津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

日本賢人党

2015年01月20日 | 日記
 こんなものがあればいいな、というシリーズです。前に、ペダルを漕いで発電する製品があればいいな、と書きましたが、すでに「充電丸」という製品があるのに気付きました。私が「あればいいな」と思うくらいのものは、すでにあるのでしょうが、思い付いたことは書くことにします。

 学生に投票に行くように勧めるとき、だいたいつぎのように言うことにしています。

投票したいと思う候補者がいないことが多いと思いますが、その不満・抗議の意思表示をするためだけにも、敢えて投票に行って、わざわざ白票を出してください。投票所は近所ですから、交通費はかかりません。碌な候補者がいないと思ったら(こういう感想が多いですね)、だったらそれよりは優秀な自分が立候補して、地域と日本と世界を住みやすくしてください。


 さらに時間があれば、つぎのようなたとえ話しをします。

政治の大きな役割は、国民所得の再配分です。家計でいえば、家族が稼いだ額をまとめて、どこに出費するか、優先順位を決めることです。家族が働き蜂のように働いて、家長がそれを家族や家のために、後先を考えて貯蓄したり、計算の上で決断をして借金したりするのが、まともな家庭です。それを思慮の足りない家長に任せては、家計が破綻します。家のスケールが大きくなれば、運営は難しくなります。国政の舵取りをするには、その一家の家長の数十(百、千、万)倍の能力が必要になるでしょう。ですから、少なくとも皆さんのような並以上の能力のある人の多くが、政治は嫌でも、地方政治にも国政に入っていただきたいと思います。


 欧米、特にフランス知識人はきわめてポリティカルですが、現代日本の学者や作家にも、政治学者、経済学者以外に、政治に積極的に発言する方があり、いい傾向だと思います。知識人が中心になって政党があり、日本でもそのようなものがどこかにあったようですが、まだあるのでしょうか。個人的には、石原慎太郎さんや田中康夫さん、青島幸男さんや猪瀬直樹さんや升添要一さんは、うまくいったり大失敗したり、話題になったり、でも成果が市民に還元されなかったり、いろいろです。

 ただ「素人」が大量に流れ込むことで、その一部でも残っていけば、今の地盤・看板・カバンで政治をやっている集団よりは、間違いなくレベルがあがっていくでしょう。明治100年とか、55年体制とか、戦後70年とか年を数えるよりも、学者作家知識人が政治の実践を引き受ける流れを作ることが、政治の刷新になると思います。

 まず、政府、政党、マスコミ向けに、政策提言をしている高名な左右中道の学者(具体的には、NHK日曜討論、『世界』『諸君』、各種諮問機関委員)は、一定以上の地位を極めたら、後進のためにも、安定した職を辞して、余生を賭して、一命を賭して、国家と人類のために、自らが実践の責任を負っていただきたいと思います。学説には自身があるが、政治力はない、という弁明が聞こえてきそうですが、今求められているのが時代遅れの「セイジリョク」などでないことは言うまでもありません。生活がある、家族がある、という理由のほうが、まだ正直です。

 ある著名な学者が、ある政党から立候補を求められ、「私は政治家になるほど堕落してはおりません」と断った、というエピソードがあります。これを聞いたある賢者は、「政治を大切にしないと、国民が不幸になる。能力がある人は、自分の美学を犠牲にしてでも、政治家となって、社会のために働くべきだ」と言いました。

 日本賢人会議というのが、正式にか名目的にか、バーチャルにかあったような気がしますが、それを一歩進めて、日本賢人党という政党を作る時期が来ていると思います。現代日本で最も多いのは「支持政党なし」で、どの調査でも過半数と出ます。その受け皿として、「サラリーマン新党」「老人党」「雷親父の党」など話題になりましたが、広く深い思想があってのことではなく、立ち消えのようになっています。現役の政治家の方々は、どちらの側も、半分以上の国民からそっぽを向かれているのですから、さぞかし肩身が狭くておられるだろうと、他事ながらお気の毒に思います。

 日本賢人党といったような、左右、上下の知識人が集まった政党では、政策はまとまらないではないか、という批判があります。当然のことです。すぐ与党になるはずはなく、その気もないのですから、数(十)年は、学者知識人のハコモノができて、そこで「侃侃諤諤」の議論をして、議会でも旧制議員と「喧喧囂囂」の討議をすることで、少しずつレベルアップすることで、十分以上の効果があるでしょう。そういう生涯教育(50の手習い60の、70の80の手習い)という意味でも、まずは日本賢人党という名前が立ち上がることを期待したいと思います。







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攻撃に対する防衛の度合い(承前)

2015年01月15日 | 日記
 フランス新聞社襲撃事件の余震が、いつまた大揺れになるかわからない状況で、表現・報道の「自由」をめぐる議論が、世界中の報道機関を揺るがせています。報道機関の根幹にかかわる問題であり、関係者のテンションが上がるのは当然のことです。事件後の最新号で、風刺画を掲載したことで、問題はさらに増幅されました。この報道そのものが報道の対象になるのは、当然のことですが、風刺画を転載するかどうか、メディアの対応はわかれています。

 今日の毎日新聞のウェブ版では、記事の最後に、自社の対応をつぎのように説明しています。

毎日新聞は預言者ムハンマドの風刺画を掲載していない。2005~06年にデンマーク紙などがムハンマドの風刺画を掲載し問題になった時も、イスラム社会では一般的に神も預言者も姿を描いてはならないとされていることに配慮し、掲載しなかった。小川一編集編成局長は「表現行為に対するテロは決して許されず、言論、表現の自由は最大限尊重されるべきだ。しかし、言論や表現は他者への敬意を忘れてはならない。絵画による預言者の描写を『冒とく』と捉えるイスラム教徒が世界に多数いる以上、風刺画の掲載については慎重な判断が求められる」と話す。


 テロは許されない、表現の自由は守られる、というところまでは、人類の92パーセントほどは合意するので、これは議論の余地はありません。意見が分かれるのは、自由の度合いであり、それについては、昨日のブログで私の考えも述べました。毎日新聞の姿勢は、私の考えに近いものです。掲載するという主張も、もちろん一理あります。

 さて今日は、報道する側の問題ではなく、報道の対象になる側、報道を聞かされる側の対応について、考えてみたいと思います。マスコミやミニコミのコラムやブログでも、この問題はほとんど目につきませんが、報道をどう受け止めるか、それにどう反応するか、というのは、私たち一般市民の度合いが試される問題です。

 日本には150年ほど前までは、武士階級があり、その流れを汲んだ職業軍人がありました。この人々は名誉と勇気を重んじ、それを侮辱するものに対しては、命を賭して対抗しました。明治維新後に日本が植民地化されなかったのは、この階層があったからです。また太平洋戦争は、西洋の帝国主義と、日本の新興帝国主義の衝突で、追い込まれた名誉意識が1つの原因になっていたと思います。

 主要都市を大量の爆弾で焼き尽くされ、ヒロシマ・ナガサキには2発の原爆を落とされた、国民市民レベルでの圧倒的な無力感は、、西洋の仮借ない帝国主義と戦う意志を喪失させました。戦争は無駄だというのが、国民の悟りだったと思います。アメリカ追従といわれるその後の日本は、武士階級の名誉と勇気からすれば、批判されるべきという考えもあります。しかし他方には、武士道の極みは、野蛮な攻撃に対して積極的には戦わないこと、侮辱に対しては毅然として取り合わず、不壊の名誉を保つこと、という考えもあります。

 洗練された王権は、そのような対応をするものです。卵やコップを投げられても、落書きをされても、日本の皇室が激昂したり、あからさまな不快感を示すことはありません。ブッシュ前大統領が、記者会見の席で靴を投げつけられたとき、とっさに身をかわして、「私は身をかわすのが得意なんだ」といって事件化しなかった対応は、あまり高雅なものではなかったとはいえ、ブッシュさんらしい、ジョークに紛らわせたいい対応でした。日本でああいう対応ができる人はと考えると、現在の政治家では麻生太郎さんくらいでしょうか。

 相手の誤解や曲解、特に悪意をもった批判や侮辱に、怒ったり動揺したりするのは、相手の思う壷になります。「嫌がらせ」をされて、「嫌がる」と、やったほうは「うまくいったぞ」と思って、ますます増長します。挑発や侮辱をするのは、あまり立派な人ではないので、可哀相に思って、取り合わずにいると、「嫌がらせを嫌がっていないじゃないか」と思って、やっていることの無駄に気付き、いつかは(一日後、一年後、百年後、一万年後・・・)止めるでしょう。

 『証道歌』という禅の詩文に、「自分はこんなに信仰、修行していると、誰かに誇っても仕方ない」「他人が批判したり侮辱したりしても、相手の勝手にさせよ」「悪口を言われるのは自分の利益になることで、いい修行になる」「侮辱されても怨みを起さなければ、我が身を苦しめることはない」といった一節があります。私はこの詩文を、若いころ澤木興道の講演録で読んで、今にして思えば、楽しい時間を過ごしたことがあります。

 「馬鹿にされた」といって怒るのは、相手の思う壷です。誰かに馬鹿にされても、誉めそやされても、自分は変わらぬ自分のままで、馬鹿になったり偉くなったりするわけではありません。こういう開き直りができるようになったのは、1つには、この証道歌のおかげです。

 言葉の攻撃に対しては、武器による身体的な攻撃よりも、このような受け流すやり方が、効果的です。相手の無理解、誤解、侮辱は、自分の核心には一指も触れないからです。「風刺」あるいは「侮辱」の対象になっているイスラム側の心ある人々からも、「感情的な対応は避けるように」という声が上がっています。そのように、自分たちの信仰には、内ではひそかな誇りを保ちつつ、外には過度に反撃せず、静かに心の宝を防衛する、高雅な対応をする人々が増えることを期待します。

 挑発に乗らない、静かな自信と、強い忍耐を示されれば、攻撃していた側も、自分たちの愚かさ、幼さ、下品さに、少しずつ気付くのではないでしょうか。「敵のために祈りなさい」という、別の預言者のいい言葉が、参考になります。

 キリスト教世界とイスラム世界、双方の心ある人々に、無理解を大きく包み込む高雅な対応が広まり、発作的な応酬が縮小していきますように、極東からの祈りを捧げたいと思います。

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参照
澤木興道
『禅とは何か証道歌新釈』





 

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表現の「自由」の度合い

2015年01月14日 | 日記
 歌舞伎か落語のセリフに「物事には程(ほど)というものがある」とあるように、何事にも度合いというものあります。
 フランス新聞社襲撃および関連するらしい「テロ」「報復」事件について、反射的な第一報は、「残虐な犯行で、暴力殺害テロは許されない」というものでした。正しい反応です。その後の興奮さめやらぬ中、ヨーロッパの首脳が腕を組んで先頭に立ち、「団結して表現の自由を守る」というスローガンを掲げたデモがありました。この時点で、「大丈夫だろうか」という懸念が、マスコミやネットで語られ始めました。健全な反応です。対立を煽るようなデモの先頭に各国首脳が立つ姿に、私も違和感を持ちました

 テロや暴力が悪いのは、99.9パーセントの人類にとっては自明のことで、議論する必要はありません。問題は、(1)事件の誘因となった根深い状況を、どうコントロールするか、(2)残念ながら事件が勃発したら、どう事後処理するか、です。

 2つめの問題に対して、「表現の自由を守る」というスローガンを掲げたデモを行うのは、賢いやり方とは思えません。各国首脳は、恐怖と怒りに興奮した双方の国民、市民に向けて、冷静な対応を求めるべきで、一般市民と同じ恐怖と怒りに駆られて、それを上から煽るのは感心しません。世界の平和と安全に対する責任の一端を担う人々は、一命を賭して、暴力の連鎖を断ち切るぎりぎりの工夫をする知恵を持たねばなりません。そのような覚悟と知恵のないものは、提案を市民が受け入れたくなるような、いわば天性の器のないものは、指導者の地位についてはなりません。

 1つめの問題について、宗教対立と、やはり一種の「人種」対立があります。今朝の報道バラエティ番組で、コメンテータの数人から、「表現の自由」の範囲について、弱者の立場からの風刺や戯画はともかく、強い立場からの侮辱、嘲笑には制限があってしかるべきだ、というまっとうな意見が出ました。ある人の印象的なコメントは、「フランス人が、「われわれには侮辱する権利がある」と言っているのは、傲慢すぎる」というものです。フランク人、西洋人の価値の中心が「自由」にあることは、価値研究から浮き彫りになります。価値と理想には、その光と影があり、今回の事件には、その影の部分が大きく出ました(拙著『<公共宗教>の光と影』158~162頁)。

 ヘイトスピーチが厳しく批判される中、中東北アフリカ、イスラム圏全体に不快感を与える「表現」が、無制限に擁護されるならば、露骨なダブルスタンダードが多くの人に目に明らかになり、EUの中からも、侮辱的、嘲笑的な表現に嫌悪感をもつ人々の声が、ますます大きくなってくるでしょう。そのような、相互理解の学習の機会ととらえれば、今回の紛争も何かの意味があるのかもしれませんが、このような暴力的な応酬をしなければ学べないほど、難しいレッスンでしょうか。「駿馬は鞭の陰を見て走る、駄馬は10回鞭打っても走らない」という故事どおり、私たち人類も、多くの人がなるべく痛い思いをする回数が少なくて済むように、もっと平和的に同じレッスンを学ぶよう、双方の当事者のために祈ります。

 ちなみに同じ番組で、「フランス」人「芸術家」が京都の道路標識にシールを貼って問題になっている、という、やや暢気な報道がありました。フランス人は「権力の決めたことを批判するためのアートだ」と主張しているいようですが、協力した日本人女性(がいるのですね)は「少し罪悪感を感じる」ということでした。「アートかイタズラか」、一般人がやれば明らかに道路交通法違反になることを、こういう取り上げ方をさせること自体、「フランス人」の「傲慢」が、天下御免で通用している指標です。日本人が同じことをパリでやったら、ニュースにもならず、すぐ罰金でしょうし、日本人は生真面目ですから(借金を返すために強盗をする者がいるくらい!)、罰金を払うでしょう。フランス人芸術家はイタリアでも同じことをして罰金刑になり、未払いだそうで、それがまかり通っているようです。「朕が国家である」と言ったのは、どこの国の王だったでしょうか?

 フランス知識人が、ヨーロッパの中でも、とりわけポリティカルで、やや傲慢であることは、しばしば感じます。「あんがぁじゅまん」という掛け声が、あれほど効果を持ったのは、受け手がもともとポリティカルだったからです。ポリティカルな人間は、狭い時空間の住人です。時空間ともに視野の広い人といえば、今は流行りませんが、トインビーが1つの達成でしょう。私はずっとトインビーを愛読していて、「あんなになれたらいいなあ」と思っています。多くのヨーロッパ人も、コンパクトな名著『試練に立つ文明』(現代教養文庫)を読み直して、トインビーの知性と霊性を改めて見習ったらどうでしょうか。そこから、知的な傲慢さを押さえ込むことのできるような、高い知性と霊性を備えた指導者、祭祀‐王が出現、再出現することが望まれます。

*******

参照
津城寛文
『<公共宗教>の光と影』春秋社 2005
6章3節「記憶の政治、理想の記念」











 

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弟子の成長に感謝する師匠

2015年01月10日 | 日記
 ちょっとわかりにくいタイトルだと思いますので、いくつかエピソードをあげます。

 年頭に真言宗のお寺にお参りして、お護摩を焚いていただいた後、四十代のまだ若いご住職さんの、次のようなご法話がありました(うろ覚えですので、文責は津城にあります)。

 
 家族や縁者の人間関係、経済問題で苦しんだ若い女性が、いろいろ人に言えないような苦労もして、その中で苦学して国家資格を取得し、やっと安定した仕事に付いて、ご縁があって結婚できました。
 その間の10年、ずっと祈っていましたが、その女の子がお礼に来た折に、「「いつも祈っているからね」という先生の言葉が、苦しい時の支えになった」と言ってくれました。
 もっといいアドバイスができなかったかと思っていましたが、私の言った「いつも祈っているからね」という言葉を、その子が心の中で守っていてくれたことは、たいへんありがたいことです。幸せになってくれてありがとう、と思いました。
 

 これはとてもいいお話です。人にものを教えたことがある人はわかると思いますが、教えたことをなかなか理解してくれない生徒がいると、「ざるに水」「馬の耳に念仏」という気がして、消耗します。一方で、すぐピンとくる生徒がいると、話していて調子が出てきます。

 生徒に対して、理解できない者は来るな、という態度をとる教師もいます(教師としての私は、ややこれに近いところがあり、反省すべきと思うことがあります)。ところが他方、なかなか理解できない生徒がやっと理解してくれると、よくわかってくれたという、なにかその人に感謝したい気にもなります。

 聖者賢者、仏菩薩から見ると、私たち衆生は「なかなか理解してくれない」凡夫で、そのために、繰り返し繰り返し同じことを教えてくださっているようです。
 ある聖者は、ある信徒が「ずっと教えていただいてきたことが、今ようやくわかりました」と言うと、「よくわかってくれた」と言って、ともども涙を流したそうです。
 ある賢者は、ある信徒が「教えていただいたことがよくわかり、助かりました。ありがとうございます」と言うと、「私は神仏の教えをお伝えしただけであり、またそれを理解してくださったのは貴方なので、私にお礼を言わないでください」と言って、ともども神仏に感謝の祈りを捧げたそうです。

 聖者と賢者ではタイプが違いますが、いずれにしても、ものごとの理解は無理強いできず、相手が理解できるようになるまで待つ、という忍耐が必要なのは、小さくは乳幼児の躾から、大きくは思想信条の相互理解まで、同じことだと思います。

 こういう忍耐がないと、学識や能力や才能ある師匠であっても、理解を押し付けたり、「私のおかげだ」と恩着せがましく言ったりします。

 成長するのは自ら成長しなければならず、それには時間もかかります。その長い時間を見守る側になったときには、相手の成長のため、相手の幸せのために祈ることが、助けになるのではないでしょうか。

























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東日本大震災の関連記事

2015年01月04日 | 日記
 今日のYahoo!ニュースに、「時には癒し 被災地での幽霊」というタイトルがありました。『河北新報』の配信で、記事の内容は、ジャーナリストの奥野修司さんが、「犠牲者の霊を見た家族や知人」に聞き取りを進めているというもの、聞き手は南三陸支局の中島剛さんです。たいへんよい記事ですので、やや長めに引用しますが、ぜひ元記事をお読みください。

-幽霊の取材を始めたきっかけは。
「岡部医院(名取市)の看(み)取り医療の取材で『お迎え』の重要性に気付いた。いまわの際に、亡くなった両親や親類を見る人は死に方が穏やか。その延長線で霊を見た人が被災地に多いと聞いた。『うちの患者は2割くらい見ている』と言う医師もいた。もう特殊な現象ではないと感じた」
「幽霊がいるかいないかを議論すると泥沼に入る。その人が見たという事実だけを素直に受け止めようと考えた。犠牲者と残された人の物語を、幽霊を軸に書きたい」

-どんな話があったのか。
「例えば、最愛の夫を亡くした妻の話。自暴自棄に陥り、死にたいと思う毎日。車で自損の重傷事故を起こしたりもした。ある時、夫の霊に会う。見守られている感覚が芽生え、お父ちゃんと一緒に生きようと思い直した。私はとても感動した。他にも犠牲者の霊の存在を感じ、生きる勇気をもらう話が多かった」

-幽霊については語りにくい雰囲気がある。
「お迎えもそうだが、科学的に証明できない体験はすぐに、せん妄とか幻覚とかで処理され、病気扱いされる。人間には科学で説明できない領域がたくさんある。幽霊がマイナスの作用をしない限り、分からないけれど、そういうものがあってもいいと受け止めることが大事ではないか」
「長年取り組んだ沖縄の取材でも、沖縄戦の直後、たくさんの幽霊話があったと聞いた。今後も何か大きな災いがあった時、霊を見る人間が増えるかもしれない。それがごく普通のことなんだと、認め会う社会の方が楽に生きられると思う」

 補足すると、岡部医院は、故岡部医師が看取りの医療を推進した施設で、東北大学の臨床宗教師の養成、<お迎え>の研究の発祥になった場所です。
 沖縄にも(その他の地方にも)戦後(だけでなく戦中も)、たくさんの幽霊話があったというのは、松谷みよ子さんがまとめられた『現代民話考』(人類史に残るべきお仕事です)の、とくに4~6巻に見ることができます。

 こういう話題は、繰り返し流行しては、忘却、抑圧されていきます。「幽霊」=「死者の幻影Phantasms of the Dead」の研究にせよ、<お迎え>=「死の間際の幻視Death-bed Vision」の研究にせよ、100年以上も前に、大きな盛り上がりがありました。その歴史をうすうす知っている人は少なくありませんが、詳しく調べている人は、宗教学や心理学、死生学の研究者にも、おどろくほど少ないのが実情です。そのため、専門家の集まりであるはずの学会のシンポジウムや個人発表でも、おどろくほど初歩的な議論に終始しています。
 
 私もそれほど網羅的に勉強しているわけではなく、関心のあるところの拾い読みなのですが、それでも、私レベルの知識もない人がほとんどなので、相対的に、私が専門家のようになっているという、おどろくべき事態なのです。

 この話題について、ちょうど近刊予定の下記拙論で扱いましたので、ご関心のある方はどうぞ参照ください。

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参考図書
津城寛文
「死者の幻影・再考
―非常事が増幅する
合法性の問題―」
『宗教と倫理』14号近刊
(宗教倫理学会HPにPDF)
松谷みよ子編著
『現代民話考』ちくま文庫

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