Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

幸山政史前熊本市長が「ゆりかごの10年」について語る!

今、熊本のホテルにいます。

昨日、慈恵病院にて、幸山政史さんの講演が行われました。

僕としても、当時の市長であった幸山政史さんのお話は是非聞いてみたいと思っていました。

10年前の熊本市の行政のトップが、なぜ「ゆりかご」の許可を出したのか。

その時に、彼は「ゆりかご」をどう思っていたのか。

今後、行政と匿名支援の実践の「コンフリクト」はますます強くなっていきそう。

行政を敵にまわすのではなく、どう「協働」していけばいいのか。

色々なことが学べました。


 

幸山さんの講演の内容を、ざっとまとめます。備忘録的に。

①10年前にスタートした。今は、慈恵病院に対しては、感謝の気持ちを伝えたい。

②懸念しているのは、「風化」。今回の講演で、幸山さんは何度も何度も「風化」という言葉を用いていた。「問題は残っているのに、ゆりかごは忘れ去られていく」。「もう一度、母子をとりまく様々な課題について向き合う必要がある」、と訴えた。

③元熊本市長として、問題提起は続けたい。課題は山積。11年目以降の方向性についても、共に考えたい。(現在慈恵病院で働く人の約半分?くらいの人が、ゆりかご設置以後に働き始めていることを聴いたうえで)ゆりかごについて、じっくりと語りたい。

以上の点を話した上で、本題へ。

④10年前(厳密には11年前)、幸山さんは「新聞の報道」で、ゆりかごのことを知ったという。その前に、既に蓮田太二先生が警察に相談に行っていたが、幸山さんには知らされていなかったそうだ。2006年10月に蓮田先生が警察署に相談しに行き、同年12月に、ゆりかご設置を記した「変更許可書」を行政側に提出。この時は、やはり「驚いた」そうだ。

⑤「変更許可書」をめぐり、幸山さんも相当悩んだということが語られた。「条約や法令に照らし合わせて、ゆりかごをどう位置付けることができるのか」。すぐにプロジェクトチームをつくり、検討を開始した。市行政内7課の協議だった。幸山さんご本人としては、「客観的な立場で、冷静に努めた」そうだ。「いい」とか「わるい」とか、一切の価値判断はせず、法的に問題はないかどうかを慎重に検討したという。「ゆりかごは、命を守るものなのか、それとも、安易な遺棄の助長につながるのか」、という疑問もあったという。が、結論からいうと、「ゆりかご設置の許可をしてはいけない理由はなかった」、ということだった。ご本人も「二重否定で、消極的な言い回しに聞こえるかもしれないが…」と言っていたが、「ダメな理由はなかった」、というのが、チーム内の協議の結論だった。

⑥約三か月ほどの協議を終えて、2007年3月~4月に、上記の「変更許可書」を受理。ただ、許可するにしても、「これから運用が始まるものの、出来るだけ使われない方が望ましい」という声明は出した。「できるかぎりゆりかごが使われないための努力も(ゆりかご運営と同時に)続けていく」、と当時言ったそうだ。そのために、慈恵病院のみならず、市においても24時間の相談体制を整え、ゆりかごに赤ちゃんを置き去る前の支援の充実を目指していったという(ただし、その結果、慈恵病院の「圧勝」で、市行政の24時間相談窓口にはほとんど相談が来ず、慈恵病院ばかりに相談が行くようになった、とも言っていた)。*ここ、重要!

⑦2007年5月10日に運用開始。そのすぐ直後に、一人目の赤ちゃんが預け入れられた。このことはすぐに幸山さんにも知らされた。市長室で聞いたと言っていた。「その時は、驚き、とても戸惑った」、という。「今後、いったい何人の赤ちゃんが預けられることになるのか。全く分からなかった」。

⑧その後も、赤ちゃんがゆりかごに預けられる日々が続いた。この時、ゆりかごの情報は、(当時、赤ちゃんポストの話題性も強くて)マスコミを通じて、どんどん流されていった。この時に、幸山さんは「危機感」を抱いたそうだ。「子どものプライバシーを守れない。このままでは、おだやかな生活を守れない。どうにかしなければ…」、と思ったという。そして、この問題を「ブラックボックス化」することも考えたそうだ。今後、どう情報を開示していけばいいか。悩んだそうだ。

⑨そして、「こうのとりのゆりかご検証会議」が行われるようになった。当初13項目ほどしか発表しなかった。今は25項目ほど発表している。預けた母親の年齢は? その母親の家庭状況は? なぜゆりかごに預けたのか? その理由は?などなど(*ただし、その理由の「項目」が極めて「官僚的」で実態と合っていないということはここで僕的に指摘しておきたい)

⑩ゆりかご設置当時、国(日本国)にも、何度も相談し、「国が主体的に関与してほしい」と請願したそうだ。何度も、「呼びかけ」を行ったという。熊本市の市長が国を相手に、呼びかけを続け、「一緒に考えましょう」と提案した。が、国からの反応はなし(幸山さんはここで何も触れていないけど、当時の首相は安倍さんだった)。この10年、国は、ゆりかごについて、ずっと沈黙を守っている。とはいえ、この問題に国が安易に口出しするのもどうかと思うが、幸山さんとしては、国の見解を強く求めていた、ということらしい。

⑪以上のことを踏まえて、今後の課題を三つ提起したい。

1.法的な課題:ゆりかごは、違法ではないにしても、この10年、とても不安定な運用を続けていることは間違いない。慈恵病院の皆様のご努力によって続けられている。ゆえに、法的な安定性が求められる。

2.匿名性の課題:匿名性がゆりかごの大きな柱ではあるが、その匿名性ゆえに、「出自を知る権利」が脅かされているのも事実。ここで、幸山さんはドイツの現状にも触れ、「ゆりかごに代わる内密出産」という選択肢も必要なのではないか、と語った。僕個人的には、「内密出産(秘密出産ではなく)」と言ってくれたことが嬉しかった。

3.母子の安全面での課題:ゆりかごに預けられた赤ちゃんの約6割が、治療を必要とする赤ちゃんだった(*障害に限らない!)。「低体温」「低体重」だったという。また、データを見ると、全体の43パーセントほどが「医療機関外での出産」であり、自宅出産・車中出産等、極めてリスクの高い出産を行っていることが大きな課題となる。

⑫ゆりかごに預けられた赤ちゃんの「その後」について、すなわち「社会的養護」についても、もっと考えなければいけない。里親制度の充実は欠かせない。熊本は、社会的養護における里親委託率がとても低い。近隣の福岡県と比べても、熊本は大きく引き離されている。今後、社会的養護をどうしていくかについても考えなければいけない。


 

今回は、他のお仕事もあり、質疑応答はありませんでした。

が、僕的にどうしても聴きたいことがありました。

それは、「もし、蓮田先生が、変更許可が下りない段階で、ゆりかごを(いわば強引に)設置していたら、当時、市長としてどういう対応をしていたと考えられるか?」、ということでした。講演が終わった後に、直接、この質問に答えていただくことができました。とても重要な答えを頂くことができました。幸山さんにしか答えることのできない問いだったし、幸山さんにしか出せない答えでした。

なお、今回の講演については、幸山さんのウェブサイトでも、ご本人の文章を読むことができます。よろしければ、この文章の箇所をクリックしてみてください

今回、「行政の(当時の)トップ」と「ゆりかご設置者蓮田先生」の「対話」も若干ありました。「行政トップ」と「市民的実践者」がどうかかわっていけばよいのか、どうつながっていけばよいのか。その可能性を感じる一瞬でもありました。蓮田先生と幸山さんのあいだに、「見えないきずな」みたいなものもうっすらと感じました。

ゆりかごの元になった「BABYKLAPPE」の創設者ユルゲン・モイズィッヒが好んで使っていた言葉を思い出します。「制度への長征」。これは、67年の学生闘争の際に用いられたスローガンです。一気に政治や制度をひっくり返すのではなく、じわりじわりと制度に働きかけ、その内側から変えていく・変革していく、という思想です。

市民的活動・市民的実践は、たびたび従来の行政の枠組みから飛び出てしまいます。それに対して、行政は「法的側面」から、それを「抑制」しようとします。でも、それを責めても何も変わらない。粘り強い交渉、対話、介入が必要となります。逆に言えば、制度への長征以外に、道はないと考えた方がスマートかもしれません。一気に社会を変える、というのは、聞こえはいいけど、そのリスクは膨大に高いわけです。「革命」なんて、誰ももう言わないでしょう。(平成維新の会とかいう恐ろしい名前の政党はありますが…)維新も、革命に似たようなものです。

藤野寛さんが、「『承認』の哲学」という本の中で、いいことを言っていました。

「…全体を、一挙に、否定から肯定へと逆転することなど、できることではないし、仮りにできるとしたら、ろくなことにはならない。必要なのは、部分における闘いだ。個人のレベルにおける闘いも、それはそれで立派な闘いなのであり-「プチブルの悩み」などと一蹴されてはならない-過酷な闘いでもあるのだ」

そう、部分における闘い。この10年間、ゆりかごは、とても小さな問題(匿名の母子の命の問題)を提起したが、それこそが、ある意味で、最も正当な今日的な闘い方なんだと思う。ここに、市民的闘いの一つのモデルが示されているように思う。

そして、そんな部分的な闘いから、社会の在り方を問い直し、そして、社会の一部を修正していく。その努力を続けていく。しかも、一個人のカリスマ性や一個人の尽力に留まらないで、行政(そのトップ)も同時に巻き込んで、みんなで社会をよりよくしていく。そういう努力は、実は意外とシンプルにできるんです。みんなの力で。

蛇足ですが、僕も考えたら、今、千葉市長さんに働きかけて、(ゆりかごとは別の)あるプロジェクトを企図しています。もうGOサインも出ています。この夏に、そのプロジェクトが本格的に動き始めます。そこでも、僕は「ゆりかご」の話をするんでした。千葉市長さんは、きっとこういう背景があってのあのプロジェクトだとは気付いていないとは思いますが、僕は僕でできる「制度への長征」を続けたいと思います。もちろん、僕の基本は「学問」なので、学問領域の中でも、これからも長征を続けます。無知の知を自覚して…苦笑

今回は、TVカメラも二台入っていました。

行政、市民、そしてメディア(あと、その片隅に学者)。

みんなで、よりよい社会を作るために、すべての人が安心して暮らしていける社会を目指して、頑張っていければいいなぁって思います。

アクセル・ホネットの言う「愛・法・連帯」が一つになって、ムーブメントになっていくことが、「承認をめぐる闘争」ですからね。ホネットがそういう闘争の理論家だとすれば、モイズィッヒや蓮田先生は、その闘争の実践者ということになるのかな!?

明日は、熊本市内某所で、とてもユニークなシンポジウムが行われます。「反骨の市民的実践者」が集結します。ロックも「ロック」ですが、反骨の市民的実践者のシンポジウムも「ロックなLIVE」のような気がしてなりません。

今から楽しみです♪

コメント一覧

h.k.
部分的な戦い
毎回ラーメン記事を楽しく読ませていただいています。こうのとりのゆりかご を巡って、行政のなかで、さまざま部分的戦いがあったのだと知りました。ご紹介ありがとうございました。部分的な戦い、よい言葉ですね。ぜひシェアさせてください。
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