Silvioの「最後に笑う者が最もよく笑う!」日記

日々の暮らしの中で、関心のあること、疑問に思うこと、ノスタルジーを感じることを綴っていく日記。

心の病、ですか

2006-08-06 21:02:39 | 社会的なこと
 読売新聞のホームページに、社会経済生産性本部の調査で「心の病」を持った社員が増えており、その多くは30代だそうです。

 Silvioの周囲にも「心の病」になった人がいて、実際に会社を辞めた人までいるわけですが、なってしまった人、なりそうな人にはきちんと社会、企業、周囲がきちんと助けてあげないといけないと、つくづく思います。なってしまったら、もう遅いんですから。取り返しがつかないですよ。

 ただ、ヘルニアとかと一緒で、なかなか周囲に分かってもらえない。なりかけの時だって、「元気ないなあ」くらいにしか思ってもらえないでしょうし。怪我とかとちがって、目に見えないって本当に厄介というか怖いです。

 ただ克服すべきことは、そういうふうになってしまう人をいかに抑えるかかな、と。簡単に言えば、「どうすれば、人の心は鍛えられるのか」ということ。少子化の時代で、しかも物質的には恵まれている現在において、人の心が鍛えられる機会はなかなか増やせないんでしょうけど。

 心の病とは少し違うんでしょうけど、よく「PTSD」って言葉をよくきくようになりました。でも、どうも胡散臭く思うんですよ。何かあったら、「傷ついた!PTSDだ!」と。うるさいっちゅうんですよ。見たくもないものをみてしまう、経験したくないものを経験してしまう。そんなこと、人類の歴史上無数にあって、いろんな人生においていつでも起こりうるわけです。

 個人を責めるわけじゃないですけど、もっと個人の心が鍛えられるようでないと、社会が弛緩するように思うんです。多様性を許容するのはとても大事ですけどね。

中田英寿の引退

2006-07-07 23:16:53 | 社会的なこと
 少し時間が経ってしまいましたが、中田英寿の引退にはびっくりしましたね。でも、今、引退するのが彼の美学であり、潔さなのでしょう。ブラジル戦終了後、ずっとピッチに倒れていて、その後も泣いていたと聞いて、よっぽど悔しかったのか、最後のワールドカップだと感じていたのか、と思ってましたけどね。

 引退が突然だったので騒がれてますけど、結局「最高の引き時」だったということになるでしょう。彼の賢明さですね。マスゴミとの受け答えからは「尊大な奴」だと思ってましたが、マスゴミの質問レベルの低さを割り引くと、「まあまあ生意気だが頭のいいやつ」ってところですか。

 大学進学だ、芸能界入りだとか言うのも、いかにもマスゴミですね。彼はもうちょっと真摯に自らの人生を考えていると思います。それより、あの不甲斐ない日本代表を何とかしなくちゃ。玉田君のシュートと川口君のスーパーセーブは良かったですけど、あとは言わぬが花。オシムさん、頼みますよ。

さて、福井総裁問題でブログ再開であります。

2006-06-28 00:54:01 | 社会的なこと
 仕事でバタバタ、プライベートでドタバタがあって、しばらくお休みしておりました。その間も少ないながらも見てくれている人がいたのは、うれしいような、恥ずかしいような気分です。心機一転、書いていきます。

 あちこちから福井日銀総裁への批判が出ていますね。これ、全く納得がいかないんですけど。逮捕された村上世彰氏のファンドで資産が増えてたってことのどこがいけないんでしょうか。福井総裁が出資したのは村上氏逮捕のはるか前ですし、ゼロ金利政策と日銀総裁個人がプライベートにおいて高利回りで運用益を上げるのは、何ら関係ないと思うんですが。さらに福井総裁の資産に対して「多い」だのとは。

 事後法的に結果論で批判するのは、東京裁判史観で戦前の韓国併合批判、戦時中のいわゆる戦争犯罪追及と同じじゃないですか。おかしいと思わないんですかね。マスゴミの馬鹿さ加減ここにキワマレリ、って感じです。

 日銀総裁、世界第2位の経済大国の中央銀行総裁なんですよ。資産が一般人より多いのは当たり前じゃないですか。少なくともそこらにいる庶民とは、福井総裁の頭脳と責任の重みは格段に違うわけです。それくらい分からないと衆愚社会以外の何物でもないですよ。

 だいたいSilvioは、政治家の資産公開とか不要だと思ってますから。あんなのは愚かな庶民の覗き見根性を満たし、嫉妬心をあおるだけのものでしょう。そりゃあ、住所を公開しないで長者番付を存続させる方がいいですよ。こういう意見は我が国では少数派なんでしょうか??

村岡兼造氏、無罪。

2006-03-30 22:43:58 | 社会的なこと
 村岡兼造元内閣官房長官が1億円ヤミ献金事件で無罪になりましたね。当初から一貫して無実を主張していたこともあって、「政界を引退してから、濡れ衣着せられたんだな。」と思っていたら、案の定、無罪でしたね。もちろん、これで確定したわけではないですから、何とも言えないですけど。ただ、判決で触れられていた、橋本派の元会計責任者の供述の不自然さを検察はどう考えていたんでしょうか。

 検察はやっぱり政治的影響力を受けるんでしょうかね。Silvioは以前から、検察は「社会正義の実現」「巨悪は眠らせない」などとえらそうなことを言っているが、恣意的(例.ロッキード事件)であったり、時の権力に阿ったり(例.この事件。ライブドアの件も含めてよいかもしれない。)、とまあいい加減なもんだ、と思ってきました。司法試験を通った、正義感の強い人たちの集まりじゃないんですかね。しっかりしなさいよ。

格差論議が喧しいですが

2006-03-28 23:19:52 | 社会的なこと
 よく「格差社会」といいますが、最近読んだ記事ではSAPIOの新ゴーマニズム宣言で小林よしのりが「格差があるのはやむをえないが、希望を失うことが問題である。収入の格差の論議は重要でない。」と述べていたように思います。

 全くその通りですね。統計上で社会に格差が広がっているのかはある意味どうでもいいですもの。格差は昔からあるわけですし、統計で測れるのは所詮、数値化されうるものだけですから。今、深刻なのは希望を持てるかどうか。持てる者はさらに努力してしまうし、そうでない者は一層努力しないまま。そういう層が少なくない割合で社会の中に存在した場合に社会的に問題だということですね。

 今月号の文芸春秋でも下流社会のルポと称する記事が出ていました。たしか佐野眞一の記事だったと思いますが、東京都足立区が下流社会に属する世帯が多い、ということで取り上げられてました。たしかに統計的にはそうなんでしょうが、それを影響力の大きい雑誌で、あらためて「足立区は」というくくり方で記事にするのはどうなんでしょう。文芸春秋の読者の読解力や良識のようなものを信頼しているということでしょうかね。

 先日の日経の記事で村上龍が喝破していました。「格差を気にしている人は暇だ。」村上龍にしては珍しく仰る通りかも。Silvioも含めて。