鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

寺山・牟礼岡自然遊歩道(4)

2017-12-30 | 風景

牟礼ケ岡山頂から、登ってきた道を引き返し、寺山自然遊歩道との分岐点まで下ります。

 

分岐点から、寺山自然遊歩道の続きを歩きます。静寂な緑のトンネルの道を進みます。

 

白いキノコがありました。

 

道端にある山神、地神、水神の碑。

 

左へ行くと寺山公園です。

 

寺山公園まで来ました。

 

遊歩道入口です。

 

遊歩道を歩いていきます。

 

終点に、寺山展望台があります。

 

展望台から桜島を望む。かすんでいました。

 

錦江湾の奥を望む。ここは姶良カルデラです。

 

左の急斜面はカルデラ壁、向こうは姶良市街地です。

 

先ほど登った牟礼ケ岡が見えます。

 

寺山自然遊歩道にもどり、スタート地点に帰ってきました。世界遺産と牟礼ケ岡を巡る3時間半(昼食休憩含む)のウォーキングでした。

この後、吉野温泉で汗を流して帰りました。

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寺山・牟礼岡自然遊歩道(3)

2017-12-28 | 風景

牟礼ケ岡山頂に着きました。

 

牟礼ケ岡山頂(552.3m)です。東屋があります。

 

山頂からの眺め。一番高い山が八重山、団地は牟礼ケ岡団地です。

 

反対側には錦江湾の隼人三島が見えます。

 

山頂の巨岩と風車。

 

巨岩は牧神様となっています。

 

ふたをかぶせたような頂部。

 

鳥居があり、多くの碑が並んでいます。

 

牟礼岡大明神。

 

馬頭観音。この付近は馬の生産地であり、信仰が厚かったそうです。

 

馬頭観音の内部です。

 

何かを担いだような像の石碑があります。

 

別の角度から見たものです。

 

山頂付近に咲いていた花。

この後、登ってきた道を下ります。

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寺山・牟礼岡自然遊歩道(2)

2017-12-26 | 風景

寺山炭窯跡を後にして進みます。

 

分かれ道を右へ行くと県道に出るので、これを右へ行きます。

 

左に風車のある山が見えてきました。これから登る牟礼ケ岡です。

 

三差路があります。寺山自然遊歩道から牟礼岡自然遊歩道への分岐点です。

 

牟礼岡自然遊歩道を進みます。島津興業の私有地であるため、ゲートがあり車両通行禁止ですが、人は脇を通って歩くことができます。

 

ムラサキシキブの実。

 

ノイバラ(野ばら)の実。

 

道路脇にドームがあります。牟礼ケ岡に風力発電があるので、その関連施設でしょうか。

 

牟礼ケ岡への登山道入口です。

 

登山道を登っていきます。

 

マムシグサの実。

 

植栽の椿並木があります。

 

ヤブツバキの花。

 

左に牟礼ケ岡ウィンドパークの風車があります。向こうは吉野の市街地です。

 

さらにヒノキ林を歩いていきます。

 

牟礼ケ岡山頂が近づきました。10数人のグループが下りてくるのに会いました。

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寺山・牟礼岡自然遊歩道(1)

2017-12-24 | 史跡

鹿児島市吉野町の寺山自然遊歩道と牟礼岡自然遊歩道を歩きました。

 

寺山ふれあい公園の駐車場に車を止めます。そこにある吉野牧の疾風馬(はやて)です。

吉野の馬牧は1350年代から開かれました。

 

寺山自然遊歩道の入口です。

 

南洲翁開墾地遺跡碑のあるところです。

 

階段の上に石碑があります。

 

南洲翁開墾地遺跡碑。西郷隆盛は、明治8年、吉野開墾社を設立し、この付近の開墾を進めました。

 

近くにある池です。

 

池のほとりの石灯籠。

 

手入れされた孟宗竹林の横を通ります。鹿児島大学教育学部の演習林です。

 

寺山炭窯跡です。旧集成館などと共に世界文化遺産に登録されました。

 

安政5年(1858年)に造られた炭窯跡です。前の石碑は歌人八田知紀の顕彰碑です。

 

安政五年と八田知紀の文字が刻まれています。

 

炭窯跡の入口。

 

内部。非常に広い炭窯です。木炭は集成館事業の火力に使用されました。

 

内部から入口を見る。

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清色城跡

2017-12-22 | 史跡

薩摩川内市入来町の入来麓から、清色城跡へ登りました。

 

入来小学校の横を通り、玉石の石垣の間を通って城跡へ向かいます。

 

正面の山が清色城跡です。

 

登り口に案内板があります。

 

城跡はシラス台地にあります。正面が堀切、左の台地が本丸跡、右が松尾城跡です。

 

シラス台地を掘削した堀切です。台地の周囲は絶壁ですから、守るには最適の城だったでしょう。

 

狭い堀切の坂道を登っていきます。

 

登り切って右に、松尾城跡への登り口があります。

 

松尾城跡です。

 

いったん戻り、シラスの切通を通って本丸跡へ向かいます。このような切通が縦横に通っており、シラス台地を巧みに加工した城になっています。

 

左側に、本丸跡への登り口があります。

 

急な斜面を登っていきます。

 

本丸跡です。渋谷氏によって清色城が造られたのは、永和年間(1375年~1379年)頃と考えられています。

 

本丸跡にある石碑。

 

隣の台地は中之城跡です。清色城跡には77の平坦面、大小16の曲輪群があるそうです。

 

本丸跡からの眺め。木に隠れて入来麓は見えません。

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入来麓(2)

2017-12-20 | 史跡

入来麓の続きです。

 

入来小学校から、旧増田家住宅へ向かいます。

 

玉石の石垣と紅葉。

 

旧増田家住宅。増田家は代々医者を営んでおり、昭和25年頃までここで診療していました。

住宅は、薩摩の武家屋敷の様式である「おもて」(右側)と「なかえ」からなっています。

 

お客用の「おもて」の内部です。ボランティアガイドがいて、内部を詳しく説明してくれます。

最近、ここで西郷隆盛直筆の書が見つかったそうです。

 

庭にある石蔵です。

 

美しい手水鉢。

 

赤城神社です。社殿はなく、石碑があるだけです。

 

赤城神社の六地蔵塔。

 

六面に地蔵様が彫られています。

 

三十三観音塔です。

 

石碑が三つ並んでいます。

 

左にあるのが三十三観音塔。観世音菩薩が、命あるすべてのものを救済するため、様々な姿になってこの世に現れたものです。

 

3面に11体づつ、計33体の観音像が彫られています。鹿児島でも珍しい石造物で、初めて見ました。

次回は、山の上の城跡へ行きます。

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入来麓(1)

2017-12-18 | 史跡

薩摩川内市入来町の入来麓と清色城跡を散策しました。

 

入来麓の通り。きれいな玉石の石垣が特徴です。

 

入来麓のシンボルの茅葺門。鎌倉時代の武家門の形式を現代まで守っています。

1247年に入来院地頭職に任じられた渋谷氏(後の入来院氏)は、明治維新まで入来領主として君臨しました。

 

茅葺門の隣の犬ノ馬場(いんのばば)。

 

石柱の門とイヌマキの家。

 

前の写真の奥に見える石蔵。

 

武家門がありました。

 

漆喰壁土蔵。江戸時代の建造です。

 

お仮屋馬場。左は入来小学校です。

 

石橋の御仮屋橋。

 

御仮屋橋と入来小学校への階段です。

 

屋形風の入来小学校。

 

入来小学校から入来麓を見下ろす。

 

お仮屋馬場にあるイヌマキです。

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初柚子と二代目レモン

2017-12-16 | 食べ物

5~6年前、庭に柚子の木を植えましたが、今年初めて花が咲きました。

 

5月、柚子の花です。いい香りがします。

 

10月、青い柚子です。

 

12月、30個くらいの柚子が色づきました。

 

黄色い柚子。

 

柚子味噌を作りました。柚子の皮をおろし器でおろします。

 

鍋に、味噌、砂糖、みりん、酒をいれ、おろした柚子を加えて煮詰めます。味噌は妻の手作りです。

 

柚子味噌の完成です。香りがよく、ご飯のお友にもいいです。

 

ほうれんそうとしいたけの柚子味噌和えです。

 

カットした柚子を焼酎に入れて飲みました。これも香りがいいです。

また、丸い柚子をお風呂に入れて柚子湯を楽しみました。

 

庭のレモンの木が老木になり、切り倒した根元から芽が出て成長しました。

 

二代目レモンに花が咲きました。

 

色づいたレモンです。

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薩摩街道(番外編2)

2017-12-14 | 史跡

鍋ケ原橋を後にして、徳重横井鹿児島線を鹿児島方面へ行きます。

 

清藤に、ヤジロウの墓(伝)と書かれた案内板があります。

 

木の下にヤジロウの墓があります。

 

ヤジロウの墓(伝)。

ヤジロウは鹿児島出身の人で、マラッカで宣教中のフランシスコ・ザビエルと出会い、日本に案内しました。ザビエルは、ヤジロウの紹介で領主島津貴久と会見し、宣教の許可を得ました。ヤジロウは異国で亡くなったという説もあります。

 

マリア像。

 

歌碑があります。

 殉教の伝へはいまに草むらの 墓にひそめり清藤の里

 

さらに鹿児島方面へ行くと、新幹線の高架が道路を横切り、その手前に羽黒神社があります。

 

村社羽黒神社の碑があり、その下に砲弾があります。

 

なぜここに砲弾があるのか、わかりません。

 

文政十年(1827年)と書かれた碑があり、参道の階段を登ります。

 

羽黒神社社殿。

 

境内は日置市の保存樹林になっています。これはイタジイ。

 

イヌマキ。

 

神社横の木の下に田の神がありました。

 

右手にメシゲを持っています。

 

田の神と神社。

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薩摩街道(番外編1)

2017-12-12 | 田の神

日置市伊集院町の薩摩街道を歩いた後、徳重横井鹿児島線を車のところまで戻りました。

 

清藤の道路脇に、3体の田の神が並んでいます(向こうが伊集院方面)。

 

正面より見る。

 

右の田の神。大きなシキを被っています。

 

中央の田の神。右手にメシゲ、左手に杖を持っています。衣装が立派です。頭にかけているのはワラヅトです。

 

左の田の神。肩にワラヅトをかけています。

 

後姿。左右の田の神は、石のワラヅトを背負っています。

 

田の神から鹿児島方面へ少し行くと、石橋の鍋ケ原橋があります。草でアーチが見えません。

 

左岸より見る。

 

上流より見る。右岸側のアーチが少し見えます。河床に下りるのは難しいです。

 橋長:8m

 幅員:2.5m

 

2枚前の写真の、橋のたもとにある石碑。安政二年(1855年)とありますが、架設年代かどうかわかりません。

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