★フォーレ:チェロとピアノのためのソナタ(全2曲)、及びその他の小品
(演奏:オフェリー・ガイヤール(vc)、ブリュノ・フォンテーヌ(p))
1.エレジー 作品24
2.チェロとピアノのためのソナタ第1番 ニ短調 作品109
3.ロマンス イ長調 作品77
4.蝶々 作品109
5.チェロとピアノのためのソナタ第2番 ト短調 作品117
6.シシリエンヌ 作品78
7.夢のあとで (編曲:パブロ・カザルス)
(2004年録音)
かねてよりご紹介したいと思いながら、なかなかアップできなかったディスクのひとつがこれであります。
とはいえ正直言って、この魅力を私の文章能力で正しくお伝えすることは難しい・・・と感じております。また、言葉を尽くせば尽くすほど、この感覚世界からは遠ざかってしまうという気もします。
ですから、聴いていただいてから、私の伝えたいことを「こんなことかな?」と文章から読み取っていただくのが1番いいのですが、私のチャレンジというか、書かなきゃという重荷を下ろすという意味で掲載する記事だと予めお断りしておきます。(^^;)
本当にこの美しい音楽の泉に漬かってしまうと、どうしようもなく気持ちよくなってフォーレの“おひたし”になれること請け合いです。
さて、オフェリー・ガイヤールとブリュノ・フォンテーヌのコンビによるこのディスクはアンブロワジー・レーベルからリリースされています。
このレーベルの器楽曲は、まず録音が私好みなんですよねぇ~。
以前ご紹介したカッサールのシューベルトもそうでしたし、ガイヤール嬢のバッハの無伴奏ソナタも鮮やかなことこのうえないという録音でありました。(^^;)
当ディスクも例外でなく、チェロ・ピアノともに素晴らしい音色で録られていると同時に、アンサンブルにおいても申し分のないバランスを誇っています。
特筆大書すべき美質ですから敢えてここに書いておきますが、そうであればこそ現在のアンブロワジー・レーベルのディストリビューションがどうなっているのかが気になります。
このディスクを購入して以来、ディストリビューターが変わるということをあるところから聞いていたのですが、販売網の店頭どころかオンラインショップでも旧譜(まだ売れてないもの?)以外は見なくなってしまったように思えて・・・心配だなぁ~。
本論に移りましょう。
私の愛するフォーレの楽曲の特長としては、どこへ行くとも知れない旋律線、何でこんな風にカウンターのメロディーが出てくるのかという意外性を感じるにもかかわらず、統一されたムードをずっと維持しえてしているというパラドックスが挙げられるのではないでしょうか?
記譜された楽曲を演奏しているのだから当たり前なのですが、チェロの歌う歌にピアノがよくぞ寄り添っていけるものだと不思議に思わせられるほど・・・またそのピアノが正に“水そのもの”をイメージさせるほど瑞々しく、これに浸ったら最後、やはりとことんまで溶けてしまいそうな気がします。
そしてフォーレの音楽を聞くコツは、常にその“今”が美しいことに溺れることだと思うのです。
さっきまでどうだったとか、この先どうなるのかなどを考えないで、その時溢れている音響にひたすら身をまかせてしまえるか?
この1点にかかっているのでは・・・。
やはりうまくお伝えできていないなぁ・・・と思いつつ、“エレジー”の印象的なところをいくつか記しておきましょうか。。。
冒頭からチェリストが曲想に合わせてそのように演奏したいと目指したとおり「ふっくらしながら明晰」な音色で絶妙な弾き出しであります。
中間部に至り、ピアノが主旋律を引き継いだときのオトたるや、なんと形容してよいのでしょうか?
私はここでフォーレの泉に溶け込むべく、一挙にふやけてしまいますねぇ~。(^^;)
時として感じきってしまったときなどは俄かに目頭が熱くなってきて、その後メロディーをチェロが受け取って慈愛の音色で弾き進む頃までには、全身鳥肌立ちまくり状態になります。
中間部のピアノとチェロの激しい部分も鮮烈でありながら、品位ある表現に感服させられますし、それら静と動を経てこのCDに聴きいるモードが万端準備されるわけであります。
ソナタでは両作品とも中間楽章が恐ろしく恍惚とした陶酔感に満ちた作品であり、演奏であります。
このように弾かれ、聴かれるべき演奏であると感じられるのです。
もちろん(録音された)音の良さがこの効果に貢献するところは大であり、ふたりの奏者だけでなく制作チーム全体の成果だと思いますけれどね。(^^;)
“シシリエンヌ”“夢のあとに”も佳演です。
音色ひとつ取ってみても、フォーレの霊感の泉の成分そのものという感じであります。
ディスク丸ごとフォーレが体験できるという意味では、私にとってはホントにたまらない一枚であり、ここまで書いてなお説明できないのも仕方ないとやはり勝手に思い直してしまう一枚ですね。
すいませんが・・・。
それじゃあんまりだと思いますので最後に一言だけ触れますと、ライナーノーツにはガイヤール嬢自らが執筆した長文の「フォーレにおける「熱」について」という解題が掲載されています。
訳の関係なのでしょうか、難解な文章と言わざるを得ませんが、まさにこの文章を虚心に味わったときにこそ“感覚的に”フォーレでありフォーレの音楽の何たるかがうまく伝わってくるのではないかと感じていることをお伝えしましょう。
豊富な先人の言葉の引用とともに、フォーレの音楽がそうであるように“感覚的に”微妙なニュアンスを多彩に含んだ形容詞が適切に多用されることで、見事に彼女の言わんとするところが表現されているのではないでしょうか?
ガイヤール嬢による秀逸なフレーズを1点引用させてもらい、この記事を締めくくります。
ネクトゥー(人名)はそれでもなお、フォーレを革新性溢れる現代の作曲家として考察し続けようとはしていない。そうした考察こそが、フォーレならではの旋律に身をまかせ、彼髄一の繊細にして雄弁な和声の魅力に酔いしれる妨げになるなど、言うまでもないことだからだ。
(演奏:オフェリー・ガイヤール(vc)、ブリュノ・フォンテーヌ(p))
1.エレジー 作品24
2.チェロとピアノのためのソナタ第1番 ニ短調 作品109
3.ロマンス イ長調 作品77
4.蝶々 作品109
5.チェロとピアノのためのソナタ第2番 ト短調 作品117
6.シシリエンヌ 作品78
7.夢のあとで (編曲:パブロ・カザルス)
(2004年録音)
かねてよりご紹介したいと思いながら、なかなかアップできなかったディスクのひとつがこれであります。
とはいえ正直言って、この魅力を私の文章能力で正しくお伝えすることは難しい・・・と感じております。また、言葉を尽くせば尽くすほど、この感覚世界からは遠ざかってしまうという気もします。
ですから、聴いていただいてから、私の伝えたいことを「こんなことかな?」と文章から読み取っていただくのが1番いいのですが、私のチャレンジというか、書かなきゃという重荷を下ろすという意味で掲載する記事だと予めお断りしておきます。(^^;)
本当にこの美しい音楽の泉に漬かってしまうと、どうしようもなく気持ちよくなってフォーレの“おひたし”になれること請け合いです。
さて、オフェリー・ガイヤールとブリュノ・フォンテーヌのコンビによるこのディスクはアンブロワジー・レーベルからリリースされています。
このレーベルの器楽曲は、まず録音が私好みなんですよねぇ~。
以前ご紹介したカッサールのシューベルトもそうでしたし、ガイヤール嬢のバッハの無伴奏ソナタも鮮やかなことこのうえないという録音でありました。(^^;)
当ディスクも例外でなく、チェロ・ピアノともに素晴らしい音色で録られていると同時に、アンサンブルにおいても申し分のないバランスを誇っています。
特筆大書すべき美質ですから敢えてここに書いておきますが、そうであればこそ現在のアンブロワジー・レーベルのディストリビューションがどうなっているのかが気になります。
このディスクを購入して以来、ディストリビューターが変わるということをあるところから聞いていたのですが、販売網の店頭どころかオンラインショップでも旧譜(まだ売れてないもの?)以外は見なくなってしまったように思えて・・・心配だなぁ~。
本論に移りましょう。
私の愛するフォーレの楽曲の特長としては、どこへ行くとも知れない旋律線、何でこんな風にカウンターのメロディーが出てくるのかという意外性を感じるにもかかわらず、統一されたムードをずっと維持しえてしているというパラドックスが挙げられるのではないでしょうか?
記譜された楽曲を演奏しているのだから当たり前なのですが、チェロの歌う歌にピアノがよくぞ寄り添っていけるものだと不思議に思わせられるほど・・・またそのピアノが正に“水そのもの”をイメージさせるほど瑞々しく、これに浸ったら最後、やはりとことんまで溶けてしまいそうな気がします。
そしてフォーレの音楽を聞くコツは、常にその“今”が美しいことに溺れることだと思うのです。
さっきまでどうだったとか、この先どうなるのかなどを考えないで、その時溢れている音響にひたすら身をまかせてしまえるか?
この1点にかかっているのでは・・・。
やはりうまくお伝えできていないなぁ・・・と思いつつ、“エレジー”の印象的なところをいくつか記しておきましょうか。。。
冒頭からチェリストが曲想に合わせてそのように演奏したいと目指したとおり「ふっくらしながら明晰」な音色で絶妙な弾き出しであります。
中間部に至り、ピアノが主旋律を引き継いだときのオトたるや、なんと形容してよいのでしょうか?
私はここでフォーレの泉に溶け込むべく、一挙にふやけてしまいますねぇ~。(^^;)
時として感じきってしまったときなどは俄かに目頭が熱くなってきて、その後メロディーをチェロが受け取って慈愛の音色で弾き進む頃までには、全身鳥肌立ちまくり状態になります。
中間部のピアノとチェロの激しい部分も鮮烈でありながら、品位ある表現に感服させられますし、それら静と動を経てこのCDに聴きいるモードが万端準備されるわけであります。
ソナタでは両作品とも中間楽章が恐ろしく恍惚とした陶酔感に満ちた作品であり、演奏であります。
このように弾かれ、聴かれるべき演奏であると感じられるのです。
もちろん(録音された)音の良さがこの効果に貢献するところは大であり、ふたりの奏者だけでなく制作チーム全体の成果だと思いますけれどね。(^^;)
“シシリエンヌ”“夢のあとに”も佳演です。
音色ひとつ取ってみても、フォーレの霊感の泉の成分そのものという感じであります。
ディスク丸ごとフォーレが体験できるという意味では、私にとってはホントにたまらない一枚であり、ここまで書いてなお説明できないのも仕方ないとやはり勝手に思い直してしまう一枚ですね。
すいませんが・・・。
それじゃあんまりだと思いますので最後に一言だけ触れますと、ライナーノーツにはガイヤール嬢自らが執筆した長文の「フォーレにおける「熱」について」という解題が掲載されています。
訳の関係なのでしょうか、難解な文章と言わざるを得ませんが、まさにこの文章を虚心に味わったときにこそ“感覚的に”フォーレでありフォーレの音楽の何たるかがうまく伝わってくるのではないかと感じていることをお伝えしましょう。
豊富な先人の言葉の引用とともに、フォーレの音楽がそうであるように“感覚的に”微妙なニュアンスを多彩に含んだ形容詞が適切に多用されることで、見事に彼女の言わんとするところが表現されているのではないでしょうか?
ガイヤール嬢による秀逸なフレーズを1点引用させてもらい、この記事を締めくくります。
ネクトゥー(人名)はそれでもなお、フォーレを革新性溢れる現代の作曲家として考察し続けようとはしていない。そうした考察こそが、フォーレならではの旋律に身をまかせ、彼髄一の繊細にして雄弁な和声の魅力に酔いしれる妨げになるなど、言うまでもないことだからだ。