日中の国交自体の制約も多かった1970年半ば、所属していた日太協では毎年訪中団を送っていたので、太極拳を中心に中国で学習経験のある先輩方が多く、著名な先生方の話や、8ミリで撮影された動きも見ていましたから、私にとって中国の拳芸は、「大陸で学ぶべきもの」という意識でした。
御縁を頂き、大阪に来日された折に御指導頂いた王菊蓉先生は、父王子平先生譲りか、格別の風格がありました。当時は上海体育学院の教授として活躍されていたと思います。演武会の際に表演された「査剣」は、それまで見た事のない美しい剣捌きの型でした。中国の剣術で魅了されたのはこの時だけです。
その後、王菊蓉先生に学びたくて、中国の土を初めて踏んだのは確か1981年です。結局その時は仕事の都合ということで再会できず、代わりに馮如龍先生との御縁ができたのですが、もし王先生に再会できて拳を習っていたら、今頃は査拳門の練習生だったかもしれません。
御縁を頂き、大阪に来日された折に御指導頂いた王菊蓉先生は、父王子平先生譲りか、格別の風格がありました。当時は上海体育学院の教授として活躍されていたと思います。演武会の際に表演された「査剣」は、それまで見た事のない美しい剣捌きの型でした。中国の剣術で魅了されたのはこの時だけです。
その後、王菊蓉先生に学びたくて、中国の土を初めて踏んだのは確か1981年です。結局その時は仕事の都合ということで再会できず、代わりに馮如龍先生との御縁ができたのですが、もし王先生に再会できて拳を習っていたら、今頃は査拳門の練習生だったかもしれません。