津城寛文・匡徹の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

ミュラー名言集WEB版

2017年08月23日 | 日記
 前回お知らせしました、マックス・ミュラーの名言集が、つくばリポジトリにアップされています。

 ミュラー『人生の夕べに』(拙訳、春秋社刊、2003。原著はMax Muller, Life and Religion, 1905)です。
 
 検索される場合は、「つくばリポジトリ」、3段目の「人文社会系」、人名一覧から「津城寛文」を選択していただくと、たどり着けます。アドレスは下記のとおりで、たぶん開けると思います。
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=42255&item_no=1&page_id=13&block_id=83

 訳しおわったとき、ほんとうに名言の宝庫だと痛感し、それ以来私は、比較宗教学の徒として、たぶん日本で2、3人しかいない、ミュラー派を僭称しています。

 宗教(学)に関心のある方は、「宗教そのものと諸宗教」のあたり、人生の生きづらさにを感じている人は、「未来の生活/生命/人生」「生活/生命/人生」のあたり、老いを想像することの多い人は、「老年」のあたり、キリスト教の奇妙さと可能性を考える人は、「キリスト教」のあたりを読まれると、教えられるとことが多いのではと思います。

 編集者であるミュラー夫人の緒言も、心に染みるものです。私のへたな宣伝文句より、最愛の人によるメッセージを引用して、ミュラー先生の世界へのお招きといたします。

夫の内心の声を収めたこの小著が、同じような試練に耐えている人々の助けとなり、慰め となりますように。また、目の前に延びた人生の道が、今は陽の光に満ちていても、やがて 避けようもない悲しみに出会うとき、その人々を励ますものとなりますように。私は、心か らそう願っています。


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マックス・ミュラー
『人生の夕べに』
つくばリポジトリ版、2017



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絶版著書のウェブ公開

2017年08月14日 | 日記
 7月7日付で、絶版の2著をウェブ版で公開しました。ひきつづき、下記を第3弾として公開します。

 マックス・ミュラー、拙訳『人生の夕べに』(春秋社、2003)[Max Muller, Life and Religion, edited by his wife, 1905]

 この本は、ミュラーの死(1900)後、妻がミュラーのさまざまな著作や書簡、草稿に散見する、内心の声を編集した名言集で、悲しみや苦しみの時に読むと、慰めをあたえられる本です。

 「宗教そのものと諸宗教Religion and religions」は、比較宗教学の発想がシンプルにまとめられています。「人生/生命/生活Life」には、ヒンドゥー教を研究したミュラーらしく、「前世former life」といった意外な言葉が頻出しています。

 宗教の奇妙さと、宗教の大切さを、ともに感じている人には、腑に落ちる文章が多いだろうと思います。興味をもたれたら、どうぞご自由にアクセス、ダウンロード、保存していただければ幸いです。

 アップは8月下旬になると思います。「つくばリポジトリ」で検索、「人文社会系」を選択、教員名一覧から私の氏名を選択すると、公開済みの図書の一覧が出ます。

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近日公開:
マックス・ミュラー、拙訳
『人生の夕べに』
つくばリポジトリ版、2017

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現金給付ではなく現物給付を

2017年08月08日 | 日記
 社会保障に関して、これはいいのでは、と思う考えかたを、能天気に引用してみます。引用というのは、素人の私が考え出したことではもちろんなく、あちこちで見聞きするアイデアだからで、批判があることも知っています。

 ベイシックインカムや生活保護では、現金を給付するわけですが、また現金が動いたほうが、経済全体が動いていい、という思想もありますが、行政をシンプルにするには、現物給付のほうが、いいでしょう。この「現物」には、医療費やバスや電車タクシーなどの移動手段も含まれます。

 「要支援者」を何からの形で認定して、あるいは自己申告で要支援者と称する人は、あちこちの公的施設で、無料あるいは低額の食事を提供し、無料あるいは低額の宿舎、住宅を提供し、無料あるいは低負担の医療を提供すれば、現金給付の水準を下げることができるでしょう。

 私も還暦を超えて老後のことを想像すると、「路頭に迷う」のが心配ではあり、個人的には、そのときは野垂れ死にをすればいいと覚悟してはいるのですが、なかなかすべての人にそのような覚悟を求めるのは、人道的な社会であろうとしている社会では、権力者や支配者の建前としても無理でしょう、事実上、そうなっているところもあるとはいえ。

 衣・食・住を足らわすために、衣はまったく問題ないとして、食事と住居があれば、文化的とはいえずとも、生活として最低の基準はクリアできます。全国民、全人類に、最低4畳半、9㎡ほどのプライベートスペースを確保するのに、大した予算は要りませんし、すべてを失ったとき、9㎡の空間と食事があれば、生きていけます。震災や原発事故後の避難所の生活を思えば、またホームレス生活を余儀なくされている方の生活を思えば、これはぎりぎりどころか、ありがたい境遇です。

 もちろん、義務教育以下の子供を抱えた家族では、これ以上のものが必要です。しかし最終的にすべてを失った人すべてに、これだけのものを保証すれば、その社会の罪、社会の指導者たちの罪は、最小に近づくでしょう。

 現物給付を、受ける資格のない人が受ける、資格認定はどうするのか、という懸念もあり、カードや生体認証などの不気味な話もあります。しかしこれは、現物給付を受けたいと思うのは、現実に困っている人か、精神的に貧しい人か、どちらかですから、隔てなく給付すればいいと思います。そのための費用は、人類の1%の人が独占している富からすれば、天文学的に小さい数字ですむでしょう。

働いた人がその報酬を得るのは当然だ、という知恵の言葉があり、たしかにそうですが、それは100パーセント独り占めしてよい、ということではありません。何もしない人にも、ほどほどの生活できるだけのものは、残しておかねばなりません。裕福な人の作法は、落穂ひろいができるだけのものを残しておくことで、歩いた後にはぺんぺん草も生えないような所業ではありません。

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意見広告
「すべての人に自然な必要物を」
(R・オーウェン)
Announcement:
'Natural wants to all people'
(Robert Owen)


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「すべての人のために」という基準+α

2017年08月07日 | 日記
 よい思想の基準は、「すべての人のために」ということです。それに+αとして、具体的で効果的、ローコストで副作用の少ない方法があれば、多くの人が救われます。

 前回、ユートピアの実験について紹介しましたが、そういう実験室ではなく、社会全体の仕組みを、「すべての人のために」という方向に導く人の一人が、最近あちこちで紹介されるようになった、原丈人(はら・じょうじ)さんです。著書、『「公益」資本主義』をお読みになった方も多いでしょう。まだの方は、ぜひご一読をお勧めします。

 私はラビ・バトラのファンで、彼の世間離れした話も面白いのですが、宗教に関心のない人に勧めるのは、ちょっと無理があります。「公益資本主義」の思想は、世俗的な豊かさを否定せず、無理な修行のようなものを要求しないので、ちょうど、がまんしないダイエット法と似ています。

 原丈人さんの現実的な考えに共感する人たちが増えて、まずは私たちの日本から、一部の人間が富を独占して大多数が奴隷のような世界ではなく、もともとの資本主義のビジョンである、大多数が豊かになる善い社会へと、近づいていくことを期待します。

 「すべての人のために」にと考える人が、要所要所に増えていきますように。これは人間の祈りであるだけではなく、人間を導く存在が人間に向けて祈っていることでもあります。「すべての人のために」と考えて行動する人は、他の人間の力と、人間を導く存在の力を、引き寄せるでしょう。

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推薦:
原丈人『「公益」資本主義』
文春新書、2017年






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ユートピア(の実験)の再興

2017年08月03日 | 日記
 今年の1月22日のブログで、「すべての人に自然な必要物を」と書いたなかで、ベイシック・インカムというアイデアに触れました。

 この用語の初出は、18世紀のイングランドとされ、賛同者も少なくありません。ユートピア社会主義者、スピリチュアリストのロバート・オーウェンの著作中に、ベイシックインカムという言葉があるかどうか、私の気づいたかぎりでは、出てきませんが、金銭に限定しなければ、同じ思想であることは言うまでもありません。

 「文春オンライン」に、「「ベーシックインカム」「週15時間労働」「国境の開放」で、“新しいユートピア”を目指せ “ピケティにつぐ欧州の知性”ルトガー・ブレグマン来日講演(2017/07/24)という記事がでています。

 ユートピアの問題については、前にまとめた拙文があり、近々、つくばリポジトリにアップする予定ですから、詳細はそれに委ねます。いろいろ問題はあっても、このような思想が社会の表面に出てきて、フィンランドのように新たな実験も起こり始めている、ということは、よい兆候だと思います。

 経済学の大家ケインズは、経済は手段であって、目的は教養や芸術、つまり人生を趣味豊かにすることだ、と言っています。当たり前のことです。

 経済を最優先にする考え方は、略奪資本主義の世界では常識となって、半分ほどの人は疑いを持ちませんが、半分ほどの人は、やはりおかしいと思っています。それも、最大多数を豊かにする経済思想ならまだしも、一部の特権階級だけが資本を独占しており、それがますます増えるのは、正気の沙汰ではありません。豊かになることは悪いことではありませんが、豊かさが偏るのは不善です。不善が重なり、禍を招いていますが、さらに重ねると、さらなる禍を招きます。

 特権階級の人たちも、手段の自己目的化に陥っており、いわば、株やFXの取引記録や、預金残高が増える通帳を見て、数字が増えるのを喜んでいるようなもので、また時折はそれをキャッシュにして、豪勢な消費生活を束の間楽しむくらいで、人の心を動かす行ないや作品を何も産み出さない、人間の生活としては、まことに憐れむべきものです。

 他の政治や経済の実験が行き詰ってきている今、ユートピアの実験を試行錯誤してみるのも、人類全体としていい経験になるのではないでしょうか。

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参考:
津城寛文
「善い社会のビジョン
――ユートピア社会主義と
近代スピリチュアリズムのあいだ」
『宗教学論集』32輯
駒沢宗教学研究会、2013年1月

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