今、ペコは僕の布団で寝ています。
でも、寝息は聞こえません。体は微動だにしません。
いつもなら僕の布団の足元で丸まっているのにまっすぐに僕と向かい合って寝ています。
1日午後0時55分に僕がこの体勢で寝かせてずっとこのままです。
目も口も半開きです。
今ペコ越しにコップを取ろうとしてハロゲンヒーターにぶつけて大きな音をさせてしまいました。
すぐにペコの顔を見てしまいました。
僕の条件反射です。
いつもぐっすり寝ていても音を立てると、目を開けて頭を起こして僕を見ます。
すぐ僕は謝るんです。
「ごめん、ごめん、ペコちゃん。びっくりしたね~」
(ポチは呼び捨てでしたが、ペコは女の子なのでいつもちゃんをつけて呼んでました。)
そう言うとまたすぐ顔をうずめて寝息が聞こえてきていました。
4時過ぎに新聞配達の方のバイクの音がすると吠えまくっていました。
今度は僕がその声で目を覚ましていました。そしてトイレに行って、戻って来ると
ペコはよく真中に来て寝ていました。
さっきまで僕が足を入れていた所をペコが布団の上から押えています。
仕方なく僕は足を布団の端の方に入れて斜めになって寝ていました。
ペコの寝場所によっては、足を揃えて入れることが出来ず、ペコをはさむように大股開いて寝ないといけないこともありました。
布団をはぐって出て行くと僕のぬくもりで暖かいのか、そこを占領されていることもありました。枕に頭を乗せているときもありました。
「ペコちゃん、どいて。そんなとこで寝たらお父さんが寝られんわーね」って言って体をずらそうと触ると、そのままごろ~んとお腹を上にしてくるんです。「こりゃ、もうペコちゃんは~」ってお腹を撫でてやっていました。
そのまま横に押して一緒に寝ることもありました。
「どっこいしょっ」てペコを抱っこして足元の布団に乗せることもありました。
僕が一番好きなのは、先に布団に入ってペコが後からやって来て腰の辺りで寝てくれることでした。
寒い時期にはとても温かいんですよね。ペコも触れるし。
あぁ……ペコを入院させるんじゃなかった……
夜7時すぎに入院させて、翌朝8時に「午前1時までは頑張っていましたが、午前2時に見に行ったら心臓が止まっていました」という電話がかかってくるとは思ってもみませんでした。電話を受けた家内から聞いて僕は、崩れ落ちました。
「何で!何で!おいて帰るんじゃなかった!ペコちゃん、ペコちゃん」
叫びました。
涙が止めどもなく噴き出してきました。
11月29日は家内が病院に行く日なので、仕事を休みにしていました。
寒い季節になるとペコは毎年、朝寝坊になります。朝早い散歩は行きたがらなくなります。
午前10時ごろ「ペコ、行くかね?」って言うともう大はしゃぎで飛びついて来ました。休みの日のこの時間は車で近くの公園まで行くっていうのをわかっているんです。
いつもの決まりごとで、僕がまず車庫まで行きます。家内の車は玄関横の駐車場に置いてありますが、僕のは裏の方にある築40年の古い車庫に入っています。2階は物置になっています。
そのシャッターがものすごく重いんです
上げるのにもコツがいって僕しか上げられません。また上げるときものすごい大きな音がします。
その音がするといつもペコは車庫に近い台所のドアの所に行ってすりガラスを通して僕の影を追い、そこを通り過ぎると走って行って僕がいつも出入りするドアの前に立ってちぎれんばかりに尻尾を振って迎えてくれるんです。
シャッターを開けて、車を出してシャッターを閉めます。
そして家に戻ってペコの胴輪をします。
首を通してあと左前足を通す方式なんですが、早く早くって感じで、輪っかを作ると首をぐーっと差し入れてきて左前足を上げますが、足を通した瞬間もう前に進み始めてますので、カチッと止める前に僕の股をすり抜けています。そして普通の散歩の時はリードをつけるんですが、車の時は、絶対にどこかに走って逃げることはしませんから、そのままドアから出してやります。ペコは一目散に車に向かって走って行きドアが閉まっているとどこから?どこから?って車の周りをまわっています。いつものように後部座席のドアを開けてやると飛び乗って行きます。家内の車に乗る時は僕も一緒に後部座席に乗り込みますので、車内に入ってリードをつなぎ、窓を開けてやるんですが、僕が一人で連れていく時にはもしもの事を考えて窓は閉めっぱなしです。ですから僕の車の後部座席の窓ガラスには、ペコの鼻のあとがいっぱいついています。
そして着いたら僕がまず降りて後部座席のドアを開けてリードをつけて散歩させます。
その日も着いたら桜の木の根元のにおいを嗅いでそこに長いオシッコをしました。
そして他の犬が残したにおいを嗅ぎながら歩いて、あるところで止まって足場を固めて腰を落としてうんこをしました。よく見るとそこには他の犬が残したうんこが……
仕方なくそれも一緒にエチケットパックで拾いました。
そして一通り散策したらもう車の方に戻っていきます。ですから10分くらいです。
昔はもっとたくさん歩きたがっていましたが、最近はすぐに帰ろうとします。
その日もそんな感じで、また車に乗って帰宅しました。
そして僕は自分の部屋へ、ペコは日の当たる廊下の自分専用の座布団の所に行ったのか、
両親のいる居間のホットカーペットの所に行ったのかはわかりません。正午近くになってペコのごはんの用意をしに自分の部屋から出て階段を下りて行きました。
いつもならその音を聞きつけて階段の下まで走って来て尻尾を振って見上げているペコの姿があるのですが、その日は気配すらありませんでした。探してみると風呂場の脱衣場のところでお腹をつけて頭だけ起こしてこちらを見ていました。
「ペコちゃん、そんなとこでどうしたん?おいで」って言っても全然立ち上がりません。
そこは冷たい所なので風邪ひいて熱があって気持ちいいからそこにいるのかもと思って体を触ってみてもそういつもと変わらない気がしました。
しばらくそっとしておくことにしました。
僕は自分の食事の用意をして2階の部屋に持っていくと下から、母の声で「ペコが居間まで歩いて来たよ」って聞こえました。
これまでも食べたがらないこともあったし、歩いたということだし、ホッとしました。
胃腸の調子が悪い時には草を食べに行きたいと付きまとったり外に出るドアの前に行って振りむいて訴えるような目で家族を見つめるので、そんな時には隣の空き地に連れてって草をたくさん食べたら次の食事の時間にはケロッとして何事もなかったようにいつもの量を食べるっていうこともよくありました。
その日はそんなこともなく僕が食事をしているとコツッコツッとペコの足音が聞こえてきました。階段を上がって僕の部屋にやってきました。
恥ずかしい話ですが、僕はポチが亡くなった時から一人になりたい事が多く、自分の部屋で万年床にテーブルを置いて食事をしています。
健康のため、2~3年前から味付けしないで黒豆を圧力なべで炊いて冷蔵庫に入れておいて、昼と夜の食事の時、70グラムずつレンジで少し温めて食べています。
ペコには人間用に味付けしてあるものは、フィラリアの薬をのませるときに仕込む月1回のソーセージだけでその他は一切食べさせませんでした。
でも黒豆は味付けは一切してないので、いつ頃だったか忘れましたが、1個試しにペコの前に差し出すと舌なめずりしてペロッと食べてしまいました。
それから少しずつ残してやって食べさせるようになりました。
そしてこれもいつ頃からかは覚えていませんが、食べながら残りの数を数えて28個残してペコにやるようにしていました。
ペコは自分の食事を下で済ませると僕の食事の準備が済むまで僕にずっとはりついてお盆に載せると僕について2階に上がって来てテーブルの前にお座りして僕が先に自分の黒豆を食べるのをじっと見つめながら待ちます。待っている間にペコのよだれがツーっと布団の上に落ちるのを何度も目撃しました。そしてペコにやる分をつまむと舌なめずりを1回して身を乗り出してパクッと食いつきます。ほとんど噛まないで飲みこむのであっという間です。時々勢いがつきすぎて僕の指も咬む時もありました。そんな時は「痛いわ~ね、ペコちゃん、もっとゆっくり食べて」って言うと次はすごくソフトに歯で豆だけをそっとくわえてくれるんです。そんな優しいペコでした。
そうそう、前にお話ししたでしょうか。黒豆を用意して2階に持って上がったところで、来客があって応対して戻ってきたら、僕がいつもペコに残してやるくらいの黒豆を残して僕が食べる多めの黒豆を食べて満足そうに寝ていたことがありました。食べようと思ったら全部食べられただろうに。優しいペコ。それとも怒られると思ったのかな。
2011年9月 まだ黒豆の食べ方が確立されていない頃のペコです。
その日も黒豆をねだりに来たんだなと思っていましたが、部屋まで入ったら、立ち止りました。僕の方を見ないで正面を向いたままです。
「どうしたん、ペコちゃん、こっちにおいで」って言うとテーブルの向いに回り込まないで、後ろに一歩よろけたかと思うと右に倒れかけ左に倒れかけ、僕とは反対の方に向いて正面にぶつかって後ろを振り向いて前に崩れる勢いに乗って1.5メートル先の僕の元へドドドッやって来て倒れこんでしまいました。
ただごとではないペコの様子に血の気がひきました。
「どうしたん?ペコちゃん」って体をさすり続けました。
ペコは腹這いでしたが、顔は起こしていました。多少呼吸は早かったのですが、そんなには苦しそうではありませんでした。でも体はほとんど動かせない感じでした。
もしかすると脳梗塞?と思いました。
このまま寝たきり?そうなったら、家の中はもちろん、外でも自分の家の敷地内ではオシッコもうんこも出来ないペコをどうして排泄させる?頭の中がぐるぐるしました。
獣医さんは、午後の外来は夕方からなので、しばらく僕の横に寝かせて様子を見ることにしました。頭だけ起こして若干早い呼吸をしていましたが、そのうちだんだん落ち着いて顔を伏せて寝てしまいました。
その間、ネットで犬の脳梗塞を調べました。犬の脳梗塞は少ない?期間はかかってもしばらくするとある程度回復することが多い?フィラリア?フィラリアにかかると完全には回復しない?最後は苦しんで死ぬ?きちんと薬を飲んでいても体重にあった薬に量をのんでいないとかかる……
いろいろな情報が目に飛び込んできました。前々から考えていたペコの老後のカートもネットで検索しました。
ちょっと大きいけど値段も手ごろでレビュー評価の高いのが見つかりました。
30キロの犬まで大丈夫らしいので12、3キロのペコなら十分。
前も横も見られるし、クッションもいいらしい。車好きのペコなら気に行ってくれるかも。
今から注文したら土曜までには届く。それで芝生でもある所に連れて行ったら排泄出来るかも?
その日はよく寝ているので獣医さんには連れて行かないことにしました。
食事時になると目を覚ましました。
ペコの水飲み皿は下にあるのですが、僕の部屋にはポチの遺影と遺骨そして毎朝水を替えているポチ愛用だった皿があります。「ポチ、ちょっと借りるね」って言ってそれをペコの口の前に持っていくとほとんど空になるまで飲みました。ホッとしました。ポチみたいに水を飲んでも直後に吐くということもありませんでしたから。
急いで黒豆を用意しました。いつもなら僕が先ですが、ペコに最初の一粒を差し出しました。においをゆっくり嗅ぎました。そしてゆっくり食べました。やったー!次の一粒も食べました。そして次もう一つ、そしてその後はわんこそばの早食いみたいにいつものペースで28個食べました。
良かったー!その晩は寝たり起きたりしていました。
そして翌30日朝の新聞配達の方のバイクにいつも通り吠えました。立ち上がって階段を駆け下りはしなかったけどしっかり張りのある声でした。仕事に行って昼前に戻ると同じ場所にいましたが、目はしっかりしていました。水をやると5口だけ飲みました。そのうちゆっくり立ち上がりました。
しっかりした足取りとは言えませんが、少し自分で歩き始めました。そして家内と一緒に散歩にも出かけました。オシッコもうんこもしたと家内は言いました。持ち帰ったうんこはそのまま取っておくように言いました。
もう1日様子を見てみようかと思いましたが、念のため一応検査を受けに行くことにしました。
ペコは、はしゃぎはしませんでしたが、自分の足で車に乗り込みました。
近頃は日が短いので田舎道では景色が見えませんが、それは別としてもいつもの元気なペコの様子ではなく、ずっと座席で伏せっていました。何とか診療時間内に到着することが出来ました。車内でペコに口輪をしました。
ペコはイヤイヤしましたが、装着しました。
つけた後もペコは前足でその口輪を取ろうと駄々っ子になってました。
その仕草は本当に嫌なんだろうと思いましたが、僕には可愛く見えました。
しばらく前の方が終わるまで待合室で待っていました。
ペコの番が回ってきたので診療台まで抱っこして連れて行きました。
今飲んでいるフィラリアの薬は15kgまで大丈夫で、きちんと服用していることを確認されてすぐにフィラリアの可能性は否定されました。
先生方は最初にペコの様子を見てちょっと元気がないようだけどそんなに深刻には考えておられませんでしたが、採血の後の血がなかなか止まりませんでした。血液検査の結果が出てまず言われたのは、血小板の数が少なくなっているとのことでした。
血液検査の項目と結果の紙をいただいて、説明を受けました。
高かったのは3つで尿素窒素が29mg/dl(正常値7~27)、グロブリン5.1g/dl(同
2.5~4.5)、クレアチンキナーゼ587U/L(同10~200)でした。
何か毒のようなものや家人が服用している薬を誤って食べなかったかとか、頭を打ったりしなかったかと訊かれましたが、心当たりはありませんでした。レントゲンを撮ってみることになってペコはレントゲン室に連れていかれました。
撮影を終えた後、しばらく待つように言われてペコを連れて待合室の奥の端に座りました。僕の足と壁の間の狭い所に椅子の方を向いてペコは立っていました。怖かったんだと思います。僕に助けてほしかったんだと思います。早く家に帰りたかったんだと思います。そのうちペコの後ろ足が震え始めて後ろ足から崩れ込むようにしゃがみこんでしまいました。
到着して体調の悪い中、かなり長い時間緊張状態で立ち続けていたので疲れたのでしょう。
ちょっとして先生に呼ばれてどうも元気がなさすぎると言われました。仰向けの撮影は普通ならかなり嫌がるはずなのにされるままだったらしいです。
特定出来ないが、重大な病気が隠れている可能性があると言われました。
脱水症状も若干あるということで入院を勧められましたが、「ペコは臆病で寂しがり屋なので……」と僕はちょっと渋りました。先生も「この子の性格はよくわかっているが、点滴していろいろ検査して一つずつ病気を消去して確定していかなければいけない」と言われました。「そうでないと極端な話、このまま家に連れて帰って翌朝起きたら死んでいたということにもなりかねない」と言われました。
通院は覚悟していて、最悪の場合、長い闘病生活までは想像していましたが、回復してきている感じですぐに死ぬなんて考えもしませんでした。
冗談じゃない、もうお願いするしかありませんでした。早速、ペコの前足の毛を少し剃られて点滴の管が挿入されました。その上から鮮やかな黄色の包帯を巻かれました。どうなっているのかわかりませんが、結ばなくてもラップのように貼り付きました。
そしてエリザベスカラーが巻かれて持参の口輪がはずされました。
そして先生のご説明を聞いている間にペコは女性スタッフの方たちに抱えられて奥の檻に連れて行かれました。
そして奥の方から、あ~オシッコ出たね~と聞こえてきました。僕は、先生の方を向いていたのでペコをちらっとしか見られませんでした。
「明日午前中に来られるか、様子を聞くために電話でも出来ますか」と訊かれたので、午前中に来られそうもないですが、夕方には来ますとお伝えしました。
電話だけで済ませようとは絶対に思いませんでした。でも翌日顔を見せても連れて帰られないなら、ペコはどう思うだろうと考えていました。
携帯電話の番号を訊かれましたので、家内が自分の番号をお教えしました。
「何かあったら電話をします」って言われて「はい」って答えましたが、「何かあったらなんて」思いました。
帰りの車は寂しかったです。寝る時もペコが部屋にいなくて寂しかったです。検査はどんなことをするんだろう?いつ頃退院出来るんだろう?」いろいろ考えながら眠りにつきました。
そして翌12月1日土曜日、9時からの仕事の為に部屋で準備していたら、家内が入って来て、最初にお話しした病院からの電話を伝えにきました。すぐに駆けつけたい、泣き叫びたい気持ちの中で仕事をして時には笑顔を見せながら人に接するのは地獄のようでした。
午前中は、行けない予定でしたが、運良く早めに仕事を終えることが出来たので、家内の運転で病院に急ぎました。ぎりぎりでしたが、午前の診療時間が終わるまでに到着出来ました。「ペコを迎えに来ました」と気持ちを抑えて何とか受付の人に伝えました。
椅子に座ってずっと下を向いて涙をこらえていました。
待合室にはもう待っている方はおられませんでした。
診療室から「よく頑張ったね~」と言う先生と「ありがとうございました」っていう飼い主さんの明るい声とニャーという猫の元気な声が聞こえてきました。
その方の会計が済んで僕らだけになりました。
奥の方からひそひそ声が聞こえてきて何か準備されているようでしばらく時間がありました。
名前を呼ばれて診療台の所に行くと紺色の段ボール製の棺桶の中にペットシートがひかれてその上に目と口を半開きにしたペコが横たわっていました。
涙が一気に噴き出しました。それと同時に風邪もひいてないのにすごい勢いで鼻水も出て診療室の床を濡らしてしまいました。すぐに女性スタッフの方がティッシュの束を手渡してくださいました。僕が少し落ち着くまで先生とスタッフ全員が静かに見守っていて下さいました。
そして先生からゆっくりとシャーカステン上の2枚のレントゲン写真の説明を始められました。
でもはっきりと原因と思われるものはないとのことでした。
入院しても先生やスタッフの方が付きっきりというわけではないでしょうから、どういう風に状態が推移してどういう最期だったという説明はありませんでした。
入院して6時間後に急逝したわけですから検査も出来ず、先生も他に説明のしようがなかったと思います。
「ありがとうございました」という声を振り絞りました。
先生は「お役に立てませんで」と仰いました。
スタッフの方が、ペコの顔にガーゼをかけて棺桶のふたをされました。白い野菊でしょうか、ふたの上にデザインされて顔の所には丸く切り抜かれて透明のセロハンが貼ってありました。
棺桶ごと持ち上げるとかなりずしりときました。
棺桶の大きさは後で測ると縦77cm、横45cm、高さ26cmでした。
会計を家内が済ませて外に出るまで二つのドアがあるのですが、一人で棺桶を抱えて出るにはかなり窮屈そうなので、女性スタッフの方が、「お運びしましょうか?」と言われました。前後で二人のスタッフの方が持たれればスムーズに出られるとは思いましたが、どうしてもペコを僕の手だけで連れて行きたかったので「いえ、大丈夫です」と丁寧にお断りしてカニ歩きでくねくねとすり抜けて外に出ました。冷たい雨がポツポツ降っていました。
先生とスタッフ全員で見送ってくださいました。車の後部座席に乗せるために棺桶の縦の方を前後で持って無理な体勢で入れて腰を痛めました。病気のせいでよく咳をするのですが、その時から今でも咳をするたびに腰が痛いです。車が出てすぐに棺桶のふたを開けてペコの顔のガーゼを取りました。また涙があふれてきました。じっと見ていましたが我慢できなくなってペコを抱きかかえました。帰るまでずっと首を支えながらペコ、ペコと涙を流し、鼻水をすすりながら抱きしめていました。家について両親に会わせました。母は「ペコ帰ってきたか」と涙しました。
アルツハイマーの父は長年の習慣だけで日常生活をおくっていますが、ものごとを良く理解出来ず、すぐ忘れてしまいます。当然のことながらポチのことも全く覚えていません。僕の病気のことも覚えていないし理解出来ません。ペコを見て「おー死んだかぁ、お前死ぬなら死ぬってゆうてくれんにゃぁいけんわーや」って撫でていました。
ペコは後で2階の僕の部屋に連れて行くつもりでしたから、しばらく両親の元に置いてきました。次に部屋を覗いた時には父は壁にすがってテレビを見ていました。母はまだペコをさすっていましたのでまだそのままにしておきました。30分くらいしてペコから離れていたので、棺桶だけ下に置いてペコを抱きかかえて2階の僕の部屋に連れて行きました。僕の万年床の布団をはぐって顔を僕の寝る方に向けて左端に寝かせました。前足と後ろ足を整えました。下になっている右耳が折れた状態になっていましたので伸ばしてやりました。
いつもペコが自由に出入り出来るように置いていたドアストッパーを取ってドアを閉めました。「ペコ、ペコ、ごめんね、ごめんね、寂しかったね、怖かったね」とぺこをさすりながら、泣きました。誰の目も気にせず思いっきり泣きました。
ペコは体調の悪い中、点滴の管を前足に差し込まれて包帯をぐるぐる巻きにされてカラーを取りつけられて見たこともない檻に入れられました。日頃からケージにも入ってないのに。
前足でよく顔をかいたり耳の中をかいたりしていましたが、それも出来なかったと思います。
檻の中からいなくなる僕たちの姿を見てペコはどう思ったんだろう。「お父さん、ペコを置いていかないで……一緒に連れて帰って……」
前にも書きましたが、ペコはこれまでに最愛の飼い主と2度のお別れをしています。
最初の飼い主さんは僕の前の飼い主さんの奥さんでした。何頭か犬を飼っておられて離婚されるときに、ペコだけおいて他の犬は連れて行かれたとある人から聞かされました。
そしてペコは前の飼い主さんの元で愛情いっぱいに育てられました。ただ再婚した奥さんは犬嫌いでおまけにペコはものすごく抜け毛の多い種類なので家に上げられなくなったそうです。そのうち御主人は、ある事故に遭われて何カ月も入院されました。その間、ペコは放し飼いにされてこの田舎町をウロウロしていたみたいです。でも優しい人たちからよく食べ物をもらって可愛がってもらっていたようで散歩させているといろいろな人から「おぉ、ペコじゃないか?元気そうじゃね~」と声をかけられていました。
特に優しくしてもらった人なのでしょうか?尻尾を振って自分から駆け寄っていく人もいました。
前のご主人が体が不自由になられましたが退院されてまた可愛がられました。
歩くのは不自由になられましたが、車の運転はされていました。それで仕事場にも連れて行ってもらっていたみたいなので車好きになったんだと思います。
初めてペコを僕に顔見せに来られた時も全開の窓の助手席に座っていました。飼い主さんにベッタリで僕には目もくれませんでした。愛想のない犬だなと思いました。
前々から犬をもらってくれないかと相談を受けていましたが、当時ポチがいましたし、犬の年齢も6歳と聞いて馴れてくれるのだろうかと思って渋っていました。
その方は棟続きの公営住宅に住んでおられてペコはよく吠えるので、不規則な生活を送られている近所の方たちからうるさくて寝られないと文句が出たそうです。そして担当者からもいついつまでに犬を手放さないと出て行ってもらうと言われていたそうです。このままでは保健所に連れて行くしかないと言われたので、それは絶対やめてもらいたいと思いました。
でも付き合いも広そうな方なので「もう少し探されて、どうしても新しい飼い主が見つからなければ僕が引き取ります」って言っていましたが、初めて見た時、先ほどのような様子で正直なところこの犬は無理だと思いました。
でもうちの仕事が終わる頃のある夜突然連れて来られて、「お願いします」とのことで、愛用の敷布、エサ、皿等も一緒に持って来られました。
柱につないで一通り話されて、暗闇の中を足を引きずりながら、帰って行かれました。
ペコはすぐついて行こうとしました。でもリードがピーンと張って止まりました。
その目で追うペコの悲しそうな顔は今でも思い出します。
その後、家に連れて入っても上がろうとはせず、小さな土間のドア越しに小さくなって不安で寂しそうな様子でした。
ペコの恐怖や絶望感を思うと本当にペコに謝っても謝っても謝りきれません。ペコに元気になってもらいたいための苦渋の選択をペコは理解してくれていなかったでしょう。
あの時、ペコを連れて帰っていたらこんなに早い旅立ちはなかったと思います。
量は少なくても食べられ始めていたし、水も飲めて歩く事も出来た。
たとえ重病で先が短かったとしても絶対にもっと生きられたはずです。
住み慣れたこの部屋で僕の元から旅立たせてやりたかった。
本当にペコの最期の6時間を思うと悔やまれて悔やまれて仕方がありません。
帰る時、「頑張ってね、また迎えにくるからね」の一声もかけられなかった。
撫でてやることさえ出来なかった。
ひどい苦しみはなかっただろうか?
暗い知らない場所で点滴とカラーで動きが制限されて精神状態はまともでいられたのだろうか?
ペコの最期の様子が何もわからない……つらい、つらい……
僕が2日の日曜日にペコを火葬に連れて行く様子がなかったので、母は「いつまで置いておくつもり?腐るよ」と言っていた。でもペコをすぐには手放せない。
ポチは8月13日で夏真っ盛りで仕方なかったけど、ペコとは少しでも一緒にいたい。
僕の部屋は北にあり冷たい。でもエアコンはつけないで、ハロゲンヒーターを回して一か所に長く当たらないようにしています。
ペコは布団を掛けられるのは嫌がるので、僕だけ布団にくるまっています。ペコの方を向いて寝るときは胸の前で両前足を握ります。
上を向いて寝るときは手を伸ばした位置にペコの後ろ足があるので左手で両後ろ足を握ります。
肉球の弾力はそのままです。撫でた時の毛の感触もそのままです。
ただ冷たい、ものすごく冷たいんです。
僕の体温でもペコの足は温まりません。ペコの足に僕の体温が奪われます。
布団の中で握っていても冷たいです。
毎日ペコの体を撫でてやっています。
「ペコちゃん、行ってくるからね、いい子で待ててね。」前足で握手。
「ただいま、ペコちゃん」前足で握手。
いつも同じ姿勢。
「尻尾振って、ペコちゃん」
僕が無理矢理つかんで振らせる。
宅配便の車が来ても、郵便配達のバイクが来ても、チャイムが鳴っても吠えながら駆け下りて行かない。
車で出かける時も目を見て留守番か連れて行ってもらえるかの表情の違いを見分けようと僕を見つめ続けて付きまとってくれない。
留守番とわかってつまらなそうな顔をして、廊下にベタッとなってあごを突き出して目だけで追ってくれない。
買い物から帰って来て、僕の部屋から駆け下りて「ペコのは?ペコのは?」って尻尾を振って買い物袋を覗きこんでくれない。コツ、コツ、コツって階段を上がって廊下を歩いてくる音が聞こえない。
僕の寝ている所にドスッと座り込んで僕の腰に頭をつけてくれない。
「お手」って言ってもしてくれない。
「どうしたの、ペコちゃん、動いて、動いて」って体を揺り動かしてみる。
2日の日曜日に火葬場に行って6日の木曜日の1時を予約しました。
「個別葬でよろしいですか」「はい」
「骨はどうされますか」「持って帰ります」
「容器は何か用意されて来られますか?」「こちらの骨壷を買いたいんですが」
「ありますが、この大きさしかありませんので、全部は入りませんよ?」
また涙が噴き出して話せなくなりました。
ペコは全部連れて帰りたい……
「何か用意してきます」と言葉を絞り出して火葬場を後にしました。
ネットで犬用の5寸という骨壷のピンクのカバー付きを注文しました。
手ごろな金額で翌日配送してもらえます。
備考欄に、ペットのお名前、年齢、性別、亡くなった日を記入するようになっていました。
注文を承ったとメールが来ました。
「この度は悲しみの中でのご用命、ご心痛お察しいたします。
また、当店の祈り具をお選びいただき感謝申し上げます。
お選びいただいた祈り具が、大切なご家族・パートナーへ、「ありがとう」の
気持ちを伝えるためのお手伝いができましたら、スタッフ一同大変嬉しく
思います。
亡くなられた ペコちゃん の安らかな永眠をお祈り申し上げます。」
決まり文句なんでしょうが、すごく温かみを感じて涙がこぼれました。
あぁ、ペコの走馬灯はどんなものだったんだろう……
ペコは僕の布団の足元で寝ているとき、夢を見ていたのでしょう。
目をつぶったまま小さな声でよくワンワンって言ってました。
走っているように足を動かしている時もありました。
そんな時、よくペコの夢を見てみたいなぁって思いながら微笑みながら見ていました。
だらだらと長い泣きごとを読んで下さりありがとうございました。
誤解されてはいけないので申し添えておきます。
獣医さんに対してどうこうという気持ちは全くありません。
獣医さんは、ペコが僕たちと少しでも長く生活できるように考えられてのご判断をされました。
すべて僕の責任です。
コメントされなくて結構です。
僕もお返事が書けませんので。
それでもコメントを下さる方がいらっしゃったら「冥福を祈る」と一言だけいただけますか?
なお僕の入院中はいろいろとご心配くださりありがとうございました。
コメントをせっかくくださったのにお返事出来なかった、Fさん、ともえさん、もこさん、さちさん、英たぬきさん、コロポメさん、あやかさん、こだぬきさん、本当に本当にご無礼をお許しください。
お返事を書こうとしてどんどん長文になっていきましたが、慣れないスマホで電話が来たりメールが来て画面を切り替えると全部文章が消えることが何回かあって、そのうち肺炎を起こしたり、いろいろあって挫折してしまいました。
7月7日に退院して10日くらい療養して少しずつ仕事を始めました。
パソコンを使えるようになってお返事をかけば良かったのですが、あれも書こう、これも書こうと思ったら全然書けなくて。
本当にすみません。
月に1回、定期検査に行っていますが、抗がん剤によって9月までは順調に癌が小さくなって7、8センチくらいまでになりました。ただ10月にはまた影が大きくなった部分が出て、また時々咳こむようになりました。2週間後に来るように言われて次はあまり変化はありませんでしたが、
「早ければ年内、遅くとも年度末までには再入院して抗がん剤を変えないといけない気がする」と言われました。
でも11月になるとそれほど影が大きくなっていないし、腫瘍マーカーも正常範囲内で、転移した左右の腎臓も大丈夫そうで、腫瘍の活動性が上がってはいないということで、もう少し今の経口薬の抗がん剤で様子を見ることになり、年内の再入院はほぼなくなりました。
仕事は今でも短い時間ですが、しています。
本当にいろいろとありがとうございました。
あ、最後にもうひとつ。
御常連の皆様、もしこの記事をご覧になるか、お知りになっても「たぬきの掲示板」での楽しいやりとりをやめないでくださいね。
たんちゃんママさんもブログでの楽しい記事を続けてくださいね。
その他の皆様も絶対に、お気を使われないでください。
他の所が暗くなるのは絶対避けていただきたいのです。
これを書き始めたのが1日の夜、休みながら書いてもう5日になってしまいました。
タイムリミットはあと少し……
ペコの姿を目に焼き付け感触を手に刻み込みます。
ごめんね、ペコちゃん。
ありがとう、ペコちゃん。
家族をいっぱい笑顔にしてくれて本当にありがとう。
ポチと仲良くして待っててね。