鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

永野金山跡(4)

2018-02-14 | 史跡

平八重橋を後にして進みます。

 

県道に出て右の道を登ると三番滝精錬所跡です。

 

石段の上に鉱業館跡があります。

 

鉱業館跡。明治41年に建てられた木造2階建て洋館で、上級幹部の事務所でした。

明治45年、西郷隆盛の子、菊次郎が8代館長になりました。

 

三番滝精錬所跡。コンクリートの遺構が残っています。

 

前の写真の右。石垣の上に水槽があります。

 

水槽のところに登ります。

 

水槽からの排水溝。

 

大小二つの水槽があります。

 

前の写真の奥の大きな水槽。鉱石を砕いて沈殿させ、選鉱していたものと思われます。

 

水槽の横にも、石積みやコンクリートの遺構が残っています。

 

前の写真の右にある石垣。この上にも施設があったのでしょう。

 

精錬所跡を後にして、県道を胡麻目坑へ戻ると、途中に金山分校跡があります。

明治19年開校、昭和43年閉校です。

 

分校の門。

 

「金山分校の跡」の碑。

永野金山跡を終わります。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは~ (蓮の花)
2018-02-14 21:00:01
精錬所は結構長く操業していたのでしょうか?
分校の歴史がそれを語っているように感じます。
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歴史を (chiro)
2018-02-14 21:23:15
蓮の花さん

こんばんは。
精錬所は、明治末頃から昭和28年まで操業していたようです。
コンクリートや石積みの遺構が残っています。
歴史を感じます。
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鉱業館 (momomama)
2018-02-15 16:50:51
こんにちは。
>明治41年に建てられた木造2階建て洋館
当時の建物って 他のの保存されている建物から想像できますね。
石垣がこんなに柔らかい線だから、きっと・・・
ウフフ 頭の中で建てました。 街灯も・・

分校が必要なほど金山で働く人たちが多かったんですね。
隆盛を極めていたころの面影も 今は・・【跡】ですね。
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写真が (chiro)
2018-02-15 17:36:52
momomamaさん

こんにちは。
案内板に、洋館の写真があります。
当時は、しゃれた建物だったでしょうね。

山の反対側は、山ケ野金山で、こちらのほうが栄えていたようです。
遊郭跡もあります。
鉱山は、廃坑になると急にさびれますね。
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