MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

大奥は徳川家光の子孫つくりの仕組みだった。

2008-08-24 18:58:40 | Weblog
テレビで江戸時代の大奥の話をみた。3代目将軍の家光は女性に関心がなく、世継ができず困った乳母の春日局が美人女性を集めて大奥を作ったと言う。ハーレムのように多くの女性が集められ、女の園ができた。多いときは3000人もいたという。江戸城本丸の天守閣のそばに東京ドームぐらいの広さの屋敷が作られていた。
将軍は泊まるときは申し込み、相手と二人で寝るのではなく、左右に女官と坊主が寝ていて、様子を見たり話を聞いていたと言う。大奥の女性は外出禁止だったが、神社、仏閣には詣でることができた。感応寺という寺があり、ハンサム坊主を集めてホストのように女官の相手をしていたが、問題になりつぶされた。給料は3000万円ぐらいですごくよかった。町人は200万円ぐらいだった。将軍の子供を産めば、次の将軍の母として権力を振るうことができた。NHKの大河ドラマ「篤姫」も大奥の世界を描いて、人気が出ているようだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿