだと思います。
さすがオンディーヌ・レーベル。。。
これについては、次記事のディスクのご紹介の中で一くくりにしてお話したいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿