絆の法則

澤谷 鑛

私のかいた小節「でこぼこな道」(6)

2015-05-28 | 牽引の法則
                          杉本帆奈

はろー!
なんて言っているひまじゃないですね!

「でこぼこな道」お楽しみに下さっているみなさん、長い間公開せずに申し訳ございませんでした!!
ということで、やっと公開いたします。お楽しみいただけると嬉しいです♪

凜菜は毎日ルンルン気分で学校に来ている。
登校は、待ち合わせをしていつも一緒に行っている。

私:「凜菜。美子さんとはどうなった?」
凜菜:「それが、、、昨日の帰りに、美子さんが来てさぁ。美子さんが、『メール、返ってこないよ?どうしてかなあ?もしかして、喧嘩うってるの?根性あるわね。すごいじゃない!ふふふ。ラブレターのこと、ばらそうか?』って言ったから、私はこういったの。『いいもん!あなたなんか、元々好きなんかじゃないです!だいたい、何きどってるのよ!あなたなんか、好きになりたくてもなれませんよーだ!』って。そしたらさぁ、ラブレターのことばらまくって。」
私:「え、え、え!? どうするのよ!! 凜菜! 転校しないで!」
凜菜:「それは大丈夫よ。」

そして、凜菜は学校に到着すると、担任・磯田先生が言った。
「松川凜菜。来なさい。昼食時間・屋上に来なさい。」
私は凜菜より先回りし、凜菜を観察していた。
すると、そこに磯田先生が来た。

磯田先生:「金早軍・早川美子さんがあなたからいじめを受けていると言っていますが。これはえこひいきとかではなく、真剣な学校に関する話です。」
凜菜:「早川さん、どんなこと言っていました?」
磯田先生:「メールしても帰ってこないし、無視されたりするって。」
凜菜:「あー。その件ですか。1回話をつけたんですよ。そのときは、携帯の充電がないまま机に置いていただけなんですよ。それと、無視なんてしていません。ただの自分を守るためのウソを作っただけです。早川さんと私は、なーんの関係もないんです。そんな、いじめなんて私が受けているようなもんですよ。全校生徒。先生もですよ。私は、今後、一切早川さんと関わらないつもりです。」
磯田先生:「そうですか。そうして頂けるとこちらもありがたいことです。」

なんか、変な話になってきた。
磯田先生も美子さんも、頭クルクルパーみたい。
凜菜のいうことも信じないのね。ホントバカみたい。
磯田先生が去った後、凜菜と私は少し話し合った。

凜菜:「あーあ。私、いじめ受けてるみたい。早川さんから。お父さんも出張が終わって、秋田県に帰らないといけないかもしれないの。ごめんね香奈さん。お父さんは出張で来ただけで、それについていかなければいけないお母さんもいたからね。」
私:「えー。冗談やめてよー。本当に信じちゃうからさぁ。」
凜菜:「冗談じゃないわよ。本当よ。予定変更だといいけど。お父さんとお母さん、よく分からない性格で。。。簡単に言えば、でこぼこな性格。」

私の両親と同じだなぁ。

凜菜:「実は、1度お母さんが離婚してさぁ。元々は今崎だったの。お母さんが再婚して、松川になった。」

え、え、え? 今崎? そういえば、お父様のお兄さんが離婚したって言ってた……
                   いまざき はるお

私:「も、もしかして、その前のお父さん、今崎春生っていう人じゃない?」
凜菜:「そうそう! てか、何で知ってるの?」
私:「うちのお父様のお兄さんが離婚したって言ってたからさぁ!」
凜菜:「今はさぁ、時々会ってるの。お母さんには内緒でね。」
私:「あ、そうだ。今日ね、春生さんがうちに来てるのよ。帰りに来ない? お母さんにはお腹痛かったとかいっといてさぁ!」
凜菜:「でも、人をだますのは良くないわ。私、断るわね。じゃあ!」

あーあ、いっちゃった。
いい子すぎるんだよ! 凜菜は。

どうしてこんなことに耐えれるのかなあ? お母さんが再婚して、、、それでも平気な顔してる。
いい子にしても、ちょっといい子すぎちゃうよ!!

愛娘との再会 2

2015-05-28 | 牽引の法則
                            岩崎 裕繁

【以前、書かれたものが見つかりましたので、掲載させていただきます。 澤谷 鑛】

桜の花がまもなく満開の3月末――。
そんな、すこし暖かな日に娘の通う保育園の卒園式と進級式が行われました。
小さな公民館で手作りいっぱいの式……。豪華とはいえませんが、園の方の心が本当にこもった会場でした。

娘とは駅で待ち合わせして一緒に会場に向かいました。今回は、洋服の自慢がしたいから、ブスーッとはしていません。
この日のための自慢の洋服らしく、逢ってそうそう自慢をしていました。

のんびり歩いて会場へ・・・

他の子のご両親方もぞくぞく会場へこられました。
今回は少し紙芝居や歌を歌たったりするらしく楽しみに見ていました。

式が始まりました。
園長先生が卒業生に証書を渡すときに泣いていました。園長先生は毎年この日はすこし寂しくなり泣いてしまうそうです。
子供たちはざわざわと気にはしていない様子。

娘は春から年長組になりますのでもう1年あります。
そんな中、式がすすみ歌をうたっています。
そして紙芝居では「桃太郎」で3人でサルの役柄。
「イヌ!」  「キジ!」  「サル!!」
のときのサルのポーズは娘が考えたと自慢していました。

歌もはりきって歌っていて、自分より小さい子の面倒も良く見ていました。
眺めていて・・・
やっぱりどんどん大きく育っています。

元気にパワフルに、たまに別れた妻と言い争う姿をみてどこか安心しました。
2人でがんばって日々生活しているんだなぁと感じました。
そこでまた自分の中で、懺悔をしました。

式が終わりに近づき、別れた妻がある1人の先生を見て、
「あの先生がいつも娘を遅くまで面倒見てくれている」
といっていました。

そして式が終わる最後に園長先生が、
「実はこちらの先生が今月で退職します」
とその先生を紹介しました。

その先生が一言お礼に涙ぐみながらあいさつをしていました。
他の園児は普通に騒ぎながら気にはせず話をきいていました。

  ・・・・ただ一人

娘が泣いていました。

隣の子がそれを見て「なんでないてるの?」と言っています。
いなくなるのが分かり寂しかったのでしょう。
別れた妻もそれを見て泣いていました。
まだ5歳ですがその感受性というか、優しい気持ちをもっているのだと感じました。
そして心に寂しさを抱えているのだなぁと感じました。

その先生と写真を撮り(2人とも泣いている写真です)、式を終え、街に出て食事をしました。

いつもは、わがままでぜんぜん歩かないらしいですが、その日は一緒にいっぱい歩きました。

帰る前に、今日は歌上手で、がんばったからお菓子を買ってあげました。

そして娘に「先生がいなくなって悲しい?」と聞くと、
「泣くのを我慢したけど出来なかった」といいました。

わたくしは「悲しいときはいっぱい泣いて、我慢はしなくていいんだよ」と伝えました。
「いっぱい泣いていいし、いつも我慢しないで自分のやりたいことだけやりなさいよ」
と伝えました。
娘は、
「もう!! ちゃんと先生の言うことを聞かないとダメ!」
と逆に怒られました(笑)。

そこの園は子供が興味があることは、極力やらせてくれるらしく、いい環境と聞きました。
園長先生、他先生に感謝です。

帰りの別れ際・・
今回も、すこし泣きましたが大丈夫でした。
そしてまた来月逢いに行きます。

この日、プリクラは撮りませんでしたが、前回のプリクラを友達に自慢しているらしく、見せたら「お父さん、かっこいい~って皆が言うの」っていっていました。
うれしいかぎりです。

自慢の父でいれるよう日々磨いていきます。

あなたの会社の寿命は?

2015-05-28 | 牽引の法則
                          出口 光

帝国データバンクの統計によると、
30年続く企業は、わずか100社に2社。
100年続く企業は、なんと1000社に4社。

ほとんどの企業は、30年たつと消えていきます。

自社のことばかり考えていると、たとえ短期的に利益が出ても、30年単位で見るとちゃんと帳尻が合うのです。

本当に社会に貢献し、受け入れられなければ、企業は、残らないことを示しています。

ところが、日本には、100年以上続く会社が24000社もあり、他の国を圧倒しています。

さすが日本ですね。

ちなみに日本最古の会社は、神社仏閣を建てる「金剛組」です。

今日は、30年単位で仕事や人生を考えてみませんか。

あなたは、どんな人生を送りたいですか、どんな会社にしたいですか。

愛娘との再会

2015-05-28 | 牽引の法則
                         岩崎 裕繁

【以前、書かれたものが見つかりましたので、掲載させていただきます。 澤谷 鑛】

澤谷先生。ご無沙汰しています。
先日、こんなことがありましたのでメールさせて頂きます。

ちょうど1年前の2月に離婚をいたしました。
それからしばらくして住まいを離れ東京に行きました。
行き先は現在の自分の彼女の住まい……。

浮気が離婚の決定打でした。
今まで危うい状態は幾度もありましたが決定打がありませんでした。以前から夫婦仲はよくありませんでした。

嫌な部分が目につく、相手の非の認めさせ合い、自分の主張のし合い、でした。

その二人の間に5歳の娘が一人います。
今思うと、娘は私たち2人の嫌なピリピリ感をずっと感じて、一人で日々耐えていたのだと思います。

そんな娘の気持ちも、離婚後、自分が行き詰まり、どうしようもないときに、澤谷先生のカウンセリングを受けたからこそ、わかるようになりました。

何度か娘には会っていました。しかし、ゆっくりではなかったので、今回約2ヶ月ぶりにゆっくり逢うことができました。
いつも娘は久々に会うと「ブスーッ」とした顔をします。そのあと少しずつ和んでいく感じです。私も引け目があってか、ぎこちない会話をしてしまいます。

今回も「ブスーッ」とした顔で現れました。
しかし、わたしは会ってすぐに嬉しさで満面の笑顔で抱っこしてあげました。
そうするとすぐに甘えてきました。

いろいろ歩いて買い物してゲームセンターにもいきました。

娘は私に“おねだりをしてはいけない”と思っており、欲しくても何も言ってきません。
私は「欲しいものがあれば、遠慮しないで何でも言っていいよ」といいました。
すると小さいぬいぐるみをひとつだけ持ってきました。
「いっぱいいいよ」と言っても、ひとつだけしか持ってこない娘を見て、“いつも我慢していたんだな”と思いました。

そして、ゲームセンターにある「プリクラ」でシールをつくるため、二人で写真をとりました。今までの娘との二人の写真で笑顔のものがありません。私はまた満面の笑顔でポーズをとると、娘も凄い笑顔で普段見せないようなポーズをしていました。(笑)
そのプリクラを二人で半分個にしました。娘が「お父さんは、ちゃんとずっと財布の中に入れていてね」といっていました。

少し早いのですが、バレンタインのチョコも数あるチョコから自分で選んだ、といっていました。これまたかわいいチョコでした。

そして晩御飯を食べて帰る時になりました。
私が電車の改札口に入り、手を振ると、
「いやだぁぁぁぁ~」
娘が泣いていました。

このときは、まさに心臓をもぎ取られそうな衝撃を受けました。

離婚して家を出るときも、娘は私が出る直前まで普通でしたが、扉を開けたとき、「いやだ」と泣きました。このときも苦しかったのですが、今回はそのときのこともあるせいか、強烈に胸に打たれました。

電車に乗り、その日一日のことを考えていました。
すると涙が止まらなくなりました。
娘の悲しさ……
自分の情けなさ……
前妻に対しての理解のなさ……
こみ上げてきて涙がとまりません。
今、メールを書きながらも、思い出すと涙が出てきます。

電車の中で夜なのにサングラスをしたまま。
ずっと涙がとまりません。

家に着き電話をかけました。
前妻に「娘は?」とたずねました。
「帰ってきてすぐ寝たよ~。でも……手にプリクラ持って放さないの」

……また来月会いに行きます。
娘は私に無償の愛をくれ、その存在だけで私を癒してくれています。さらにいろんなことを気づかしてくれています。

この先、前妻と私の復縁はないと思いますが、私はよき理解者でありたいと思います。前妻もどこかで「自分自身が能力がないからいけない」と思っている感じが受けました。

そういえば娘が「こんどはプリクラ、お母さんも入って3人で撮ろう」といっていました。

今回の出来事で、私から「成功」「お金持ち」というキーワードがどうでもよいものになりました。執着せずに手放すことができそうです。

すばらしい愛娘です。そして生んでくれた前妻にも感謝します。
家族がいるだけで無限の幸せを感じられる、と理解しました。長々と失礼しました。
いろんな気づきのきっかけをいただけた澤谷先生にも感謝いたします。

使ったらお金が入ると信じてお金を使うけど、お金がどんどん無くなっちゃう人へ……

2015-05-28 | 牽引の法則
                       桑名正典

「お金は使ったら入ってくる」

そういわれたから、好きなことにお金をどんどん使ったけど、どんどんなくなっていっている人は、少しだけ考え方が違う……(^_^;)

「お金を使ったら入ってくるようになる」
「お金を使ったら豊かになれる」

という

 入ってくる
 豊かになる

が未来の出来事になっている。

でも、常に見据えるのは「今」。

「お金を使ったら入ってくるようになる」
「お金を使ったら豊かになれる」

ではなく、

「“今”豊かなんだから、お金を使ったらいい」
「“今”豊かなんだから、好きなものを買ったらいい」

という

「今」

のとらえ方を変えていくこと。

「なる」のではなく、「今そうである」ということにする。
ちょっとしたことなんだけど、このボタンの掛け違いが、大きな差となる。

「なる」だと、今と同じ「なる未来」が展開する。
「そうである」だと、今と同じ「そうである未来」が展開する。

だから、豊かであることにして、豊かな人はこうすると思うことをする。

簡単にいうと、

 お金使え~
 好きなもの買え~

ってなる。

そうするとお金が入ってくる……
そうすると豊かになれる……

というのを見据えるのではない。

今、豊かということにする。
今、豊かであると知る。

ややこしいね~(^_^;)

岩に咲く花(4)

2015-05-28 | 牽引の法則
                          岩崎 裕繁

澤谷先生に初めてカウンセリングしていただいたとき、
「いろんな人生経験されたんですね」
とおっしゃってくれました。
僕はそれまで、この話は恥なことだと思っていた。その先生の言葉で、俺はダメじゃないんだと思うことができました。

今回、6年ぶりに先生に連絡するに当たり、この6年間の事を少しまとめてメッセージさせていただきました。すると先生は、
「岩君、いろいろと人生経験されたんですね。」
あの柔らかさと志士のような凛とした感覚をまた味わいました。

人並みか人並み以上かわからないけど、人と比べるようなことでもないけど、わかることは、自分にしか歩めない人生があると思う。そして、どうして僕はこんな経験してきたのだろう、と考えていた。
そして、いつも思っていたこと。どうして俺は「岩裕繁」なんだろう……。

これから深く学ばせていただくメンターであるアランの本を読んでいたら、その中にこういう文章がありました。

「-------岩に咲く花---------」
「小さな花はどうにかして花を咲かせる方法を見つけ出したのです。」
「岩から花を咲かせることもできるんだよな……」
「花なんて咲きそうもない場所を家に定めた種から咲いた花は特別に思えた」
「まるで、勇気は周りの環境ではなく、自分が選ぶことで咲くと思えた」

あぁ俺は、岩のように、どんなに強固で大きな苦難や困難があっても、花を咲かせることができるというメッセージを送るために体験したんだ。そんなことを想いました。

「岩」は「岩咲き」。
「岩裕繁」。
岩に咲いて裕福に繁栄していいんだよ。
そんなことを言ってもらえてるのかな。都合のいい解釈ですが、そんな名前をありがたく、愛おしく想います。

自分しか歩めない人生。
あなたの花を咲かせましょう。

いつも通りということ

2015-05-28 | 牽引の法則
                        佐原幹春

今日は夜のカウンセリングがキャンセルになったので、ゆっくりできて久しぶりに子供達と添い寝をしました。
なあ、何かお話しして。物語のやつ。」
小3になった下の娘が言う。
「そやなぁ。昔のび太君いう子がいてな。『どっかに行きたいよドラえもん。』言うたら『どこでもドアー』言うてな……。」
「それドラえもんやん……。ちゃんとしたの話して。」
「う~ん。」

創作の物語も、毎回話してるとネタが枯渇して来るのです(笑)。

「なんか未来にタイムスリップしたりするやつがええんか?」
「うん。」
娘がキラキラする。お姉ちゃんはしれっと聞いている。
「そやな。ヒロシくんが犬の散歩してたらな。急に落とし穴みたいな穴に落ちてな。(出だしは毎回こんな感じ(笑))真っ暗な中をひゅーんって落ち続けてな。あれれれ、言うてたら、落ちたはずの同じ道に立ってるんや。あれ? 今、穴に落ちた気がしたけど……。まあ、いいか、家に帰ろう。って帰ったらな。家がボロボロやねん。庭も雑草がボーボーや。」
「あっ、めっちゃ未来に来てもたんちゃう?」
お姉ちゃんも乗ってきた。
「そやろな。でな。ヒロシくん怖くなってな、チャイムを押してみたんや。自分の家やのにチャイムを押したんや。でもチャイムはもう鳴らないんや。で、玄関をドンドン! って叩いて、お母さん! お母さん! って。泣きそうになりながら叩いてたら、『あれ? あんたヒロシくんちゃうん?』って、おばあさんが近づいてくるんや。『ヒロシくんやな。私や。わたし。エミコや。』エミコっていうのは、ヒロシくんが小学校に一緒に行ってた同級生や。もうエミコはおばあさんになってるんや。『信じられへんな。ヒロシくんやん。どこに行ってたん……。信じられへんわ……。』エミコが言うには、ヒロシくんは急にいなくなって、学校でも地域でも大騒ぎになってみんなで探したんやって。でもいくら探しても出てこおへんから、やげては亡くなったことになったって。お父さんもお母さんもヒロシくんがいなくなったことを嘆き悲しみながら、夫婦で寂しく暮らして、やがては亡くなったんやって。」
娘たちは静かに集中して聞いている。
「ヒロシくんはな。ポケットの中に家の鍵を持っていることを思い出したんや。犬の散歩の時に持ち歩いてたんや。」
「あ、犬はどうなったん?」
いやそれは考えてなかった(!)
「うん…。過去に残して来たんや……。」
「ふ~ん。」
「それでヒロシくんはボロボロになった古い家に行ってな、自分の鍵を挿して回してみたんや。そしたらカチャって音がして開いたんや。家の中に入ったら、埃っぽくてな。蜘蛛の巣がいっぱいで、ヒロシくんのよく知っている家やのに、でも全部が古いんや。壁も床も階段もテーブルも、全部が古くなってるんや。壁には古くなったヒロシくんの写真がいっぱいあってな。それを見てたらな。何十年と2人で暮らして亡くなっていったお父さんとお母さんの思いが感じられてな。ヒロシくんは胸が締め付けられるように悲しくなってきたんや……。」

やばいなこれ……。超大作な予感がする……(笑)

「うん。それから?」
「うん。ヒロシくんは食べるものがないからな。おばあさんになったエミコちゃんの家に泊めてもらいながらな。しばらくいろんな話を聞くことになったんや。ヒロシくんがいなくなって、お父さんお母さんがどれだけ悲しんだか。その後は子供も作らずにな。静かに静かに暮らしてたんやって。それを聞いてたら、ヒロシくんは悲しくて悲しくて、どうしても家に帰りたくなったんや。家に帰って元気な姿を見せて、お父さんお母さんを喜ばせたいって。そう思って、ヒロシくんは落とし穴があった道へ行って、また落ちるように、何回も何回もジャンプして地面を踏むんや。でも落とし穴は無かったんや。」

なんか話してて泣きそうになって来る……(笑)
娘2人は聞き入ってるし、ここで話を終えるわけには行かない感じ。

「でな。悲しくて帰りたくて、お母さんに会いたくて、空を見てわんわん泣いたんや。その空もお母さんと一緒に見た空と何も変わらずに、同じやのに。何も変わらないいつもの空やのに。でもお母さんはもうこの世界にはいないんや。そう思ったら、淋しくて悲しくて泣いたんや。ほんでお母さんに会いたい! お父さんに会いたい! って空に願ったんや。僕の姿を見せてお父さんお母さんを喜ばせたい! って。そしたら、めまいがして頭の中がぐるぐるぐる~って回って、地面が無くなるみたいな感じで。」
「あ。帰れるんちゃう?」
「そうや。目が覚めたら道端に寝転んでて、犬が心配そうにこっちを見てるんや。今は何年の何日やろか。ヒロシくんは急いで家に帰ったんや。家は綺麗なままで窓には明かりが洩れてるんや。あっ、お父さんもお母さんも生きてるんやって。でも怖くなって。そのまま家に入るのが怖くて、チャイムを押すんや。そしたら『はい。』ってスピーカーからお母さんの声がする。『僕や! お母さん。僕や。ひろしや!』『ひろしか。なにバカなことやってんの? 早く入っておいで。』ヒロシくんは急いで家に入ってな。まだ新しい壁を見て、見慣れたリビングに入って行ってお母さんに言ったんや。『お母さん! 今日は何年? 何月? 何日?』『なにバカなこと言ってるん? ひろし。ご飯にするよ。』ヒロシくんはテーブルのいつもの席に座って、お母さんとお父さんを交互に見つめながらカレーを食べたんや。ああ、いつものお母さんのカレーの味やなって思ったら、涙が溢れてきて止まらなくなってな。『どうしたんやヒロシ。学校でなんかあったんか?』ってお父さんが言うんや。ヒロシくんは泣きながらカレーを食べながら、こう言うんや。『いいや。何もないよ。』って。『そっか。』『うん。何もない。いつも通りや。いつも通りや。』って。いつも通りお父さんがいて、お母さんがいて、いつも通りのテーブルを囲んでいて、いつも通りのカレーを食べてるって。泣きながらそう思ったんや。おしまい。」

「ふ~ん。」と下の娘。
「面白かった?」
「うん。ちょっとな!」おどけて言う。
「そんなん言うんやったらもう話したらへんからな。」
「うそうそ。めっちゃ上手やった。」
「そやろ。」
「……。」
「ひな?」
「……。」
「ん? ひな?」
「ぐ~……。」
「ひな?」
「ぐ~。」
2秒で寝たで!!( ゜д゜)

「のん?」
「ん?」
お姉ちゃんは起きてるようだ。
その後、お姉ちゃんとは少し真面目な話しをしたのだけど、長くなりますので、それはまたの機会に。

岩に咲く花(3)

2015-05-28 | 牽引の法則
                        岩崎 裕繁

そして2015年の元旦に、
「よし!」
自分が本当に好きなことをするために、10年計画を立てよう! そう思い、紙にラフを書き始めた。

10年後はこういうライフスタイルでいたいなぁ。こういう状態でいたいなぁ。
逆算で始めた。
50歳でこういう感じだから、45歳でこういう感じだな。それで、42歳の時にこれを始められるように準備しよう。42歳でのこれというのは、スピリチュアルなことにかかわり、ヒーリング・カウンセリング・コーチングの分野の仕事がしたい、ということだった。
でもそれにはお金も必要だから、地盤を創っておこう。そのためにお店をあと2店舗作って、3店舗は頑張って作ろう。そうすれば収入も安定するから、たくさんセミナーにもいけるし安心だ。

そして年明け初仕事。
今のお店で一緒に働いているスタッフが、独立したいからやめたいといってきた。
「え? 俺はいずれお前にお店任せるからっていったら、お前も了承してたじゃん?」
「すいません……岩さんが長い計画を立てるといっていたので、僕も自分の事いろいろ考えたら、やっぱり独立したくて……」
「仕方がないな。じゃあおれも計画練り直すよ」
少しがっくりきた僕は、どうしよう? とまた計画を見直した。

するとあることを思った。
ん? 俺が一番やりたいことって、よく考えたらこの42歳からすることだよな。じゃぁ、それまでの2年の店舗増やすってなんのため? そのほうが安定するから……あれ? 俺、安定って……ようは、やりたいことがあるけど、今やるのは、もしも失敗したら怖いから、失敗してもいいように、保険かけてるんじゃないのか? うまくいかなかったとしても、生活に困らないようにしておこうと。それってすでに最初から、恐れからはじめてるんじゃないのか? そんな恐れから入ってる時点ですでに、自分ではうまくいかないと決めつけてるんじゃないのか?
そう思い、あらためて、自分ができる、できない、自信ある、ないに関係なく、やりたいこと。42歳まで待つ必要ないじゃん。今からやればいいじゃん。

なにか腑に落ちた僕は、どうしょうかなぁと、なにげにネットサーフィンした。
すると、あるスピリチュアルリーダーの方の「ライフコーチング養成プログラム」受付中というところに行きついた。
これだ!
っと思ったけど、そのあと不安が押し寄せてきた。
俺にできるのか? そんな安い金額でもない。うまくいかなかったら、お前いい歳していつまでもなにやってるんだよ。いいかげん現実みろ。今やってることから逃げてるだけじゃん。ただ楽したいだけだろ。せっかくのいままでのキャリア、もったいないよ。……いろんな声が心から湧き上がる。

いままでの自分なら、すぐに申込みをしたであろうがすごく躊躇した。
そして躊躇するということは、俺はやりたい事じゃないはずだ。ほんとにやりたいならすぐに申し込むはずだ。そう思わせあきらめようとした。でも、そのことが頭から離れない。焦りも出てくる。
今回応募しなくて、もし次回がなかったら、俺はチャンスを逃がしたことになる。でも、焦りがあるということは、損したくないと思ってるからだ。やっぱりこれは、やりたい事じゃないはずだ。

もうどっちかわからなくなってきた。
そんなとき、以前から本を読むのが好きだけど、なにかヒントがないかといろいろ本を読んでいた。
そして思った。
こうやってヒントを探している人にとって、こんな本は本当にありがたいよな。一筋の光がみえるよな。

そういえば……僕が昔から、後輩や知人と話をしていて、ただ一緒に共感したり、相手がなにかに悩んでいて、話をすることでその人に光が見えた時などうれしく思えた。
以前後輩が、自分は岩さんと出会えたおかげで今がある、と言ってくれたときもあった。
面接などで悩んでいる子がいれば、なにか気づけば励まして、相手が笑顔になるとそれがうれしかった。なにより自分が話していて楽しかった。

話しをしたいと言ってくれる人がいて、僕も人に勇気や光を与えたいなって思う。そんなこと言ってくれる人が少なからずいる。そして、それをしたい自分がいる。
やっぱり俺は、そういうことにかかわれることがしたい!

そう思えたとき、申込みをした。
半年間学んでそういう世界で生きると決めた。それと同時に今運営しているお店も売りにだした。
まだ1年もたってないきれいなお店なので少し高額。
今までの経験上、早めに売りに出さないと売れないよなって思い、夏くらいに売れたらうれしいなぁと思っていた。
すると、今はじめている「コーチング養成プログラム」を受けに東京に行く前に、買いたいという人が現れた。さすがにこんなに早くは予想してなかったから、びっくりしたけど、僕は、自分が進んでいるのは間違いなくいい方向なんだ、と感じることができた。

それでも、これまでのお店の売買を繰り返してきたことや、返済のために懐事情はいいわけじゃなく、小さい時の家庭の経済事情や破産の経験もあるから、お金に不安もある。

養成プログラムが始まるまでにいろいろと深めていこう。
そんなことを考えながら、いろいろと読書をしていた矢先、心屋仁之助さんの新刊『一生お金に困らない生き方』(PHP研究所)が発行されるのを知って、すぐさま読んでみた。
目からうろこな話が続き、僕もお金の前提を変えようって思えた。そして読むにつれて、目からもう一枚うろこがおちた。

え?
「澤谷……鑛?」
あれ?
……澤谷先生!
澤谷先生が心屋さんに話された釈迦の托鉢の指導のことが出ていた。

岩に咲く花(2)

2015-05-28 | 牽引の法則
                       岩崎 裕繁

マンション退去の少し前に朗報が入る。
友人が、とあるアパートが一部屋空いてるから、そこに住むことができるという。
ありがたい。
じゃあ少しでも今のうちに荷物を運ぼうと友人たちに手伝ってもらい、マンションを後にした。
そしてそこは、隣町であり僕が関西から夜逃げしてきた地。ようは僕が育った町。

そして僕は思った。
あれ? 俺もこれ昼だけど、夜逃げとおんなじだな?
そう。僕は距離などは違うけど、父と同じように追われる身で夜逃げのように出て行ってた。そして、とても素晴らしいとは言えないが、少しボロいアパート。

僕が幼いころに越した家は、トタンでできたような雨が降れば数か所から雨漏り、お風呂なし、トイレは水洗でなくむかしの俗にいう落とし便所。時代が違うので差はあるが……。
このアパートに越した時に、俺、親父の追体験しているのか? っと冷静な自分がいた。
このことで、父がどんな思いだったのかとあらためて深く感じることができた。
僕は独り身になっていたけど父親は、母もいて僕を含めた兄弟3人もいて、ついでに愛人もいて(笑)。全部を連れていったんだなと思うと、あの親父やっぱりすごいなって、大嫌いだったはずの父を尊敬できるようになった。

そこから友人の手伝いで少し働かせてもらえることとなり、そこで2か月ほどお世話になりました。
もうお店はこりごりだと思ってたけど、僕の保証人となってくれている人物がいて、その額750万。もちろん債務はその人たちにむかう。僕はその人たちに「絶対に返す」と伝えたけど、現実的に、これふつうに働いていたら、返すのに何年かかるんだろう。と考え込んだ。それなら自分でお店したほうが話が早いだろう、と破産2か月後に行動に出た。
その住んでいたアパートもあと2か月ほどで退去しないといけない。
どうするか考えて、まずはお世話になっていたところから入った給料、その生活費を入れた全財産10万円。これでお店を創ろうと。誰も借りないような小さいところ。家賃が劇的に安いところ。そんな場所ないかなと探してみた。
何もなくなった自分のおかげで、失うものがない感覚なので焦り的なものはなかった。

そこで僕はイメージした。
そして街を歩くと……ベストタイミングで小さい物件があった。破産しているので、保証会社などが入っていたら借りられない。
そこは大家さんが個人的に張り紙貼って、借りる人を探していた。直感で「ここの場所は俺だ!」って感じた。早々に大家さんに連絡して借りるようにした。
持ち金ないから友人に頼み、お店を創る手伝いをしてもらった。

春を過ぎて暑い夏が始まっている。炎天下の中、無我夢中でお店を創った。そしてついに完成! 僕は、ここでのんびり焦らずやっていこうとおもった。友人を呼んでワイワイして、返済はあるけども、売上だ! 利益だ! 店舗展開だ! そういう資本原理主義のようなものから抜けよう。そう思いはじめた。

数週間たつと巷で話題となりはじめた。
「あそこに面白いお店がある」
そんなうわさが繁華街中に広がった。
ちなみにそのお店は3坪6席しかないお店。ジュースなどは外の自動販売機で買ってきてもらう。今までのような設備がととのったお店じゃない不便なお店だった。

不便を逆手に取ろうと。不便だからダメじゃなくて、あえて不便を楽しめるようにと、目線を、角度を、変えてみた。するとそういうのがウケて、ますますお客様には楽しんでもらえるようになった。
このことで僕は、「ない」をみるのでなく「ある」にフォーカスするってことにつなぐことができた。

そのお店を創って三か月後、別の場所でお店をする人を探しているという情報が入り、僕はそこも借りることにした。気が付けば、行動をおこして3か月後には2店舗を運営していた。
店舗数にはこだわらないと決めていたので、そのお店はその後スタッフに譲り、僕は、もう少し設備がととのったお店にしたいと小さなお店を売りに出し、あたらしいお店を創った。
銀行融資は受けることができないので、僕がお店の資金を獲得するには、お店を売ってお金を手に入れるしか当時は方法がないとおもっていた。
そして移転後も、そのお店は大繁盛して有名店になった。

それからも規模拡大をするにつれて、お店を売って資金を得てと繰り返し、破産前と同じくらいの生活基盤にもどった。
750万は、ほぼ返済して、ようやく少し落ち着くなとおもっていると、次はスタッフが続かない、辞めていくというようなことが起こりだした。これまで順調にできていた運営が少し鈍ってきた。前回のように大きな借金はないもののどうしてだろうと。僕は自分の熱が少し薄まってきていると感じた。

今一度自分に問答した。俺はなにがしたいんだろう? お店は好きだけど、最初に創った時のような情熱はあるかい? 僕はこの数年間、好きなお店で再建してきたけど、本当に好きなのか? そうおもうと、たしかにお店を創るのは好きだけど、毎日料理考えたりすることが苦痛であった。お金は入ったけど、なんだかしっくりとこない。
俺が本当に好きなことは? 自信があるとか、ないとか、できる、できないとか抜きにして、今これやっていいよって言われた場合なにしたい?

2014年の大晦日にそんなことを考えた。

苦しい時にも元気が出て、楽しさが倍増する方法って興味ある?

2015-05-20 | 牽引の法則
                          望月俊孝

あなたが一人で喜んだり、幸せだったり、感動したら、
それは二人でいると思いましょう。

あなたたち二人で喜んだり、幸せだったり、感動したら、
それは三人でいると思いましょう。

弘法大師・空海は弘仁6年(815年)、国の安泰や人々の除災招福を願って、四国・八十八ヵ所霊場を開いた。

その後、お弟子さんたちがその足跡を辿って遍歴の旅を始めたのが、お遍路の原型と言われています。

お遍路さんは白衣を身にまとい、弘法大師の化身とされる金剛杖を手に、空海に見守られながら歩を進める「同行二人(どうぎょうににん)」の修行とされている。

いつでも弘法大師が一緒に歩いてくれている。
目に見えなくても弘法大師がそばに必ずいてくれている。

そう思うと力が湧いてきて、苦しい道のりも乗り切ることができる。
そして四国八十八ヶ所霊場巡りを終えた時の感激は一入でしょう。

これはお遍路さんや弘法大師に限ったことではありません。

あなたがイメージできる大いなる存在やあなたの愛する人と共に人生を歩んでいる、
このプロジェクトを完成させようとしている、
この試験に挑戦している……

と思うと、力が湧いてきますし、感動は2倍になりますよ。

あなたにとって大いなる存在や愛する存在はいますか?
それは誰ですか?

いるとしたら、その人・存在と「同行二人」として歩んでみませんか?

僕は会ったことはないのですが、父から聞かされていた祖父が「見守ってくれている」と勝手に思っています(^o^)丿

もちろん、妻とか、息子達とか、スタッフとか、親友とか……
「同行十人」以上ですね(^o^)丿

さて、あなたをいつも支えてくれる人・存在のベスト3を考えてみませんか?

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