津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

武器の無力化を研究すること

2017年06月25日 | 日記
 今日のウェブ記事に、「核兵器の無力化が可能に? アメリカ「敵基地無力化」作戦の全貌」というものがありました(6/25(日) 6:00配信 、週プレNEWS)。

 レーザー光線や電磁波パルスで、武器やコンピュータを無力化する、という技術が紹介されたあと、ニュートリノ(物質を構成する最小単位=素粒子のひとつ。あらゆる物質をすり抜ける性質を持つ)に関する研究について、元衆議院議員の、末松義規氏の意見が、引用されていました。

「12年、『ニュートリノを使って核兵器の原料である核物質を原子転換させれば、核兵器そのものを使えなくさせることができる』という方法が、原理的には可能だという論文が発表され、話題を呼びました。ただ、発表直後に、アメリカの諜報(ちょうほう)機関が研究者に接触を図り、怖くなった研究者は、以降、“ニュートリノを使用した核無力化”についての論文を書かなくなったそうです。でも、これは日本にとっても無関係ではない。憲法9条で交戦権を否認する日本にとって、EMP爆弾や、ニュートリノの軍事転用といった、戦わずに敵の兵器を無力化できる技術は、本気で議論するに値すると思います」


 漫画やSFの世界では、すでに数十年前から、「〇〇光線」とか「〇〇バリア」といった表現で、爆薬を砂にしたり、飛んでくるミサイルを跳ね飛ばす、あるいは骨抜きにするような、平和的な防衛技術が、描かれていました。「原爆がアンパンになる」というセリフを、見聞きした記憶があります。「人びとは武器を農機具に作り変えて、二度と戦いのことを学ばない」というイザヤ書の名文句のように、武器がナマクラになるのです。人間が想像することは、ほとんどがいつか実現します。絨毯爆撃のような野蛮な戦争は、最近はスマート兵器のようなピンポイントの戦争にかわってきたようですが、まだまだ爆発、破壊するという、古風な戦争から脱却していません。

 武器を無力化する技術とシステムの開発は、国防の方向としては、最も望ましい選択肢です。これを「軍事研究」というかどうか、定義の問題です。転用されても、人間や世界を破壊しないものは、軍事技術ではないと、私は思います。日本学術会議で、こういう議論がなされることを期待します。

 理系の研究者は、前(々)世紀からの古い技術にしがみつかず、破壊をともなわない、先進的でわくわくする技術の開発競争で鎬をけずったらどうですか。二番煎じの退屈な仕事しかできない人は、誰でも務まりそうな政治家に転職されることを、お勧めします。

 先取の精神に満ちた、開明的な研究者たちが、大挙して登場されることを祈ります。

 

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