ひすいこたろうさんの『心が折れそうなときキミを救う言葉』を読みました。
「歴史に名を残す偉人たち約30名以上の人生復活劇を収録」という言葉に惹かれて購入したのですが、す、すばらしかった。
特に、ベートーベンと宮沢賢治。どちらも、すでに知っているお話だったけど、それでも、やっぱり、すごかった……!!!
ベートーベンは、6年をかけて聴覚を徐々に失っていったのですね(涙)。
その間、耳の病気をひた隠しにしていたベートーベン。
それゆえに、話しかけても返事もしないと、変人扱いされていたのですね(涙)。
聴覚を完全に失った後、死ぬつもりで遺書を書いていたら、それが見事なデトックスとなって、再びウイーンへ!
その後、まったく聴こえない耳で代表作を次々に発表していったベートーベンでさえ、自ら指揮した第九の初回公演では、演奏終了後、怖くて観客席を振り向くことができなかった……。アルト歌手に寄り添われて振り向くと、そこにはスタンディングオベーションの嵐が。
やっぱり、泣けます。力をもらえます。
ベートーベンさん、心から、ありがとう!!!
そして、そのベートーベンの『運命』に大きな刺激を受けた宮沢賢治。
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「くり返し訪れる運命の表現のすばらしさ、俺もこ
ういうものを書かねば」とベートーベンの作品に刺
激を受けて、書き上げたのが、宮沢賢治のデビュー
作『春と修羅』です。
(『心が折れそうなときキミを救う言葉』より抜粋)
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生家を出て東京で暮らしていた頃は、月に3000枚の原稿を書いていたそうです!!
地質学の研究にも秀で、現岩手大学の助教授の職にも教授から推薦されていたとのこと(辞退されていますが)。音楽にも強い関心があり、作詩作曲もしていたそうで、とにかく多才だったのですね~~~
そんな才能豊かな賢治でさえ、月に3000枚の原稿を書くほどの努力をしていたなんて……(自然に文章が溢れ出てきていたのかもしれないけれど、それでも!!)。
でも、権威には、まったく興味がなくて、「人のために働く人になりたかった賢治」。
ほんものとは、まさに宮沢賢治のような人のことを言うのだなと、心から、心から思いました
わたしも「ほんもの」目指して、心を澄まし、誠実に、生き生き楽しく、顔晴ろうと、たくさんの勇気と元気をもらった本でした
逸話だと思いますが、音を聴くことができない状態で音を感じる方法として、口に歯ブラシを加えて、その微妙な振動で音を判別した…とか。
その話を聞いた頃、何よりすごいなと感じたのは、それを『楽しめる』くらい音楽が好きだったんだろうなと感じていました。
宮沢賢治は、一度国語の授業で習ったことがあります。
その時に習った題材(『注文の多い料理店』…だったかな)の印象があまりに強くて、その後本を読もうという気にはなれませんでした…。
どこか寂しさと恐さとノスタルジックな印象で、その暗さがなんとも不気味だったのを覚えています…。
本当に素晴らしい生き方をされたお二人の人生をご紹介いただき、ありがとうございました 。
夏休み明けの初出勤時に爽やかな風が心を吹き抜けました。
ありがとうございました 。
やっぱり素晴らしいですね。
ベートーベンは、耳が聴こえないからスプーンをくわえて、その振動で音をとっていたと聞いたことがあります。なんと凄まじい、そんなことが出来るのかと仰天したことがあります。
しかし、できたのでしょうねえ。
大変な短気で、腐った卵を投げつけたりするのでメイドが全く長続きせず、数日ごとに変わっていたと聞いたことがあります。彼の短気の裏には、筆舌に尽くしがたい苦しみと苛立ちがあったのかもしれません。天才ゆえの苦悩だったのかもしれませんね。
宮沢賢治は、ウッキーちゃんが書かれている通り、並々ならない努力の人であり、そして同時に溢れ出る情熱の持ち主であったのでしょう。でも、それをエゴのはけ口として行ったのでもなければ、ひとりよがりに行ったのでもないのですね。彼の作品がほんものかどうか、ということ以前に、彼の生き方や人間そのものがほんもの出会ったということなのでしょう。
メイドに腐った卵を投げつけながら創作に没頭したベートーベンは、一見身勝手で傲慢なように見えてそうではない。ベートーベンもベートーベンで、自分の才能を余すところなく表し出すという方法で、自分の生まれた意味を命がけで生きたのです。それは、最大限に傲慢な表れ方をしていながら、本当は最大限の謙遜だったと思うのです。
傲慢に見えて本当は謙遜なのか。
傲慢に見えて、やっぱり傲慢なのか。
はたまた、謙遜に見えて本当は傲慢なのか。
いろいろな場合があって、その表れはひと目見ただけではわからないくらい微妙かもしれません。
でも、ベートーベンの創作は、間違いなく人類への貢献であったのですね。
周囲に理解されようがされまいが、自分は自分の人生を誠実に命がけで生きて、生まれた意味を全うしたい。使命を果たしたいと願わされます。
ありがとうございました。
今、他の方のコメントを拝見していたら、歯ブラシだという意見もありますね。しかし、「くわえていた」というところは共通しますね (笑)
とても嬉しく思います。
とにかく、言いたいのは『ありがとう。』
このことは高校時代に読んだロマン・ロランの『ペートーヴェンの生涯』で知ったのですが、ずっと記憶から離れずにいました。
幸福と不幸を、哀しみと歓びを、あわせもつことができる。それは天才・凡人を問わず、誰もが隠し持つ「心のふしぎ」と思えてなりません。
続けてコメントをありがとうございます!
ベートーベンが音を感じるために、
一心太助さんは「口に歯ブラシ」
さくらみるくさんは「スプーンをくわえた」
という説をご存じなのですね ^^
ひすいこたろうさんの本には、ピアノの鍵盤にかじった跡があると書かれていました。
いずれにせよ、ベートーベンは、想像を絶する努力と苦闘の末にあれだけの作品を残したのですよね。
それでも音楽を捨てなかったベートーベン。まさに、凄みがありますね。
宮沢賢治の『注文の多い料理店』、わたしも小学生の頃、国語の教科書で読みました!
メニューの種類が豊富なのかと思って喜んで入ったら、逆にあれやこれやとどんどん注文をつけられて、最後には食べられそうになっちゃうんですよね ^^;
『よだかの星』は、救いのない悲しみに満ちていたり、賢治が弱者や人の悲しみにどれほど寄り添っていたかは感じられるのですが、わたしはやっぱり、悲しみを喜びに昇華させるお話の方が好きです ^^
それにしても、一月に3000枚、つまり、一日100枚もの原稿を書くなんて、神業としか思えません!
改めて、一心太助さん、コメントを本当にありがとうございました。