ELEVEN HOUSE

北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2017.1 シュピーレンで行く卑弥呼の墓

2017-02-01 23:33:04 | キャンピングカーの部屋
 もう2月になってしまいました。服喪中で初詣のない初めてのお正月でした。それでも、僕のことですから、ちゃんと思い出を一つ作りました。

 お正月にNHK「英雄たちの選択スペシャル」を観てたら卑弥呼の墓を見に行きたくなった。邪馬台国に卑弥呼・・・子どもの頃から興味があったし、若い頃には、老後は邪馬台国を見つけに放浪の旅に出ようと思っていたほどだ。
 卑弥呼のいた邪馬台国があった場所は九州説(佐賀周辺説と高千穂周辺)、畿内説、比較的新しい岡山説が有力とされている。その中の、機内説が正しいとしたら、その場所は奈良県桜井市の箸墓古墳らしいとのことだ。
 こういうときは、キャンピングカー「シュピーレン」の出番だ。キャンピングカーなら、土曜日のお昼頃にぶらっと出かけて、暗くなったらどこかで寝ればいい。
 ちなみに、卑弥呼がいた邪馬台国があった場所は、僕は畿内説が正しいと思ってる。後に蘇我氏や物部氏などの有力な豪族が出てきたことや数多くの古墳などいくつかの理由はある。書き始めたらきりがないくらいだ。そして、なんと言っても言葉の音(おん)が理由の一つに挙げられるのは畿内説だけだ。邪馬台国~大和国…ヤマタイ~ヤマト。言語学的にもあり得る変化だ。そう思いを巡らせているとわくわくしてくる。
 邪馬台国…卑弥呼。ロマンに満ちている。

<1月9日>
 卑弥呼の墓を見た。満足~。
10時30分頃に自宅を出て、東海環状道~伊勢湾岸道~東名阪道~を走り、亀山DIで休憩を兼ねてお昼にしました。三重と言ったら松坂牛ということで、松阪牛の牛丼でお腹を満たした。そして、さらに名阪国道を西に向かった。
 天理東インターで出て、桜井を目指し南に向かい、2時少し前に卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳に着いた。
 目の前には立派な前方後円墳。これが卑弥呼の墓かと思うと、気持ちが高まってくるのが分かる。大和時代以前の幻の大国、邪馬台国。その女王がここに眠っている・・・。
 宮内庁の管理のもと、中には入れないようになっているが、周囲をぐるっと歩くことができるよう簡易的だが歩道が整備されている。歩いて回ると、前方と後円のくびれがはっきりわかる。
 宮内庁の管理のため市も手をつけていないので、古墳と知らないで見ればこんもりとした二つの森のようにしか見えない。変にいじらないのもなんとなく神秘的でありかなあと思った。
 すぐ脇のお洒落なカフェでコーヒータイム。店の人の話では、卑弥呼の墓かどうかはわからないが、周りに3世紀中頃の大規模な建物跡が発掘されたことと、箸墓古墳が卑弥呼が死んでしばらく経った3世紀後期に造られた大型の前方後円墳であることから、卑弥呼の墓ではないかと言われているとのことだった。
 箸墓古墳周辺にはいくつかの古墳がある。せっかくだから、すぐ近くの小規模な前方後円墳を見に行った。箸墓古墳と同時期の古墳なので、きっと卑弥呼の側近の偉い人の墓だろう。周辺にあるいくつもの古墳も、きっと邪馬台国で重要な役割を果たしていた人の墓だろうと勝手に想像したりした。
 詳しく知りたかったので、桜井市の資料館にも行ってみた。
 箸墓古墳周辺には何十個も大小様々な古墳があり、土器や埴輪をはじめ、銅鐸に鏡、勾玉などもたくさん出土している。それらを見ていると、ひょっとしたら本当にここが邪馬台国だったかもしれないと思えてくる。ただ、市の資料館には邪馬台国とか卑弥呼を強調するようなことは示されてなかった。桜井市は、ちょっと控えめかも。
 夕方になり、明日香村の村営「太子の湯」に行き、ゆったりとお湯に浸かった。もちろん、古墳や資料館で見た出土品を反芻しながら。「太子の湯」は天然温泉ではないが、思いっきり足を伸ばしてお湯に浸かっているののは本当にいい気持ちになる。施設は新しく近代的なきれいなお風呂だが、村営の福祉施設なので入っている人は地元のお年寄りばかりだった。

 近くのコンビニで晩ご飯の食料を仕入れ、宿泊を予定していた大淀町の道の駅に向かった。着いたのは6時半。今夜のメニューは鍋焼うどんだ。夫婦で鍋をつつきながらの晩ご飯も、キャンピングカーだからこそできる。
 熱々のうどんで身体の芯まで温まった。お湯を沸かし、食後のコーヒーを飲み、なんとも言えないほどリラックスしたひととき。小型のキャンカー・シュピーレンでも、夫婦2人がくつろぐには十分な広さがある。
 念願の卑弥呼の墓と言われている古墳を見て、シュピーレンの中でごろごろして、満足満足・・・。





<1月10日>
キャンピングカー「シュピーレン」のベッドルームは快適そのもの。決して広くはないけど、FFヒーターで室内はぬくぬくで、シュラフの脇を開けてもまだ暖かいくらいで朝までぐっすりと眠ることができました。

 6時に起き、顔を洗いに外に出ると、農家の人の早いこと。軽トラで新鮮な朝とれ野菜を搬入していました。びっくりしたのが、巨大白菜です。普通の白菜の3倍はありそうなでっかい白菜が並んでいました。ほとんど目が点でした。
 朝ごはんは、パンとスープ、そしてコーヒーです。シュピーレンの中で食べる朝食は特別においしく感じられます。ただ、食事をしていたら雨の音が…。しかも、しだいに本降りになってきました。
 2日目はあいにくの雨降りになってしまいましたが、せっかくなので明日香の古墳巡りをしました。
 まずは石舞台古墳。蘇我馬子の墓と言われている古墳です。ずっと前に訪れたときは丘の上にあったような気がしましたが、その後の発掘ではっきりとした方墳の上に巨大な石室が露出していました。資料では上部が円墳になっていたとのことですが、建築途中で蘇我氏が滅び、作りかけの状態で元々上部はなかったという説もあるそうです。

 次に行ったのがキトラ古墳です。誰の墓かははっきりとは分かっていないようですが、細かく描かれた壁画に、天井の天文図、そして正確な方位と、600年代末期の高度な文化に思いっきり驚いてしまいました。

 続いて高松塚古墳。700年代初期の古墳で、古墳文化としては末期のものだそうです。壁画の色使いは美しく、当時の日本にはなかったと思われる優れた顔料が使われていることから、遣隋使、遣唐使以来、大陸との交流も盛んになってきたことがうかがわれます。
 最後に行ったのが飛鳥寺です。蘇我馬子が建立した日本最古の本格寺院とのことでした。
 明日香村から桜井市に入った辺りでお昼になりました。桜井市と言えば三輪そうめん。最も有名な三輪そうめん山本で昼食をとりました。
 にゅうめんがとても上品な味で、生まれて初めてそうめんを高級品と思いました。お土産にはそうめんの他に地元の柿の葉ずしを買って、店を出ました。
 天理東インターから名阪国道に入りました。しばらく走っているうちにだんだん睡魔に襲われてきました。とうとう眠気に耐えられなくなり、伊賀でシュピーレンをベッドルームにし、30分ほど仮眠して東名阪に入りました。伊勢道からの合流で渋滞気味にはなっていましたが、高速道路を比較的順調に走ることができ、午後4時頃には家に着きました。東名阪はもう少し遅い時間帯になると四日市ジャンクションと豊田ジャンクションで激しい渋滞になるのです。
 晩ごはんはもちろん、桜井の三輪そうめん山本で買った柿の葉ずしです。
 それにしても古墳はおもしろくてたまりませんでした。なにしろ、謎だらけなのですから。日本の文字文化は遣唐使以降で、それ以前は渡来人が使っていたくらいでほとんど当時の文書による記録がないのです。造られた年代と出土品からの推測からある程度は明らかになってはいるのですが、本当のことは分からないのです。そこにすごくロマンを感じます。
 なんだかちょっと古墳にのめり込みそうなキャンカー旅になりました。
コメント (8)
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