先週の経済紙に「新卒が来ない」という連載が載っていました。いわば売り手市場状態であり、企業はあの手この手で新卒者の確保に奔走している様が書かれていましたが、自分が就職活動をしていた頃も売り手市場であり、あれこれ「おもてなし」があったことを思い出しました。されど歴史は繰り返すとよく言われます。私の就職後に訪れた就職氷河期がまた来るのでしょうか?
二戸彷徨の9景目です。私が二戸祭りを眺めたのは馬淵川の支流である白鳥川に架かる橋付近でした。白鳥川は谷を深く刻んでおり、川べりからは急坂が上がってきて橋の北側で合流しますが、そこに置かれていた「追分石」が、本日の1枚です。
この追分石は1775(安永4)年に福岡通代官だった大巻勇介によって建てられ、「左もりおか右白とり」と刻まれています。白鳥とは川の名でもありますが、二戸市福岡地区から白鳥川の遡った上流の地域名でもあります。
(無造作に置かれた感もある追分石 -二戸市福岡 2014/09/05-)
元々急坂の下にあり、そこで奥州街道と白鳥への道が分岐していたそうです。ということは私が二戸まつりを眺めた橋は当時無く、行き交う人々は一旦谷底まで降りて白鳥川を渡っていたことになるのでしょうか?そうだとすれば白鳥川越えは大変だったことと思います。
谷の深さを実感できるような1枚を撮ってくればよかったと、ちょっと残念がっています。
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2013/10/05の一品・・・1701)のりこえるの歌(国替え2013)4番
2012/10/05の一品・・・1464)秋雨の富津 10景目(内裏塚古墳群)
2011/10/05の一品・・・1098)えっ?今日は何曜日?
2010/10/05の一品・・・798)ベイスターズを見に行こう!
2009/10/05の一品・・・お休みでした
2008/10/05の一品・・・371)岩手散歩 紫波町(陣ヶ岡森)
2007/10/05の一品・・・052)栃木散歩 栗山村(現日光市) 野門東照宮
二戸彷徨の9景目です。私が二戸祭りを眺めたのは馬淵川の支流である白鳥川に架かる橋付近でした。白鳥川は谷を深く刻んでおり、川べりからは急坂が上がってきて橋の北側で合流しますが、そこに置かれていた「追分石」が、本日の1枚です。
この追分石は1775(安永4)年に福岡通代官だった大巻勇介によって建てられ、「左もりおか右白とり」と刻まれています。白鳥とは川の名でもありますが、二戸市福岡地区から白鳥川の遡った上流の地域名でもあります。
(無造作に置かれた感もある追分石 -二戸市福岡 2014/09/05-)
元々急坂の下にあり、そこで奥州街道と白鳥への道が分岐していたそうです。ということは私が二戸まつりを眺めた橋は当時無く、行き交う人々は一旦谷底まで降りて白鳥川を渡っていたことになるのでしょうか?そうだとすれば白鳥川越えは大変だったことと思います。
谷の深さを実感できるような1枚を撮ってくればよかったと、ちょっと残念がっています。
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