小さな旅

気ままなドライブ旅行、思いついたこと

小さなクリスマス

2011-12-26 22:46:55 | 思いつくまま

12月24日

「お母さん、今日家にいる?」

隣町に住んでいる、娘からの電話です。

「いるけど~~」

「2時頃、そっちに行こうと思っているんだけど」

「2時と言ったら3時頃になるわね」

「バイクで行くから、2時には行けるわ」

約束の2時に娘が来ました。「お母さん元気そうだから安心したわ」

私が「歩けなくなってしまった」と言うのを聞いて、心配していたようです。

娘は「今日はクリスマスイブだから」と言いながら、手提げ袋から箱を取り出しました。

「これはクッキー、この箱はお母さんに少しおしゃれをしてもらおうと思って・・・」

小さな箱の中には、アクセサリーが入っていました。私があまりおしゃれをしないので、見かねたのでしょう。もう一つの箱には、雪だるまのようなものがあります。

「これミッキーとミディよ、電池を入れると光るのよ」

娘は電池を入れました。 

 

その明かりを見ていると、子供たちが小さかった頃クリスマスツリーを飾り、三角帽子をかぶってケーキを食べたことなど思い出されます。

娘が「この間ね・・・・・」と言って、大学生の息子の話をしました。

息子が友人に「紅葉狩りに行かないか」と言ったら、

友人が「紅葉を刈るのか?」と、不思議そうに聞いたそうです。

私たちが何気なく使っている言葉ですが、そう言われてみると、言葉の由来が気になります。


紅葉狩り

「紅葉狩り」という言葉は、万葉集に出てくるそうです。1200年以上前、奈良時代にすでに存在していたことになります。

もともと「狩り」という言葉は、獣を捕まえる狭い意味で使われていましたが、それが野鳥・ウサギなどの小動物に広がり、物などを採ったり(いちご狩り、梨狩り、ブドウ狩り、キノコ狩り)、草花をながめたりすることにも使われるようになったようです。

狩猟をしない貴族が現れたとき、自然を愛でることを狩りに例えたという説もあります。


12月25日

今度は、近郊の街に住む娘から「Xマスケーキを持っていくから」と電話がありました。

小さな愛らしいケーキです。「美味しいわ、イチゴの酸味と生クリームが良く合うのね」

など言って半分食べてから、あわてて写真を撮りました。

ロウソクの明かりの中で、二人でクリスマスソングを熱唱?しました。

「き~よし、こ~の夜・・・・・・」「ジングルベル、ジングルベル鈴が鳴る・・・・」

「まっかなお鼻のとなかいさんは・・・」などなど。

娘が子供の頃見た「木馬座」の話になりました。「木馬座」は子供向けの舞台劇を上演していたと思います。普段、思い出すことは無いのですが、言われてみると、昔、子供たちを連れて出かけたことがあります。

当時としては斬新な子供向けの舞台劇でした。子供だけではなく、付き添いの私も、楽しく観劇しました。

「くるくるかっぽんかっぽんぽん・・・・・」リズミカルなテーマー曲で始まりました。歌っているとその当時のことがよみがえって来ます。

おしゃべりをしているうちに、辺りが暗くなってきました。

「寒いから体に気をつけてね、お正月にまた来るから」といって、娘は帰っていきました。

 


神戸港(海賊船)

2011-12-21 23:46:47 | 散策

「お母さん、海賊船に乗りに行かない?」

娘が急に言い出しました。

「海賊船~?」

「神戸港の遊覧船よ」

「友達と行ったら」

「友達は、こんなの好きじゃあないみたい」

と言うようなわけで、久しぶりに神戸へ出かけました。

寒さに弱い私は船の甲板で風に吹かれてもいいように、カイロを貼り付け、厚手のコートを着て出かけました。

先ず神戸元町で「佐世保バーガー」の店に入りました。ハンバーグといえばファーストフードの典型的なものです。店に入るや否や、すぐに出てくるのが当たり前だと思っていました。

ところがこの店は、なかなか出てこないのです。
「佐世保バーガーは注文を聞いて作るから、時間がかかるのよ。それだけ美味しいのよ」

飲み物・前菜のサラダが出てきて暫くすると、ハンバーガーがきました。佐世保バーガーとアボガドバーガーを注文してあったので、それを半分に切ってもらい、娘と半分ずつ食べました。

外側がパリッとしていて、今までのハンバーガーに無い食感でした。美味しかった。後からデザートも出てきました。 

 

 人で賑わう元町を後に、港に来ました。

港のシンボル、「ポートタワー」があります。オリエンタルホテルの前には、豪華船が停泊しています。

 


ポートタワー


オリエンタルホテルと豪華客船

 


港の風景

  


船が港に帰ってきました。

 

 
私たちが乗る「海賊船」 

「海賊船」というのは、港の説明を受けながら

40分かけて神戸港を一周する観光船のことです。

船の中は暖かく、窓際の座席に腰掛け

移り変わる外の景色を、ゆっくり眺めることが出来ました。 

 海賊船運航図 


海賊船の中


海賊が略奪した金貨


豪華客船「飛鳥」の横を通って   豪華客船「飛鳥」 


ピースボート   ピースボート 


神戸大橋

 


神戸空港への橋

 
造船所



 

 


豪華客船「飛鳥」が、出港するようです。

  

  

 




私たちが乗った海賊船が見えます。

 

 


「モザイク」のツリー

12月も中旬になると、街はクリスマスモードです。 

モザイクのレストランで豪華な食事?(本当はカレー)をして、神戸を後にしました。


京都の紅葉(柳谷観音)

2011-12-17 00:45:10 | 散策

12月の初めのことです。この時期、京都は紅葉狩りの人で賑わいます。京都の紅葉を見たいと言う気持ちはありますが、人と車の多さに出かけるのを逡巡するのでした。

そんな京都の中でも西山は、交通の便が悪いからか人出は少ないようです。今年はまだ紅葉見物に出かけていないので、京都西山にある「柳谷観音」に行ってみましょう。    

柳谷観音楊谷寺は、806年に開山されました。ご本尊は十一面千手観世音菩薩で、弘法大師ゆかりの「独鈷水」は  、眼病にきくそうです。


参道

 

      

  

 

 

 

 



紅葉の盛りは少し過ぎていましたが、静かな境内を散策することが出来ました。


山を下り京都市内へ入ると、車が多くなってきます。西山から東山の法然院近くに来ました。

車を置いて、法然院への道を歩いてみました。もう夕方で、寺の門は閉じていましたが、散策する人の姿が見られました。

娘に案内してもらい、哲学の道沿いにあるおしゃれなカフェに入りました。

桜の頃には疎水沿いの道は人で埋まるのですが、紅葉も終わりの頃の夕刻とあって、落ち着いた雰囲気でした。

テラスでお茶する若いカップル、ジャズの音楽、心地よい空間でした。

 

 


時には立ち止まって

2011-12-15 20:53:45 | 思いつくまま

自宅の修繕をお願いしている職人さんが帰った後、日暮れになって外に出ました。近くのポストに、郵便物を出しに出かけたのです。

大通りは車が多いのでわき道に入り、住宅街を抜け、マンションの前に来ました。軽乗用車が止まっていて、マンションの住民らしい女性と、車の主らしい女性が話をしています。歩道のない道路なので、通勤帰りの車をよけると、話している二人の中を通るようになります。

私は大またで二人の間を通り抜け、大通り目指して歩いて行きました。ところが数分もしないうちに膝の状態がおかしいのです。昼間部屋の模様替えをして、重いものを持ったからでしょうか。膝の手術をしているので、気をつけていた積りなのですが。

あと少しで、ポストに着きます。「このまま歩いて行って、書類を出してから帰りましょう」と思っているうちに、ますます膝が痛くなってきます。引き返そう。そう思って踵を返したときには、膝が痛くなって歩きにくいのです。

やっとのことでマンションの前に来ると、女性たちがまだ話をしています。先ほどは大またで颯爽と?歩いたのですが、膝が痛くなったので歩けません。足を引きづりながら女性たちの前を通ったものの、もう一歩も歩けなくなってしまいました。近くの家の石垣に腰を下ろそうとしても、膝が曲げられません。夜の街角で立ち往生してしまいました。

通勤帰りの人たち、学校帰りの学生たち、車が通る中、まるで銅像のように立っていました。

家を出る時、丁度娘が帰ってきて、「お母さん、今日は寒いから気をつけて」と言っていました。
「分かってるわ」
と言って出てきたのですが、こうなっては娘に頼むしか方法がありません。

何時もは持って出ないケイタイを、かばんの中に入れてあります。足は動かないけど、手は動きます。

「どうしたの」
「足が痛くて歩けなくなってしまったのよ」
「迎えに行くけど、どこにいるの。歩いて行ったらいいの」
「一歩も歩けないから、車で迎えに来て・・・・・」

暫くして娘が迎えに来てくれましたが、通行人が多く車を私の側まで着ける事が出来ません。
近くに来ても、足をまげて車の中に入ることが出来ません。
どうにか、車に乗り込みました。

「体が冷えたのね、暖房を入れるわ」
ところが家からいくらも走っていないので、車の暖房はまだ機能しません。

家に着いても車から下りられません。やっとのことで車から出て、玄関の傘立てに寄りかかりながら、ベットに倒れこみました。

部屋を暖めて貰ったりたり、娘にマッサージして貰ったりと大変でした。

娘にマッサージしてもらいながら、私は原さんの言葉を思い出していました。原さんとは、アルプスなどの山歩きに連れて行ってもらった先輩です。

「われわれの年になったら、楽しみながら山歩きをするものですよ。時には立ち止まって周囲の景色を眺めたり、足元の花を見たり、楽しんで登るのです。人生はあくせくと突っ走るばかりではなく、ゆとりを持って過ごしましょう」

その言葉が思い出されます。80歳の誕生日は「標高3880Mの、エベレストの見えるホテル(ホテル・エベレスト・ビュー)で過ごすのが夢だよ」と言っていましたが、それを叶えられたそうです。

膝が痛くなって歩けなくなったのは、普段ばたばたと落ち着きの無い私に、原さんが
「時には立ち止まって、自分の周囲を見なさい!!」
と言っているようでした。

 原さんと登った山

 


典子さんのこと

2011-12-12 11:18:35 | 思いつくまま

典子さんは私の同窓生です。でも、学生時代から知っていたわけではありません。

10年ほど前になるでしょうか、近くに住んでいる友人から同窓会に誘われました。卒業後初めての同窓会でした。聞くところによると同窓会は、以前から続いていたようです。

同窓会に出席しても、私の知り合いは僅か数人でした。その人たちは毎期出席しているようで、お互いに気安く話をしていました。

その同窓会が終わり、次年度の幹事ということで、私に依頼が来ました。出席者の多くは卒業後も仕事を持っている人が多く、家庭に入っていた私は門外漢のようでした。だから勿論、断りました。あまり社交的ではない私は、幹事などいうことに不向きなのは分かっていたからです。

ところが幹事長が知り合いだったこともあり、ずるずると幹事になってしまいました。何をするのか分からずユウウツです。 

同窓会の総会は3月と決まっていましたが、秋にも会合を開こう、ということになったようです。場所は大阪近郊の犬鳴山になりました。犬鳴山といえば、大阪南部にある紅葉の景勝地です。

同窓生に案内状を出すことになった時、同じように幹事になっていた典子さんが、
「案内状を作るのに慣れているから、私が作るわ。郊外学習の時のように作ったらいいのね」といって、B4サイズの用紙を四つ折りにした案内状を作ってくれました。典子さんは小学校の先生をしていたのです。私はテキパキと事を進めていく典子さんを、羨ましく眺めていました。

その次に会った時には、「退職して暇になったので、草木染めの教室に通っている」、ということでした。自分で染めた布を額縁に入れて、送ってくれました。落ち着いて中にも、華やいだ感じでした。幸せがにじみ出ていました。

その典子さんから、ご主人の訃報の便りを貰いました。電話をすると、
「私は子供がいないので、主人と二人だけだったの。主人が亡くなって、どうしたらいいのか分からないの」と弱々しく言うのです。

暫くして友人から、典子さんの体調が悪いと聞きました。
「草木染の展示会があって、その準備で疲れたそうよ。早く治ったらいいのにね」
典子さんのところに電話をしてみても、電話が通じません。元気になって外出でもしているのかしら。典子さんのことが気になっていました。

次の同窓会の日、幹事長から典子さんの訃報を聞きました。弟さんから知らせがあったそうです。

私の中には今でも活発な典子さんの姿があります。典子さんは本当に亡くなったのかしら・・・、典子さんに貰った草木染めを見て考えるのです。

 
典子さんから貰った草木染

        
典子さんから貰った絵手紙