SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

主語は誰?

2013年01月28日 21時42分47秒 | JAZZ・FUSION
★CLUB NOCTURNE
                  (演奏:YELLOW JACKETS)
1.Spirit of the West
2.Stick_to_it_ive_ness
3.Up From New Orieans
4.The Evening News
5.Even the Pain
6.Love and Paris Rain
7.The Village Church
8.Twilight for Nancy
9.Automat
10.All is Quiet
11.Livin’ inside Myself
                  (1998年作品)

ブレンダ・ラッセルの“Love and Paris Rain”の初出は、このアルバムらしい。
いずれにしても、この曲はラッセル・フェレンテ他がこしらえたものに共感した彼女が、じつに彼女らしい詞を乗せて、彼女ならではの歌声で聴かせてくれる名作に違いない。

そんなこんなで、このアルバムにも触手を伸ばしてしまったのだが・・・
録音のきっかけは、YELLOW JCKETSのピアニスト、ラッセル・フェレンテがファンレターに返事を書いていたら、奥さんから男性からばかりだと指摘され、女性ファン開拓を期して制作された作品なんだとか。。。
そうCDのライナーノーツに記されていた。

正直、このグループはこのCDとその前の“BLUE HATS”というアルバムしか聴いたことがないのでサンプル数は少ないと言わざるを得ないが、硬骨漢ばかりが好むサウンドメイキングであるとはそれほど思わない。
でも、その2作からだけでも、押しも押されぬ地位を築いたグループゆえの他に代えがたいテイストをもっていることが確かに感じられる。
さらに驚くべきは、その感覚がすでに普遍性を獲得していると思われることである。

なぜだろう・・・?
彼らの醸し出す音楽が一級品であることは疑いはないのだが・・・なぜにこうまで違和感なく聴けてしまうのか?
もしかしたら知らず知らずテレビや街中のどこかで彼らのオトをきかされていて、サブリミナル効果で刷り込まれ慣らされてしまっているとか・・・
潜在意識が無意識のうちにステマ攻撃にあってるようなものかもしれない。


さて・・・
このアルバムを入手しようと思った動機は、実はもう一つある。
それは、日本盤のボーナストラックに収められたジノ・ヴァネリの“Livin’ inside Myself”のカバーの存在。
いや・・・
これがあったからこそ今このディスクが私の手許にあるのであって、ブレンダ・ラッセルの佳曲が入っていることの方が従だったかもしれない。


ジノ・ヴァネリは、NHKで放送していたかの「むしまるQ」において、代表曲“アパルーサ”のパロディ曲、その名も「ナメク☆ジノバネリ」という曲にのせて、ナメクジの根性を称える題材として採られたほどの大物歌手である。
なんじゃそりゃと思う向きもおありになろうが、むしまるQのパロディ曲のネタ歌になることの意義は重大で、私にとっては世界を舞台にした音楽界での第一人者の証であることを意味する。
わかりやすくたとえるなら、殿堂入り・・・
もっと具体的言えば、日経で「私の履歴書」が書けるぐらいの実績を残した斯界の重鎮・・・といったところになるだろうか。

そして、この曲はジノ・ヴァネリの1981年のアルバム“Nightwalker”所収の大ヒット曲。
もちろん私はオン・タイムで聴きアルバム自体も所有しているのだが、いつ聴いてもジノ・ヴァネリというアーティストのとてつもない暑苦しさに(うまく心がフィットした場合には)陶然としてしまう名作・・・である。

なにしろこのアルバム全体が8曲しか入ってないくせに、やたらアツクルシイというか濃縮5倍って感じのこゆ~い内容だった。
その前の“Brother to Brother”の“アパルーサ”にせよタイトル曲にせよ、米国産プログレとハードロックとジャズロックが圧力釜で蒸されて混然となったようなサウンド、そのうえさらにハードロック色のソースを重ねてかけたみたいなもんだったといえば、どれだけ強烈な印象を残すオトか伝わっただろうか?

ジノ・ヴァネリは今も健在でジャズに傾倒した音楽を志向しているが、今もって唯一無二のヴォーカリストでありサウンドクリエーターとしても折り紙つきの第一級アーティストある。
しかし・・・
私は彼がある意味もったいない存在に思われてならない。

ある意味と書いたが、我が国で言えば、松山千春的にもったいないと感じられるのである。
つまり・・・
絶対的な歌唱力以上にあまりにも強烈な存在感がいつも圧倒的に迫ってきてしまうのが、気になって仕方ないのである。
ジノ・ヴァネリの、千春の、そこが好きなんだ・・・とおっしゃる方の気持ちはよくわかるのだが、時としてというか、長時間続けて聴くとたいてい私の受忍限度を超えてしまうのである。

クラシック界に置き換えるなら、そう、まさにシューマンのもったいなさ・・・
彼の音楽に身を任せて陶酔し続けられるか、最初はいいと思ってもどこかでくどく思えてきてゲンナリしちゃうかの違いで、ジノ・ヴァネリ耐性があるかどうかがわかるような気もする。

年を取って淡泊になるからついていけなくなるんだ、という方もあるかもしれないしそのとおりなのだろうが、ジノ本人もいつまでも若くはない・・・
それでも出てくるサウンドは頑なにワン・アンド・オンリーを貫き、取り巻きが多少変わってもやはり耐えがたくアツイのだ。

要するに・・・
彼は屈指のヴォーカリストではあるのだが、ブレンダ・ラッセル同様、他流試合をして相乗効果を狙ったときにハマると、とてつもない魅力を放つタイプなんじゃないだろうかな?

そして、その昇華された実例がここ、イエロージャケッツとのコラボにある・・・。

楽曲はジノのものだが、組曲風のアレンジや引き締まったバックのサウンドはイエロージャケッツのもの・・・そのすべてがつくづくすばらしいヴァージョンだと惚れ惚れする。。。

結果として・・・
このアルバムにおける「ノクターン」というコンセプトに壮大さや理屈っぽさがそぐわないとしてハズされ、日本盤のボーナストラックのみの収録に甘んじているのだろうが、まことに惜しいことである。

日本人としては慶賀すべきことだが・・・
フェランテが奥さんに示唆された、欧米のアツイ婦女子の気を引くためには、ぜひ入れるべきだったと思うのは私だけではあるまい。

大物ジノを迎えて、件のアルバム本編に収めない・・・
ってところこそが、実はイエロージャケッツが硬骨漢に好かれるゆえんで、フェランテその人がもっとも硬骨漢なんだということが裏付けられたともいえようか。。。
ともあれ、聴けて幸せ・・・である。


さて、この“Livin’ inside Myself”という曲は、歌詞をつらつら眺めるに「彼女にフラれて、自分を失い、殻に閉じこもっちゃった男」という内容を、このうえなく情熱的に歌っちゃったもの。


かねて私は・・・She is living inside myself・・・だと理解していた。
彼女の思い出とともに生きよう、彼女は自分の中で永久に生きている・・・というふうに。。。
私がこの歌に仮託したシチュエーションも、先のブレンダ・ラッセルに関する投稿のとおり、「いつまでも他人の思い出とともにある」、「心の中で思い起こしうるかぎり誰も死んだりしない」・・・というものだったわけなのだ。


でも・・・
本当の主語は「I」で、いじいじした軟弱なヤローの歌だったとは。。。

そんなこんなで、勝手にひどく失望したことを覚えている。
ジノ・ヴァネリのせいではもちろんないけれど、かえすがえすも残念!!


日本語は主語をしょっちゅう省略するけど、英語は基本的にそうではない・・・と昔習った気がするが、やはり主語を省略しちゃうと間違いは起こるものである。
これは何も詩に限ったことではなく、日常生活全般に当てはまるだろう・・・。
仕事にあってもコミュニケーション上の間違いが起こらないよう教訓として、心に留めておくとしよう。

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