Silvioの「最後に笑う者が最もよく笑う!」日記

日々の暮らしの中で、関心のあること、疑問に思うこと、ノスタルジーを感じることを綴っていく日記。

南のノンビリした町

2005-07-31 21:58:55 | 日々の暮らしの中で
 この前、和歌山県の新宮というところに行ってきました。まあ、ノンビリしたところですね。

 駅の中もお客さんが少なくて閑散としている。駅前に出るとタクシーがほとんどない。「まあ、田舎だしね。」なんて思っていると、なんと、駅前でギターを弾いている若者が!観客もいないのに・・・。いわゆるストリートミュージシャンってやつか!?

 駅前の喫茶店へ、お昼ごはんを食べようと入ったのですが、お客さんはなく、店のおばちゃんが近所の人と高校野球中継を見ながら、ずっとしゃべってました。なんて、商売っ気がないんだ!

 でも、この町が佐藤春夫や中上健次をを生んだと思うと、いいところなんだろうなー、と。「金沢と沖縄を足して2で割って、コンパクトにした町」。そんな印象を持ちました。

 でも、駅に「ユニバーサルスタジオにもラクラク日帰り!」みたいな看板が出てたけど、片道4、5時間かかるのに!いい感じですね。

ヒトラー~最期の12日間~、見てきました

2005-07-31 16:29:49 | 日々の暮らしの中で
 昨日、ヒトラー~最期の12日間~を見てきました。Silvioの中では合格点ですね。「世界震撼」のキャッチコピーは日本では大げさな気がしますが。おそらくドイツでは戦後60年にして初めてヒトラーを真正面からとらえた映画だったでしょうし、「容貌も極力似せて」「ドイツ語で話すヒトラー」が映画に出てきた衝撃は想像できます。

 映画館のロビーに、各国における映画に対する賛否の記事が張ってありましたが、その中に「ヒトラーがなぜあれだけ多くの人を惹きつけたのか、その部分の表現がない」という趣旨の批判がありましたが、ここにこの映画の限界を見る思いがします。

 ヒトラーの生涯を描くには「まだ時間の経過が足りない」というところなんでしょうね。我が国でも、戦前は新選組は悪役でしか描かれなかった、というのは明治新政府の「旧幕府憎し」の名残りだったんでしょうし、田中角栄が毀誉褒貶が激しく、研究途上、評価が定まっていないということで映画の対象にはならないのと似ているかもしれませんね。東條英機が「プライド」などで描かれたのも最近ですしね。

 いやあ、それにしてもよく調べて映像化されてました。ヒトラーはもちろん、登場人物は最初に出てきたときにすぐ分かりましたから。ヒトラーの口調はブルーノ・ガンツはかなり研究したとみました。ベルリン市街戦の様子も、かなりリアルで迫力がありました。大東亜戦争で我が国が本土決戦をしていれば、どうなっていたかと思うと、背筋が寒くなります。

 この映画で描かれていましたが、戦争最末期の総統官邸ではドンチャン騒ぎをしてたというのは、迫り来る恐怖からその時だけでも忘れたいということなんでしょうし、連合国(特にソ連軍)に捕まるくらいなら自決する、という発想もわかります。戦争はいつかはどちらかが敗北するわけですし、どちらかが完全な正義というのもありませんが、少なくとも「負ける側はいつも悲惨」というのだけは間違いないですね。

 まずは、たった12日間とはいえ、ドイツ第三帝国を史実に忠実に映像化したという功績は認められてよい映画ですね。

お金で買えないものは・・・

2005-07-29 00:46:28 | 日々の暮らしの中で
 先日20分で読了した杉村太郎の「アツイコトバ」(←我究館の運転資金を提供しちゃったよ)の中に出てきた言葉でおもしろかったのは、


「お金じゃ買えないもの」は、お金がないと持ち続けられない。


 例えば、健康とか家族とかがそうでしょうね。うまいこと言うなあ。お金があること自体が「自信」や「信用」となって事態が好転していくこととか、ありそうですもんね。

 お金といえば、最近株式投資をやってるんですが、なかなか面白いですね。当たり前ですが、パチンコや競馬、宝くじより確実に殖やせますね。まだ始めて10ヶ月。自己流を確立できてませんけど、今のところ配当を含めて9%増。小遣い稼ぎにちょうどいいです。

 それにしても、杉村太郎といい、「面接の達人」の中谷彰宏といい、本人はすごく有能なんでしょうけど、どこか胡散臭さや軽薄さが漂うのはどうしてなんでしょうね。

我が国はこれからも国民国家たりえるか

2005-07-28 00:06:06 | 国を想う
 なんかエラそうなタイトルですが、あんまり深く考えたり勉強したりはできていません。ただ、なぜこんなことを考えたかというと、一つは欧州連合の動きですね。つまり、「欧州統合」の旗印のもと、議会を設置し、憲法、大統領まで置こうとしている。国家主権の全てではなくても、かなりの部分を放棄しても構わないという発想がその流れを導いているわけですよね。

 ただ、それはやはり価値観を共有しうる集団の志向なのかな、と。つまり、キリスト教を信仰する白人が、現在の民族国家を「民族自治体」くらいに考えて、それぞれの歴史・文化はある程度尊重しながらの連合は可能であると。

 それは、東アジアではどうなのか。まず無理でしょう。それはやはり、支那の中華思想の存在が大きいでしょう。欧州各国は規模的には大きくないし、突出した国家もない。しかし、東アジアでは面積・人口・資源で支那は突出しており、それは長い歴史の中でもそうであった。その支那が周辺国に対して持つ優越感はぬぐいがたいものがあるでしょうし、南北朝鮮の小中華思想や事大主義もその影響の産物でしょう。

 つまり、我が国はこの後も自主独立の道を歩み続けることになるわけです。しかし、国内では支那・韓国に阿る勢力が跋扈し、寸前に迫った人口減には移民で対処すればいいのではないか、という考え方もあります。

 Silvioは現在の支那人らの我が国での犯罪に非常に腹が立っています。そりゃあ、犯罪を犯すやつは日本人であろうと、支那人であろうと許しがたいわけですが、わざわざ我が国にやってきて悪いことをするとは、一層許しがたいわけです。「郷に入れば郷に従え」ということわざがありますが、我が国の文化・風土を理解する以前の問題ですから。そして、移民を受け入れれば、ほぼ確実に治安は悪化するでしょう。その側面からも刑法の厳罰化等の準備なしに受け入れるのは絶対反対です。

 そもそも、地球規模で見た場合、人口爆発が問題になりつつあるわけですから、適度な人口に落ち着くのは悪いことではないですし、生産年齢人口の減少は経済面では痛手でしょうが、それは国家の成熟と捉えて、いかに軟着陸するかが重要でしょう。移民を受け入れなければ国力を維持できない、という説はにわかに信じがたいですし、受け入れずに維持する方策を考えることこそ、多くの国民が望むことじゃないでしょうか。

道路公団といえば

2005-07-27 02:04:54 | ノスタルジー
 日本道路公団の副総裁が逮捕されましたね。談合に関与して業界の利益を図ったようですから、まあ当然ですが。親子二代で道路公団だそうですね。

 それで思い出したのが、藤井治芳前総裁。この人もたしか親子二代で建設官僚だったように思いますが。で、この日記を「ノスタルジー」に分類したのは、藤井前総裁がどんなことをしたのか、よく思い出せなかったからです。ネットで調べると、2年前に当時の石原国土交通大臣と道路公団民営化で衝突し、解任するかどうかの騒動があったんですね。

 Silvioの記憶では、小泉君が、普段威勢のいいことばかり言っている石原ボンを、「そんなに言うなら道路公団改革をやれ」ということで国土交通大臣に任命して、道路公団民営化に反対の藤井総裁の首を切らせようとした、と。石原ボンは、「大臣が『辞めろ』と言えば辞表を出すだろう」くらいに思っていたら、思わぬ抵抗に遭って大騒ぎ。だったような。

 何が言いたいかと言うと、「藤井総裁の何が悪かったのか、誰もあんまり覚えてないんじゃないのかなあ」ということ。民営化反対のためにいろんな工作をしたり、改革派を飛ばしたりして、その上、希代の悪役面に傲岸不遜な態度。世間からよってたかって叩かれましたが、別に違法なことをしているわけじゃないので、逮捕なんかはされていません。そりゃあ、法を守るのは最低限のことですから、逮捕されなきゃなんでもよし、ではないですが。改革に賛成か反対かは既得権を持っているかどうかで分かれるんでしょうけど、あのバッシングは少々常軌を逸していたような気がします。改革の中身を論じることの妨げにすらなったように思います。

 それにしても伏魔殿ですね。あれだけ総裁が叩かれていた陰で、こんな副総裁が温存されてたんですから。でも、逮捕するという形ででも膿が出せるだけマシかも。日本道路公団なんて、所詮特殊法人ですから、時の政権の意向でなんとでもなるでしょうし。世の中にはもっとメスを入れるべき聖域や伏魔殿があると思うのですが。検察もいろいろ圧力がかかったりして、さじ加減を考えているんでしょう。

 世間は(というよりマスコミ)は、何かあれば検察にいろいろ期待をするようですが、田中角栄元首相をいきなり逮捕するようなことをする組織ですから、Silvioには、とても公正中立な司法機関とは思えません。(Silvioは田中角栄無罪論者なので!)