わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

GHOST IN THE SHELL・アニメと実写の比較

2017-04-03 | 映画・ドラマ・本
 実写を見たら、気になっちゃって、アニメ劇場版の方を再見しました。私が持ってるのは、リマスター版のDVDですが、元々は、もう20年以上も前の映画だなんて!時が経つの早過ぎ。


 やっぱ少佐は、この作品のが一番かっこいいなぁ。少佐だけじゃなく、9課のメンバーが一番クールなのは、この映画だと思う。九龍砦を彷彿とさせる混み合ったアパートを始めとする貧民街の住居地、市場、路地等々、少し前の(もしかしたら今も?)の、香港のような街並みは、画面を止めて、詳細まで見たい。

 そして、ゴミ出しに遅れたおっさんの、スラムのおっさん感。昔の松本零士の漫画に出てきそう。水没しつつあるスラムのバイタリティーあふれる住民達。近代的な街を流れる川はゴミだらけ。そんな作り込まれた世界も、映画の雰囲気を盛り立てていると思います。義体や電脳なんてSF要素を中心としながら、街並みは不思議に、今と未来性が混合している。ほんと、この頃の押井守監督はシャープだったと思う。

 でも、実写版は中華資本なんで、きちゃなくて、貧乏っぽい中華風な街の描写は許されなかったのかも?妙に小奇麗で、いろんな人種がいるせいもあるかもだけど、盛り場の様子は、特に無国籍風になってたと思う。いかがわしい風景は特に、チャイナっぽくなるのを避けたのかもね。


 アニメ版は、素子が「チタンの頭蓋骨の中の私のゴーストがささやく」の言葉にも表れるように、全身が義体でも、人間としてのアイデンティティ―がテーマでした。夜の海に潜って、自分の存在を確かめるシーンは、実写でもあったけど、アニメの素子は空気タンクを背負ってたのに、実写のミラは何も付けずに素潜りしてたのが印象的だった。

 身体は全て機械でできていても、その中にはゴーストが残っているから人間なんだって前提なのに、ゴースト(意思)を持った義体が出てきたから、人間としてのアイデンティティーって何?ってなる。「Star Trek The Next Generation」のデータや、「I Robot」のロボットたち、そして「AI」、最近では「エクス・マキア」、AIのアイデンティティーは普遍的なテーマですが、日本では、アトムやドラえもん等、意思を持つ

 実写版では、そういう哲学っぽいテーマを一切合切取っ払って、少佐の、失われた義体化前の記憶を含むアイデンティティーを取り戻す過程が描かれていました。だから、アニメと実写は似て異なるものだと思うの。


 ラストは全く違うようで、実は同じ?何処へ行こうかしら、ネットは広いわと立ち去ったロリ少佐は、「イノセンス」ではすっかりネットそのものと同化してたようだけど、実写では、主人公は自分が少佐であることを自覚して終わります。戦争従軍経験のない彼女が、何故「少佐(Major)」なのか謎だったんだけど、「My name is Major」って言ってるので、実は名前??

 映画で気づいた細かいこと2つ:少佐の乗る車が、右ハンドルだった。細かい。で、スカヨハの手相で、生命線と頭脳線が離れてた。この手相の助成は、誰かに頼らず、自力で生きていく運命なのだそうで、同じ手相を持つ、私の知っている女性達は、皆、自分の能力と裁量で生きている方達。ちなみに、私もそうですが、確かに自分で食い扶持を稼がな生きて行けんわー 誰か養ってー

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