今日は銀座木村屋のあんパン普及戦略から、伝動戦略を考えてみましょう。拙著『成功を確信させる暗示型戦略』(128-131頁)からの抜粋です。
「あんパン普及のきっかけ」
明治7年、明治天皇・皇后両陛下が、東京向島の水戸藩下屋敷へ行幸されることが決まりました。
そこで、水戸藩主・徳川昭武は、接待の茶菓をどうするか、天皇の侍従・山岡鉄舟に意見を求めました。
その席で、鉄舟は、街で大評判となっている「銀座木村屋のあんパン」を推薦したのです。後日、鉄舟が昭武にあんパンをもっていくと、昭武はこれを絶賛し、あんパンの採用が決まりました。
こうして、翌明治8年4月4日、はじめて明治天皇にあんパンが差し上げられました。明治天皇はたいへん気に入られました。そして、それ以上に喜ばれたのが皇后陛下で、お相伴にあずかった女官たちも大喜びだったそうです。その結果、「引き続き納めるように」とのお言葉がありました。
鉄舟も推薦した手前、このことはたいへんうれしかったようです。鉄舟は書家としても有名ですが、「木村屋」の看板を書いて贈っています。
鉄舟は木村屋主人の義理の弟、貞助と懇意にしていて、その縁で木村屋と知り合うようになったのだそうです。鉄舟は四谷に剣術道場を開いておりましたが、公務のため多忙で、門弟の稽古を、一時貞助に任せているほどの関係でした。
あんパン献上以来、鉄舟と木村屋夫妻は格別親しくなり、鉄舟はしばしば馬車で店を訪れ、来ると必ずあんパンを所望し、夫妻と歓談するのをたいへん楽しみにしていたそうです。
余談ですが、新しいPRの方法として、チンドン屋(市中音楽隊)を初めて用いたのも銀座木村屋です。市中音楽隊は、隊員の一部が鹿鳴館スタイルの洋装をして、また随行人役の人間は和装をして、市中を練り歩きました。なんとも奇妙な姿の一団が、楽器を演奏しながら歩く新しい宣伝スタイルは、東京市民の大評判をとったそうです。
「伝動戦略の類型」
あんパンを普及させた伝動力の経路は比較的簡単です。
貞助→山岡鉄舟→明治天皇、徳川昭武など→東京市民
こういう経路をたどって目標に達するのを伝動戦略と私は名づけております。この戦略の特徴は、いきなり抵抗の強いところから攻めずに、受容度の高いところから手をつけたり、オピニオン・リーダーにアプローチしていくことです。その方が、すんなり物事が進むのです。
伝動戦略の概念の応用はいろいろ考えられます。要は、ターゲットに直接働きかけないこと、ターゲットとは直接的な対立的関係をもたないようにするということです。
1)ターゲットに影響力のある別のグループに働きかける
木村屋のあんパンはこの例です。社長に取り入ろうとするセールスマンが、秘書と仲良くなろうとするのもこれ。「将を射んとすれば馬を射よ」ですね。
2)ターゲットを支えるエネルギー源を断つ(あるいは供給する)
フジテレビがライブドアに対してとった焦土作戦がこれです。ライブドアが妥協せずに戦闘を続けていれば、キャッシュフローが非常に苦しくなっていたはずです。戦争でいえば、兵站の補給路を断つということです。
3)ターゲットにとって思いも付かないところをつく
義経の鵯越の逆落としは、よい例でしょう。
4)ターゲットとこちらの目的を一致させるための誘導策をたてる
エコカーや太陽光発電の利用者に対する政府の税制上の優遇策は、これにあたります。
5)まったく別の次元に対立を引き込む
井伊直弼に抑え込まれた水戸藩主・徳川斉昭は、朝廷の力を借りて力を振るおうとしました。
6)ターゲットと同類のグループに圧力を加える
見せしめがそうです。安政の大獄で、井伊直弼は橋本佐内を処刑して、越前藩主・松平慶永に警告しました。企業で成績優秀者を表彰するのは、ほかのメンバーに刺激を与えるという側面があるかもしれません。この戦術は、「あいつがそうなら、俺もそうなる」という連想を誘います。ですから、これは暗示型戦略の一つでもあるのです。
考えれば、ほかにもまだまだ思い浮かぶことでしょう。直線的な攻めを考える前に、一度、伝動戦略を考えてみたらいかがでしょうか。
伝動戦略に興味のある方は:
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「あんパン普及のきっかけ」
明治7年、明治天皇・皇后両陛下が、東京向島の水戸藩下屋敷へ行幸されることが決まりました。
そこで、水戸藩主・徳川昭武は、接待の茶菓をどうするか、天皇の侍従・山岡鉄舟に意見を求めました。
その席で、鉄舟は、街で大評判となっている「銀座木村屋のあんパン」を推薦したのです。後日、鉄舟が昭武にあんパンをもっていくと、昭武はこれを絶賛し、あんパンの採用が決まりました。
こうして、翌明治8年4月4日、はじめて明治天皇にあんパンが差し上げられました。明治天皇はたいへん気に入られました。そして、それ以上に喜ばれたのが皇后陛下で、お相伴にあずかった女官たちも大喜びだったそうです。その結果、「引き続き納めるように」とのお言葉がありました。
鉄舟も推薦した手前、このことはたいへんうれしかったようです。鉄舟は書家としても有名ですが、「木村屋」の看板を書いて贈っています。
鉄舟は木村屋主人の義理の弟、貞助と懇意にしていて、その縁で木村屋と知り合うようになったのだそうです。鉄舟は四谷に剣術道場を開いておりましたが、公務のため多忙で、門弟の稽古を、一時貞助に任せているほどの関係でした。
あんパン献上以来、鉄舟と木村屋夫妻は格別親しくなり、鉄舟はしばしば馬車で店を訪れ、来ると必ずあんパンを所望し、夫妻と歓談するのをたいへん楽しみにしていたそうです。
余談ですが、新しいPRの方法として、チンドン屋(市中音楽隊)を初めて用いたのも銀座木村屋です。市中音楽隊は、隊員の一部が鹿鳴館スタイルの洋装をして、また随行人役の人間は和装をして、市中を練り歩きました。なんとも奇妙な姿の一団が、楽器を演奏しながら歩く新しい宣伝スタイルは、東京市民の大評判をとったそうです。
「伝動戦略の類型」
あんパンを普及させた伝動力の経路は比較的簡単です。
貞助→山岡鉄舟→明治天皇、徳川昭武など→東京市民
こういう経路をたどって目標に達するのを伝動戦略と私は名づけております。この戦略の特徴は、いきなり抵抗の強いところから攻めずに、受容度の高いところから手をつけたり、オピニオン・リーダーにアプローチしていくことです。その方が、すんなり物事が進むのです。
伝動戦略の概念の応用はいろいろ考えられます。要は、ターゲットに直接働きかけないこと、ターゲットとは直接的な対立的関係をもたないようにするということです。
1)ターゲットに影響力のある別のグループに働きかける
木村屋のあんパンはこの例です。社長に取り入ろうとするセールスマンが、秘書と仲良くなろうとするのもこれ。「将を射んとすれば馬を射よ」ですね。
2)ターゲットを支えるエネルギー源を断つ(あるいは供給する)
フジテレビがライブドアに対してとった焦土作戦がこれです。ライブドアが妥協せずに戦闘を続けていれば、キャッシュフローが非常に苦しくなっていたはずです。戦争でいえば、兵站の補給路を断つということです。
3)ターゲットにとって思いも付かないところをつく
義経の鵯越の逆落としは、よい例でしょう。
4)ターゲットとこちらの目的を一致させるための誘導策をたてる
エコカーや太陽光発電の利用者に対する政府の税制上の優遇策は、これにあたります。
5)まったく別の次元に対立を引き込む
井伊直弼に抑え込まれた水戸藩主・徳川斉昭は、朝廷の力を借りて力を振るおうとしました。
6)ターゲットと同類のグループに圧力を加える
見せしめがそうです。安政の大獄で、井伊直弼は橋本佐内を処刑して、越前藩主・松平慶永に警告しました。企業で成績優秀者を表彰するのは、ほかのメンバーに刺激を与えるという側面があるかもしれません。この戦術は、「あいつがそうなら、俺もそうなる」という連想を誘います。ですから、これは暗示型戦略の一つでもあるのです。
考えれば、ほかにもまだまだ思い浮かぶことでしょう。直線的な攻めを考える前に、一度、伝動戦略を考えてみたらいかがでしょうか。
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5/3にコメントを頂きありがとうございました。
こちらのブログはとっても勉強になりますね!