syuの日記・気まま旅

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館山城跡と 里見八犬伝

2017-12-18 | 気まま旅
東京も寒くなってきたので暖かい房総 館山へ1泊の旅をした。

城山公園は館山市街の南側丘陵にある。この地にはかつて戦国時代の武将、里見氏の居城があり、公園内には、椿・梅・桜・ツツジ等の花木が小径をうずめ、季節に合わせて見事に咲き誇ります。

山頂には天守からの眺めが楽しめる三層四階天守閣様式の館山城(八犬伝博物館)、中腹の館山市立博物館本館と併せて歴史の散策が楽しめます。
また、頂上付近には万葉集にも詠まれた植物を小径に集めた万葉の径や、桜・楓・松・梅などを配植し、白砂利の枯山水、小流れなどを設けた日本庭園と茶室があり、茶会等に利用することができます。


県南部房総半島西・東京湾入口にある湾入と「鏡ヶ浦・北条海岸」が。



安房地方の政治・経済・文化の中心都市「館山」


古代には、阿波国造の支配地・中世には、「里見氏」が勢力を伸ばす。


1590年9代「里見義康」築城ー1614年移付により幕府直轄旗本領に。


館内には、「里見八犬伝」の資料展示。













里見氏9代・義康の御殿跡の前を通って、 「八遺臣の墓」を探しながら、坂道を下りて行きます。
分かり辛い「八遺臣の墓」の案内標識に従って行くと、急な坂道の途中に、苔むした「八遺臣の墓」がひっそりとありました。

1622年、最後の当主・里見忠義が鳥取県倉吉で没した際に、8人の家臣が殉死しました。
その8人の家臣の遺骨を分骨し、ここに供養したのだそうです。
この殉死した8人の家臣が、曲亭馬琴の「南総 里見八犬伝」の「八犬士」のモデルになった そうです。

「八犬伝」の最初は、史実の通り、里見氏・初代の義実の安房への入国の物語に始まります。
しかし、江戸時代になって、里見家には内紛が発生したため、幕府に目を付けられ、伯耆国 (鳥取県)倉吉へ転封になります。