世間一般と同様に、私も若い頃は“無限の可能性”を信じていました。より正確には、“無限”というよりも、何をするにせよ、自分の努力次第でいかようにもなる、可能性に制限はないというような感覚だったと思います。
職業については歳月を経るにつれ選択肢が狭められていくことを承知していましたが、趣味の分野では制限があるようには感じることなく、長いこと過ごしてきました。それが年を重ねるにつれ、特に60代になってからですが、可能性という感覚よりも、出来ることには限りがあるということを強く意識するようになってきています。時間、体力・健康、経済力、様々な観点から実現出来ないだろうと思えることが多くなっています。
大好きな読書ですが、この先、読むことの出来る本の数には限りがあることを感じるようになってからは、選択に注意を払うようになりました。以前のように、「あ、面白そうだな」というだけでなく、自分が読みたい分野のもの、一回だけでなく読み返したい(と思えるような)ものを優先するようにしています。勿論、気分転換を兼ねて、読み捨て的なものを手にすることもありますが。また、新たなものばかりでなく、前に読んだものを改めて読み返すということも増えました。再読といっても殆ど忘れていることも多いし、満足・納得のいく内容であることを保証されているようなものですので。例えて言えば、“乱読”から“選読”、或いは“精読”へ、かな。
もう一つの大きな趣味である旅行についても、若い頃とは大分変わりました。
旅行は時間、体力、経済力などの観点から、海外旅行は精々一年に一度という、一般に当たり前の事実をズシンと重く感じるようになっています。以前は、その気にさえなれば年に数回でも飛び回れるような感覚でしたが。世界中を巡りたいとは元々考えていませんが、ヨーロッパには、一度は行ってみたい町が多数あるのですが、それら全てを訪ねることは今となってはあり得ないでしょうね。イタリアだけでも行きたい町が多すぎて優先順位に苦慮している有様ですから。アメリカ大陸横断ドライブも多分、実現しないでしょう、精々、西海岸をカリフォルニアからオレゴン州辺りまで北上する程度かな。
とは言え、寂しいことばかりではないです。可能性が狭められてくることは寂しいことではありますが、それだけに出来ることを精一杯楽しめるよう、一つ一つの物事に真剣に取り組む気持ちが強くなり、それにつれて「楽しいな」という感覚も強くなっているようです。外でランチをいただく時も、“真剣に”選んで、美味しく楽しんでいます。今日は失敗でしたが(涙)。「楽しいことも真剣に」、まだまだ先行きは明るい!4年前から始めたイタリア語の学び、今年になって半世紀ぶりに手にしたギターの楽しみ、どちらも継続したいし、他にも新しいことを始める“可能性”は十分ですが、さてさて・・・
職業については歳月を経るにつれ選択肢が狭められていくことを承知していましたが、趣味の分野では制限があるようには感じることなく、長いこと過ごしてきました。それが年を重ねるにつれ、特に60代になってからですが、可能性という感覚よりも、出来ることには限りがあるということを強く意識するようになってきています。時間、体力・健康、経済力、様々な観点から実現出来ないだろうと思えることが多くなっています。
大好きな読書ですが、この先、読むことの出来る本の数には限りがあることを感じるようになってからは、選択に注意を払うようになりました。以前のように、「あ、面白そうだな」というだけでなく、自分が読みたい分野のもの、一回だけでなく読み返したい(と思えるような)ものを優先するようにしています。勿論、気分転換を兼ねて、読み捨て的なものを手にすることもありますが。また、新たなものばかりでなく、前に読んだものを改めて読み返すということも増えました。再読といっても殆ど忘れていることも多いし、満足・納得のいく内容であることを保証されているようなものですので。例えて言えば、“乱読”から“選読”、或いは“精読”へ、かな。
もう一つの大きな趣味である旅行についても、若い頃とは大分変わりました。
旅行は時間、体力、経済力などの観点から、海外旅行は精々一年に一度という、一般に当たり前の事実をズシンと重く感じるようになっています。以前は、その気にさえなれば年に数回でも飛び回れるような感覚でしたが。世界中を巡りたいとは元々考えていませんが、ヨーロッパには、一度は行ってみたい町が多数あるのですが、それら全てを訪ねることは今となってはあり得ないでしょうね。イタリアだけでも行きたい町が多すぎて優先順位に苦慮している有様ですから。アメリカ大陸横断ドライブも多分、実現しないでしょう、精々、西海岸をカリフォルニアからオレゴン州辺りまで北上する程度かな。
とは言え、寂しいことばかりではないです。可能性が狭められてくることは寂しいことではありますが、それだけに出来ることを精一杯楽しめるよう、一つ一つの物事に真剣に取り組む気持ちが強くなり、それにつれて「楽しいな」という感覚も強くなっているようです。外でランチをいただく時も、“真剣に”選んで、美味しく楽しんでいます。今日は失敗でしたが(涙)。「楽しいことも真剣に」、まだまだ先行きは明るい!4年前から始めたイタリア語の学び、今年になって半世紀ぶりに手にしたギターの楽しみ、どちらも継続したいし、他にも新しいことを始める“可能性”は十分ですが、さてさて・・・