SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

《ショパン with フレンズ》 “2つのロ短調” リストとともに

2011年09月12日 01時58分54秒 | 高橋多佳子さん
★《ショパン with フレンズ》~奇跡の年 コンサートシリーズ
   デビュー20周年記念&ショパン生誕200年記念シリーズ 最終回
    高橋 多佳子 ピアノリサイタル    

第3回 2つのロ短調 リストとともに
 《前半》
1.F.ショパン :ノクターン 第9番 ロ長調 作品32-1
2.F.ショパン :ノクターン 第10番 変イ長調 作品32-2
3.F.ショパン :ソナタ 第3番 ロ短調 作品58

 《後半》
4.F.リスト  :「愛の夢」ノクターン 第3番 変イ長調
5.F.リスト  :ソナタ ロ短調

《アンコール》
1. F.ショパン :「別れの曲」エチュード ホ長調 作品10-3
                  (2011年9月11日 浜離宮朝日ホールにて)

高橋多佳子さんのこの《ショパン with フレンズ》4回シリーズに皆勤できたことはまことに喜ばしいことでありました。

こうして記事に残しているおかげもあり、日々の煩わしさに流されていても読み返せば「ああ、そういえば」と思い起こすことができます。
印象的だったシーンをあのときどのように感じたか・・・
そのころの自分を省みるとき、自分自身が置かれていた立場を客観的な目で振り返ることができる、そんな効果もあるように思うのです。

コンサートには、演奏者である多佳子さんにもいろんな思いがあるでしょう。
でも、その場を共有した人の数だけその場の体験はあるわけで、私とっては音楽だけではなく自分自身のアルバムのひとコマとして、シリーズのピースが欠けることなく揃ったことはそれだけでうれしく思えることでした。

今日もまごうかたなき多佳子さんならではの演奏に触れることができ、随所に高橋多佳子でなければ聴けないゾクゾクするフレーズに出会い、いつものように快哉を(もちろん心の中で)叫びました。
シリーズを(聴くのを)完走した・・・
なんともお気楽な達成感も手伝って、充足感のうちにこうして記事をしたためています。



さて・・・
前回はプログラムが一見地味だったこと、震災直後の特殊な環境であったこともあって、特別な思いで出かけた覚えがあります。
ただ、実際には何かを期したような多佳子さんの充実した演奏に会場がこのうえない一体感に包まれた素晴らしいコンサートでした。

そして・・・
シリーズの大団円となる今回・・・
ご本人が「メインディッシュ」と形容したショパンとリスト、それぞれのロ短調ソナタを前後半に並べて聴けるぜいたくなプログラムです。
「こりゃたいへんだ」と聴くほうの私ですらその重みを感じて浜離宮のホールに向かったくらいですから、弾く多佳子さんのプレッシャーたるやいかばかりかと気にかけておりました。

いや・・・
私が心配することなんかじゃありませんが、安曇野などで何度かお話を伺ううちに本番前のアーティストがいかにナーヴァスになるかを窺わせるようなお話があったもので。。。

でも杞憂でした。
神経質になっている素振りなど微塵も感じさせることなく、今となっては勝手に心配した私があほらしいという感じ・・・
きっとご本人は「違う、もうドキドキだった」といわれるでしょうが。。。



前回の演奏会で・・・
特にショパン演奏について多佳子さんの演奏が一足飛びに円熟したのではないか、そんな確信を得ていました。

多佳子さんのブログで、以前は「脱力」を中心に技術的な克服すべき課題をご自身に言い聞かせるかのような書き込みが目立ったものですが、最近はそのようなことはほとんどなくなってもおられたし・・・
きっと何かを掴んだに相違ないとにらんでいた私。。。

そして、今日聴いて・・・
やはりショパン演奏に関してはゆるぎない「悟り」を開かれたことを再認識しました。

それは・・・
「弾き込まれた作品を十二分に準備したであろう練習時・あるいはこれまでの演奏会のときと同じように演ればよいのだ」そんな自信・開き直りがあるからなのか、あるいは最近の充実した活動が忙しすぎて開演前にいちいち心配しているヒマさえなくなったのか、あるいはどちらも違うのか・・・?
それはわかりませんが、事実だけを誤解を恐れずにいえば「大家」の趣すら漂わせる最初からの奏楽振り。

初めて多佳子さんの演奏に触れた新潟県三条市でのコンサートのときの印象を思い起こすと、やはり成長されたというより別次元の「悟り」を開かれたといったほうがピンと来るぐらい違う気がします。

何が違うって・・・
出てくる音が成熟したというか、風格が増したというか・・・
以前よりはるかにフレーズをいつくしんで弾いておられた、少なくとも私にはそう聴こえたのであります。

とてもチャーミングだけど二枚目半になるおしゃべりはそのまま・・・でしたけど。(^^;)



さて・・・
プログラム中で感じたことを書き落としておきます。

先ほど無用な気負いなく演奏に臨まれたような書き方をしましたが、黒に近い紫のドレスをシックに決めて登場されたときには、衣服に無頓着な私でも「これは勝負服だな」と感じ、多佳子さんのこの演奏会にかけるなみなみならぬ気概のほどは感じたものです。
りかりんさん(宮谷理香さん)と話したときにも、1着のドレスで通されたことについて、よほど演奏に集中されていたのではないかという思いを強くしましたし・・・。

そして弾きだされたノクターン第9番・・・
ピアノのオーバーホールの話も聞いていたのでどうかと思ったのですが、まずは高橋多佳子独特の音色で奏でられ始めてホッとしました・・・


とても大きな呼吸、深い呼吸・・・
ピアニストとの呼吸の振幅がここちよく合っていくのを感じました。


曲調のせいか、座った席の残響のせいか・・・
いつもどこかのきっかけで高橋多佳子ワールドみたいな世界にワープするのですが、麗しい音色に心奪われながらもややソフトフォーカスだなと感じつつ曲も終わりに近づき、コーダではいちだんと印象深く最後の響きが伸ばされる、延ばされる・・・

軽いブレスののち、ノクターン10番の冒頭の和音が絶妙に分散されて響いて・・・
ここから高橋多佳子ワールドが“パァ~ッと”開けました。。。

多佳子さんの魔法の音色に魅了され、呼吸というかフィーリングがゾーンにはまり・・・
こうなるといろんな手業やペダルの操作といった足技、思い切った解釈云々などなどがすべて魔法にかわります。
振り返ると、第1曲はぜいたくなアイドリングだったかのように思える・・・。

別のピアニストがやると奇を衒った解釈とかあざとさと感じるようなことさえも、ワールドに誘われたのちに多佳子さんの手にかかると、ひらめきに満ちた解釈とか神々しさになっちゃうから不思議です。
こう書くと、ピアニストがまるで催眠術師か幻術つかいみたいですが。。。


ソナタ第3番は多佳子さんのコメントでは学生時代、コンクール、プロの最初のレコーディングを通して節目ごとにそばに寄り添っていた曲だそうです。
そんな曲だけあって演奏終了後、会場各所からブラヴォーが飛び交うすばらしい演奏、「聴けて良かった」まさに絶品の解釈でした。


第一楽章はあれだけめくるめく楽想があったはずなのにあっという間にゴールしてしまったようにすら感じるのは、とんでもなく充実していたからにほかなりません。
第二楽章は軽妙でありながら存在感も両立していて・・・これは録音では再現できない世界だと思って息をのんで聴くほかありませんでした。
第三楽章は、(私がボーッとしていたのか)第二楽章からいつのまにか続けて演奏されたように感じてあれっと思ったものですが、始まってしまえば、これまた私のフィーリングとぴったり。充足の極みの音の運び・・・とりわけ最後に旋律が回帰する前のつなぎの単音の雄弁なことといったら、今日の白眉の一瞬だったかもしれません。
そして第四楽章、このようなノリで弾けるのは世界でこの人しかいません。
全編にわたって「これを聴きに来た」というべき高橋多佳子のショパンを、まさに満喫できました。


そういえばショパンとリストの演奏のむずかしさの違いを運転に譬えて・・・
ショパンは細く曲がりくねった道を走り抜けていく最高のドライビングセンスが必要な難しさ、それに対してリストは、見通しは良い道だが大変な坂道を圧倒的な馬力のエンジンで進まなければならない難しさだと説明されていました。
説明者は、分かったか分からなかったか不安げでありましたが、こと私に関しては「言わんとされたことは伝わった」とは感じています・・・もしかしたら、盛大な勘違いかもしれませんが。

そして、多佳子さんはショパンの道に関しては、どんな隘路も目をつぶっていても(とまではいいませんが)走り抜けることができるのだろうとも感じたものです。



後半のリスト・・・
「愛の夢」はどこまでもさりげなく、でも、あくまでも自然に弾いておられるのが私にはかぎりないいつくしみの音楽に聴こえて、通俗名曲などといわれるこの曲の垢がぬぐわれた演奏でした。
以前にはこれほどのいつくしみというか、ここまでフレーズを(意識するまでもなく)大切にされているようには感じられなかったのですが・・・
まぁ・・・
かくのごとく弾くべき人が弾けばベラボーに感動できるからこそ、時の淘汰を経てなお通俗名曲として君臨できるという言い方もできるかもしれません。(^^:)

ようするに多佳子さんの手の内に入った曲で、多佳子さん流に弾いてくれれば、きっと私にはぴったり合う曲のひとつだったな・・・ということを嬉しく確認できたということです。



そしてもう一つのメインディッシュ、ロ短調ソナタ。。。

ピアニストにとってこれを演奏会にかけるということは「清水の舞台から飛び降りるような」挑戦であるという多佳子さんの発言がありました。
演奏を聴いて、嘘じゃないどころか、それこそドン・キホーテみたいとでもいうべき、たとえようもなくとんでもないチャレンジなんだろうなと推測しました。


そういえば・・・
当初からディスクとして公表する目的でこの楽曲をライブ録音しているピアニストは、ベレゾフスキーぐらいしか思い当りません。(調べればあるんだろうけど)
自分で弾けるわけでもないのに、ことこの曲に関して、後世に遺す記録にあえて一発録りでチャレンジするのは無謀だとあらためて思いました。

でも、そんなプレッシャーにも屈することなく、見事に弾きあげて楽屋へ引き上げるときの多佳子さんには達成感と安堵感があったことと思います。
本当におつかれさま・・・といいたいです。^^



さて・・・
演奏前に「(自称)3分間でわかるロ短調ソナタ講座」があって、これまた講師は聴衆がわかったかどうかに疑問を持っておられたようですが、主題の提示をされたことで本当に聞いた経験の少ない方への助けになったと思います。

リストほど同じ主題を繰り返し「これでもか」と押し付け続ける作曲家はいない・・・
ベートーヴェンもQUEENでさえも、そこまでくどくやらないと思われますから、主題の紹介はとってもヘルプフル、ナイスなアイデアだったのではないでしょうか?

私にとってのロ短調ソナタは野島稔さんのディスクではじめて出会ってちんぷんかんぷん、「なんじゃこりゃ!?」という感想を抱いて以来、なぜか躍起になって聴いて大好きになったという曲・・・
今では30種以上のディスクを所有し優に数百回は聴いてますし、このブログにいっとき持っているディスクの感想を片っ端から書き散らかしたこともあるいわば聴きなれた曲であります。


そのうえで感じたこと(希望)は・・・
「高橋多佳子はこの曲を“セッションで”録音するべきだ(お願いだから録音してほしい)」ということでありました。

本日のそれは瞠目すべき立派な演奏だったとは思いますが、正直、多佳子さんなら(弾き込むうちにたとえライブでも)もっともっと全体の構成を踏まえつつ各パートの性格分けを精緻にできるはず・・・。
つまりは、随所に高橋多佳子流の素敵なところ、工夫といったものを見出すことができて「おお!そうきたか!」と感激したものの、きっとこれからさらに全編丸ごと高橋多佳子節に昇華される余地を残す楽しみな楽曲であることがわかった、そしてそれを実現できるのはセッション録音しかないと思っている・・・ということです。



ところで、リストのロ短調ソナタ・・・
私には多佳子さんのいわれる「英雄の生涯」というイメージより、「メフィストの悔悟・浄化・逡巡・昇華」といったイメージが強い曲です。
作曲者に「メフィスト・ワルツ」とか「ダンテを読んで」とかの曲があるから、勝手に私がそう思い込んでいるだけかもしれませんが。。。

で・・・
私が好きなロ短調ソナタの演奏は、ツィメルマン(これは別格)、ポリーニ、ブレンデルといったメジャーの大家に、先の野島稔さん、ハフ、セルメット、そして多佳子さんと同じショパン・コンクールで入賞したサジュマンといった面々によるもの。
アラウ、アルゲリッチ、ボレット・・・
なんて方の演奏も確かにおもしろいけど、好みからするとちょっとずれるかも。。。

このような先入観に汚された耳で聴いていても、多佳子さんの今日の奏楽には目(耳?)からウロコの解釈が、そしてそれが見事に実現されている箇所がそこかしこにあって、最後まで耳が離せませんでした。

たとえば、多佳子さんのいう「英雄の主題」が最初に雄々しく現れる前後などは、ほかの誰からも聴いたことのない表現だったように思います。
右手が和音でリズムを連ねる中、左手でドラキュラの心臓に2度杭を打ち込むような箇所がありますが、あの疾走感と低音の冴え・凄みはツィメルマンとポリーニを足したぐらいのインパクトを感じましたし、その後の英雄の主題には文字通り鳥肌が立ちました。

もちろん、これまで聴いたことがない表現のうちには、新鮮というより多少なりとも「おやっ!?」と感じる箇所もありましたが・・・

だからこそ・・・
全体感としても細部の表現にしても納得がいく解釈に至ったと思ったら、ぜひともセッション録音でとことんまで多佳子さんの魂を込めた音に変換して届けてほしいのです。



今回のコンサート・シリーズは、私にとって、とてもエポック・メイキングな企画でした。
そして、最終回、私は(リストのロ短調ソナタという新レパートリーへのチャレンジがあったにせよ)「これまでの高橋多佳子の(円熟と)集大成」を聴いた気でいます。

多少抹香くさい表現と思いながら、先に「悟り」なんて言葉をつかったのも、多分これまでの練習・本番を通じてピアノを弾くという修行のなかで何かを掴まれたんだなと(傍目に)感じたからであります。

ここで手に入れておられる「悟り」は、多分それだけで、地方のコンサートや地域文化活動で多くの人に感動と喜びをもたらすでしょう。
ただ、そのステージにとどまらずソロはもちろんデュオ・グレイスやB型トリオなどの活動ともあわせて、いろんな試みに精力的に取り組んでいかれるうちに、機が熟し、新境地に至った多佳子さんに会えることがまた楽しみです。


レコーディングに関しても、(先にも述べたとおり)リストのロ短調ソナタはしっかり熟成させてCDとして残してほしいです。
カップリングは、たいせつに寝かせておられるであろう「夜のガスパール」で・・・ってくどいですかね。。。(^^;)


コンサートは「別れの曲」が旋律線をたいせつに、ほんとうに大切に弾かれてしっとりと(何度かのカーテンコールののち)幕を閉じました。



終焉後はいつもお目にかかるみなさんとお話したり、サイン会で写真を撮らせていただいたり・・・
りかりんさんにディスクにまとめてサインをもらったり。。。(^^;)
それらを含めて「行ってよかった」と思いながら、いつものように満足感いっぱいで帰途に就いたのでした。



帰宅して・・・
多佳子さんの演奏によるもうひとつのロ短調を聴きました。

スクリャービンの幻想曲。。。

ここでの若々しく生気あふれる演奏に、聴くたびに新鮮な喜びに包まれます。
やはり、CDとして手許にあるとその演奏を深く知れるわけで・・・ライブとは違う音楽を突き詰める醍醐味を感じるんですよね。



P.S.
デュオ・グレイスのCDの感想はまた聴きこんでから。(^^;)
入念な準備を経て万全に奏された楽曲を、とにかく明晰な録音が捉えているということは強く実感できました。
聴くほどにいろいろ気付くことがあって味わい深くなるんだろうな・・・と思っています。