4月22日に、労働量を減らすことについて、看護師さんの例をあげました。その続きです。
あるLCC(低価格航空会社)のパイロットの体調不良が、一般航空会社に比べて以上に多発し、担当のやりくりがつかず、かなりの便が運休になる予定、という記事が出ました。
私も割引航空券の恩恵に浴しているので、運賃が安くなるのはありがたいのですが、乗務員の体調不良が統計的にかなり高いというのは、無理な仕事になっている、ということの指標です。24時間働かせているわけではないでしょうが、計算にあがってこない、微妙なゆとりが必要なのに、合理的な経営は、それを無駄として切り捨てて、結果として、計算外の負担が、生身の人間を蝕んでいるのでしょう。
今日のウェブニュースでは、介護職の仕事のたいへんさと、報酬の低さで、離職が相次いでいる、という記事もあります。
航空業界や介護業界、医療業界に限らず、他の業種でも、人件費を減らすために、給与を下げ、人員削減をして、結果としてしわ寄せがきた少数の人の仕事量が増えて、その人も限界を超えて退職したり、「過労死」したりする報道が、後を絶ちません。ある経営者が言った(とか言わない)という「24時間365日、死ぬまで働け」という言葉が有名になりましたが、誰が言ったにせよ(言わないにせよ)、このような考えを漂わせた人間が、随所にいます。
労働者を雇っている側が、なるべく安いコストで、なるべく多くの利益を上げる、と考えるのは、自然な考え方ですが、これに歯止めがなくなると、労働者の生活はゼロにまで切り詰められ、安全もゼロ、さらにはマイナスとなります。最近のフェリー沈没事故はその典型的なもので、ローマ法王が、「倫理的に生まれ変わってほしい」と言われたとおり、人類全体、とくに経営者たちが、ここから教訓を深刻に学んでほしいものです。
「モーレツ社員」という、高度経済成長期に流行った言葉があります。その生き残りのような人たちが経営者にいて、業績を上げているのですが、仕事のために命を削る(削らせる)、家庭を壊す(壊させる)というのは、戦争といった異常事態、非常事態にはやむを得ないことながら、常態化するのは、異常な社会です。「世界全体がそのようになってきているのですから、日本もそうなるのは正常だ」という理屈は、「どの大国も侵略戦争で植民地を作っているのだから、日本もそうするのは正常だ」という理屈と同様で、その場限りでは説得力がありますが、100年か200年、1000年も時代が過ぎて振り返ってみれば、近視眼の理屈であることは、自明になるでしょう。
正常な社会は、一般人にとっては生活のために仕事があり、一部の特殊な仕事は、自ら買って出てやる人が、生活や命を削ってでもやるかもしれない、しかしそれを万人に強いてはならない、そのような仕事と生活のバランスが取れた社会でしょう。
昔の「モーレツ社員」は、今は「ブラック社員」「ブラック上司)になって、正常なバランスを求める一般人を鞭打つ、いわば「奴隷頭」になっています。
人間は家畜である、奴隷である、という説には、一理ありますが、二里はありません。奴隷にも、非道な扱いをしてはなりません。利害から言っても、奴隷をこきつかうよりは、ときどき休息させたほうが、効率が上がる、という雇い主の冷徹な知恵があります。「奴隷も一週間に一日は休ませよ」という安息日の規定は、そのほうが奴隷の仕事がよくできるから、という意味です。そのような制度を、多くの大学も「サバティカル」として取り入れているのですが、中には、奴隷に与えられるべきそのような安息ですら、「贅沢なもの」とする非道な職場もあるようで、嘆かわしいことだと思います。
一般論として、能力や機能は、100パーセントを超えて使うと壊れ(やすくなり)ますが、100パーセント近くで使い続けると、劣化が激しくなります。また使わないと、退化したり、さび付いたりします。食事もそうですね。食べすぎは病気の原因で、まったく食べないと死んでしまいます。何事によらず、中くらいで動かすのが、安全で長続きします。無理をするのは、どさくさまぎれに手っ取り早く利益をあげようとする、いわば火事場泥棒のような卑しいメンタリティです。
一定以上の経営者は、そのような卑しさを克服しなければなりません。偉大な経営者は、継続性を考慮するものです。一時期利益が出ても、その後、死屍累々ということでは、経営者としては失格です。「一将功なりて万骨枯る」という警告を思い出しすことはないでしょうか。猛省が望まれます。
あるLCC(低価格航空会社)のパイロットの体調不良が、一般航空会社に比べて以上に多発し、担当のやりくりがつかず、かなりの便が運休になる予定、という記事が出ました。
私も割引航空券の恩恵に浴しているので、運賃が安くなるのはありがたいのですが、乗務員の体調不良が統計的にかなり高いというのは、無理な仕事になっている、ということの指標です。24時間働かせているわけではないでしょうが、計算にあがってこない、微妙なゆとりが必要なのに、合理的な経営は、それを無駄として切り捨てて、結果として、計算外の負担が、生身の人間を蝕んでいるのでしょう。
今日のウェブニュースでは、介護職の仕事のたいへんさと、報酬の低さで、離職が相次いでいる、という記事もあります。
航空業界や介護業界、医療業界に限らず、他の業種でも、人件費を減らすために、給与を下げ、人員削減をして、結果としてしわ寄せがきた少数の人の仕事量が増えて、その人も限界を超えて退職したり、「過労死」したりする報道が、後を絶ちません。ある経営者が言った(とか言わない)という「24時間365日、死ぬまで働け」という言葉が有名になりましたが、誰が言ったにせよ(言わないにせよ)、このような考えを漂わせた人間が、随所にいます。
労働者を雇っている側が、なるべく安いコストで、なるべく多くの利益を上げる、と考えるのは、自然な考え方ですが、これに歯止めがなくなると、労働者の生活はゼロにまで切り詰められ、安全もゼロ、さらにはマイナスとなります。最近のフェリー沈没事故はその典型的なもので、ローマ法王が、「倫理的に生まれ変わってほしい」と言われたとおり、人類全体、とくに経営者たちが、ここから教訓を深刻に学んでほしいものです。
「モーレツ社員」という、高度経済成長期に流行った言葉があります。その生き残りのような人たちが経営者にいて、業績を上げているのですが、仕事のために命を削る(削らせる)、家庭を壊す(壊させる)というのは、戦争といった異常事態、非常事態にはやむを得ないことながら、常態化するのは、異常な社会です。「世界全体がそのようになってきているのですから、日本もそうなるのは正常だ」という理屈は、「どの大国も侵略戦争で植民地を作っているのだから、日本もそうするのは正常だ」という理屈と同様で、その場限りでは説得力がありますが、100年か200年、1000年も時代が過ぎて振り返ってみれば、近視眼の理屈であることは、自明になるでしょう。
正常な社会は、一般人にとっては生活のために仕事があり、一部の特殊な仕事は、自ら買って出てやる人が、生活や命を削ってでもやるかもしれない、しかしそれを万人に強いてはならない、そのような仕事と生活のバランスが取れた社会でしょう。
昔の「モーレツ社員」は、今は「ブラック社員」「ブラック上司)になって、正常なバランスを求める一般人を鞭打つ、いわば「奴隷頭」になっています。
人間は家畜である、奴隷である、という説には、一理ありますが、二里はありません。奴隷にも、非道な扱いをしてはなりません。利害から言っても、奴隷をこきつかうよりは、ときどき休息させたほうが、効率が上がる、という雇い主の冷徹な知恵があります。「奴隷も一週間に一日は休ませよ」という安息日の規定は、そのほうが奴隷の仕事がよくできるから、という意味です。そのような制度を、多くの大学も「サバティカル」として取り入れているのですが、中には、奴隷に与えられるべきそのような安息ですら、「贅沢なもの」とする非道な職場もあるようで、嘆かわしいことだと思います。
一般論として、能力や機能は、100パーセントを超えて使うと壊れ(やすくなり)ますが、100パーセント近くで使い続けると、劣化が激しくなります。また使わないと、退化したり、さび付いたりします。食事もそうですね。食べすぎは病気の原因で、まったく食べないと死んでしまいます。何事によらず、中くらいで動かすのが、安全で長続きします。無理をするのは、どさくさまぎれに手っ取り早く利益をあげようとする、いわば火事場泥棒のような卑しいメンタリティです。
一定以上の経営者は、そのような卑しさを克服しなければなりません。偉大な経営者は、継続性を考慮するものです。一時期利益が出ても、その後、死屍累々ということでは、経営者としては失格です。「一将功なりて万骨枯る」という警告を思い出しすことはないでしょうか。猛省が望まれます。