鶴見俊輔『教育再定義への試み』(岩波現代文庫)を読んだ。
この本は高橋源一郎が何度か言及していて興味を持っていたが、やっと読めた。
内容は『思い出袋』と重なるところも多い。ある人の思想を理解しようと思ったら、そのひとの本を何冊か(三冊くらい)まとめて読めばいいと思っているのだが、もうちょっと読めば鶴見俊輔について何かつかめるかもしれない。
(都留重人は、)《私が哲学科をえらぶことには批判的で、哲学というのは、はっきりとした問題ととりくむなかで、方法上の工夫をかさねる、そこから生まれてくるのがいい、と言っていた。この考え方は、哲学科に入ったにもかかわらず、私にとっては六〇年後の今日まで導きの糸となっている。はっきりとした問題ととりくむときの、方法の吟味が哲学だというとらえ方だ。》(69頁)
というところがまさしく鶴見俊輔の哲学で、もう何年も前に一度鶴見俊輔の本を読もうとしたときに、ぴんと来なかったのは、そのとき私の考えていた哲学とイメージが違ったからだろう。難しい単語(「現象学的還元」とか)があって、それについて説明するのが、哲学だと思っていたように思う。
鶴見俊輔の哲学はもっと具体的で、一見哲学のように見えない。
この本は高橋源一郎が何度か言及していて興味を持っていたが、やっと読めた。
内容は『思い出袋』と重なるところも多い。ある人の思想を理解しようと思ったら、そのひとの本を何冊か(三冊くらい)まとめて読めばいいと思っているのだが、もうちょっと読めば鶴見俊輔について何かつかめるかもしれない。
(都留重人は、)《私が哲学科をえらぶことには批判的で、哲学というのは、はっきりとした問題ととりくむなかで、方法上の工夫をかさねる、そこから生まれてくるのがいい、と言っていた。この考え方は、哲学科に入ったにもかかわらず、私にとっては六〇年後の今日まで導きの糸となっている。はっきりとした問題ととりくむときの、方法の吟味が哲学だというとらえ方だ。》(69頁)
というところがまさしく鶴見俊輔の哲学で、もう何年も前に一度鶴見俊輔の本を読もうとしたときに、ぴんと来なかったのは、そのとき私の考えていた哲学とイメージが違ったからだろう。難しい単語(「現象学的還元」とか)があって、それについて説明するのが、哲学だと思っていたように思う。
鶴見俊輔の哲学はもっと具体的で、一見哲学のように見えない。