SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

《ショパンwithフレンズ》 “ピアノは歌う メンデルスゾーンとともに”

2010年03月07日 14時44分44秒 | 高橋多佳子さん
★《ショパン with フレンズ》~奇跡の年 コンサートシリーズ
デビュー20周年記念&ショパン生誕200年記念  高橋 多佳子 ピアノリサイタル    

“ピアノは歌う メンデルスゾーンとともに”(1809年)
《前半》
1.F.ショパン     :ノクターン 変ホ長調 作品9-2
2.F.メンデルスゾーン:「無言歌」より“詩人の竪琴” ホ長調 作品38-3
3.F.メンデルスゾーン:「無言歌」より“春の歌” イ長調 作品62-6
4.F.ショパン     :ノクターン 変ロ短調 作品9-1
5.F.ショパン     :ノクターン 変二長調 作品27-2
6.F.メンデルスゾーン:「無言歌」より“ヴェネツィアのゴンドラ” イ短調 作品62-5
7.F.ショパン     :舟歌 嬰ヘ長調 作品60

《後半》
8.F.メンデルスゾーン:ロンド・カプリチオーソ ホ長調 作品14
9.F.ショパン     :マズルカ風ロンド ヘ長調 作品5
10.F.ショパン     :華麗なる変奏曲 変ロ長調 作品12
11.F.メンデルスゾーン:厳格なる変奏曲 ニ短調 作品54

《アンコール》
1.F.ショパン     :幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66
2.J.S.バッハ/ヘス編:コラール前奏曲「主よ、人の望みの喜びよ」
                  (2010年3月6日 浜離宮朝日ホールにて)

ショパン・シューマン生誕200年記念の今年・・・
高橋多佳子さんによりことピアノ音楽において大きな足跡を遺したロマン派の大作曲家、前年1809年生まれのメンデルスゾーンと1811年生まれのリストと合わせて4回シリーズで特集するというリサイタルがスタートしました。

200年前に生を受けたとなれば・・・
4人とも江戸時代は化成年間生まれの作曲家であり、町人文化が繁栄し錦絵だの川柳が流行った時代の真っ只中。
とはいえ、我が国の音楽文化に関して今に残っているものがはたしてどれほどあるのか・・・?
その辺りの専門家ではない私にはよくわかりません。

にもかかわらず・・・
海の向こうの異文化に育まれた音楽については、まったく身近な先人の業績に思われるとともに、実際永年の知己としての付き合いをしている。。。

ヘンですよね。(^^;)

日本でその時代に電気があったとは思う人はだれもいないだろうけど、ショパンやシューマンだけでなくクラシック音楽といわれるものを聴いていると、今の時代の環境となんらかわらない何か通底したものを感じてしまいます。
当時の宮殿やサロンにシャンデリアがあって・・・といわれると、無意識のうちにロウソクではなく電灯を思い浮かべてしまったり、エアコンがあるとは思わなくともそれと変わらないほどに快適そのものだったのではないかと思ってしまう。

これは私だけでしょうか。。。
少し考えてみれば、そうでないことはまったく明らかなのですが・・・。(^^;)

                  

さて、高橋多佳子さんの上記のリサイタル・・・
その一回目、「ショパン with メンデルスゾーン編」を堪能してきました。

今回のプログラムにはご本人がブログで明言していたとおり、はっきりしたテーマがあったので大きな聴く楽しみを持ってリサイタル会場に赴きました。

つまり・・・
1の超有名曲による“ツカミ”はともかくとして・・
2・3と4・5は旋律を歌わせることが命の『無言歌』vs.『ノクターン』の対比、
6と7は『ヴェネツィア』の舟歌の対比になっています。
後半も・・・
8と9が『ロンド』の10と11は『変奏曲』の対比となっているのです。

理屈っぽい男の子である私は、こういう“こだわり”には、がぜん知的好奇心をそそられてしまいます。(^^;)


リサイタル全般について結論めいたことを言ってしまえば・・・
殊に印象に残った3曲は「春の歌」「舟歌」「厳格なる変奏曲」で、印象に残った演出は「つなぎの妙味」とでもいうべきことであることを最初に申しあげたうえで、いつものとおりレポートを記します。
その場にいたものじゃないと判らない感覚は多々あると思いますし、あくまでも個人的印象だとあらかじめお断りしておきます。(^^;)

ノクターン作品9-2でスタート・・・
開演前の緊張はデビュー20周年でも変わらないし、それを何度も経験できて幸せという多佳子さん。
本番はどの演奏も大事にされているのでしょうが、やはり本格ホールでの勝負の演奏会なんでしょうから多少緊張の質も違っていたのかもしれませんね。

さすがに当初は多少焦らすような右手の表現や、曲中のムードの転換、音色の振幅が大きく感じられもしたけれど、コーダ前の装飾音がキラリンと閃いたとたん、あっという間にいつもどおりの魔法の世界にもっていってくれました。
あとはいつもどおりの自然に聴ける世界が演奏会の最後まで・・・。(^^;)

コーダのクライマックス後、最高音がキラキラ輝く美しさはいつもながらですが、実はその音の下支え(何か仕事ちっくな言い方ですが)として、バスの音が星空の景色を映す湖の漫々とした水面のようにおおらかに鳴っている・・・なんてところに気づいてしまうと、とっても幸せな気分になります。
その下支え(?)がふ・・・と消えると、きらめきから愁いを帯びたまろやかな、少しだけ感傷的な音色になって降りてくるように聞こえたりもして結構ミクロな世界で快哉を叫んでいたりして・・・。

そして、ごあいさつで「長調なのにどこか哀しげ」なんて印象を多佳子さんが口にすると、オレが感じたあの表現がその表れに違いない・・・
などと勝手にまた喜んでいるジコチューな自分がとっても奥ゆかしく思えるのです。


ところで・・・
続く「無言歌」・「ノクターン」という旋律を際立たせ、ピアノを歌わせるべき楽曲の演奏において、その息遣いで多佳子さん以上に私のフィーリングに合うピアニストはいません。
なんといっても私の側から、実演・ディスクをとおして何度も自分の感覚をなじませ刷り込んじゃっているわけですから、記憶喪失にでもならない限り感覚が合わないはずは無いのです。

ハッとさせられたとすればそれはフィーリングの相違ではなく、新しい解釈の発見でありそれすら喜びにつながる・・・
勝手ですが、多佳子さんの演奏の場合はそんなもんでしょう。(^^;)
そう思える演奏(家)と、そうでない演奏(家)の違いはあるのかもしれませんが。。。

「詩人の竪琴」は曲が始まるや晴朗な空、あるいは海の凪といったセンチメンタルな蒼いイメージが感じられ、「春の歌」には人口に膾炙したこの曲にこんな歌を感じて弾ききることができるのは多佳子さんしかいないという思いを強くしました。
「春の歌」は大好きな曲・・・多くの人が私を感動させてくれることができる曲だと思うのですが、今回のピアノを歌わせる・・・泣けそうなぐらい美しい歌をしっとり・さっぱりを両立した絶妙なバランスで聞かせてくれて本当にステキでした。
自分でも弾いたことがあるのですが、バックの装飾をハープを模したようにとかいろいろ思いながら音を置いていたけれど、結局は(多少音楽を生かすための仕掛けはあっても)こんなふうに歌えたらいいんだな・・・と、そんなふうに感じる演奏でした。

メンデルスゾーンについてはとっても幸せな作曲家だったのではないかとずっと思ってきました。
名演と呼ばれるディスクは大半が曲のムードに(主体的になんでしょうが)付き従ったものに感じられますが、シューマン風にいえば高橋多佳子の署名がしてあるメンデルスゾーンは感じきっていながらもいつもながらピアニストの意見がはっきり聞こえて、これでこそ多佳子さん・・・と喜んで聴けました。

このように親しみやすく、人の輪・人の心のなかにすんなり沁みてくるメンデルスゾーンに対して、ショパンのノクターン作品9-1は最初の一音からして違いますよね。
ほっこり幸せだった空気が、あっというまに自分に注目をむけさせようという意図を感じる、でもとても美しい旋律に取って代わられました。
2曲の旋律美を誇るノクターンを聴いて・・・
ショパンは、やや殻にこもった人で自己中心的だったに違いないと思います。
きっと心の中のどうにもならない葛藤、言い換えるとグチが、彼のフィルターを通るとなんとも昇華された音楽美になっちゃうという資質をもった人だったのでしょう。
彼にとってそれが幸せだったかどうかはわかりませんが、後世の音楽を楽しむものからみれば、いくらお礼を言っても足りないほどの貢献をしてくれたことは確かです。
本人もきっと後世の人間にこれほどまでに影響を与えているとは思ってもいますまい。

ヴェネツィアの舟歌の対比・・・
ここでもプログラミングも曲の解釈も、つなぎの妙味を感得させてもらいました。
3曲あるいわゆる「ベニスの舟歌」のうち、この曲を選ばれたのはまさに卓見。
新鮮な気持ちで聴けたと同時に、プログラム上前半最後のショパンの舟歌に繋げるためにも、最良の選択だったのではないでしょうか?

その「舟歌」ですが、多佳子さんによるこの曲の実演を聴いたのははじめてだったでしょうか?
ここでも伸びやかなバスの音が生きています。
存在感があって小回りもきくといったそれこそ大船に乗った美しい重音の旋律がこれだけ歌っているのを聴くと、やはり実演はいいなと晴れ晴れします。
そしてクライマックスに差し掛かるや、ここちよくアチェレランド気味(ツィメルマンのそれほど極端ではなく)に気分を上げて、「ピアノを歌わせるぞ」とばかりコーダの終結部でも普通の演奏では右手の装飾音の波が美しく鍵盤を駆け巡らせるところでも、敢えて左手のテノール音域の伴奏の旋律を波のようにゆったりと歌わせて天国的な世界をかいまみさせてもらったりと感動しっぱなしでした。

                  

後半はメンデルスゾーンが若い頃と晩年の代表的な曲が並んだのに対して、ショパンは対比の関係上で若書きの無名の曲が並びました。
ショパンの2曲は技巧誇示に走った曲作りになっているうえ、後年の作曲上のバランス感覚がまだないころの作品・・・と私には思えるために、ピアニストにとっては聴き映えするように弾き切るのは困難です。
要するに普通に聴いたら冗長に聞こえてしまう作品ですが、そこはそれ多佳子さんのことですからいろんな工夫をされていることが聴き取れて・・・そんな意味で最後まで楽しませてもらえました。
やはり、さすがだな・・・って感じ。

古典派の作曲家がえてして再現部も提示部と同じように弾かせるのに対して、ショパンは別れの曲にせよ再現部はショートカットして、あらたにコーダを長大にするなどして聴き飽きさせないバランスを工夫しているように思います。
ロンドだし変奏曲なのでこの言い方はあたらないかもしれませんが、敢えて言えば、弾く人の満足を聴く人の満足に優先させたような曲作りになっていやしないか・・・と思う曲。

今のショパンのオーディエンスが彼に求めているのは、きっとそこじゃない・・・
というところに一生懸命になっているころの曲なんだと感じました。
24の前奏曲なんて、フラグメントとしか思えないものだって、どれひとつ欠けていいと思っている人はいませんからね。
いずれにせよ・・・
これらの作品をも含めてショパンができていった・・・ということなんでしょうけどね。
後の作品の礎としては重要な曲なのでしょう。(^^;)
これらしか遺す時間が無く夭逝してしまったとしたら、今ほどにショパンはもてはやされていないのは確かだと思えますが。。。


そして、後半の白眉はなんといってもメンデルスゾーンの「厳格なる変奏曲」。
(自分の記憶では)ブレンデルの演奏をディスクで聴いたことしかなかった曲ですが、印象としてはまったく異なった曲にさえ感じられました。

じっくりしたテンポでテーマを奏でた後、変奏の性格を控えめながらはっきりそれとわかるように弾き分けていく手際・・・
これほどまでに曲中一貫したスジが常に感じられたのは、楽曲構成が縦横揃うまで練られている証左でしょう。

曲の最終部の尋常でない迫力の盛り上がりを聴いたときには鳥肌が立ち、心の中で何かが込み上げてくるような感覚に襲われました。

ここはブレンデルでは静かにそれこそそれとなく終わっていくように弾かれていた場面だと思いましたが、どうしてこれほどまでにほとばしるまでの感動が掘り起こされてくるのか・・・

多佳子さんのお父様と終演後にお話させていただく機会があり、実は、この曲が高校時代に何かのコンテストで「奨励賞」を得て、彼女がその後頭角をあらわす契機になった曲であると聞いて胎に落ちました。
これまでの半生といえる長い間、思い入れをもって暖められたうえでの奏楽だったと知れば納得できるというものです。
弾いていた多佳子さん自身も、きっと感極まるものがあってそれが伝わったのでしょうね。
いいものを聞かせていただいた・・・
そんな気になれます。(^^;)

厳格なる変奏曲・・・
こういった曲の魅力をもっと明らかに聴き取れるように、こちらも耳を肥やさねばなりません。
多佳子さんの今後のレパートリーにおいて、バッハやベートーヴェンへの期待も高まろうというものです。
リサイタルのシリーズを考えれば、まずはシューマンやリストなんでしょうが。。。
シューマンもクライスレリアーナの第1曲など、バッハの影響が感じられるので、そんなところにも期待したいと思います。


文中でも何度か触れましたが、今回のリサイタルで感じた特徴は「つなぎの妙味」です。
冗長になりそうな曲を救うために音色やフレージングに隠し味をほどこすなど・・・フィギュアスケートでもジャンプやスピンの見せ場の間で何度を上げてつなぎの場面でも得点を稼ぐように・・・音楽性だけでなく、ニヤッとさせられるような聞かせどころを山場のほかにポイント・ポイントでこしらえるつなぎの妙味がまずはありました。

一方でもうひとつ「つなぎの妙味」を楽しませてもらった観点は、プログラミングとその曲間の間や気分の転換です。
同じ楽器でこれほどまでに違った音が出るのかというほど音色が多彩だからこそできることなのでしょうが、前の曲の余韻を断ち切るように、あるいは曲のムードや響に乗っかるように自在に自然で魅力的な流れを作り出していく・・・これには本当に酔わされました。(^^;)


本編大団円の後・・・
アンコール1曲目は幻想即興曲。
私はこの曲に勝手にバッハ、あるいはベートーヴェンの背後霊を感じています。
右手旋律が下ってくる音型が、スピードは全然違いますが月光ソナタとそっくりだと思うから・・・。

最後はメンデルスゾーンの無言歌から何か・・・だと思いきやさにあらず。。。
彼が生前、音楽界に行った最大の功績のひとつに当時忘れかけられていた大バッハのマタイ受難曲蘇演があり、それにちなんでバッハの曲を弾くといわれなるほどと思いました。
「主よ、人の望みの喜びよ」・・・私が多佳子さんの実演に新潟県ではじめて触れたときの最初に聴いた曲・・・で温かくお開きとなったのですが、私には、実は、コラールの合唱部の旋律をピアノで歌いきってやるぞという思いで選曲されたものに思えてしかたありませんでした。
でも、まったく衒いの無い演奏だったからどうだったのかな?(^^;)
曲中のテノール声部・ソプラノ声部ともに、「ピアノは歌う」というテーマに相応しく心に響いてきて幸せを感じました。
こういう気分を味わうために演奏会に来た・・・
というわけで、期待通りの大満足。(^^;)

                  

終演後、いつものようにあいさつして写真を撮らせてもらいました。
今回はヴァイオリンの礒絵里子さんや理香りんさんも聴きに来ておられお話しすることができてよかったです。

でも・・・
ご両親といちばんお話させていただいたかな。(^^;)
いっぱい取材をさせていただき、いろんな特ダネをいただきましたが、ジャーナリストとしては素人でギャラも払っていないのでここには書けません。^^

私も父親として、やはりお父様が娘を見つめる眼差しにとても共感しました。
演奏を聴いた以外の収穫です。

このシリーズの次回は9月。
ショパンがバラード第1番を誉められたためにバラード第2番を献呈し、返礼としてその最高傑作とも言われる“クライスレリアーナ”を献呈された同年生まれの大作曲家、シューマンという絡み。。。
シューマン“クライスレリアーナ”vs.ショパン“バラード”全曲というプログラムに当然なるわけで(人事異動がない限り)これも行かないわけには行きません。
今からとても楽しみですね。(^^;)