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河野談話-日本政府は何を「検証」したのか?

2014年06月23日 | 三千里コラム

「慰安婦」問題で日本政府を擁護した人物が首相に指名され、抗議するキム・ボクトンさん(6.17、大統領官邸前)


日本政府は6月20日、旧日本軍による従軍「慰安婦」への関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話(以下、河野談話)について、その作成過程を検証した報告書を衆院予算委員会理事会に提出した。

菅義偉官房長官による当日の会見内容を整理すると、報告書の要旨は以下の通りである。
①河野談話は、募集過程における強制連行は確認できないという認識を前提としている。
②河野談話は、韓国政府との綿密な文案調整を経て作成された。ただし、合意により調整内容は公表しないこととした。 
③韓国側の打診を受け元「慰安婦」16人への聞き取り調査を実施したが、事後の裏付け調査は行われなかった。
④河野談話を見直さないという政府の立場に変わりはない。安倍内閣は談話を継承する。

“談話を継承する”というタテマエではなく、安倍政権のホンネを理解するためには、「検証」作業の経緯をたどる必要があるだろう。今年の2月20日、「日本維新の会」所属議員が衆院予算委員会で“河野談話が根拠とする元「慰安婦」の証言内容はずさんであり、裏付け調査もしていない。新たな官房長官談話を考慮すべきだ”と、河野談話の見直しを迫った。

答弁に立った菅義偉官房長官は、一切の反論をしなかった。それどころか、我が意を得たと言わんばかりに、2月28日には政府内に「検証チーム」を設置すると表明している。安部首相も、その議員に対し“質問に感謝する”と述べたそうだ。河野談話を継承すると言いつつその内容を検証するというのは、どう考えても整合性のない矛盾した立場であろう。「検証」はあくまでも、見直しや異議を前提とした行為であるからだ。

今回、「検証」の主な対象となったのは、談話作成過程での政府間交渉だった。報告書は“日本側は宮沢首相、韓国側は金泳三大統領まで文案を上げて最終了解を取った”と強調している。文案調整の一例として紹介されたのは、「慰安婦」募集に際しての軍の関与についてだった。韓国側が求めた“軍の指示”という表現に日本側は難色を示し、最終的には“軍の要請を受けた業者”が、主に募集を担当したとの文言で決着したそうだ。

特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲など、安倍内閣の強権的な内政スタイルが目立っている。アジア外交においても同様なのか、その傲慢さは鼻持ちならぬ状況に至ったようだ。事前協議の内容を公開しないとの合意を無視し、日本政府が「検証」の名目で敢えてその詳細を公表したのはなぜか。筆者としては“河野談話の検証”よりも、“報告書の検証”に挑んでみたいところである。

「検証」の目的や背景を分析すれば、日本政府の意図がよく見えてくる。河野談話の意義と価値を貶めることで、安倍内閣は「慰安婦」問題の責任を回避し幕引きを図ろうとするのだろう。報告書の目的は次の一点に集約される。“河野談話は日韓両政府の政治的な妥協の産物に過ぎず、信頼すべき歴史的証拠に基づいたものではない”と暗示することである。

そして、河野談話の根拠となった元「慰安婦」の証言に関しては“その信ぴょう性にまで踏み込まず、韓国側に配慮した”と、6月21日付『毎日新聞』朝刊は解説している。筆者は「韓国側への配慮」とする見方には同意しない。報告書に「事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった」と記載することで、証言の信ぴょう性は十分すぎるほどに損なわれてしまったからだ。

日本政府は、見え透いた小細工を弄しただけだ。毎日新聞が評した「韓国側への配慮」とは、被害女性たちの証言を冒涜する許し難い侮辱であり、韓国政府を「慰安婦」問題の不完全解決で妥協した“共犯”に仕立てる一撃にほかならない。外務省の幹部が「日本政府は世界に恥じるやりとりを韓国としたわけではない。韓国は冷静に受け止めていただきたい」と釘を刺したのは、こうした事情を反映したものだろう。

それでは、公正を期す意味で韓国政府の抗弁にも耳を傾けてみよう。報告書が提出された6月20日、韓国外務省は報道官の論評を通じて次のように表明した。“河野談話は、日本政府が自らの調査と判断に基づいて作成した「日本政府の文書」である。我が政府と文案調整をしたというが、日本側が繰り返し要請するので、非公式的な意見を提示しただけである。”

論評はさらに、日本政府の真摯な謝罪と責任認定を求める被害女性たちの声を無視し、慰労金の名目で「アジア女性基金」の一時金支給を強行したことにも、1997年1月11日の声明で反対した事実を喚起している。そして、日本軍「慰安婦」被害者の問題が、1965年の日韓請求権協定では解決されなかった点を強調している。

最後に論評は“去る20年余の間、国連の特別報告官や米国議会などの国際社会が、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の責任認定とこれに伴うしかるべき措置を求めてきた。しかし、これを履行しないだけでなく、「検証」という口実の下に被害女性たちの痛ましい傷を再びえぐるような行為は、国連と国際社会が決して容認しないだろう”と警告している。

ところで、政府与党や「日本維新の会」所属議員らは“募集過程で強制の事実は立証されていない”と主張することに没頭し、そのことで「慰安婦」制度の存在そのものを否定しようとする。

日本軍「慰安婦」制度は、大日本帝国による戦争犯罪、植民地犯罪のなかでも典型的な「人道に対する罪」である。強制的な連行を立証する日本側の公文書が見つからなかったというが、政府であれ軍であれ、明白な犯罪行為を指示する(示唆する)文書を作成するだろうか。そのような文書があったとしても、敗戦の過程で、他の戦争犯罪に関する資料とともに焼却処分されたであろう。

日本軍「慰安婦」制度の残忍さは、連行過程での強制性に加え、何よりも「慰安所」における強制使役の実態によって明らかであろう。監禁され一切の自由を剥奪された状態で、軍人に性的奉仕を強要する「性奴隷制度」だった。ヒラリー・クリントン前国務長官が“「慰安婦」という表現は適切ではない。日本軍の「性奴隷」と呼ぶべきだ”と指摘したのは、全的に正しい。

河野談話の見直しを企図する勢力は、被害女性たちの証言を“裏付け調査で検証されたものではない”と主張し、その信ぴょう性を貶めようとする。では、当事者である河野洋平氏はどのように判断したのか、その「証言」を聞いてみよう。彼は『オーラルヒストリー、アジア女性基金』に収録されたインタビュー(2006年11月16日)で次のように述べている。

“話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信ぴょう性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えることがわかってきました。”

十分に確信を持って強制性を判断できる聞き取り調査だったからこそ、「裏付け調査や他の証言との比較」に関しては、もとよりその必要性がないと見なしたのだろう。

さらに、各国の被害女性たちが日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判で、日本の司法部がどのような判決を下したのかも「検証」に値すると思う。90年代に提訴された10件の裁判のうち、8件の裁判で35人の女性が被害の事実を認定されている(内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人で、そのうち26人が10代の未成年)。「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪など請求訴訟」、山口地裁下関支部判決(1998年4月27日)の一部を以下に紹介する。

“甘言、強圧等により本人の意志に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが20世紀半ばの文明水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国家を標榜する帝国日本が加担すべきものではなかった。...従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた、新たに重大な人権侵害を引き起こす...”

裁判の結論はいずれも、原告の損害賠償請求を却下するものだったが、被害事実の認定では、ほぼ全面的に原告の主張を認めている。加害国である日本の司法が下した事実認定は、極めて重い意味を持つのではないだろうか。残念ながら司法の判断は、今回の「検証」対象には含まれなかったようだ。安倍政権が真に「河野談話の継承」を謳うのなら、司法の判断も「検証」すべきであろう。

今回の「検証」報告書は、河野談話に対する安倍政権の姿勢を明確に示してくれたようだ。内外世論の反発、とりわけ米政府の強い意志表示によって、河野談話の「見直し」という当初の目標は修正せざるを得なくなった。しかし、内容を歪曲し信頼性を傷つけることで、河野談話は「単なる紙切れ」に過ぎなくなる。それを口先だけで「継承」することに、何の躊躇もいらないだろう。

被害女性たちとともに日本軍「慰安婦」問題の解決に献身してきた韓国の市民団体『韓国挺身隊問題対策協議会』は6月19日、論評を発表した。そのなかで“日本政府が真に検証すべきなのは、河野談話作成に際した日韓政府間の文案調整過程ではない。日本政府が犯した日本軍「慰安婦」制度に対する徹底した検証であり、なぜ今も「慰安婦」問題を解決できずにいるのか、自らの過誤に対する厳正な検証であるべきだ”と強調している。

日本政府は聞く耳を持たないかもしれないが、折角なので、河野談話の一部を引用して拙文を終えたいと思う。(JHK)

“今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 ...いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 ...われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。...”

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