カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

HIVであることを。

2017-02-09 18:11:32 | Weblog

昨日の朝はロレットの学校に行った事もあり、その後十時にバーニーはホープとのアポイントもあり、私は一人で、いつもより少し遅く病院の訪問をし、他のみんなは駅を回り、私は病院を終えてから、集合場所に向かった。
その前にプジャーに検索結果を伝えに行った。
私はためらいながらも、ゆっくりとプジャーにHIVを保持している事を伝えた。
プジャーはHIVを知っていた。
プジャーは驚いた様子もなく、ただ静かに受け容れた。
だが、昨日出来上がるはずだったレポートが出来上がらず、ブラザーの施設には金曜日に運ぶ事を伝えた。
そして、そこに一生居なくてはならない事も、薬を飲み続けなくてはならない事も伝えた。
「サーブ ジュボン(人生のすべて)をそこにいるんだよ」
「分かった、サーブ ジュボン居る」と言ってくれた。
だが、プジャーも友達に会いたくなる事だろうし、施設内だけの生活には息苦しくなる時もあるだろう、それも胸が痛くなった。
でも、プジャーにもこうも言った「男がたくさん居る」と。
すると、人懐っこい、色気のある笑顔を見せた。
プジャーには女性の服の着用を許可してくれるようにブラザーに頼むつもりである。

私はプジャーは自分がHIVだと知っていたのではないかと思う。
と言うのは、ヒジュラーは一人では行動しないものである。
プジャーはHIVになり、他のヒジュラーとともに行動が出来なくなったのではないかと思った。
ただの私の仮説であるが、HIVを知っていた事、驚いた様子がなかった事などから、そう感じた。

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インドの奇跡。

2017-02-09 16:44:19 | Weblog

これも昨日バーニーから聞いた事である。
去年クリスマス・イブの朝、シアルダーで服は汚れ切り、何も所持していないメンタルな母親と男の子がいて、シアルダーのボランティアに保護され、ホープの病院に連れて行った。
ヒンディーは喋れず、何を言っているのか、分からずにいたが、なんと彼らはケララから来たことがケララ出身のワーカーによって分かった。
どこをどうやってシアルダーまで辿り着いたのかは分からないが、帰りたいと思っただろうが、言葉が分からないため、ひたすらに列車に乗り、ようやくシアルダーに辿り着いたのだろう。
母親の様態が良くなり、シャンティダンで過ごすようになった。
私たちはいつか誰かがケララまで彼らを送らなければならないだろうと言っていた。
それがなんとケララの警察が彼らの父親をケララから連れてきて、今夜十一時の列車でケララに帰ると言う事だった。
このインドで、こんな事がほんとうにあるのだろうか、私には信じられない話しであったが、バーニーから父親をまじえた親子三人の写真を見せてもらった。
どれだけの日々を掛けてケララからシアルダーまで着たかは分からないが、インドの端から端である長い距離を相当な日数を彷徨い続けて来た事だろう。
その間、食べ物を集める事など出来ない母親のためにずっと男の子は食べ物、食べられる物を探し、また拾い、どうにか母親に与え続けて来た。
行き倒れになり、野垂れ死になっても不思議ではなかった母と子であるが、奇跡は起きた。

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ショートメール。

2017-02-09 16:39:19 | Weblog

さっきバーニーから嬉しいニュースのショートメールが届いた。
未だショートメールの返信の仕方が分からないので電話をした。
ちなみにスマホの電話の出方も最初は分からなかったぐらいなので、まだ当分ショートメールの返信は分かりそうにない。
そのことはさておき、嬉しそうなバーニーの声が聞けた。
今日、バーニーは木曜日だが、シアルダーに午後に向かった。 
昨日、私とロレット修道会の女学校に行った。
三家族四人の子供をその学校に通わせるためにロレットのシスターと会った。
シスターと来週の水曜日に帰るバーニーのスケジュールが合うのが今日だけしかなく、ボランティアは休みの日であるがバーニーはシアルダーに行った。
ロレット修道会はマザーがいた修道会である。
お金持ちの子もいるが、ここには貧しい家庭の女の子も受け入れ、フリーで学べ、寝泊り、食事、制服なども与えられる。
二時に母親と子供たちとロレットに行く予定になっていたが、嬉しいニュースと言うのは、この事ではなく、病院にいるハンディキャップの男子を退院させ、ホープの病院に引き受ける事の許可がようやく降り、ホープの救急車が今病院に向かっているとの事だった。
私たちシアルダーのボランティアは毎朝二人、その男の子の着替えをして来た。
一人で食事はどうにか出来るが、排泄は垂れ流し、朝行くと糞尿でびしょびしょになっているのを着替えさせ、食事を与え続けて来た。
話すことも出来ず、家族も居なかったので、どうにか引き受ける事が出来ないか、と病院に話しに行ったが、許可がずっと降りず、失望のうちに無駄骨を折ってきた。
それが今日になって、ようやく引き受ける事が出来るようになり、まずホープで一時引き取り、これから男の子が滞在出来るMCの施設を探す事になる。

バーニーから、こうした連絡が来る事も、あともう少しで終わる。
その寂しさは何度も味わって来たが、また味わうのかと、電話を切った後にしみじみと思った。
私にはバーニーのように働けない、またバーニーもある部分では私のように働けない、互いの欠けるところを私たちは補いながら、美しいものを魅させてもらっている。

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