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北海道だ~い好き❤バイクはカワサキ☆クルマはレクサスCTとタウンエース(キャンカー)とジムニー☆キャンプと鉄道も好き

2014.3 スイッチバックで登る箱根登山電車

2014-04-03 23:58:08 | ローカル鉄道の部屋
 

2月に銚子電鉄で「てっちゃん」の世界に足を踏み入れてしまった僕は、勤務先の大学の卒業式が終わって一区切りついたところで有休を取り、またまた電車に乗りに行ってきました。
 今回は箱根登山鉄道の一人旅です。スイッチバック式の登山電車に興味津々ということDscf7534
で選びました。
 川崎で前泊し、3月20日の朝9:15発の特急「踊り子」に乗ってJR川崎駅から小田原に行きました。快速に乗ってもそれほど所要時間は変わらないようでしたが、まだ古い車輌を使っているということで特急「踊り子」に乗ってDscf7536
みたかったのです。なんと、窓を開けることができる客車でした。
「以前はみんなこんなふうになってたなあ。」
 こういうふうに懐かしむ瞬間が楽しいのです。
 特急「踊り子」は、10:00に小田原駅に着きました。すぐに箱根登山鉄Dscf7558
道の赤い車輌が目に飛び込んできました。新しい電車で、普通の通勤電車と同じように見えましたが、赤い登山電車と同じカラーリングがとても映えて見えました。
 一度、ホームを出て、箱根登山電車一日乗車券を買いました。「トコトコ切符」と名付けられ、1500円で小田原~箱根湯本、箱根湯本~強羅の登山電車、強羅~早雲山の箱根登山ケーブルカーが一日乗り放題の切符です。これはかなりおDscf7542
買い得な切符だと思いました。
 再びホームに入り、まずは登山電車の始発駅の箱根湯本に向かいました。
 箱根湯本駅周辺は立派な温泉街でした。この日は朝から生憎の雨。温泉街の散策をせずに、すぐに登山電車のホームに行きました。平日だというのに、ずいぶん混み合っています。ホームにいた比較的新しい1000系か2000系の2両連結の車輌はほぼ満員で、座ることができそうもありません。そこで、次の電車を1輌目の一番前の扉のところで待つことにしました。20分に1本の割で出ているので、待ち時間は僕が普段利用している名鉄豊田線とほぼ同じです。首都圏の山手線利用者には耐えられない待ち時間かもしれないなあと思いましたが、そこは地方都市在住者の僕ですから、20分はたいした待ち時間ではないのです。
 そしてやってきた電車は旧型車輌のモハ2型。もちろん、子どものように一番前に座り
ました。運転席は真ん中にあり、かわいいワイパーが作動しています。その動きが、僕の趣味の愛車ローバーミニとよく似ていて、ノスタルジックな雰囲気が感じられました。このときだDscf7553
けは、雨降りでよかったと思いました。昭和30年代の電車です。ミニが発売されたのも30年代。それで、どこか共通した雰囲気を感じたのかもしれません。
 いよいよあこがれのスイッチバックです。突き当たりのような所で停車すると、運転士さん
は2本のレバーを手に、外に出て後ろに向かって走っていきました。すると、車掌さんが運Dscf7549
転席にやってきて、「しばらくお待ちください」のアナウンス。次に、すぐ隣の線路に電車がやってきました。山から下りてきた電車です。2台が平行に並ぶと、僕の乗っていた電車が動き出し、急な坂をバックで登り始めました。実際にはバックで登っているのではなく、一番後ろだった車輌がここで先頭車両になったということです。一番前に座っていた僕は、ここからは一番後ろの席に座っていることになったのです。おそらく、僕が乗っていた電車が坂を登り始めたあとに、隣に停まっていた電車が動き出し、坂を下っていったのでしょう。
 終点の強羅駅までに、このスイッチバックが3回ありました。2回目のスイッチバックが終わると、再び僕は先頭に座っていることになりましたが、3回目では最後尾に座っていることになりました。3回目のスイッチバックがすむと、線路が急カーブだらけになりました。急な上り坂の急カーブ。一番後ろにいたので、「よくこんな急なカーブを電車が曲がれるものだ」と感心Dscf7554
してしまうくらいのきついカーブの連続がよく分かりました。まさしく登山電車です。きっと、ホイールベースが普通の電車よりかなり短いのでしょう。ん?電車でも前後の車軸間の長さをホイールベースというのかなあ。
 古い登山電車を楽しんでいるうちに、終点の強羅駅に着きました。傘をさして駅舎の外に出ると、数件の土産物屋さんがあって、ちょっと先に旅館。土産物屋さんの間の路地にはそば屋と「日帰り温泉」ののぼり。散策するほどの所ではなさそうでした。箱根登山ケーブルカーへの乗換駅という感じがしました。そこで、ケーブルカーに乗って、山頂駅の早雲山で昼食にしようと決めました。
 ケーブルカーは、当たり前ですが平行四辺形のヘンな形です。平行四辺形の出入り口から入ると、床は階段状でシートも段差があって、やっぱりヘンです。このヘンさ加減がなんとも言えません。ケーブルカーは「山に登るぞ」という気合いが感じられる電車なのです。
 ケーブルカーもほぼ満席でした。ただ、飛び交う言葉が日本語ではない。日本人に見えてDscf7555
いましたが、実は台湾か中国の人たちで満席だったのでした。
 ケーブルカーは、いくつかの駅に停まりましたが、それでも10分ほどで山頂の早雲山駅に着きました。
「あれっ、なんにもない。売店とロープウェイ乗り場だけの駅?」
 雨の中、外に出てみましたが、店らしい建物はなく、景色を眺めても真っDscf7556
白で何も見えなく、僕にとってはなんともつまらない山頂駅でした。美しい景色はあきらめていたものの、せめてお昼ご飯くらいは箱根らしい料理を食べたいと思っていたのに、どうしたものか。
 駅員さんに聞いてみても、
「食べるものと言ったら、売店の焼きそばかパンくらいですよ。」
と、冷たい言葉。仕方がないので、売店に入り、パックに入った富士宮風焼きそばを買い、Dscf7557
ベンチに座って食べました。売店の方の、
「おいしいですよ、この焼きそば。」
という明るい声と笑顔がせめてもの救いでした。
 パックに入った富士宮風焼きそばは、店員さんが言われるとおり、確かにおいしかったのですが、なんだかわびしさのようなものも感じていました。それでも、そこそこお腹もふくれるもので、腹八分目と言い聞かせてケーブルカー乗り場に向かいました。
 せっかく山頂駅まで着たので、鉄道グッズをちょっとだけ買いました。
 坂を下りるケーブルカーは、天気がよければ目の前に絶景が広がっているはずです。今回の旅の目的は「電車に乗る」ということですから、絶景も名物を食べることも旅の副産物。目的の電車には乗ったので、雨降りもそれほどいやなものではありません。それどころか、わずかケーブルカーで山を下る約10分の間に、
「景色が見えないなら、温泉だ。」
と、気持ちを切り替えていました。
 強羅でケーブルカーを降りると、往路で見た土産物屋さんの間の路地の「日帰り温泉」のDscf7560
のぼりを目指して歩きました。
 目星をつけておいた「吉浜の湯」は宿ではありませんが、昔ながらの温泉宿の風情が感じられる古い建物でした。券売機もなく、直接店の人に料金800円を払い、脱衣場に行きました。雨降りの平日にぶらぶらと山のてっぺんの駅周辺を歩く人もなく、客は僕一人だけ。広い湯船で思いっきり足を伸ばし、「極楽極楽」。ぬるめのお湯好きの僕にはちょっと熱めでしたが、しばらく入っているうちにちょうどいい湯加減に感じられるようになってきました。
 静かな温泉でのんびりとお湯に浸かり、ここまでの道程を反芻しながらしっかりと体を温めました。
 脱衣場で服を着ていると、廊下からキャッキャッと黄色い声が聞こえてきました。古びた温Dscf7561
泉のしいんとした雰囲気が一気に華やいだような雰囲気に変わったのです。服を着終わり脱衣場から出ると、大学生くらいの4、5人の女の子たちが女湯に向かってうれしそうな声を出しながら歩いていました。毎日大学生と接している僕は、僕の大学の学生たちもこうして仲間同士で旅を楽しんでいるのかなあと、思わず仕事のことを思い出してしまいました。お風呂上がりはいつもコーヒー牛乳と決めているのですが、ここには牛乳系は置いてなかったので、コーラを飲みながらソファーでくつろぎました。僕の大学は3日前に卒業式が行われました。女湯から聞Dscf7562
こえる黄色い声が、社会に巣立っていった学生たちの顔を頭に浮かべさせてくれるのでした。
 再び強羅駅に戻り、電車の時間を待ちました。まだ時間にはゆとりがあったので、途中下車の駅をどこにしようか考えました。湯気のわき上がる小涌谷、古い街道風情の残る宮ノ下、スイッチバック駅の大平台・・・。あらかじめネットで調べておいたことを思い出し、その中から選んだのが宮ノ下駅です。少し前にテレビの旅番組で見た「嶋写真館」に行ってみたいと思ったのが決定の一番の理由です。
 あこがれの箱根登山電車の上り箱根湯本行きに乗り込み、発車を待ちました。もちろん、早く乗り込んだのは一番前の席に座るためです。まるで小学生の頃の僕です。急坂を下っていくのに「上り」とは、感覚的になんかヘンだなあという気はしますが、全て東京に向かうのが「上り」ですから、これでいいのです。毎日通勤で使っている東海北陸自動車道も一宮JCTから高山方面に登っていくのですが、「下り」なのです。
 急坂を下る「上り」列車もなかなか迫力がありました。視界に飛び込んでくる急カーブがDscf7565


本当に超急カーブなのです。心の中で「スゲェ」を連発していました。
 宮ノ下駅で途中下車すると、駅舎の外は急な坂道。
「これを下ると、登らなあかん(登らなければならない)じゃん。」
 そうは思ったものの旧街道に出るには歩くしかありません。
 坂を下ると、なんと狭~い国道1号線。正月の箱根駅伝のコースの一部です。沿道と呼べるようなスペースもなく、ひっきりなしに走る車をよけながら歩く道でした。超豪華な旅館に、昭和初期の古い町並みが妙にマッチしている不思議な空間でした。
 雨の国道1号線の端を水たまりをクルマの水しぶきを避けながら10分ほど歩くと、お目当ての嶋写真館がありました。営業はしていませんでしたが、店頭のガラスケースにはセピア色の写真が飾られていて、夢中になって見入ってしまいました。チャップリンや戦前の皇室の方々など一世を風靡した有名人の写真も素敵でしたが、僕が特に惹かれたのは当時の乗り物が写っている写真でした。まだクルマがめずらしかった頃の、ヘッドライトが飛び出た箱Dscf7566
形の乗用車や木製ボディのクルマなど、僕の子どもの頃でさえ見たことのない乗り物が生の写真に写されているのです。写真館の建物も当時のままで、かつてはとてもモダンな店構えだったことでしょう。
 そして、駅に戻る道。国道を外れるとそこは急な上り坂。雨の中、傘をさして荷物を背負って登る道は、なんとなく気だるさを感じました。旅の終わりが近いからそう思ったのかもしれません。電車の時間まであと7分。ゆっくりゆっくり歩いていると箱根湯本に向かう上り電車が入線してくるのが見えました。
「うそっ。まだ7分もあるじゃん。げっ、僕の時計、遅れてるかも。」
 大急ぎで坂を登り、はあはあ言いながらなんとか発車前に駅に着き、電車に飛び乗りました。ところが、一向に動き出す気配はありません。僕の腕時計が遅れていたわけではありませんでした。単線のため、登りの下り列車を待つ時間だったのです。いくら慌てていてもDscf7573
やっぱり一番前に座ってしまうのは、この日ばかりは子どもの頃の僕に戻っているからなのです。
 宮ノ下駅から終点の箱根湯本駅までは30分弱。最後の登山電車の雰囲気を心に刻むつもりで乗っていました。往路では観光客でいっぱいだった登山電車も、午後2時半過ぎになると乗客のほとんどが地元の人たちでした。
 箱根湯本駅周辺は大変な混雑ぶりでした。駅前の通りはクルマが渋滞し、両側の歩道も観光客であふれていました。駅前の通りの南側には川が流れ、河原には早咲きの桜も咲いていました。まだ寒さの残るこの時期に咲いているのでおそらく伊豆の河津桜でしょう。雨に煙る温泉街と河原の桜。とても絵になる風景でした。
 歩道橋から駅を見ると、小田急のロマンスカーが入線していました。近くで見たくなり、急Dscf7577
いで駅の戻り、改札で「トコトコ切符」を見せてホームに向かいました。目の前の特急ロマンスカーは、かっこいいというより迫力があるという感じでした。あと5分ほどで発車です。
「小田原まで、これに乗っちゃおう。」
 そう思い、特急券の券売機の所へ行ったら、残念ながら売り切れの表示。一瞬思っただけなので、それほどがっかりすることもなく、次の普通電車に乗って小田原にDscf7578
戻りました。これで「トコトコ切符」区間は終わりです。
 4時前に小田原駅に着いて新幹線の改札へ行ったのですが、実は、小田原から名古屋までの新幹線が大変なことだったのです。分かってはいたのですが、小田原には一部の「ひかり」以外はすべて「こだま」しか停まりません。「こだま」は各駅停車なので、名古屋まで2時間以上もかかってしまうのです。東京からなら「のぞみ」で1時間40分ですから、距離ではなく時間だけで考えたら東京からよDscf7579
りも遠いのです。17:10発の三島で「ひかり」に乗り換えの「こだま」があったので、それに乗って帰ることにしましたが、1時間以上も待つことになりました。
 小田原駅周辺を傘をさしてぶらぶらしていると、コーヒー専門店がありました。ずっとおいしいコーヒーを飲んでなかったので、そこで一休みすることにしました。今思えば、店の名前を覚えておけばよかったと後悔しています。アンティークなDscf7581
雰囲気で、コーヒーもおいしく、電車に乗っては歩き続けた体を休ませるにはもってこいの店でした。
 ゆったりとしたひとときを過ごし、小田原駅に戻り、名物の桜エビ弁当を買って新幹線に乗りました。
 特急「踊り子」に箱根登山電車。僕の非日常の一日。あれから2週間がDscf7584
経ち、新年度が始まった今、まるで夢の中の出来事だったように感じられます。

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