フェチズム(学術的には「フェティシズム」)は、人間の生や性を考える上でとても重要な現象である。フェチズムの語源は、「性的嗜好」と訳すことができ、一般的には異性の肉体以外の部分に性的興奮を覚えること、と理解されている。また、これに似た現象として、トランスヴェスティズムというのもある。(以前、トランスヴェスティズムについて書いたことがあります)
*メダルト・ボスも『性的倒錯』という本の中で、人間の倒錯した人間の性愛について詳しく言及しており、フェチズムについても触れている。また、ケープザッテルも『フェティシズムについて』という本の中で、詳しくフェチズムについて論及している。シュトラウスも注目に値する。
フェチズムは、あくまでも性的嗜好であり、他者への愛とは違う。が、そのものへの愛情はとても強く、嗜好というだけあって、やみつきになるものなのだろう。時に、その傾向が強くなると、例えばセクシャル・アスフィシャル(性的窒息)といった異常行動に関心を抱くようになったりする。人間について考える際に、こうしたフェチズムは避けても避けられない重要な現象であると僕は考えている。
そもそもフェチズムは、主に男性において見られる現象なのだろうか。男性は概して「こだわり」が強いせいか、性的な面においてもそうした傾向が多々見られる。僕的には、男性に特徴的な傾向だと考えていた。
そこで、「男性の部分で惹かれるところはあるのか?」、「フェチズムは女性でもありうることなのか?」という問いを一部の学生に投げかけてみた。(ふざけた気持ちでではなく、大真面目に)
そうしたら、以下のような回答が得られた。
●坊主頭~スポーツ狩り
●腕の筋や血管
●うでの血管(ずっとながめていたい、とのこと)
●ジョリジョリしたひげをさわる
●男子高校生の制服
●マッチョな肉体
●警察官の服
●クロネコのお兄さんの服
ヘアースタイルや、肉体の部分、服などに嗜好的な傾向がある、ということが垣間見えるような回答だった。その人の「人格」ではなく、「部分」や「衣類」に着目する視点は共通しているようにもみえる。
ただ、そうはいっても、おそらくそうした性的嗜好をコレクトしたり、それにこだわり、固着する女性は存在しないのではないのだろうか。(僕はこの点にはとても無知なので、知りたいと思う)
『快楽殺人の心理』という本の中で紹介されている犯罪者もすべて男性であった。やはり男性の方が特定の「部分」に強烈な嗜好を抱きやすいのではないだろうか。
メダルト・ボスの『性的倒錯』の中でも、取り上げられているのは、毛革フェチストのコンラード、糞便愛好のリコ、露出癖のオイゲン、サディストのエリッヒ etc(窃盗癖のエリカ・ペスナーは除く・・・窃盗癖は女性においても見られる!)、男性ばかりである。
また、このことを裏付ける以下のような意見もあった。
「男性はマニアックな人が多いけど、女性は、特定の好きな人の物だったら何でも欲しくなると思うのです。誰のでもいいというのではなくて、その人のものが欲しいんです。男性は誰のものでもいいんですよね? そこが違うと思います」
これは説得力があった。女性にフェチズムが結びつかないのは、女性が「特定の人」への強い関心があり、逆に男性は、そのものを重視し、個別性を度外視することができる、ということなのだろう。
ただ、そうはいっても、特定の「部分」や「衣類」に強烈な性的嗜好をもつ女性というのも存在するのではないだろうか。しかし、存在すると言い切れるほど自信はないし、根拠もない。やはり謎のままなのだ。
人間の奥底に潜んでいるもの。日常の仮面をつけた表情の下にあるもの。そうしたものは、決して否定されるべきものではないとは思う。だが、それが度を越えると猟奇的な事件になってしまう(恐れがある)。考えても考えてもきりのない問題の一つでもある。