風の吹くまま絵を描きます

趣味は登山。風の吹くまま、出かけて絵を描いています

琵琶湖バレー

2018-08-26 17:46:07 | 日記
2018年8月25日 
6人で琵琶湖バレーに行った。酷暑が続いた、涼しい所に行こうと言う事になったのである。
朝の天気は曇り、行こうか止めようかと迷った。
この天気だったら人は少ないだろうと思ったが、すごい人でケーブルは長い行列。
上に気温は20℃。流石に涼しい。
テラスからの展望を楽しみ、昼食。
広いレストランでバイキング、2000円。
料理は種類が多く、味も良い。皆、良く食べる。
昼食後、私は坂道をくだり、第一のリフトの終点まで行った。
皆も来ると思ったが、歩こうとしない。
結局、ケーブルで下山した。
勿体ない話しである。
駅に着いた時は、快晴。
駅から、琵琶湖バレーが見える。駅自体が高い場所なので
地上から見るより景色が良い。
一度、景色の良い駅の度に降りて、駅から出ないでスケッチし
琵琶湖一周しようかと思う。


交野山

2018-08-24 04:39:43 | 日記
方市の隣、交野市にある標高341mの山。
私の自宅からは、徒歩で20分位のバス停から15分、津田で下車、歩き始める。
1時間程度で「いきものふれあいセンタ」に着く。
ここからが急登。登りきると頂上に大岩。観音岩である。
聖観音を表す「サ」の梵字が岩に彫られているらしい。また、壁面に一辺が40cmほどの四角い穴が開けてある
昔、ここに66部の法華経が納められていたという。
 
この山は、自宅から近く、標高も低く、足慣らしとして何百回も登った。
私が枚方に引っ越ししてきた38年前、交野山はわらびの宝庫だった。
今でも、少しは採れるが、昔の面影は無い。

何百回も登ったがスケッチしたことは無かった。
お世話になった山を描かないというのは、申し訳ないので、頂上の観音岩を描いた


プラハ(プラハからチロルの旅)

2018-08-12 11:24:40 | 日記
プラハは14世紀 神聖ローマ帝国の首都として栄えた。そのためカルル4世の名前が残っている。
また建築博物館とも称され、さまざまな時代の建築様式がみられる。
日本からプラハへの直通便はない。パリで乗り換えが必要。待ち時間を入れると約24時間かかる。
遠く異国まで来たという感じになる。

プラハを代表するのはプラハ城である。かってはボエミア王国やローマ皇帝の居城であった
その後、ナチスの支配下、ソ連の支配下におかれ、革命「プラハの春」が失敗してから秘密警察への密告が教会を中心として
行われ、国民の大半が無神論者となった
1989年「ビロード革命」により共産主義は崩壊。1993年チェコとスロバキアは平和的に分離。2004年にEUに加盟。
ビロード革命では「我々の代表を城に送ろう」が合言葉だったと聞く
列強の支配の象徴のような城を自分たちの城として取り戻したかったのだ


プラハ(プラハからチロルの旅)

2018-08-12 11:22:59 | 日記
川岸からプラハ城を望む(チェコ プラハ)
プラハはチェコの首都であり、大都会である。その景観の中心は旧市街の中を流れるヴルタヴァ川とプラハ城である。
観光客は川にかかるカルル橋を渡り城に向かう。
川岸は公園になっており大勢の人が散策を楽しんでいる。
川岸から城を見た光景はプラハを代表する景観であり、旅行案内書、TVの旅行番組で必ず登場する。


プラハ(プラハからチロルの旅)

2018-08-12 11:19:24 | 日記
プラハ旧市街 天文時計
ヨーロッパの旧市街は中心に必ず広場がある。
広場には市庁舎等重要な建物が並んで豪壮な景観。
しかし、これを描くには建物が大きすぎて手の負えない。
なるだけ離れて描こうとするが、それには広場が狭すぎる
結局、中途半端な位置から悪戦苦闘して描くことになる。


プラハ(プラハからチロルの旅)

2018-08-11 12:39:15 | 日記
橋塔
橋のたもとにはそれぞれに塔が建っている。通行税を徴収したり、橋を守るためのものである。
橋も塔もカルル4世の命を受けた当時27才の建築家ベトル・バルレーシュによって造られた。
塔の完成は1400年、600年経った現在もびくともしないでそびえている。当時の建築技術のレベルの高さに感服すると同時に、
若き天才を見つけて大事業を命じたカルル4世も優れた君主であったと思う。