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北朝鮮の核実験と国連安保理の制裁決議

2016年09月30日 | 三千里コラム

対北制裁の強化を主張する韓国外相(9.22,国連総会)



朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第5回核実験から3週間が経過しました。米日韓の三国政府は「制裁のさらなる強化」を掲げ、国連安保理での決議採択に奔走しています。だが筆者は、核実験と制裁の悪循環にいささか食傷気味です。とりわけ、制裁一辺倒の無能無策ぶりは目に余るものがあります。

今年1月6日の第4回核実験に際し国連安保理は3月2日、「史上最強の制裁」と豪語する決議2270号を採択しました。決議文書は前文5項、本文52項、付属文書5項目からなる膨大な分量で、「北朝鮮の核・ミサイル開発資金を遮断するために」制裁対象を60の個人・団体に拡大しています。韓国政府はこれに加えた独自制裁として、開城工業団地の一方的な閉鎖まで断行しました。朴槿恵大統領は「金正恩政権には耐え難い圧迫だ。半年もすれば屈服するだろう」と楽観していたそうです。ところが、国際社会の前に膝を屈するはずの北朝鮮が、半年後の9月9日午前9時(現地時間)に新たな核実験を敢行しました。「史上最強の制裁」に効果がなかったことは、誰の眼にも明らかでしょう。

にも拘らず安保理で「制裁のさらなる強化」を追求するとしたら、今度の制裁は何と命名するのでしょうか。「史上最強の新たな制裁」、「史上最強の特別制裁」、「史上最強かつ最大の制裁」...。どのように位置づけても、「制裁の上塗り」は「恥の上塗り」でしかありません。国連安保理での制裁決議は十分な効力を発揮できず、北朝鮮核問題の解決策ではないことが偽らざる現実なのです。国際社会は、不都合で不愉快なこの現実を認めることから出発すべきだと思います。

1.対北制裁と中国の立場

対北制裁に関して一部で誤解しているのが、「中国の役割(責任)論」です。“北朝鮮の最大交易国である中国が、真剣かつ積極的に制裁に協力すれば金正恩政権は屈服せざるを得ない”という観点です。しかしこれは、国際政治の力学と中国の対朝鮮半島政策に関する無知の所産に過ぎません。すべての国は、その国益に沿って政策を立案し展開します。

中国政府にとって、北朝鮮の核開発は「既得権である核兵器の寡占体制を脅かし地域の緊張を高める」故に、国益とは相容れません。それでこの間、国連安保理の制裁決議に賛同してきました。しかし「朝鮮半島の安定と核問題の平和的解決」こそが中国の国益であって、米日韓の三国が追求する「制裁強化による北朝鮮の体制転換」は決して受容できないシナリオです。朝鮮半島が韓国主導で吸収統一されれば、駐韓米軍基地が中朝の境界線まで迫ってきます。中国にとっては最悪の結果であり、どんな犠牲を払ってでも回避すべき事態です。朝鮮戦争に大規模な義勇軍を派遣して参戦したのも、そのような「戦略的利害」のためです。

そして今年7月、米政府がサード(終末高高度ミサイル防衛体系)の韓国配備を決定した状況で、中国が米日韓の対北制裁強化に全面的な協力をすると期待するのは、希望的観測の域を越えた幻想と言えるでしょう。サードは言うまでもなく、オバマ政権の「アジア再均衡」政策(中国包囲政策)において核心的な位置を占めます。
“北朝鮮のミサイル脅威に対する抑止力”という口実は、中国(ロシアも含め)を愚弄するような話です。中国がサードの韓国配備に対し、「戦略的利害を著しく侵害する」として猛反発しているのは当然なことです。そして米中関係が緊張すれば、中国にとって北朝鮮の「戦略的価値」は相対的に向上します。

これらの点に関し、米国主要紙の論調は核心を突いています。『ニューヨーク・タイムズ』は9月11日付の論説記事で、「中国の国営放送は核実験後も数時間にわたって一切の言及をしなかった」ことを確認し、中国政府が事実上、北朝鮮の核実験を容認するような立場を取ったと述べています。また、中国人民大学のス・インフン(時殷弘)国際関係学教授のコメントにも注目すべきです。彼は「米国は対北制裁に関して中国に依存すべきではない。中国は米国よりも北朝鮮に親近感を持っている。中国は北の体制崩壊による混乱よりも、核兵器で武装した隣国を選ぶだろう」と示唆しているのです。

2.朝鮮半島核問題の本質

『三千里鐵道』は一貫して、「朝鮮半島の非核化」を主張してきました。北朝鮮の核開発に反対するだけでなく、韓国に対する米軍の拡大核抑止(核の傘)政策にも全面的な反対を表明しています。毎年、世界最大規模で展開される米韓合同演習では、原子力空母や最新鋭爆撃機を投入した対北核攻撃訓練が実施されているからです。

北朝鮮はなぜ、国際的な非難と孤立という代価を払ってまで、核・ミサイルの開発を継続するのでしょうか。その動機は、世界最大最強の核軍事大国である米国の脅威が発端であり、米国からの体制保全が目的だと言えます。対テロ戦争に際し「先制的自衛戦略」を導入したブッシュ政権以降、米政府は“テロ支援国家”や“悪の枢軸国”というレッテルを貼って、アフガニスタン・イラク・リビアなどを先制攻撃し体制転換を断行しました。そうした事態を目撃し、米国と半世紀以上にわたって対峙している北朝鮮が得た教訓は、「核保有だけが米軍の先制攻撃を抑止する」というものです。

日本のメディアが連日くり返す“北朝鮮核脅威”の本質は、決して核実験の回数やミサイルの性能ではありません。その本質は、核兵器の開発を追求させる敵対関係にあります。北朝鮮の核開発は米朝敵対関係の産物であり、その根源は朝鮮戦争(1953年7月に休戦)の停戦体制です。よって「北朝鮮核問題」の解決は、朝鮮戦争を集結させる平和協定を締結し、米朝(日朝)が国交を正常化する「朝鮮半島の平和体制」を構築するしかありません。

もう少し敷衍して説明しましょう。日本国民はなぜ、米国の圧倒的な核・ミサイルに脅威を覚えないのでしょうか。日米が敵対関係ではなく、同盟関係にあるからです。“米軍の核兵器が日本を守ってくれる”と信じ込まされているからです。それで、米大統領が「核兵器の先制不使用」を宣言すると仄めかすだけで狼狽え、「唯一の被爆国」が「唯一の加爆国」の核兵器に依存するという嘆かわしい現実を露呈します。

あるいは、ロシアや中国は、北朝鮮とは比較にならない高性能な核・ミサイルを大量に保有しています。しかし殆どの日本国民は、モスクワや北京から核・ミサイルが飛んで来るとは想定しません。両国とは領土問題などで決して友好的ではありませんが、少なくとも敵対関係ではないからです。国交があり、頻繁な交流と往来があります。反面、長期間の敵対関係は相手のすべてを疑い、否定し、敵意を増幅させます。優位にある側は相手を制圧しようとし、劣位にある側は恒常的な恐怖感から、手段方法を選ばず生存を優先させるのです。

9月9日、朴槿恵大統領は核実験直後の国務会議で「もはや金正恩の精神状態は(常軌を逸し)統制不能だ」と述べました。北の指導者を“狂人”扱いする論調は、日本でも溢れています。でも、再び『ニューヨーク・タイムズ』に眼を向けようと思います。9月11日付の同紙は「北朝鮮の行動は“狂気の沙汰”ではない、極めて合理的だ」という衝撃的なタイトルの論評を掲載しました。論評は在米の朝鮮問題研究者や元政府高官の分析を引用しながら、次のように北朝鮮を解説しています。

「相次ぐ核実験やミサイル発射といった挑発行為の背景には、弱小国の指導者としての、体制生存をかけた理性的な思考が見受けられる。…一国のリーダーシップが理性的だという場合、最高指導者が常に最善の道徳的な選択をすることを意味しない。自らの体制保全を最優先し、それに合致する国益を追求することが理性的な行動になるのだ。…北朝鮮は米国のイラク侵攻から生存方法を学んだ。北朝鮮の指導者にとって核開発計画は、弱小国が強大国と敵対する状況で、敵の先制攻撃を思い止まらせる唯一の道であり、平和を維持する合理的な方法なのだ」。

日本のメディアには、当事者である北朝鮮の主張がなかなか紹介されません。韓国『中央日報』のロサンゼルス版が、ニューヨークに駐在する北朝鮮外交官にインタビューしています(9月18日付)。以下はその発言の引用です。

「南と北は生存方式が違う。南は在来武器を大量に輸入するが、北にとって在来武器の軍備競争は負担でしかない。核武装は北にとって最小限の自己生存権なのだ。われわれの願いは、国防費を減らし経済発展に集中することだ。生存権が保障されないのに、経済を発展させ人民生活を改善するというのは理想主義にすぎない。…開城工団を閉鎖し制裁強化を叫ぶ朴槿恵政権は自滅を招いている。南の政治が過去に回帰したのか。かつて南北が軍事訓練するときにも互いに防御を強調し、攻撃という用語は避けてきた。ところが最近は、“平壌侵攻と斬首”を露骨に口外するようになった。同族の殺戮を宣言する政権と、どうして対話できるだろうか。…科学的でも論理的でもない“北の体制崩壊論”から脱却し、相手の体制を尊重して統一への基調を明示すべきだ。」

3.朝鮮半島非核平和への道

5日、18日、23日、57日…。この数字の意味を解読した人は、かなりの朝鮮半島マニアと言えるでしょう。北朝鮮の核実験から安保理制裁決議が採択されるまでに要した各日数です。回数を重ねるに連れ、必要日数も延びています。問題が深刻さを増し、中国・ロシアとの合意が難航している状況を示しているようです。しかし、より重要なのは、冒頭で確認したように、制裁決議では「北朝鮮の核脅威」が解消されないという事実です。

患者に譬えるなら、「北朝鮮の核脅威」は症状に過ぎません。根源的な病因は「朝鮮戦争の停戦体制」です。よって、最も正確な治療法は「平和協定の締結」となります。ところが、病因を無視して「安保理制裁の強化」という対症療法に執着しているのが現状です。処方箋が間違っていたなら、他の治療法を探るべきです。効果のない処方箋にしがみつき投薬量を増やしても、患者の耐性が助長され病状は悪化するだけでしょう。

その間、オバマ政権は「軍事的な威嚇と経済封鎖による制圧政策」(戦略的忍耐)を掲げ、北朝鮮に核放棄の先行を強要してきました。北に「先ず核兵器を放棄して武装解除せよ」と要求するのは、停戦体制下の両国関係では説得力を持ちません。また、2005年の9.19共同声明を始めとする六カ国協議の諸合意とも矛盾します。六カ国協議では、北朝鮮がその核施設を凍結→無能力化⇒完全廃棄に至る各段階に合わせて、米国が体制の安全保障、国交正常化、経済支援などを履行することで合意しました。こうした「同時行動」は、敵対関係の外交交渉では基本原則だからです。

米日韓はいつの間にか「同時行動」から逸脱し、“北朝鮮の脅威”を煽ることで対話と交渉の道を閉ざしてきました。三国の政府が言うように、北朝鮮との外交交渉は無意味なのでしょうか。その間の5回にわたる核実験は、二国間もしくは多国間の非核化交渉が、挫折するか断絶している状況で敢行されました。交渉の進展期や合意の履行期には、決して北朝鮮は核実験もロケットの発射実験も実行していません。2006年10月の第1回核実験は、前年9月19日の合意翌日に、米政府がマカオの銀行口座凍結という経済制裁を課したことが原因でした。

軍事的な先制攻撃という手段を別にすれば、対話と交渉の他に道はありません。またもや『ニューヨーク・タイムズ』に登場してもらいましょう。9月9日付の社説で「オバマ大統領は既存の制裁を強化し新たな措置を取ると言明している。だが、その効果は楽観できない。…共和党は反対するだろうが、問題の恒久的な解決には制裁を超えた交渉が必要なのは明らかだ」と述べ、北朝鮮政府が7月6日付で米政府との「対話再会」を提案した事実に言及しています。そして「大部分の専門家は、現時点での可能な目標が北朝鮮の核・ミサイル実験の中断であって、核プログラムの全面的な放棄ではないことを主張している。オバマ大統領の後任者は、北朝鮮の加速する脅威に緊急対処すべきだ」と促しました。

さらに、米政府の対外政策に一定の影響力を発揮する『米国外交協会(CFR)』も同様の提言をしています。「オバマ政権の対北政策(戦略的忍耐)は失敗した。核凍結を目標に、北朝鮮との交渉を速やかに再開すべきだ」というのです。一昨年から北朝鮮が提案してきた「核実験の中断(一時保留)と米韓合同演習の中断(縮小)」は、決して合意が不可能な交渉とは思えません。双方の利益に合致するからです。ただ、韓国政府の理解と協調が前提です。ところが“北の体制崩壊は間近に迫っている”との妄想に囚われた朴槿恵政権は、相変わらず「国連安保理の制裁強化」を掲げ諸外国に同調を求め行脚しています。

朝鮮半島の非核平和には、南北関係の改善が必須です。数日後には『10.4南北首脳宣言』の9周年を迎えます。その第4項は次のような内容でした。「南北は、現在の停戦体制を終息させ恒久的な平和体制を構築していくべきだという認識を共にし、この問題に直接関連している3ヶ国または4ヶ国の首脳が朝鮮半島地域にて会合し、終戦を宣言することを推進していくために協力する。南と北は朝鮮半島核問題解決のために六カ国協議の9・19共同声明、2・13合意が順調に履行されるように共同で努力することにした」。

また、その前提として第2項では「南北は思想と制度の差異を超越して、南北関係を相互尊重と信頼関係へと転換させていくことにした。南北は互い内部問題に干渉しないこと、南北関係に関する諸問題については、和解・協力・統一の精神に符合する方向で解決していくことにした」と謳っているのです。南北の両当局に、相互の体制尊重に基づく無条件での対話再開を訴えます(JHK)。
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忘却を願うのか?

2016年08月29日 | 三千里コラム

‘慰安婦’問題の日韓政府合意に抗議するキム・ボクトンさん(8.26,ソウル)



昨年12月28日、日韓の両政府は「‘慰安婦’問題が最終的かつ不可逆的に解決された」との合意を発表した。当事者の意思と心情を無視した政府間合意は歓迎されず、今も抗議と糾弾が内外で続いている。あれから8ヶ月が経過した今年の8月24日、日本政府は閣議決定により、10億円を韓国政府主導の「和解・癒やし財団」に拠出すると発表した。9月上旬までに、今年度の予算から支出されるという。菅義偉官房長官は「支出が完了すれば、日本側の責務は果たしたことになる」と述べた。

本当にそう思っているなら、あまりにも安易な発想であろう。昨年末の合意で岸田外相は、「‘慰安婦’問題の責任を痛感する」と発言した。真摯に責任を痛感するならば10億円は「賠償金」であるべきだが、「拠出金」と規定されている。言うまでもないが、「拠出金」に賠償や補償の意味はない。政府予算で開発途上国に支給される、「政府開発援助資金(ODA)」のような性格だと言えよう。

被害女性の一人キム・ボクトンさん(90歳)は8月26日、記者会見で次のように憤りを表現した。「幾ばくかのお金目当てに20余年間を闘ったのではない。日本政府が心から謝罪することが前提だ。韓国政府は‘慰労金’という名目でこの問題に幕を引こうとする。私たちを10億円で売り渡すことに他ならない」。

口先だけの謝罪で賠償を拒否する日本政府、被害女性たちの声に耳を傾けようとしない韓国政府…。日本では、‘慰安婦’問題合意に関する韓国社会の怒りが、なかなか理解されないようだ。参考のために、8月29日付『ハンギョレ新聞』のコラムを紹介する。筆者は統一外交問題のチーフであるイ・ジェフン記者だ。記者の糾弾は、被害女性たちを蔑ろにする朴槿恵政権に向けられている。(JHK)


忘却を願うのか?

朴槿恵大統領の言葉を思い出す。「被害者の方々は高齢であり、今年だけでも9名が他界された。生存者は46名となった。今回の合意は、こうした緊急性と現実的な制約の下で、最善の努力を傾けて成し遂げた結果だ」。昨年12月28日、韓日政府間の日本軍‘慰安婦’問題合意直後に発表したメッセージである。

大統領はその後も、折を見てこの合意を強調している。そして、12・28合意を批判する人々を‘無責任な扇動をする輩’と断定してきた。幾つかの例をあげよう。
「最大限の誠意を持って、今できる最高の合意を求めて努力したことを評価すべきです。かつて国政を担当していた時には問題の解決すら試みようとしなかったのに、今になって‘無効’だと主張して政治的攻撃の口実とするのは本当に残念です」(1月13日、年頭記者会見)。

大統領はとりわけ‘真心’と‘切迫性’を強調する。「今でも遅すぎたくらいだ」(上述の年頭記者会見)。「年老いた被害女性(ハルモニ)たちが、1人でもたくさん生きておられる間に問題を解決せねばならないという切迫した心情で、集中的かつ多角的な努力を傾けた結果だ」(3.1節記念演説)と。

だが、いつからか大統領は、この問題を口にしなくなった。「韓日関係も歴史を直視しつつ、未来指向的な関係に新しく作り変えて行かねばならないでしょう」(8月15日光復節の祝辞)。大統領の年間演説のなかでも、最も重要な光復節の祝辞において、‘慰安婦被害者’の‘慰’の字も出てこなかった。韓日関係に関しても、ただ一行の言及に終わっている。

ならば率直に伺いたい。大統領は本当に、切迫した心情でハルモニたちの苦痛に共感しているのか。朴槿恵大統領は好悪の感情を隠すことができない人だ。自分の秘書官出身であるイ・ジョンヒョン議員がセヌリ党の代表(最高職)に選出されるや、大統領官邸に招待した。そして、庶民たちは存在すらろくに知らず口にもできない最高級の、トリュフやフカヒレ料理でもてなした。しかし、2013年2月25日の就任後、大統領は一度もハルモニたちを大統領官邸に招いたことはなく、暖かいご飯の一食すら接待したことがない。否、就任の以前であれ以後であれ、朴槿恵大統領はハルモニたちに直接会ったことがない。一度として手を握ってあげたこともなく、ご飯の一食も共に食べたことがないのに、どうしてハルモニたちの苦痛を共感するというのだろうか?

12・28合意を発表した当事者のユン・ビョンセ外交部長官もまた、合意から今日に至るまで、ハルモニたちには会っていない。ユン長官の言葉もそれらしく聞こえる。「被害者のハルモニたちが皆亡くなった後に合意しても、何の意味があるのか」(2015年12月31日、セヌリ党議員総会での報告)。昨日も‘切迫した心情’(8月28日『韓国放送』の日曜診断)を強調しているほどだ。ところでユン長官はなぜ、合意後すでに6名の方が無念な思いでこの世を去られたのに、ハルモニたちに直接合って説明し、慰労して理解を求めようとはしないのか?

彼はかつて、日本軍‘慰安婦’問題を「反人道的犯罪であり、人類の普遍的な人権問題であり、未解決の生々しい問題」(2014年3月5日、第25回国連人権理事会基調演説)だと強調したのだが…。ユン長官は今年の3月2日にも、第31回国連人権理事会で演説している。しかし彼は、韓日合意を踏まえてか、今回は慰安婦の‘慰’の字も口にしなかった。

大統領と外交部長官が願うのは何だろう? 忘却なのか? 記憶なのか?

収容者の90%がガス室で死んだアウシュビッツの生存者であり、“時代の証言者”でもあったプリーモ・レーヴィは警告した。「事件は起きたし、だからこそ、再び起こり得る。これが私たちの話そうとする核心だ」(『溺れるものと救われるもの』)。レーヴィは遺書とも言えるこの言葉を書き記した翌年、1987年4月11日に、トリノの自宅アパート4階から飛び降りて自ら命を絶った。‘記憶’を避けたがる世の中に疲れて…。

忘却を願うのか、あなたは。
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真の民族解放に向けて

2016年08月19日 | 三千里コラム

朝鮮半島の平和と自主統一を求める8・15民族大会(2016.8.15,ソウル・大学路)



久しぶりに、8月15日を祖国で迎えることになった。ソウルの旧西大門刑務所歴史館で開催される「2016西大門独立民主祝祭」に参加するためだ。大日本帝国の植民地統治が終了したこの日を、北では「解放節」、南では「光復節」と呼んで記念している。

今年で6回目になる今年の祝祭では、一つの特別展示が催された。第11獄舎の3号監房をブースにした「在日同胞良心囚-苦難と希望の道」という資料展示だ。ご存知のように1970年代~80年代にかけて、母国留学生をはじめとする数多くの在日韓国人がスパイ罪を捏造され、ここ西大門拘置所に収監された。再審裁判を通じて無罪判決の確定が相次いでいるが、今回の特別展示は、ようやく韓国内でもこの問題に対する関心が高まってきたことを反映しているようだ。

酷暑の折だったが、8月14日の前夜祭にはたくさんの入場者が訪れた。もちろん、他の展示室や文化公演などが中心で、特別展示が世論の注目を集めたわけではない。特別展示の実現には、管轄部署である西大門区庁の役割も無視できない。民選区長が野党(共に民主党)出身の進歩的な人士であったことも、一つの要因といえよう。

韓国民主化運動の成果の一つとして、過去事件の再検討事業を上げたい。盧武鉉政権期に設立され、李明博政権期に解散された「真実・和解のための過去事件整理委員会」がその典型である。だが、この委員会が担った使命は未完の状態だ。真相の究明と被害者の救済がなされていない公安事件が、決して少なくないのだ。そして、民族分断と軍事独裁に基因する民衆の苦痛を、事件数を示す統計データが語り尽くすことはできない。

何よりも祝祭の名称が、私たちの課題が未達成であることを示している。「独立民主」という用語は、植民地統治と独裁政権に抵抗した歴史を象徴している。しかし、「光復」が真の「民族解放」となるためには、分断に終止符を打つ「統一」の二文字が必要だ。遠からぬ未来に、西大門の行事が「独立民主統一祝祭」として開催されることを願ってやまない。

当日(8月14日)の夜、ソウルの市庁広場では「8・15自主統一大会」の前夜祭が開催された。諸団体と全国各地からの参加者で広場は埋まり、「サードの韓国配置撤回、朝鮮戦争平和協定の締結、南北当局対話の再開」などを掲げ熱のこもったスピーチと文化公演が行われた。中でも、全国を巡回して平和統一の気運を高めてきた「統一先鋒隊」の青年学生たちが舞台に登場すると、ボルテージは頂点に達した。

相次いで、プロの芸術家たちにも劣らない公演がくり広げられた。何よりも、日本では想像できない平和統一への熱気に触れることができ、感慨もひとしおだった。統一運動の市民的な拡大という課題が、少しづつ現実化されているようで頼もしかった。

さて、リオ・オリンピックも残り少なくなった。フィナーレはやはり男子マラソンのようだ。思い起こせば、80年前の1936年8月9日、ベルリン・オリンピックの金・銅メダリストは植民地朝鮮の青年だった。ソン・ギジョン(孫基禎)とナム・スンリョン(南昇竜)。「消えた国旗」という事件を記憶される読者も少なくないだろう。表彰台中央のソン・ギジョンから、ユニホームの日の丸を消したとして、民族紙が停刊処分を受けたのだ。

表彰式で日の丸を見上げることを拒否した二人の青年、ユニホームの日の丸を消した民族新聞。植民地の時代を生きたアスリートとジャーナリストの、ささやかな、しかしとても勇敢な抵抗だった。

最後に、朝鮮民族の誇りだった二人のメダリストに関する逸話を紹介しよう。マラソン競技の終了後、大日本帝国の代表チームがレセプションを開催したが、二人は参加せず、朝鮮人だけの祝賀会に現れた。豆腐工場の壁に太極旗を掲げた祝賀会は、在独同胞のアン・ボングンが主催した。アン・ジュングン(安重根)義士の従弟である。

朝鮮国内は二人の快挙に沸き返った。「ソン・ギジョン万歳(マンセー)」の叫びは、1919年の3・1独立運動を彷彿させるほどだったという。8月13日、『朝鮮中央日報』と『東亜日報(地方版)』に日章旗を消したソン選手の写真が掲載された。朝鮮総督府は当時、印刷機の不都合で起きたことだろうと不問にしたそうだ。ところが8月25日の『東亜日報』に再度、日章旗のない写真が登場するや大騒ぎになった。『東亜日報』は無期停刊、独立運動家ヨ・ウニョン(呂運亭)が社長の『朝鮮中央日報』は廃刊に追い込まれた。

青年ソン・ギジョンの気概も大したものだった。ベルリンで外国人にサインを求められると、必ずKOREAと書いた。一連の行動から大日本帝国の特別高等警察は、彼を要視察人物としてマークした。ヨ・ウニョンとも親しく、私席では「思想犯として睨まれても構わない」と発言していた彼に対し、大日本帝国の報復は残忍で執拗だった。

「不逞鮮人が独立の気運を高めかねない」との理由で、彼はその後、内外の主要な大会に参加できなかった。マラソン・ランナーとして全盛期だったソン・ギジョンの心情は如何ばかりであったろうか。翌年、彼は明治大学の予科に入学するが、陸上部には入らなかった。彼が再びトラックに勇姿を見せるのは1988年、ソウル・オリンピックの最終聖火ランナーとしてだ。ベルリンの英雄はすでに、76歳だった。(JHK)

 
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怪物『サード』と戦う韓国社会

2016年07月16日 | 三千里コラム

『サード』配置に反対する星州郡の住民(7.13)



2006年、韓国では「怪物(クェムル)」という映画が大ヒットした。駐韓米軍基地から放流された化学汚染廃棄物が原因で、漢江に巨大な化け物が発生して住民を襲うという内容だった。10年後の今年、新たな怪物が出現した。名前を『サード(THHAD=終末高高度ミサイル防衛体系)』という。韓国社会は大変なパニックに陥っているが、発生の根源はやはり米国だ。

7月8日、米韓の両政府は記者会見で、駐韓米軍基地への『サード』配備を表明した。5日後の7月13日には、配置区域が慶尚北道星州郡に決定したと発表している。国会の審議を経ておらず、地域住民の世論を聴取したわけでもない。決定と発表は一方的だった。今回の決定には、朴槿恵大統領の意向が強く反映されているという。

政府の公式発表文によると、『サード』配置は“北朝鮮の核兵器・弾道ミサイルの脅威から大韓民国と国民の安全を保障し、韓米同盟の軍事力を保護するための防御的な措置”だという。もし政府の説明が正しいのなら、どうして星州郡の住民だけでなく、野党や各地の市民団体まで『サード』配置にこぞって反対するのだろうか。

軍事的な見地から、『サード』が北朝鮮のミサイル迎撃には無用の長物だと言われてきた。また、環境破壊や電磁波による地域住民の健康侵害も指摘されている。何よりも、米国の真意が中国(ロシア)を軍事的に牽制するためであることは明白で、中韓関係の悪化と東北アジアの緊張激化は避けられない。朴槿恵政権は対北制圧政策の一環と見なしているようだが、この怪物を引き入れることは韓国の国益を大きく損なうことになるだろう。

今回の『サード』騒動を見るにつけ、米韓の従属的な関係がいかに深刻な弊害をもたらすのか、痛感せざるを得なかった。そして、敵対的な南北関係に埋没する韓国の保守政権は、亡国的な対米依存を深化させるしかないようだ。

『サード』配置の発表は電撃的だったが、決定の過程はそうではない。数年間の周到な準備と検討を経たものである。国内世論の反発を恐れた韓国政府が、その過程を隠し続けただけだ。1年前にも『サード』配置をめぐる論争が、主要なメディアに取り上げられていた。その際に、韓国政府は「3No」を掲げて煙に巻いたものだ。“米政府の要請もなく、両国間に協議もなかった。よって何らの決定もない”という「3No」である。

しかし、『サード』配置が公式的に提起されたのは、それより前の2014年6月3日である。当日、ソウル市内の某ホテルで国防研究院が主催した安保フォーラムが開かれた。その席上、当時の駐韓米軍司令官カーティス・スカパロッティは「韓国への『サード』配置は米国の主導権(initiative)だ。司令官として、すでに私は本国政府に配置を要請した」と述べている。

“主導権”という表現は、韓米関係の本質を象徴する言葉だ。有事の作戦指揮権(事実上の統帥権)を米軍に譲渡している韓国政府は、駐韓米軍基地内にどのような兵器が導入されるのか、関与する権限すら与えられていない。米軍の決定に従うだけである。1950年代後半にどの種の核兵器が導入されたのか、それがいつ、どのような理由で撤去されたのか(誰も確認していないが)、韓国政府と国民は事後に推測するしかない。

今回も同様だろう。ただ、米政府が周到なのは、形式的ではあるが、韓国政府の体面を慮る素振りを見せていることである。“主導権”という上から目線ではなく、“同盟次元での合意”という体裁を装うことにしたのだ。提案者はカーティス・スカパロッティの前任者、バーウェルベル元駐韓米軍司令官である。

2014年7月、ワシントンで開かれた某セミナーで彼は、「『サード』の配置は韓国民にとって極めて複雑な問題だ。韓国政府が合意を受け入れ、国民の同意を得やすいように配慮すべきだ」と忠告を忘れなかった。それで、今回の両政府公式発表文には、“主導権”という用語を避けて“同盟次元での決定”と表記されれいる。

だが、単なる言葉遊びで、従属的な米韓同盟の本質が糊塗されるものでもあるまい。今回の『サード』配置を法律的な観点で見るなら、韓国の「防衛事業法」ではなく、「駐韓米軍地位協定」を適用したことに注目すべきであろう。地位協定(SOFA)の正式名称は「大韓民国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約第4条に基づく施設及び区域並びに大韓民国における合衆国軍隊の地位に関する協定」だ。そして、1953年10月1日に結ばれた「韓米相互防衛条約」は、1951年9月の「日米安保条約」をモデルにしている。

「駐韓米軍地位協定」第2条は次のような内容だ。
「合衆国は大韓民国内の施設と区域の使用権を供与される。各施設と区域に関する協定は、本協定28条の規定する合同委員会を通じて両政府が締結する」。

つまり、韓国政府にできることは、『サード』配置に適切な地域を選び、米政府に供与する協定に署名することだけなのだ。7月13日、『サード』配置の地域を星州郡と発表したことは、両国間ですでに、
星州郡供与の協定が締結されたことを意味する。

だが、問題はこれで終わらない。政府の責任は厳しく問われねばなるまい。どのような条件で土地を供与したのか、臨時的なのか永久供与なのか...。国防長官は米政府との『サード』配置協定を公開すべきである。供与期間だけでなく、供与土地の規模や私有地の収用有無も明らかではない。にも拘らず、『サード』の配置は“決定であって国会の同意対象ではない”と強弁するなら、もはや民主的な法治国家の行政とは言えないだろう。

また、『サード』の運営費用が年間1兆5千億ウォン(約1500億円)だというが、誰が負担するのか。国民の疑問と抗議に応える意味からも、朴槿恵政権は『サード』配置協定の全文を即時に公開すべきである。たとえ“大韓民国と国民の安全を保障する”協定であり合意といえども、主権者である国民の同意(国会の承認)がなければ無効である。大統領の決断が「法律」ではないからだ。

最後に、『サード』配置に強く反対してきた中国政府の見解を引用したい。政府系の機関紙『環球時報』は7月10日付ウェブサイトに掲載した労木の署名記事で次のように述べている(浅井基文さんのコラム「21世紀の日本と国際社会」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2016/821.htmlを参照)。

「中国は韓国に対して一再ならず、『サード』の韓国配備を許すことはアメリカのために火中の栗を拾うことであり、韓国にもたらされるのは安全の高まりではなく、安全がさらに損なわれることだと諫めてきた。...韓国はアメリカの圧力に屈し、『サード』を我が家に導き入れ、自分を縛った縄をアメリカの手に差し出した。その行動は中露の怒りを買い、本来は良好だった中韓関係に破壊的要因を持ち込んだ。大国の駆け引きにわけも分からないままに口を差し挟むと、うまくやらない場合には引火して我が身を焼くことになるという自明の道理を、韓国当局は認識するべきであり、...」。

10年前の映画では、市民が力を合わせて怪物(クェムル)を退治した。今回の『サード』という迷惑な怪物も、市民の連帯した力で退治したいものだ。だがその連帯は、国際的なものとして推進されるしかないようだ。なぜなら、『サード』の重要なパーツが、青森県つがる市の車力分屯基地や京丹後市経ヶ岬に設置されたXバンド・レーダーなのだから。(JHK)
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朴槿恵大統領のマッカーシズム

2016年06月28日 | 三千里コラム

首席秘書官会議で冒頭発言を述べる朴槿恵大統領(6.27,青瓦台)



朴槿恵大統領は6月27日、青瓦台(大統領官邸)で首席秘書官会議を主宰した。大統領は韓国社会が総体的な危機状況にあるとの認識を示し、それへの対処として、国民の団結と政府への全面的な支持を強調した。

当日、北への露骨な敵意を反映した大統領の言辞は、冷戦時代のマッカーシズム(アカ狩り)を彷彿させるものだった。特に国内の反対勢力を“内部の敵”と規定しその一掃を煽動するのは、実父・朴正煕の独裁統治下で見飽きた手法である。現政権への批判の意を込めて、会議における朴槿恵大統領の主要発言を検証したい。

朴槿恵大統領の現状認識は以下の通りである。
「英国のEU離脱など、韓国経済を取り巻く内外の条件は日増しに悪化している。加えて、ミサイル発射をくり返す北朝鮮の挑発行為は、わが国の安全保障に深刻な危機をもたらしている」

ところが、危機状況への対処において朴槿恵大統領は、極めて飛躍した見解を述べている。
「国論を分裂させ北朝鮮を擁護する勢力が存在する。彼らが公然と活動しているのを座視してはならず、防止しなければならない。...国家の危機に際して最も警戒すべきなのは、内部の分裂と無関心だ。かつて(南)ベトナムが崩壊したのも、国内の分裂と国民の無関心が大きな原因だった」

では、朴槿恵大統領の言う「国論を分裂させ北朝鮮を擁護する勢力」とは誰か?
どうやら、『民主社会のための弁護士の集い(民弁)』を指しているようだ。民弁は今、政府が総選挙の直前に公表した集団脱北(中国の北朝鮮食堂女性従業員)事態に対し、当事者たちの身辺保護と意思確認が必要だと主張し、彼女たちとの面会を要求している。言うまでもなく、真相の究明を恐れる政府は一切の面会を許可しない。

また、「共に民主党」前代表のムン・ジェイン氏も含まれているのだろう。彼は米政府に対し、戦時作戦統制権(事実上の統帥権)の返還を要求すべきだと主張しているからだ。前日(6月26日)に出した論評で与党・セヌリ党は、ムン・ジェイン氏に「北朝鮮の政権を擁護する態度だ」と露骨な非難を浴びせている。

民弁やムン・ジェイン前代表を“内部の敵”と見なす朴槿恵大統領は、北への制圧政策に全力を投入してきた。“圧力をかけ続ければ北の体制は崩壊する”との妄想への執着は、歴代のどの大統領よりも強いようだ。以下の発言から、その一端を窺えるだろう。

「北朝鮮を変化させる唯一の方法は、より強力な制裁と圧迫だ。北朝鮮の核・ミサイル開発意志よりも、これを防ごうとする私たちと国際社会の意志がはるかに強いということを、彼らに見せつける必要がある。国際社会は今、北朝鮮問題に対してどの時よりも強力な連帯を形成している。このような国際社会の連帯とともに、私たち国民の団結と意志が何よりも重要だ」

朴槿恵大統領の頑なな発言には、野党からも驚きを越えた慨嘆の声が後を絶たない。とりわけ、金大中元大統領の三男、金弘傑(キム・ホンゴル)「共に民主党」前国民統合委員長
の指摘が的を射ている。彼は当日のツイッターで次のように述べた。

「故障した録音機でもあるまいに、いつまで昔ながらのアカ狩りと従北騒動に熱を上げているのだ。...南ベトナムの崩壊は、植民地支配に協力した反民族的で無能な指導層のためだ。彼らが国民を分裂させて戦意を喪失させたのだ」

彼はまた、現政権の悪政を厳しく糾弾している。
「テロ防止法や国定教科書の導入を強行して国民を分裂させたのは誰か。...ベトナム崩壊を口実に国民を脅迫し、大統領緊急措置を宣布したのは朴正熙だった。独裁政権の手法を再び使うというのか!韓国経済が深刻な状況だと言いながら、呑気な外遊に明け暮れているのは、他でもない大統領御本人ではないか。総選挙で苛酷な審判を受けたなら、少しは自重するのがよろしかろう」

参考までに、世論調査機関『リアル・メーター』が6月23日付で公表した朴槿恵大統領の支持率は、前週に比べ2.3%下落の35.1%である。一方、不支持率は2.0%上昇し60.0%だった。35%の支持率を、どう評価すべきなのか...。「不安定」には違いないが、「レーム・ダック」と見なすにはまだ尚早のようだ。ただ明らかなのは、大統領には、総選挙の民心を尊重する意志は皆無であるということだ(JHK)。
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反動化する時代状況に抗して

2016年06月07日 | 東北アジアの平和

岸信介・池田勇人らと歓談する朴正熙(1961.11.12、東京)



「在日朝鮮人人権協会」の機関誌『人権と生活』第42号(2016年6月刊行)は、“反動化する時代状況に抗して”というテーマの特集を組んでいます。そのなかで、日本軍「慰安婦」問題に関して昨年12月、日韓両政府が交わした合意についてその問題点を様々な視点から分析しています。三千里鐵道顧問の康宗憲さんも寄稿しています。「在日朝鮮人人権協会」のご厚意により、その全文を以下に転載します(三千里鐵道事務局)。


植民地主義と民族分断の克服に向けて   康 宗 憲
             
                                
解放と分断の70年が過ぎて

 朝鮮民族にとって解放70周年に当たる2015年は、これといって祝賀する成果もなく過ぎていった。安倍首相の戦後70年談話に接した私たちは、言葉だけの反省と謝罪のパフォーマンスに、やり場のない憤りを覚えるしかなかった。談話のハイライトは日露戦争への評価だった。言うまでもなく日露戦争は、大日本帝国による朝鮮植民地化に決定的な契機となった戦争だった。ところが安倍談話は「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた戦争」と美化している。朝鮮民族に対する破廉恥な開き直りであり、歴史修正主義を超えた「歴史の歪曲・捏造」と言わざるを得ない。

 一方、祖国の地に目を向ければ昨年も朝鮮半島の軍事緊張が高まり、南北関係は改善されぬまま節目の年を越してしまった。8月には、南側非武装地帯での地雷爆発を機に局地的な砲撃戦が発生し、解放を記念するどころか、南北分断を象徴する敵対状況となった。

 20世紀に、植民地支配とそれに続く民族分断の試練を生きた朝鮮民族は、21世紀の今も、そうした負の歴史を担いながら未来を切り開いていくしかない。私たちはまだ、植民地統治の残滓を払拭できておらず、新たな課題となった民族分断も克服できていないからだ。昨年12月28日、日本軍「慰安婦」問題に関する屈辱的な合意が韓日政府間で交わされた。交渉に臨んだ両国の姿勢と発言は、あたかも1965年の『韓日条約』締結過程を再現するかのようだった。「歴史は二度くり返す」のが真理であるなら、今回は紛うことなき「茶番」であろう。
 クーデターで執権した親日派の父親を讃える娘が、対日外交において異なる姿勢と原則を堅持すると願うのは、まさに「縁木求魚」というものだろう。そのことを誰よりも正確に見抜いていたのが岸信介の外孫だった。だから安倍首相は、当時も今も、日韓関係を楽観している。定期的な首脳会談をしなくとも、日本の国益は十分過ぎるくらいに保障されているのだから。「慰安婦」問題の交渉過程を見るにつけ、植民地統治の後遺症が極めて深刻であり、私たちの民族解放(植民地主義の克服)はまだ未完であると痛感するしかなかった。

 2016年の冒頭から、北の核実験と衛星ロケット発射を機に朝鮮半島は、再び国際社会の耳目を集中させることになった。国連安保理の制裁決議に加え米韓合同演習の拡大強化によって、朝鮮半島には再び戦雲が立ちこめている。世界的には東西冷戦が終焉して久しいのに、朝鮮半島は今も冷戦構造が厳然と存在し圧倒的な規定力を発揮している。朝鮮戦争の停戦体制が維持され、朝米・朝日の敵対関係は解消されていない。“北朝鮮の核・ミサイル脅威”も、こうした冷戦構造の産物であることを直視するなら、その解決は冷戦構造の克服、即ち朝鮮戦争の終結(平和協定)と朝米・朝日の関係正常化を推進することでしか実現しないだろう。解放と分断の70年が過ぎた今、朝鮮半島の平和と自主統一を願う立場から、私たちの課題を考察してみたい。

朴正熙政権の外交

 1965年の『韓日条約』については、その内容と交渉過程に関して深刻な問題点が多方面から指摘されている。その詳細を論じることが本稿の目的ではないので、いくつかの確認にとどめたい。

 先ず、基本条約で植民地支配に関する言及が皆無である点だ。日本政府は「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」という条文を、“当時は有効だったので、併合(植民地支配)は双方の同意による合法的な措置”だと主張する。韓国政府は“当初から無効”と主張するが、“無効になった時点は大韓民国樹立の1948年”とする日本政府の解釈は一貫している。国会答弁によれば歴代の日本政府(村山内閣を含め)も、少なからぬ日本国民も“植民地支配=日韓併合は両国が条約で合意した”との認識に執着している。“合法的だが苦痛も与えたので遺憾に思う”ぐらいの歴史認識なのだ。

 では、朴正熙はこの問題をどう理解していたのだろうか。1964年3月16日、彼は国内記者との書面会見で「過去、韓日両国間の諸条約はすでに1951年のサンフランシスコ講和条約で、全て無効になったと見做されている。...よって今回の国交正常化に際して、事さらに不名誉な条約に言及する必要はない」と述べた。有効期間を、日本政府よりも長期にとらえているのだ。

 大日本帝国の陸軍士官学校卒業・満州国軍将校という経歴は、彼にとって立身出世の手段だった。そうした人士が朝鮮植民地統治を否定するはずもないし、それが断罪されるべき歴史だとも思わなかっただろう。朴正熙政権で対日交渉を担当した高位官僚たちの殆どが、大日本帝国に服務した親日派だった(首席代表の金東祚は1943年九州帝大在学中に高等文官試験行政科に合格し、大日本帝国政府厚生省に勤務。初代駐日大使)。そして交渉相手の日本政府代表団は当時、彼らの上官に該当する職責だった。植民地期に形成された“主従関係”は重い。こうした人間関係のもとで、対等な国交交渉は当初から不可能だったのではないだろうか。

 「親日・反日」というのは、単に日本への親近感や反感を意味する言葉ではない。それは歴史用語だ。日本の植民地統治を容認し服務したのが「親日」であり、それを拒否し自主独立を目指したのが「反日」、積極的に武力闘争すれば「抗日」になるのだ。典型的な「親日派」である朴正熙・元大統領の歴史観を検証してみよう。

 1961年11月12日、クーデター執権から約半年後に来日した彼は岸信介、池田勇人、佐藤栄作らと会合した席で「私は政治も経済も知らない軍人だが、明治維新で日本の近代化に献身した志士たちのような心情で、韓国の政治を担当していく決心だ。...強力な軍隊を育成するには日本式の教育が最高だ」と述べ、日本の陸士出身という経歴と日本精神をしきりに強調したという。もちろん対話は日本語だった。

 李東元は『韓日条約』に調印した当時の外務長官である。彼が退任後に出版した『大統領を懐古して』という本に、この日の状況が生き生きと描かれている。朴正熙が「諸先輩方、どうか私たちを助けて下さい。日本が韓国より進んでいるのは明らかなので、“兄貴”として敬います。“兄貴”の立場で私たちを育てて下さい」と述べたそうだ。その場にいた日本側の人士たちは「ようやく話の通じる相手に出会った」と、喜色満面だったという。

韓日条約のもう一つの問題点は、植民地支配に関連した膨大な被害補償を、国家賠償ではなく請求権協定(無償3億ドル、有償2億ドル)で安易に最終解決を図ったことだ。“合法的な併合”という立場の日本政府に、植民地支配の責任を認め賠償に応じる意思はもとより皆無だった。
 1949年12月作成の外務省『割譲地に関する経済的財政的事項の処理に関する陳述』は、サンフランシスコ講和会議を控え、日本の植民地統治がいかに正当で肯定的なものであったかを主張するための文書だ。そこには「日本のこれら地域に対する施政は決していわゆる植民地に対する搾取政治と認められるべきではない。...最も低開発な地域の経済的、社会的、文化的向上と近代化はもっぱら日本側の貢献によるものである」と書かれている。

 米政府の協力でサンフランシスコ講和会議に南北朝鮮と中国など、大日本帝国の最大被害国家を排除することに成功した日本政府は、1952年に『日韓請求権問題に関する分割処理の限界』(外務省)なる文書を作成する。骨子は「今回のサンフランシスコ条約による朝鮮の独立承認については、朝鮮は日本とは戦争関係になかったのであるから、もとより賠償問題の生ずる余地はなく、従って両国間の請求権問題は、単なる領土分離の際の財産及び債務の継承関係として取り扱われるべきものである」というのだ。

 “領土分離”という発想の根底には、“植民地支配は正当で恩恵を与えた”との歪んだ認識があるのだろう。その一端を示すのが、日韓交渉の首席代表を務めた高杉晋一の発言である。彼は交渉が大詰めを迎えた1965年1月7日、外務省記者クラブで「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした。...日本に謝罪せよというのは妥当ではない。日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみな置いてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫というものではない」と放言した。1953年10月15日の久保田妄言を凌ぐ露骨な歴史歪曲だったが、政府のオフレコ要請に応じた日本の主要紙は全く報道しなかった。

 日本政府がここまで高圧的な発言をくり返したのは、朴正熙政権が自ら屈辱的な姿勢を示したからでもある。1965年2月17日、日韓条約の仮調印に訪韓した椎名外相を歓迎する席上で、李東元長官は「過去のある期間、両国民には不幸な関係があった」と述べている。植民地統治という言葉も、36年という期間も言及せずに、膨大な被害と苦痛を単に“両国民にとって不幸な関係”だったと表現したのだ。一体、どちらの外相が発言したのか判断しかねる言葉だが、これが当時、朴正熙政権の偽らざる姿だったのだ。こんな連中を相手に、誰が謝罪しようと思うだろうか。

 請求権協定に関する朴正熙の発言も検証しておこう。朴正熙(当時は国家再建最高会議議長)は1961年11月12日、池田首相との公式会談に臨んだ。その場で彼は「日本側が請求権問題に誠意を見せるなら、李承晩政権のように莫大な金額を請求するつもりはない」と述べている。会談後、韓国記者団に対し彼は極めて明確で重要な発言を行った。11月13日付『東亜日報』は朴正熙の発言を次のように伝えている。

 「対日財産請求権に関して、日本国民が誤解しているかも知れない。明確にしたいのは、我々の請求権が戦争賠償ではないことだ。韓日交渉の成否は、日本政府がどの程度の誠意を示すかにかかっている」。本格的な交渉を再開する前に、“賠償を要求しない”と宣言したわけだ。日本政府にとっては、まさに“神風”だった。同日付『朝日新聞』も、「池田-朴会談の最も注目すべき成果は、請求権の処理方式に関し双方が合意に達したことだ」と指摘している。

 参考までに、李承晩政権は発足初期の1949年、『対日賠償請求調書』を作成しGHQに提出している。植民地支配下の強制徴用に伴う人命被害や未払い賃金など、日本政府は73億ドルを賠償として支払う義務があると主張したものだ。これとて、被害の一部しか反映されていない金額だ。だが、請求権ではなく明確に賠償金として要求したからこそ、日本政府(吉田内閣)はあらゆる手段を動員して、米政府に韓国代表の講和会議出席を阻止するよう請願したのだろう。

 韓日交渉の過程を分析する際には、1950~60年代の東アジア情勢に米政府がどのように介入していたのかを考察する必要がある。

 1949年の中華人民共和国樹立と翌50年の朝鮮戦争勃発を機に、米政府は東アジアにおける主導権の確保を軍事・政治的な局面で追求せざるを得なくなった。対日講和会議を主導し日米安保条約で在日米軍基地の半永久化を達成したのが1951年だ。東京の連合軍最高司令部で日韓国交正常化に向けた最初の予備会談が始まったのも、その翌月(同年10月)である。米国が盟主となる「米日韓同盟」の結成は、その頃から米国の東アジアにおける最優先課題だった。そのためにも日韓の国交樹立は不可欠の前提である。

 60年代には中国の台頭が著しい。64年1月にフランスが中国を承認し、10月には中国が核実験に成功する。中国包囲網形成の必要性に加え、ベトナム戦争に本格介入して北爆まで敢行し始めた米政府にとって、65年は一つのタイム・リミットだった。

 難航する日韓交渉に拍車をかけるうえで、韓国軍事政権の登場は米日両政府が歓迎するところだった。そして支持基盤の脆弱な朴正熙政権は、両国からの支援を通じて経済成長を達成し、南北関係で優位を占める必要性にかられていた。65年8月14日、『韓日条約』の批准同意案が与党単独で国会を通過した。そして前日の13日にはベトナム戦争への派兵同意案が、やはり与党単独で国会本会議を通過している。韓国軍がベトナム戦争に参戦するのは、その2ヶ月後のことだった。

 日本政府にとって、朴正熙軍事政権は“兄貴として育てなければならない”存在だった。それは政権与党・民主共和党に対する政治資金の支援として行われた。米政府CIAの特別報告書『日韓関係の未来』(1966年3月18日)によると、日本企業6社が61~65年にわたって総額6600万ドルを支援したという。CIAはこの資金が、当該期間における民主共和党総予算のうち、三分の二に当たると記述している。だが、実際の金額は1億ドルをはるかに超えるものと推測されている。その後も続いたであろう両国権力の醜悪な癒着を断ち切らないかぎり、真の意味での日韓正常化はあり得ないだろう。 

 朴正熙政権に関しては、もう一つ追加しておきたいことがある。先に紹介した高杉晋一をはじめ、岸信介、佐藤栄作、椎名悦三郎、児玉誉士夫などが、日韓修好に寄与したとして大統領から勲章を授与されている。以降の歴代韓国政府が叙勲した日本の極右人士を含めると、その数は12名に達する。

朴槿恵政権の外交

 『韓日条約』はこのように、日本の植民地支配と侵略戦争の責任を不問にする“悪しき枠組み”となった。被害者の苦痛は省みられず、抗議の声は長期独裁体制を敷いた朴正煕政権の下で封じ込められた。しかし、1990年代に入り韓国の民主化が進展するなかで、元日本軍「慰安婦」や強制徴用被害者たちが、補償を求めて起ち上がった。日本市民との連帯を通じて、“悪しき枠組み”に対する困難な挑戦が始まったのだ。
 盧武鉉政権期の2005年1月、日韓請求権協定に関する文書がようやく公開された。それを受けて結成された「民官共同委員会」は同年8月、対策案として次のような公式見解を表明している。「日本軍慰安婦問題など、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決したと見做すことはできず、日本政府の法的責任は残っており...」。これは、「財産請求権問題が完全かつ最終的に解決された」とする“悪しき枠組み”が、当初から無効であるとの画期的な判断である。
 日本の法廷では敗訴が続いたが、韓国司法部は軍事政権下での不条理を正そうと良心的な判決を出している。2011年8月、憲法裁判所は「日本軍慰安婦問題に対する韓国政府の不作為は、国民の権利保護に対する義務の不履行である」との違憲決定を出した。そして翌年5月、大法院(最高裁)が「植民地支配に直結した不法行為による損害賠償請求権は、日韓請求権協定によって消滅しない」との判決を下している。これに基づき2013年には、ソウル・釜山の各高裁と光州地裁で、新日鉄住金(旧日本製鉄)や三菱重工業に対し賠償支払いを命ずる判決が出された。
 朴槿恵・現政権が出帆した2013年2月は、このように人間の尊厳を取り戻そうとする躍動的な状況だったのだ。安倍政権の歴史修正主義に対する韓国市民の強い反発を無視できず、現政権も「慰安婦問題の根本解決が実現しないかぎり、日韓関係の改善はない」と公言していた。だが、実父の最大功績として『韓日条約』を掲げている娘が、“悪しき枠組み”の見直しに尽力するとは思えなかった。

 朴槿恵政権の対日姿勢に明確な変化が現れたのは、『韓日条約』締結から50年の2015年に入ってからだ。年初から米オバマ政権の露骨な介入と圧迫が始まった。2月13日、米韓外相会談後の記者会見で、ケリー米国務長官は「歴史問題の解決には日韓双方の努力が必要だ。日韓関係の悪化は米国の国益を損なう。焦点を歴史問題ではなく、より重要な安保問題に当てるべきだ」と語った。日韓関係の改善による米日韓同盟の構築を優先し、日本政府の歴史認識には拘らないとの意思を表明したと言えよう。2月27日にはシャーマン国務次官補も同様の発言をしたが、それを受けて韓国与党のナ・ギョンウォン議員が鮮明な解釈をほどこしている。国会の外交統一委員長でもある彼女は「中国の台頭に対抗するためにも、韓日関係はより未来志向的に変化すべきだ。それが米政府の立場だ」と述べた。米政府の報道官かと錯覚するような発言だが、政権与党には“先見の明”を備えた人士が少なくないようだ。

 そして4月29日、安倍首相の米議会演説で日米間の歴史問題には終止符が打たれた。米政府と議会は安倍演説を、かつての戦争(アジア太平洋戦争)に対しきちんと反省し丁重な対米謝罪があったと、肯定的に評価したようだ。かつて2007年には、「日本政府は慰安婦問題に対し明確な謝罪と被害者への補償をすべきだ」と、全会一致で決議案を採択した米議会だった。この8年間に一体、何が変わったのだろうか...。何も変わっていない。日本政府が「慰安婦」問題の解決に向け、真摯に取り組んだ形跡は一切ない。逆に、安倍政権は「河野談話」の見直しすら企図している。変わったのは米政府と議会の方針だけである。

 オバマ政権の「アジア再均衡(リ・バランス)政策」において、中国への包囲網形成は緊急の課題であり、50年前と同じく「米日韓の軍事同盟」構築はその核心である。自らが盟主となり、集団的自衛権行使を可能にした日本を忠実な代理人に任命する。その下位に韓国を位置づけた従属的な三国同盟の構築において、歴史問題をめぐる日韓の葛藤は早期に収拾する必要があったのだ。歴史(慰安婦問題の解決)よりも、安保(米日韓の軍事同盟)を優先するのが米国の国益であり、そのためなら議会は、政府と一体となって日本に免罪符を与えることを躊躇しない。そのことを立証したのが2015年だった。

 『韓日条約』50周年の昨年6月22日、駐韓日本大使館で祝辞を述べた朴槿恵大統領は、「今年を韓日両国が新たな協力と共栄の未来に向かう転換点にしなければならない。最大の障碍となっている歴史問題の重い荷物を、和解と共生の心で降ろせるようにすることが重要だ」と語った。この頃から、大統領は“未来志向”や“大乗的な見地”という言葉を多用するようになった。だが、過去を直視しない“未来志向”は無意味である。歴史問題は降ろすべき重い荷物ではなく、解決すべき課題ではないのか。この時点ですでに、年末12月28日の屈辱的な合意は織り込み済みだったのかもしれない。

 朴槿恵政権の統一外交政策は、朴正熙政権と同じくその根底に、対北敵視政策がとぐろを巻いている。北の体制崩壊による吸収統一を政策目標に設定しており、その実現に向け米日と協調して軍事・政治・経済的な圧迫と封鎖を強化することを優先する。対話と交渉により南北の和解と協力を推進した金大中・盧武鉉政権とは正反対の政策である。だが、開城工業団地を一方的に閉鎖するなど南北関係を破綻させた現政権に対し、韓国市民は去る4月13日の総選挙で厳しい審判を下した。

 南北関係の悪化に加え、親日派を擁護し軍事政権を美化するための歴史教科書国定化、日本軍「慰安婦」問題の屈辱的な対日交渉、経済の失政による格差拡大などが、審判の対象になったと判断される。植民地主義と分断の克服という民族的な課題をおろそかにすることは、南北いずれの政権にも許されることではあるまい。

 最後に、日本との関係について言及したい。歴史問題(植民地支配の清算)において、被害当事者の声を封殺したままでの「最終的かつ不可逆的な解決」などあり得ない。1965年の「完全かつ最終的な解決」が空虚だったように、今回の「最終的かつ不可逆的な解決」も恥ずべき野合でしかないだろう。これが新たな“悪しき枠組み”とならぬよう、私たちは日本の良心的な市民とともに、歴史の反動に立ち向かって行こうではないか。 
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「5.18光州民主化運動」の36周年-真相は究明されたのか?

2016年05月19日 | 三千里コラム

光州民衆抗争36周年の前夜祭(5.17,光州市)



36年前の1980年5月18日、光州市民は新軍部勢力の「5・17非常戒厳全国拡大措置」に反対し、憲政破壊と民主化の逆行に抵抗して起ち上がった。全斗煥・盧泰愚を中心とする新軍部勢力は、事前にデモ鎮圧訓練を受けた空挺部隊を投じてこれを暴力的に鎮圧したために、数多くの市民が犠牲となった。市民虐殺の契機となったのは、その年の5月21日、国防長官室で開かれた新軍部勢力指揮官たちの緊急会議だった。出席者は、イ・フィソン(参謀総長、戒厳司令官)、全斗煥(合同捜査本部長、保安司令官)、盧泰愚(首都警備司令官)、チョン・ホヨン(特殊戦司令官)などである。“光州市民の闘いが激しく鎮圧が容易ではない”との現地報告を受けた彼らは、出動した軍人たちに「自衛権の発動(発砲許可)」を決議する。

自衛権発動の決定から約2時間後の同日午後1時、光州市クムナム路では戒厳軍が市民に対し一斉射撃を開始した。銃声が鳴り止んだのは午後4時だった。その日だけで、キム・ウァンボン君(当時中学三年生)ら34名が犠牲となった。自国民を躊躇なく虐殺する戒厳軍に対抗するため、光州市民は手に銃を取り「市民軍」が組織された。他地域の支援を得ることもできず完全に包囲され孤立した状況だったが、光州市民は全羅南道の道庁に篭り民主主義の松明を掲げ続けた。5月27日午前0時、戒厳軍の一斉攻撃を受け闘いは鎮圧された。10日間の闘いは夥しい犠牲をもたらした。政府の発表によっても、死者166人(傷痍後遺症の死者376人)、行方不明者54人、負傷者3,139人である。

長い間、光州市民の闘いは“北が扇動した暴動”“光州事態”などと罵倒され歪曲された。“暴徒”ではなく「市民軍」、“事態”ではない「民主化運動」として正当な評価を受けるまでには、光州という地域を超えた韓国市民社会の目覚めが必要だったし、苦難に満ちた民主化運動の進展を待たねばならなかった。その後、1987年の全国的な民主化抗争と文民政権(金泳三政権)の登場を機に、1995年「5・18民主化運動などに関する特別法」が制定され、犠牲者に対する補償および犠牲者墓地の聖域化がなされた。また、1997年には「5.18民主化運動」を国家記念日に制定し、その年から政府主管で記念行事が開かれている。

ところが、李明博・朴槿恵政権のもとで極右勢力を中心に、歴史を修正し光州民主化運動の精神を貶めようとする動きが本格化している。5月18日、光州市で開催される記念行事に、朴槿恵大統領は今年も参加しなかった(3年連続)。そして、記念式典で歌われてきた「ニム(あなた)のための行進曲」の斉唱を引き続き拒否している。合唱には反対しないそうだ。「合唱」と「斉唱」はどこが違うのか? 本質的な歴史認識の差異が反映される。参加者にとって「合唱」は聞くもので、必ずしも一緒に歌うことではない。一方、「斉唱」は民主化運動の精神を継承する意思を込めて、参加者が全員で歌うのが前提である。今年の記念式典に大統領代理で参加し演説したファン・ギョアン国務総理は、周囲の参列者が自発的に「ニム(あなた)のための行進曲」を斉唱している間も、固く口を閉じて立っていた。“民主化運動ではなく暴動事態だ”という自身の頑なな認識を表明するかのように…。

さらに看過できないのは、5月17日発刊の『新東亜』6月号に掲載された全斗煥のインタビュー記事だ。そのなかで彼は「あの当時、誰が国民に“発砲しろ”と命令するかね。馬鹿なことを言うんじゃないよ! 私は光州事態とは何の関係もない」と、白々しく市民虐殺の責任を否定している。今も“光州事態”と呼んで憚らない彼の認識が、全てを代弁しているだろう。おそらくそれは、朴槿恵現大統領の歴史認識とも共通すると思われる。前述したように、「自衛権発動」という名目で市民への発砲を許可したのは彼らだった。誰よりも、当時の新軍部勢力で最高権力者だった全斗煥が発砲命令の責任を回避し、それが容認されている現状は、36年を経た今も「5.18光州民主化運動」の真相究明がなされていないことを如実に示している。

1995年12月に「5・18民主化運動などに関する特別法」が制定され、検察は全斗煥・盧泰愚元大統領をはじめ5・18の虐殺関連者16人を起訴した。そして1997年4月には、大法院(最高裁)が彼らに「内乱罪」を適用し無期懲役などの重刑判決を確定している。しかし、主要起訴項目の内乱罪や不正蓄財は、1979年12月の「粛軍クーデター」や執権後の不正蓄財を裁いたもので、光州市民の虐殺を断罪したものではなかったのだ。ちなみに同年12月、全斗煥・盧泰愚らは大統領の特赦で釈放された(2205億ウォンの追徴金を課せられた全斗煥は、今も1673億ウォンを未納)。一大茶番劇の幕はこうしてあっけなく閉じられた。

検察が作成した10万ページ余りに達する訊問調書のどこにも、「発砲命令者」は記載されていない。軍人の銃に撃たれた死者は数百人なのに、銃を撃てと命令を下した者はいないのだ。錦南(クムナム)路など、光州市の随所で虐殺を実行した現場の指揮責任者が誰一人として起訴されなかったのは、彼らが「上官の命令により行動した」と陳述しているからだ。命令を受けて虐殺に加担した者はいるのに、自国民を殺せと命令した者は存在しない。このような歴史の冒涜を許してきたのが、この36年だったのだ。1993年、韓国の市民社会団体は5.18関連諸団体と「5・18問題解決の5大原則」に合意した。①真相究明、②責任者処罰、③名誉回復、④集団賠償、⑤記念事業、がその5原則である。①と②の原則を貫徹するうえで、核心は発砲命令者を明らかにすることではないだろうか。

「ニム(あなた)のための行進曲」のフレーズにあるように、歳月は流れても山河は覚えている。「光州民主化運動」を“光州事態”と歪曲し、「市民軍」を“暴徒”と罵倒する輩が、今も白昼堂々と“愛国者”として振る舞う状況を座視してはならない。真相を究明して責任者を断罪することでしか、真の名誉回復は達成されないからだ(JHK)。
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セウォル号惨事から二年・・・ 三千里鐵道として横断幕を掲げました

2016年04月27日 | NPO三千里鐵道ニュース
2014年4月16日、決して忘れることのできないあのセウォル号惨事。

最初は誰もが単なる海難事故だと思いました。

それがあのような大惨事になるとは、誰も想像できませんでした。

2周忌となる今年4月16日三千里鐵道として、安山市の合同焼香所付近に横断幕を掲げました。

『セウォル号 真相究明できなければ大韓民国も沈没するだろう』

  セウォル号を記憶する在日同胞たち NPO法人 三千里鐵道


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2年前に在日同胞107名の連名で出されたハンギョレ新聞意見広告の文章を再掲します。

2014年5月31日付ハンギョレ新聞に掲載された在日同胞100人署名入り意見広告(最終面全面)




在日同胞から国内同胞への呼訴文

私たちは韓国が何よりも人の命と人権を大切にする国になることを願います。


4月16日、珍島沖で起こったセウォル号沈没惨事は、これまでにもたびたび発生していた韓国の水難事故でも最大規模のものでした。 304名もの死亡者・行方不明者のうち大半が、『船室でじっと待て』という館内放送を信じて避難しなかった高校2年生であったことが、私たちにさらに大きな衝撃と悲しみをもたらしました。 
死を目前とした高校生たちは、どれほど悔しく、恐ろしく、苦しかったでしょうか。 国内同胞の皆さんがそうであったように、私たち海在日同胞も、それを思うと、胸がつぶれ、天を仰ぎました。

今回の惨事では、船長を始めとする乗組員の職務放棄、乗客を放置したまま真っ先に逃げたことが大きくクローズアップされていますが、それだけが問題なのではありません。それは、私たち誰もが知っていることです。

船長を始めとした乗務員の大半が非正規職員であった… ここ数年の過度な規制緩和によって、老朽化したフェリーの航海延長を許し、定員増員のための無謀な改装を許した… 最大積載量の3倍もの貨物を積載し、しかも固定が不十分であった… 安全航海のために必要なバラスト水が基準の4分の1しかなかった… 積載されていた救命ボートがほとんどすべて不良だった… 海洋警察による救助の初動が遅れた… 高校生全員救助などというとんでもない誤報があった… 海洋警察、安全行政部、海洋水産部などの関係部署が指揮系統の統一もなくバラバラな対応をした… 海洋警察の艦艇に、救助用の装備がなかった… 海洋警察が予算をゴルフ場建設などに流用していた… 韓国軍の海難救助艦統営号の派遣が見送られた… 救助活動において民間会社が優先された… 公営放送KBSを始めとしたマスコミはその報道の本分を忘れ、不正確で歪曲された報道を垂れ流し、犠牲者やその遺族の心を踏みにじった… 政府に怒り抗議する犠牲者の家族たちを暴徒のごとく扱った…

セウォル号沈没惨事は、事故発生から救助の失敗に至るまで、天災でもなく、船長以下の乗務員の過失のみによるものでもなく、徹頭徹尾、清海鎮海運と政府行政機関、そしてマスコミなどによる、起こるべくして起こった人災だったのです。

今、政府は経済効率のみを最優先し、企業は利潤のみを最優先し、社会には利己主義がはびこり、人々は私利私欲に走る ― 拝金主義の国に堕落してしまったのでしょうか? 自分に与えられた仕事に誠実に取り組むことを忘れ、責任を負うことを回避し他になすり付けることに汲々とする姿は、指導的な地位にある人々において特に顕著であると言わざるを得ません。
その一方で人の命は軽んじられ安全はないがしろにされています。 労働者の人権は無視され、子どもたちはこの過酷な社会に適応するよう強制されています。
セウォル号沈没惨事には、現代韓国が抱えているこのような深刻な社会的病理が凝縮していると言わざるを得ません。 そしてそれは私たち、今の社会を作り上げてきた既成世代の責任なのです。 ソウル市庁舎に『미안합니다』(ごめんなさい)という大きなたれ幕が掲げられましたが、それはまさに私たちの心を代弁しているものと思います。
犠牲となった人々を正しく記憶し、この深刻な社会的病理に切り込むことなしには、第2、第3のセウォル号事件が起こるのです。それは、今回犠牲となられた人々を再び殺すことを意味します。

韓国の建国思想は『弘益人間』であり、我が国が古来より『東宝礼儀の国』と称されてきましたが、私たち在日同胞も、そのような国を取り戻すことを心から願っています。
そのためには、何よりも人の命と人権を大切にする国にならなければならないと思います。
国内同胞の皆さん、憲法第一条をもう一度かみしめて下さい。
「大韓民国の主権は、国民に存し、すべての権力は、国民に由来する。」 
国内同胞の皆さんが、セウォル号沈没惨事の犠牲者の前に厳粛に立ち、深刻な社会的病理におかされた我が国の社会を変革するために、主権者としていかなる行動をとるべきか、よく考えてみてください。

 2014年5月31日

姜承一 姜晃範 康正亨 康昌宗 郭洋春 高大博 高東林 高允男 具本煥 琴尚一 金健   金達範 金広文 金明秀 金美花 金民雄 金富子 金床憲 金聖雄 金成元 金秀男 金淳次 金迅野 金安弘 金栄官 金英淑 金暎淑 金利明 金仁煥 金昌 金在法 金在英 金哲雄 金春花 金泰煥 金必順 金恒勝 金和子 金幸子 金洪仙 法岳光徳 都相太 都相夏 都雄吾 文京洙 朴耕成 朴昌利 孫在福 宋君哲 宋裕介 宋在伍 宋千年  安聖民 安益濬 呉光現 呉幸哲 呉希昌 王咲恵 尹健次 尹多来 尹炳泰 李大宗 李斗煕 李民男 李史好 李相勁 李相浩 李順連 李裕之 李政美 이창훈 李哲 李鎬柞 林美蘭 林範夫 林成一 張智恵 田聖実 鄭甲寿 鄭貴美 鄭雅英 鄭然元 鄭暎惠 鄭喜斗 趙峰姫 趙華美 蔡明恵 蔡孝  崔正剛 崔春子 崔雪花 高山三奈子 原田宣幸 原田敏安 韓基徳 韓萬海 許伯基 許政安 広田直樹  他匿名6名


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開城工業団地を再稼働せよ!! 今年の6.15記念集会は6月18日です。

2016年04月22日 | NPO三千里鐵道ニュース


『小さな統一の奇跡の空間』  開城工業団地を再稼働せよ!!


 1月と2月に敢行された北の核実験と衛星ロケット発射に対し、南は開城工業団地の全面的な操業停止を通告しました。それを受け翌日には北が、開城工団を閉鎖して資産の凍結をし、軍事統制区域にすると宣言しました。

 『6.15共同宣言』が李明博-朴槿恵政権によって形骸化された中でも、南北の和解と経済協力の象徴である開城工団は、『小さな統一の奇跡の空間』として残り、2013年に韓米合同軍事演習への対抗措置として北が開城公団の閉鎖したことがありましたが、その時も約半年後には、南北両政権の合意の下、操業を再開しました。
その時、南北両政権は、「いかなる場合にも情勢の影響を受けることなく、開城工団の正常な運営を保障する」と約束して操業再開したにもかかわらず、朴槿恵政権は一方的に操業停止を通告したのでした。
 
 NPO法人三千里鐵道は、昨年来『在日同胞開城工業団地視察団』を計画し、2月12日に行うことで統一部の許可も得ていましたが、この事態を受けて中止に追い込まれました。それで急遽、事務局会議を持ち、下記のように決めました。

1.ハンギョレ新聞に意見広告を出すこと。

2.6.15共同宣言16周年記念集会に、開城工団管理委員会の企業支援部長として勤務し、昨年『開城公団の人々』という著書を発刊された金鎭香さんをお招きすること。

 金鎭香さんは、KAIST(韓国科学技術院)教授でしたが、この間の情勢の中で、辞任に追い込まれした。
 
 今は、開城工団の再開を求める国内と海外同胞の招きで、公園の毎日を過ごしていらっしゃいます。日本は、三千里鐵道がお招きしました。

略歴 
慶北大学 大学院 政治学 韓国政治、北韓/統一
大統領官邸 国家安全保障会議 事務局 韓半島平和体制担当官
大統領秘書室 統一外交安保政策室 南北関係局長
開城工団管理委員会 企業支援部長
KAIST(韓国科学技術院)未来戦略大学院 研究教授 
博士論文 韓半島統一に関する談論の分析

著書 
韓半島平和体制 2008年
開城工団の人々 2015年6月 

日時: 6月18日(土) 午後1時15分 開場 1時半 開演

場所: 名古屋YWCAビッグスペース
(名古屋市中区 新栄町2丁目3  愛知県芸術劇場 向側)

参加費:1000円 (学生無料)

主催:NPO法人 三千里鐵道 問合せ 0532-53-6999

なお、当日参加者の皆さんには、
1. 金鎭香さんの著書『開城工団の人々』の要約パンフレット
2. 三千里鐵道が意見広告を出したハンギョレ新聞

を進呈したします。


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韓国総選挙の民心

2016年04月18日 | 三千里コラム

無所属で当選した「統合進歩党」出身のユン・ジョンオさん(4.13,蔚山市)



4月13日、韓国で第20代国会議員総選挙が実施された。事前に野党が分裂したことから、与党「セヌリ党」の圧勝が予測されていた。ところが、「セヌリ党」は過半数議席どころか、第1党の地位からも転落するという意外な結果となった。今回の総選挙ほど、専門家たちの予測が外れた選挙もなかっただろう。本稿で、選挙結果に現れた韓国社会の民心を分析してみたい(JHK)。

1.各党の議席数と得票率の変化

韓国の国会議員総選挙は、小選挙区と比例代表の並立制で行われる。地域区253人、比例代表区47人の議員が選ばれ、任期は4年だ。各党の議席数を前回総選挙と比較すると、次のとおりである。「セヌリ党」(146⇒122)、「共に民主党」(102⇒123)、「国民の党」(20⇒38)、「正義党」(5⇒6)、無所属(⇒11)。また、比例代表の得票率では「セヌリ党」=33.5%、「共に民主党」=23.5%、「国民の党」=26.7%、「正義党」=7.2%だった。「国民の党」と「正義党」は今回新たに結成された新党なので、得票率の推移を比較できない。だが、「セヌリ党」は12.5%、「共に民主党」(旧民主統合党)は11.0%と、いずれも前回に比べ得票率が大きく減少している。

にも拘らず、「共に民主党」が第1党になったのだ(「セヌリ党」の公認を得られず無所属で当選した7人は復党の意志を表明しており、「セヌリ党」が129議席で第1党になると予測される)。今回の選挙結果には、小選挙区制の抱える問題点をはじめ、幾つかの要因が重層的に作用している。ただ、表面上の結果からは、「セヌリ党」=惨敗、「共に民主党」=善戦、「国民の党」=躍進、「正義党」(他の進歩政党も含め)=停滞、と短評できるだろう。

2.民心の審判

今回の総選挙は言うまでもなく、朴槿恵政権の愚政に対する容赦なき審判であった。韓国市民は国政全般に渡る大統領の傲慢で独善的な姿勢に憤怒しており、何よりも、経済の失政と南北関係破綻の責任を厳しく追及したと言えるだろう。具体的には、セウォル号惨事の真相究明放棄、歴史教科書国定化の強行、日本軍「慰安婦」問題の屈辱的な対日交渉、国会と野党を無視した強引な政局運営、青年失業率と家計債務の増大、開城工団の閉鎖と南北関係の断絶など、枚挙にいとまがない。何一つ、肯定的な評価に値する治績は見当たらないのが現状だ。このままではおそらく、最も無能な大統領として記憶されるのではあるまいか。英国公営放送『BBC』や米紙『ニューヨーク・タイムズ』なども、「朴槿恵大統領の独断的な統治スタイル、反政府デモへの強硬な対応」などを敗因としてあげている。

今回は、特定の政策をめぐる与野党間の論争も殆どない選挙だった。与野党は経済悪化の責任を相互に転嫁するだけで、未来への政策展望を何も提示しなかった。また、北朝鮮の核・ミサイル開発と米韓合同演習の強化という高度の軍事緊張下で実施された選挙だったが、外交・安保・統一問題などは争点にもならなかったのだ。実際の選挙遊説でも、与野党間にこれといった差異が見えなかった。さらに、比例代表候補の選出過程を見ると、経歴や資質の疑わしい人士を与野党の指導部が不明瞭な基準で公認するという、旧態まで露呈していた。有権者が投票場に向かう動機を見つけるのが困難で、「史上最悪の選挙」になるだろうと酷評されていたほどだ。

しかし、前回に比べ投票率は3.8%上昇し(54.2⇒58.0)、過半数議席の獲得を目指した与党は第2党に後退した。予想外の結果をもたらしたのは、有権者が共有した政権交代への強い願望だったと言えよう。韓国市民はもはや朴槿恵大統領の“統治”を望んでおらず、民主政治の回復と朝鮮半島の平和定着、公正な分配による格差の解消を求めているのだ。

ここで看過すべきでないのは、民心は「大統領と政権与党を厳しく審判した」のであり、「野党に全面的な支持と期待を表示した」のではないという事実だ。「共に民主党」と「国民の党」が議席を増やしたのは、両党の政策や主張が共感を得たからではない。あくまでも、朴槿恵政権と「セヌリ党」の失政がもたらした“反射利益”にすぎない。両党が一時的なバブル議席に酔いしれていると、民心の新たな審判を免れないだろう。

すでに「共に民主党」は今回、伝統的な支持基盤の全羅道で有権者の峻厳な審判を受けている。この地域で総28議席のうち、同党はわずか3議席を得たに過ぎない。「国民の党」が23議席、与党が2議席だった。特に「民主化運動の聖地」と呼ばれる光州市で全敗した(「国民の党」が全8議席を獲得)ことは、「共に民主党」にとって致命的な痛手と言えよう。

全羅道の民心が「共に民主党」から離反したのは、南北関係の悪化と政権の公安弾圧(「従北」攻勢)に際し、同党が右傾化を選択し保身に回ったことに起因している。金大中政権期の南北和解・協力政策(太陽政策)を擁護せず、その成果である開城工業団地の一方的な閉鎖を阻止しなかった「共に民主党」の現状は、全羅道の民心が同党への支持を撤回する十分な根拠となった。その結果、代案として「国民の党」に票が流れ第3党に浮上したのだ。

しかし、共同代表の安哲秀をはじめ「国民の党」の主要人氏は、ほぼ全員が中道もしくは穏健保守に分類される。決して、南北関係の改善や和解協力政策に粉骨砕身する意思を持っているとは思えない。同党のスローガンである“新しい政治”も何を意味するのか、具体的なイメージすら湧いてこない。野党内で主導権確保に失敗した「安哲秀とその仲間たち」が離脱し、「政権交代のためには第3党が必要だ」と旗を上げ、既存野党に失望している全羅道民に受け入れらたのだ。

これも一種の“反射利益”と言える。全羅道における変化は、「共に民主党」に対する審判の結果であって、「国民の党」への全面的な支持を意味するものではない。また、「国民の党」が名実ともに第3党として認定されるには、まだ程遠いと言わざるをえない。全羅道以外の地域では、ソウル市で2議席を得ただけなのだ。地域政党としての限界は明白であろう。

3.今後の展望と課題

今回の選挙は図らずも、憲法第1条の「大韓民国は民主共和国である。大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民より出る」を実感する場となった。韓国民衆の躍動的な力量を示し、民主化の成果が決して消尽したのではないことを証明したからだ。主(あるじ)である民(たみ)が、自らの意志で、保守政権による後退と反動への流れに歯止めをかけたのだ。野党は候補一本化に失敗したが、市民が自らの判断で、当選可能な候補を選択して投票した。首都圏における「共に民主党」の勝利は、こうした市民の賢明な判断によるものだ。

市民社会の意志はさらに、1987年の民主化抗争以後、30年間にわたって韓国社会を規定してきた「地域対立の構図」を変革する動力となっている。朴槿恵大統領の地元であり保守勢力の拠点でもある大邱市で、「共に民主党」の次世代ホープ、金富謙(キム・ブギョム)が与党の重鎮に圧勝した。大邱市をはじめ与党の支持基盤地域である慶尚道は総65議席の票田だ。今回、野党と無所属が17議席を占めたのは重要な意味を持つ。野党地域の全羅道でも、「セヌリ党」が2議席を獲得している。

「地域主義」に根ざした87年体制が崩壊に向かい、その代わりに「世代対立の構図」が顕著になっているようだ。特に、20代~40代の人口比率が高くその世代が積極的に投票した地域では、「共に民主党」と「正義党」、そして無所属の議席が増えている。こうした傾向は2012年の大統領選挙でも顕著だった。20代~40代は野党の文在寅候補に、50代以上は朴槿恵候補に票が集中した。ただ、全羅道と慶尚道だけは例外だった。両地域は世代を問わず、野党と与党に圧倒的な支持を与えたからだ。しかし今回、両地域でも世代間の差異が顕著に現れた。全羅道の20代~40代は「共に民主党」、50代~60代は「国民の党」を支持した。慶尚道では、50代~60代が「セヌリ党」を支持したが、20代~40代は「共に民主党」と無所属支持に傾斜している。

社会を変革し歴史を創造する力の源泉はどこにあるのだろう。それは民衆の「ひたむきな心」ではないだろうか。矛盾だらけの現状を変えたいという「ひたむきな心」だ。今回の選挙も、20代~40代の「ひたむきな心」がもたらした結果だと思う。中央選挙管理委と各放送局の出口調査によると、前回(2012年)に比べ世代別の投票率推移は以下の通りである。20代(45.0%⇒49.4%)、30代(41.8%⇒49.5%)、40代(50.3%⇒53.4%)。一方、50代以上の増加率は1%に満たない。政権に失望した高世代は投票に行かなったが、20代~40代は「ひたむきな心」で政権交代への強い意志を投票で示したのだ。

来年の12月に大統領選挙が控えている。政権交代を実現するには野党勢力の連帯が不可欠だ。「国民の党」の躍進で20年ぶりに三党体制が出現した。しかし不安定で過渡的な三党体制だ。「国民の党」は選挙後に、いち早く「セヌリ党」内部の反朴槿恵勢力に連帯のエールを表明している。一方、大統領候補に知名度の高い人物が見当たらない「セヌリ党」は、安哲秀に大統領候補の座を譲ってでも政権の延長を企図するかもしれない。大統領への道が開かれるのなら、どの政党であっても厭わないのが「安哲秀とその仲間たち」ではないだろうか。かつて金泳三が、与党との野合で大統領候補の座を得たように。

かつて金大中が野党の指導者だった時期、政権交代に向けた最大の拠り所は全羅道民の「ひたむきな心」だった。しかし今、盧武鉉政権を誕生させたもう一つの要因である、特定地域を超えた進歩・民主勢力の「ひたむきな心」なくしては、2017年の政権交代は実現しないだろう。その中核を担う20代~40代の意志に期待したい。この世代の力が、野党勢力の連帯を推進することを願う。

最後になったが、蔚山の地で、二人の無所属議員が誕生している。キム・ジョンフン(51歳)とユン・ジョンオ(52歳)だ。二人は労働運動の経歴が長く、朴槿恵政権の弾圧で強制解散された「統合進歩党」に所属していた共通点を持つ。二人はまた、与党の牙城だったこの地域で市議や区長を努めながら、労働者と市民の支持を広げていった。今回の選挙で民衆は、朴槿恵政権を審判し民主政治への確固たる意志を表明した。同時に、不当な弾圧でも決して消滅しない進歩政党の新たな可能性を、力強く立証した。韓国民衆の奮起に拍手を!
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