鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

かわなべ森の学校

2012-01-30 | 風景

廃校となった小学校をグリーンツーリズムの施設として利用している、かわなべ森の学校を紹介します。

 

南九州市川辺町にある旧長谷小学校です。

本当に森の中にあります。

 

昔懐かしい木造校舎です。これはいまどき珍しいです。

 

この小学校は昭和8年に建設され、平成2年に廃校となりました。

取り壊されることなく、今はグリーンツーリズムの施設として利用されています。

 

玄関です。

 

玄関の右にある二宮金次郎の像。

 

窓もどこか懐かしい。私の小中学校の校舎も、木造でした

 

校庭のクスノキ。多くの子供を見守ってきたことでしょう。

 

「長谷小学校跡」の碑。

 

子供たちが製作した「みんなの顔」。

どんな大人になっているでしょう。

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三重野観音

2012-01-28 | 史跡

鹿児島市五ケ別府町三重野にある三重野観音を紹介します。

 

道路から階段を少し上がったところにあります。 

 

岩屋(洞窟)にある岩屋観音です。

岩屋観音はあちこちにありますが、ここは岩屋の上にクスノキの大木があります。 

 

クスノキ。観音様を祭った当時からあったものでしょうか。 

だとしたら、クスノキと岩屋が一体となった神聖なものと考えたのかもしれません。

 

岩屋は、高さ2m、奥行き1.5mです。

薩摩藩では、一向宗弾圧で隠れ念仏を祭りましたが、ここもそのひとつと考えられています。 

 

岩屋の壁に掘られた観音様。

多くの岩屋観音は、観音様を安置しているだけですが、ここは岩に掘られています。

歯の神様としてお参りする人が多いそうです。

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ロウバイ他

2012-01-26 | 植物

少し前のことですが、鹿児島市郊外を散策していたら、道路脇に黄色い花をつけた木がありました。

 

ロウバイ(蝋梅、ロウバイ科)です。

寒さの厳しい今の時期に咲いています。 

 

中国から伝わったそうです。 

 

名前のとおり、蝋のような質感のある花びらです。

梅の名が付いていますが、梅の花の馥郁とした香りと異なり、甘酸っぱい強い香りがします。 

 

山の中で、フユイチゴ (冬苺、バラ科)を見つけました。

名前のとおり、真冬の今頃実をつけるイチゴです。子供の頃よく食べました。

 

色の少ない冬の山を彩ってくれるナンテン(南天、メギ科)の実。 

 

鮮やかな赤い実のナンテン。

雪兎を作って、実を目に、葉を耳に使用した人も多いのではないでしょうか。

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触田の田の神他

2012-01-24 | 田の神

田の神を3体紹介します。

 

姶良市姶良町の姶良インターの近くに稲留神社があり、そこにある触田の田の神です。

 

建立は1737年で、前田喜八という石工の作と考えられています。 

右手にメシゲ、左手に碗を持った神舞の神主の姿です。

 

顔のアップ。割れ目が入っています。 

姶良市指定民俗文化財です。

 

鹿児島市東佐多町にある鎮守神社です。鳥居をくぐって左に田の神があります。 

 

東下の田の神です。 

 

顔は白粉で塗られ、右手にメシゲ、左手に碗を持っています。

作者は、触田の田の神と同じ前田喜八と考えられています。

 

顔のアップ。建立は1736年頃です。 

 

 

鹿児島市本城町の本城公民館の庭にある田の神です。 

 

コンクリートブロックの建物に保存されています。 

 

右手にこん棒を持ち、表情が険しいです。

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帖佐麓と島津義弘居館跡

2012-01-22 | 史跡

姶良市姶良町の帖佐麓とその周辺を訪ねました。

 

帖佐地頭仮屋跡です。今の帖佐小学校です。 

 

帖佐小学校。 

 

小学校の西の通り。この突き当たりに島津義弘居館跡があります。

 

島津義弘居館跡。 

島津義弘は、1595年栗野からここへ居を移し、1606年平松に移るまでこの館に住みました。

 

居館跡の石垣。 

 

大手門跡です。 ここにあった仮屋門は、出水麓の出水小学校へ移築されています。

 

居館跡は、稲荷神社になっています。 

 

居館跡から少し北へ行くと、古帖佐焼宇都窯跡があります。 

義弘が朝鮮出兵の時連れてきた朝鮮陶工、金海が開きました。

 

窯跡の内部。半地下式の蛇窯です。

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バイトの思い出(2)

2012-01-20 | エッセイ

警察の取調室は、三畳くらいの広さの、コンクリート壁に囲まれた殺風景な部屋だった。

机が真ん中にあるだけで他には何もなかった。

私の人生で、警察の取調室に入ったのは、この時が最初で最後(かどうかはわからないが)だった。

机を挟んで刑事と向かい合わせに座り、調書を取られた。

刑事は四十年配の人だった。

刑事がいろいろ質問し、私がそれに答え、刑事が調書に書き込んでいく。

 

「店で火の気のものといったら何がある?」

「まず、キャンドルがあります」

「キャンドル?それはどういうものだ」

と聞かれてキャンドルの説明をする。

それを聞いて、刑事が調書に書き込んでいく。

 

「キャンドルとは、直径3cm、長さ20cm程度の真鍮製の円形の筒の中にローソクを入れ、これに点灯し、短くなったものを下からバネで押し上げる構造となっており、外側にガラス製のホヤを取り付けてランプとし、これをテーブルに置いて灯りにすると同時に、客からの注文があった場合、女性接客従業員がこれを持ち上げて合図となし、男性従業員(ボーイ)を呼んで、注文の品物を持ってこさせるためのものであります」(もちろん、その時の正確な文章ではない)

 

こんな感じで、警察独特の文体で綴っていく。

「キャバレーなんて行ったことがないから、中がどうなっているかわからんよ」

などとぼやきながら。

この他に、おでんコーナーの様子、タバコの吸殻の後始末、楽屋の火の元の点検などについて詳しく聞かれた。

 

間に世間話も入れる。

「兄さんは、出身はどこだ?」

「種子島です」

「種子島?そいじゃ、おいと一緒じゃなっか。種子島はどこや?」

「○○です」

「そこに△△さんという家があるやろう?おいの親戚じゃ」

種子島出身というと、たいてい共通の知人がいるものだ。

「じゃあ、高校は××高校か?」

「はい」

「おいの後輩じゃなっか」

なんと、刑事は高校の先輩だった。

「キャバレーなんどでアルバイトしとっと、ろくでもないことになんど」

こういうところから打ち解け

「ここは殺風景で、寒うしていけんな。ぬくか(暖かい)部屋へ移ろう」

と言って、さんさんと太陽の光が差し込む一般の部屋に移って取調べを再開した。

 

取調べは9時から夕方の5時まで続いた。

昼食は出前のカツ丼だった。

最後に刑事が調書を読み上げ

「これでよかか」

と聞く。

間違っているわけではないが、私が話したことと微妙にニュアンスが違っているところもある。

しかし、あえて違っているとも言い切れず、サインをして拇印を押された。

こんな取調べが間を空けて3日あった。

アパートの家主は、しょっちゅうかかってくる警察からの電話に、不審の目を私に向けた。

火事の原因はなかなか特定できないまま時が過ぎ、そのうち私は就職で鹿児島を離れたのだった。

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バイトの思い出(1)

2012-01-18 | エッセイ

学生時代、鹿児島市の繁華街天文館で、キャバレーのボーイのアルバイトをしたことがある。

当時、天文館には二つの大きなキャバレーがあり、そのうちのひとつだった。

ネオン輝く天文館のキャバレーは、華やかな夜の社交場だった。

正面に舞台があり、生バンドが演奏していた。

その下のフロアでは、客とホステスがダンスをしていた。

テーブルには、ローソクを灯したランプ(キャンドルといっていた)があり、客の注文があると、ホステスがキャンドルを持ち上げてボーイを呼び、伝票の切れ端を渡した。

 

ホステスには指名制度があった。指名されると何百円かの指名料が入り、人気ホステスほど収入が高いわけである。

週ごとに指名回数のランクが張り出された。

人気ホステスは必ずしも美人というわけではなかった。

いわゆる座持ちのいいホステスが上位だった。客を笑わせ、楽しませることの上手なホステスである。

「しのぶさん。5番テーブルへお願いします」

などという放送が流れ、人気ホステスはテーブルからテーブルへ蝶のように舞っていた。

 

時々、ドサ回りの芸能人が来てショーがあった。

ある日、ブルーボーイショーというのがあった。おかまショーである。

歌や踊りの間におしゃべりを入れる。酔客相手に毒舌やエロ話をして笑わせるのである。

ショーが終わり、楽屋にジュースを持っていくように言われた。

楽屋に入ると、4人のおかまが着替えの最中で、上半身裸だった。

そのうちの何人かは、胸が大きかった。

思わずおっぱいに見とれていると、何かにつまずいてジュースをこぼしてしまった。

「ホホホ、ボーイさん純情なのね」

おかまに笑われてしまった。

 

閉店後、交代で火の元の点検があった。

テーブルの下にタバコの吸殻が落ちていないか、楽屋に火の気は残っていないか、点検して回るのである。

ある日、私の当番だった。

隅から隅まで点検して回ったが異常はなかった。

12時過ぎに帰宅したが、その時、あのような大事件になろうとは予想もしなかった。

 

次の日の夕方、店に行くと唖然とした。

店の入っていたビルが完全に焼け落ちていたのである。

火元は私の勤めていたキャバレーだった。

私たちが帰った後、キャバレーから出火し、ビル全体が燃えたのである。

同じフロアの隣に、まだ営業しているバーがあり、ここの従業員4人が行方不明になった。

 

翌日、招集がかかり遺体収容の作業を行った。

しばらく作業していると、誰かの

「あったぞー」

という声がして、駆けつけると真っ黒に焦げた人間の形があった。

それは、人間というより物体という感じだった。

4人とも焼死体で見つかった。

葬式にも出席したが、棺に取りすがって泣いている家族がいて哀れだった。

それから何日かして、警察から呼び出しがあった。事情聴取である。

(次回へ続く)

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後中橋他

2012-01-16 | 石橋

鹿児島市本名町の石橋を紹介します。

 

県道鹿児島吉田線の、後中バス停の近くにある後中橋です。

 橋長:9.75m

 幅員:2.7m

 架設年代:不詳 

 

近景。 

 

下流側の河床より。

アーチの中の山は花尾山(540.4m)です。

 

右岸より。今は使用されていません。

下流側を拡幅していましたが、拡幅部は撤去され、石橋だけを残しています。 

 

本名小学校の近くにあるテコ橋で、下流から見たものです。 (テコは太鼓のこと)

これも今は使用されていません。 

 

下流の河床より。向こうに見えるのが現道橋です。

 橋長:5.77m 

 幅員:3.8m

 架設年代:大正2年 

 

上流より。アーチの中に見えるのが本名小学校です。

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新照寺

2012-01-14 | 史跡

姶良町住吉にある、国登録有形文化財の新照寺を紹介します。

 

新照寺。 

 

このお寺が変わっているのは、総石造りの寺院であることです。両側の壁が石造りだとわかると思います。 

本願寺派の寺で、明治26年の建造です。

 

側面。

西洋の寺院は石造りですが、日本では珍しいです。 

 

裏面。総石造りだということがよくわかります。 

 

角部。 

 

窓です。上はゆるいアーチになっています。

 

きのう、チロが15歳になりました。人間で言えば88歳、米寿です。

昨年5月、大病をして食事をとらなくなり、げっそりやせて、もうだめかと思いましたが、奇跡的に回復しました。

もう長くは生きられないと思いますが、最後までかわいがってあげたいと思います。

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住吉池

2012-01-12 | 水辺の風景

姶良市姶良町住吉にある住吉池を訪れました。

 

池の西にある展望台です。 

 

展望台から見た住吉池。

約8200年前の火山活動で出来た火口湖で、周囲3.2km、水深52mです。

 

西岸に浮き桟橋があります。 

 

浮き桟橋の近くに、釣り人と猫が3匹いました。 

 

浮き桟橋から見た住吉池。 

西南戦争で、近くの洞窟に隠されていた西郷軍の弾薬などが官軍に発見され、この池に投棄されたそうです。

 

池の出口付近から見たものです。左に見えるのが浮き桟橋。 

 

池の水はかんがい用水として利用されており、その取水施設です。 

 

池からの出口で、ここから周辺の水田にかんがいされます。

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