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韓国大統領選挙後の朝鮮半島

2017年05月15日 | 三千里コラム

文在寅候補の当選を祝うソウル市民(5.9.光化門広場)



❏ 市民集会がもたらした政権交代

 5月9日、韓国の第19代大統領選挙が実施され、「共に民主党」文在寅候補が41.1%の得票で当選した。過半数得票には至らなかったが、①次点の「自由韓国党」洪準杓候補とは557満票(87年以降で最大)の大差、②全国17の選挙区のうち大邱市と慶尚南・北道を除く14の地域で1位当選という二点から、有権者多数の支持を得た圧勝と評価できるだろう。保守政党の分裂があったとはいえ、金大中(39万票)・廬武鉉(57万票)の当選時とは比較にならない大差で当選したことは、文在寅政権に対する有権者の高い期待を示している。
 10年ぶりに民主政権への交代を可能にした要因は、言うまでもなく、昨年10月末からソウルを中心に全国的な規模で展開された市民集会である。民主労総や全農など、2,300を越える市民・社会団体による「朴槿恵政権退陣を求める国民行動」は、23回にわたる集会を毎週土曜日に開催した。そこには延べ1,700万人の市民が参加している。
 市民集会の要求は「朴槿恵の退陣・拘束」にとどまらない。長年に渡り韓国社会を蝕んできた「積弊」の清算と、不平等社会の根本的な変革を求めるものだった。政権、財閥資本、保守言論、検察・情報機関などが一体となって特権を謳歌する一方、大多数の市民は不安定な雇用状況と深刻な貧富格差に苦しんできた。広範な民意を結集した市民集会の威力こそが、躊躇する国会に「大統領弾劾訴追」を決議させ、優柔不断な憲法裁判所をして「大統領罷免」を決断させたのだ。5月9日付『ワシントン・ポスト』は、「韓国が世界に示した民主主義の実践」と題した記事で、今回の政権交代を「市民革命」と高く評価している。

❏ 政権交代の影響は?
 
 文在寅大統領は5月10日の就任演説で、朴槿恵・前政権を反面教師とする姿勢を強調した。国民を無視する権威主義的な大統領ではなく「国民と語り合う大統領」を目指すとし、政財癒着の根絶、検察の改革、情報機関の政治介入排除などを約束した。また、地域・階層・世代間の葛藤解消や非正規職問題の解決など、民生問題への早急な取り組みを宣言している。
 しかし、注目されるのはやはり、南北関係と外交政策に関する言及だろう。「必要な時はワシントンに直行する。北京・東京にも行くし、 状況が整えば平壌にも行く」という宣言は、「朝鮮半島の平和定着のためなら、私にできるあらゆることを厭わない」との決意があるからだろう。
 ただ、米政府の懸念と国内保守層の反発を意識してか、「韓米同盟のさらなる強化」が前提になっている。先に引用した『ワシントン・ポスト』の記事には「文大統領は北朝鮮との和解協力という伝統を引き継いでいる。北朝鮮との緊張を攻撃的に高めているトランプ政権とは相容れない姿勢だ」との厳しい評価がなされている。『読売新聞』に至っては、「文氏は親北・反日を貫くのか」と題した社説で、「南北関係改善を急ぐあまり、国際社会の対北朝鮮包囲網に穴を開けてはなるまい」と感情的な論調を展開している(5月10日付電子版)。
 米日両政府は「文大統領の就任を祝賀する」という外交辞令と同時に、不安の混じった警告を発しているのだ。韓国の政権交代、とりわけ南北関係の改善を志向する政権の登場は、必ずしも歓迎されないのだろう。

❏ 文在寅政権の課題と展望
 
 朝鮮半島の非核化と平和統一を中心に検討したい。参考になるのは、大統領選挙戦の最中(4月23日)に文在寅候補が発表した「朝鮮半島の非核平和構想」である。彼は金大中・盧武鉉政権期の太陽政策・抱擁政策を発展的に継承するとして、以下のように述べている。
 ①中国の役割ではなく、韓国の役割が重要である。中国を説得して六カ国協議を再開させ、米国を説得して米朝関係の改善を誘導し、北を説得して対話のテーブルに着かせる。②北の核放棄を先行条件とするのではなく、関連国すべてが同時行動の原則に依拠し、非核化と平和協定締結を包括的に推進すべきである。③南北首脳間の合意などは双方の国会批准を経て法制化する。開城工団の一方的な閉鎖など、政権交代による断絶を防止し永続性を保障したい。
 李明博・朴槿恵政権が破綻させた南北関係は、文在寅政権の下で徐々に改善へと向かうだろう。盧武鉉政権で要職に就き第二回南北首脳会談に深く関わった文大統領は、南北が民族経済共同体を構築し、経済協力と市場の統合を通じた均衡発展を目標に掲げている。ちなみに、第二回南北首脳会談の合意文書は『南北関係の発展と平和繁栄のための宣言』という副題がついている。
 多少の紆余曲折はあっても、閉鎖された開城工団は再稼働され、中断された金剛山の観光事業や離散家族の再会事業も復活するだろう。もちろん、国内保守層の反対は相当なものであり、楽観は許されない。また、対話と交渉を匂わせつつも対北制圧政策を撤回しない米日両政府は、軍事的な圧迫と経済封鎖を継続している。文政権との間で不協和音が発生ることは避けられまい。
 だが、さまざまな悪条件にも拘らず文在寅政権の登場は、膠着した朝鮮半島情勢を打開する重要な契機となるだろう。それを活かすも殺すも、南北政府当局の決断にかかっている。「隗より始めよ」ではないが、一切の前提条件をつけず、先ずは南北の当局間対話から始めてほしいものだ。(JHK)
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憲法裁判所の弾劾審判

2017年03月09日 | 三千里コラム

憲法裁判所の掲示板-弾劾審判宣告日の案内(17.3.8)



1.大統領は弾劾されるのか?

歴史的な審判の瞬間が迫っている。カウントダウンは始まっており、すでに12時間を切っている。憲法裁判所は3月8日、朴槿恵大統領への弾劾審判に関する宣告を、3月10日午前11時に行うと発表した。昨年12月9日、国会議員234名(定数300名)の賛成で朴大統領の弾劾訴追案が採択された。それから92日を経ての審判である。

憲法裁判所は9名の裁判官で構成され(現在は1名が欠員)、その内3名が反対すれば弾劾案は否決される。朴槿恵氏はその日に大統領として職務復帰し、来年2月まで国政を担当するだろう。しかし8名のうち6名以上が賛成すれば、彼女は停止中だった大統領の職責を即刻罷免され、一市民として検察のさらなる追及と捜査を受けねばならない。

民意はどうなのか。世論調査機関『リアル・メーター』が3月8日に実施した調査結果を見ると、弾劾支持の世論が77%、反対は20%だった(保留3%)。同機関の昨年12月21日付調査に比べ、弾劾支持の世論は約5%増えている。他機関による直近の調査でも、弾劾支持の世論は概ね75~80%に達している。韓国社会における憲法裁判所の審判は、単に法理の検討だけにとどまらず、世論の動向をも考慮しての総合的な状況判断である。80%という圧倒的な民意を反映した立法府の弾劾訴追案を、司法府が退けることは想定し難い。

ただ、看過すべきでないのは、ニクソン元米大統領と違って彼女は、最後まで辞任を受け入れようとしなかったことだ。国民にとって最大の悲劇は、大統領が最後まで自身の非を認めず、すべての行動は国家と国民のためだったと強弁していることだ。今も彼女は、野党と反対勢力の計略に“嵌められた”被害者だと思い込んでいる。筆者は確信するが、朴槿恵氏にとって恐らく、今夜が青瓦台(大統領官邸)で過ごす最後の夜となるだろう。


2.特別捜査チームの報告

一方、昨年11月17日、『朴槿恵政府の崔順実ら民間人による国政介入疑惑事件究明のための特別検事任命などに関する法律』が国会を通過した。同法に基づき特別捜査チームが組織され、今年2月末日まで約90日間に及ぶ集中的な捜査が実施された。特別捜査チームは3月6日、記者会見を開き捜査結果を公表している。便宜上、本件を「朴槿恵・崔順実ゲート」と命名するが、以下は、捜査結果を要約したものである。

「朴槿恵・崔順実ゲート」の核心は、国家権力が私的利益追求のために濫用されたことであり、韓国社会の典型的な腐敗構造の源泉ともいえる「政財(政界と財界)癒着」である。その中心には常に朴槿恵大統領がいた。しかし、大統領は在職中に刑事訴追されないとの規定がある。それで特別捜査チームは、調査によって立証された12件に関し、大統領を容疑者として立件し今後の関連捜査を検察に移管した。朴槿恵大統領の主な容疑は次の四項目である。

①特別捜査チームは三星電子副会長・李在鎔の贈賄捜査において、朴槿恵大統領が崔順実と共謀し巨額の賄賂を授受した容疑を確認した。朴槿恵大統領と崔順実は、李在鎔が三星財閥の経営権を継承するうえで企業合併などで諸般の便宜を提供し、その代価として433億ウォンの賄賂提供を約束された(実際の収賄額は約300億ウォン)。

②朴大統領は『KEBハナ銀行』の人事に介入し、崔順実の推す人物を本部長に昇進させるように圧力を行使するなど職権を濫用した。また、崔順実の娘が梨花女子大学に不正入学する際に便宜を提供したキム・ギョンスク前学長の夫を、国家科学技術諮問委員に委嘱するように指示するなど職権を濫用した。

③朴大統領はチョン・ホソン大統領秘書官らと共謀し、2013年1月から2016年4月まで、崔順実に計47回にわたって国家機密が記載された文献をeメールなどを通じて伝達するなど、公務上の秘密を漏洩した。

④現政権に批判的な文化芸術界の人士を選別(ブラックリストの作成)する際に、これに反対する政府官僚たちが辞職を強要された。朴槿恵大統領はこの件に直接介入したのであり、職権濫用と権利行使妨害などの容疑がかけられている。

上に挙げた項目だけでも、朴槿恵大統領の罪状は明白であろう。だが、これは全体の一部に過ぎない。特別捜査チームに参加した弁護士や検事たちのインタビュー記事を読むと、時間の制約(政府は捜査チームの期間延長を認めなかった)に加え、当事者である朴大統領の非協力的な態度によって真相の究明は極めて不十分だったという。大統領は捜査に協力するとした当初の対国民談話とは違って、対面調査に一度も応じず、大統領官邸の押収捜査も拒否した。「朴槿恵・崔順実ゲート」は20~30%が解明されたに過ぎないそうだ。

なかでも、セウォル号沈没事故当時、朴大統領の具体的な動向は究明されなかった。彼女がどこに居て、どのような報告を受け、救助に向けてどのような初期指示を出したのか...。事故前日の2014年4月15日夕刻~翌16日午前10時までの時間帯、大統領の行動は全く確認されていない。また、崔順実一家の総資産は2730億ウォン(崔順実本人の財産は228億ウォン)と計上されたが、40年以上(朴正熙政権期から)の長期間にわたる蓄財であり、不法な資産形成と隠匿の全貌を究明するには至らなかった。これらの疑惑も、今後の検察捜査に委ねるしかない。


3.今後の展望と課題

憲法裁判所が弾劾の審判を下せば、2ヶ月以内に大統領選挙を実施する規定である。5月9日が投票日の候補として上がっている。そして政界の現状は、与野党を問わず、大統領選挙に向け党内の有力者たちが候補選出にしのぎを削っている。いつの間にか、矛盾に満ちた韓国社会の根本改革を訴えた「ローソクデモと広場の政治」は、後方に追いやられた感すらある。思い起こそう。昨年10月末から19回に及ぶ延べ1200万人の市民集会は、単に朴槿恵大統領を罷免することが目的ではなかったはずだ。大統領弾劾は市民革命の始まりに過ぎず、決して終わりではない。

「ローソクデモと広場の政治」が掲げた改革課題は、大統領選挙に目がくらんだ与野党の消極的な姿勢もあって、何一つ解決されていない。△セウォル号特別法の改定、△ペク・ナムギ農民(2015年11月市民決起集会の犠牲者)特別捜査の実施、△言論掌握防止法の改定、△不当解雇制度の中断、△歴史教科書の国定化禁止法の制定、△「サード(高高度ミサイル防衛システム)」配置の中断、など6大当面課題は2月の国会でも論議すらされなかった。国会の時計は、昨年12月9日(弾劾案可決)の時点で止まったままである。

躊躇する野党(与党の一部を含め)を大統領弾劾に踏み切らせたのは、「ローソクデモと広場の政治」の圧力だった。代議制民主主義の限界を克服しようとする市民の、直接民主主義への熱い願望だった。それを快く思わない議会政治と各政党が企図するのは「ローソクデモと広場の政治」の終息であり、大統領選挙局面で政党政治が主役として再登場することだろう。

韓国市民革命は今、重大な分岐点を迎えている。朴槿恵弾劾という勝利によって迎えた大統領選挙の早期実施局面で、「政党政治」の荒波に「広場の政治」が飲み込まれようとしているからだ。その原因は、全国2300の市民社会団体で構成される『朴槿恵政権退陣を求める国民行動』と民主労総などの進歩勢力が、広場に結集した市民の憤怒と熱気を、政治的・階級的な改革力量にまで高め切れていないからだろう。

だが、「ローソク」がいつの間にか「烽火(タイマツ)」になり、広場のスローガンが「朴槿恵退陣」から「朴槿恵逮捕」に変化していることからも明らかなように、韓国市民革命の幕は、今ようやく上がったところである。次の大統領選挙で、「誰が政権を執るのか」が重要なのではない。「どのような政策を実施するのか」、韓国社会の進むべき方向を先ず提示すべきであり、その次に「どの勢力(政党)がそれを実行するのか」を選択することだ。「広場の政治」が掲げた要求を定式化し、それを遂行する意志を持った政治勢力を市民が牽引し、圧迫し、強制することが民主主義の原点であり原則であるからだ。

1987年の民主抗争は軍事政権が強要した憲法を変え、市民社会の形式を整えた。2017年の市民革命は、積年の弊害に病んだ韓国社会の根本的な変革を志向する。2017年は、それを可能にする勢力を、市民自らの力で形成していく元年となるだろう。3月11日の土曜日、第20回の市民集会が光化門広場で開催される。だがそれは、朴槿恵退陣を祝う勝利の終宴ではなく、社会変革への新たな出発を誓う舞台となるだろう(JHK)。
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韓国市民の求める新たな民主社会-大統領弾劾から社会変革へ

2016年12月16日 | 三千里コラム

「青少年が主人公だ!」とのプラカードを掲げ市民集会に参加する中高生(11.19、ソウル)



韓国市民の求める新たな民主社会-大統領弾劾から社会変革へ

大統領弾劾への過程

12月9日、韓国の国会で朴槿恵大統領に対する弾劾訴追案が可決された。所属議員300名のうち299名が投票し、賛成234、反対56、棄権・無効9という圧倒的な票差で朴槿恵大統領は職務停止となった。直前の世論調査(12月6~8日、韓国ギャロップ)では、大統領弾劾を支持する国民が81%に達していた。世論を反映すれば243の賛成票に相当するが、それを少し下回る結果となった。国会議員(特に与党)の反応はやはり、民心に遅れを取り消極的にしか受け入れないようだ。

10月29日、2万人の市民がソウルの光化門広場で第一次集会を開き「朴槿恵の即時退陣」を求めたが、野党は“国民世論の反発”を恐れ退陣や弾劾には否定的だった。しかし、第二次(11月5日・20万人)、第三次(同12日・100万人)、第四次(同19日・100万人)、第五次(同26日・190万人)、第六次(12月3日・232万人)と退陣を求める市民の声が全国に拡大するなかで、政界も「弾劾・退陣」を選択するようになる。政治(国会)を動かしたのは広場(市民)の力だった。

韓国市民はなぜ、これほどの憤怒を表出させているのだろうか。決して、日本のメデイアが指摘するような「政権末期に通例のスキャンダル」が原因ではない。核心は「権力の私物化」と言えよう。一民間人に過ぎない崔順実とその取り巻きが、朴槿恵政権を動かす事実上の指導部として君臨していたのだ。内政と外交における政策決定(開城工業団地の一方的閉鎖にも関与)だけでなく、政権要職の人事にまで私人が介入する歪な政権運営を、大統領は容認し、政権中枢部の閣僚たちもそれに便乗して特恵を謳歌してきた。

三星や現代などの財閥企業は権力集団と癒着して資本を拡大し、権力に忠実な司政機関(検察・警察)は、不正腐敗の摘発ではなく市民の抗議運動を弾圧するだけだった。保守的なメディアも情報機関と協力し、大統領の指導力を讃え“北朝鮮の脅威に備えた国民の団結”を宣伝することに奔走している。その一方で民生は破綻し、貧富の格差は拡がるばかりだ。セウォル号沈没など国民の生命と安全を脅かす大型事故が多発しても、大統領と政府は真相究明はおろか責任ある対処を全くしてこなかった。市民の憤怒は、積年の腐敗し切った権力構造に向けられている。韓国社会で進行しているのは、無能で無責任な政権とそれに寄生する「巨大カルテル」の解体を求め、新しい社会体制への変革を志向する市民革命である。

市民革命の伝統と現状

韓国の現代史は、こうした市民革命による民主主義の発展史にほかならない。不正腐敗にまみれた李承晩政権の長期独裁を打倒したのは、市民と学生による1961年の4月革命だった。数十万の市民デモに警察が発砲し、約200名が犠牲となった。全国各地に拡大する抗議デモの前に、李承晩は下野を表明するしかなかった。しかし、「ソウルの春」は短命に終わる。翌61年の5月16日、軍事クーデターで執権した朴正熙はその後、18年間に及ぶ長期の軍事独裁体制を敷いた。1979年10月、釜山・馬山をはじめ全国で展開された民主化運動によって政権は崩壊する。だが、「二度目の春」も血みどろの軍靴によって蹂躙された。民主政府樹立を求める市民の声を、全斗煥ら軍部勢力は戒厳令で鎮圧し、200名を越える光州市民軍の命が新たな軍事独裁の祭壇に捧げられた。

韓国市民はこの尊い犠牲を無にせず、87年6月の民衆抗争で報いた。大統領直撰制を骨幹とする現行憲法への改正を勝ちとり、全斗煥政権を退場させた。しかし、歴史の女神はまたもや市民に微笑まず、野党の分裂により全斗煥の盟友、盧泰愚が執権した。韓国現代史を貫通するのは、こうした民主社会を求める市民革命の潮流である。広場に結集する市民の力が、独裁政権に終止符を打つ原動力となってきた。87年の6月民衆抗争が民主主義の形態(大統領直撰制)を獲得しただけに終わったのなら、2016年11月の市民革命は、上述した醜悪な権力構造を根本的に変革し、民主社会にふさわしい内容と制度を盛り込むための闘いと言えよう。

今回の市民集会には、これまでの政権下で闘われた市民デモとは異なる特徴が見られる。87年の6月抗争や李明博政期のキャンドル集会は、進歩勢力が中心の運動であり目標も単一事案(憲法改正、米国産牛肉の輸入阻止)に限定されていた。今回は進歩と保守が一体となる共感帯が生まれており、韓国社会の根本的な構造改革を求めている。この間、一ヶ月以上にわたり延べ700万人が参加した市民集会では、中高生をはじめとする青年層から壮年・高齢層まで、あらゆる世代が怒りの声を上げている。また、朴槿恵政権を支えてきた慶尚北道地域でも広範な市民が退陣を要求しており、地域対立の構図すら消滅した感がある。崔順実の娘が露骨な入学特恵を受け、国民年金の基金が特定財閥の支援金に流用されるなど、世代と地域を超えた民衆の憤怒が大統領と政権に向けられているのだ。

なかでも、朴槿恵政権に絶望し最も“過激”なスローガンを掲げているのが青少年たちである。10%を越えて増え続ける青年失業率、アルバイトの日常化を迫る高額の学費、いくら努力しても生活向上への可能性が見えない格差社会の現状などは、彼らをして市民革命の先鋒に立つことを決断させている。11月5日の第二次市民集会では、「中高生革命指導部」のプラカードを掲げた集団が隊列の一角を占め、「中高生が先頭に立って革命政権を樹立しよう!」とのシュプレヒコールを唱えていた。彼らこそ、同年代の仲間をセウォル号で失い、国定教科書での歴史教育を強制される、朴槿恵政権における最大の被害者たちである。日本社会ではもはや死語になった「革命」という言葉を、韓国では何の違和感もなく青少年が口にしている。韓国の中高生は、教室で学んだ民主主義を街頭と広場で実践する。彼らを広場に向かわせ実践教育の場を提供したことが、朴槿恵政権の成した唯一の功績といえるかもしれない。

今後の展望と課題

国会における大統領の弾劾訴追案可決は、市民革命の勝利に向けた第一歩にすぎない。大統領としての職務は停止されたが、朴槿恵氏は今も青瓦台(大統領官邸)で起居している。警護と礼遇はそのままであり、給与も支給される。彼女にとっては有給休暇なのかもしれない。今後、弾劾の最終的な可否は憲法裁判所の判断に委ねられるが、その間、大統領の職務は国務総理(首相)が代行する。しかし、総理の黄教安(ファン・ギョアン)氏は弾劾された大統領が任命したのであり、現政権の初代法務長官として統合進歩党の強制解散を陣頭指揮するなど、総理に抜擢されるまで常に大統領の忠実な同伴者だった。現状の国政混乱を招いた責任を問われるべき閣僚に、大統領の職務代行を委ねるべきではないだろう。ところが3野党はすべて、黄教安代行との協力を掲げている。

憲法裁判所は本来、民主主義を擁護するために設置された機関である。ところが李明博政権から現政権に至る過程で、民主主義を後退させる判断が相次いでいる。憲法裁の所長は大統領が任命し、残り8名の裁判官も大統領・与党と最高裁長官の指名した人士が大半であることから、進歩的な法官の登用は期待できなくなった。2014年12月の統合進歩党解散審理でも、9名のうち反対を表明したのは野党が推薦した金二洙(キム・イス)裁判官だけだった。当時、朴漢徹(パク・ハンチョル)所長は金淇春(キム・ギチュン)大統領秘書室長と緊密な連絡を取り合い、事案の審議や証拠の検証も不十分なまま解散決定を強行した。憲法裁判所が当時と同じ状況なら、朴槿恵氏は有給休暇を存分に楽しむことになるだろう。

朴槿恵大統領は職務停止の直前(一時間前)に、空席だった大統領府の民政首席秘書官に曺大煥(チョウ・デファン)弁護士を任命した。その間、朴大統領の法律顧問を担当してきた人物だ。彼と黄教安総理、朴漢徹憲法裁判所長らは司法研修院の同期(13期)であり、黄・朴の両氏は公安検事として辣腕を振るった経歴を持つ。曺大煥氏は朴槿恵大統領の意向に従い、総理や憲法裁判所長と連携して弾劾審判を有利に進行するために画策するだろう。遅くとも来春3月には憲法裁の判断が出るものと予測されているが、楽観は許されない。

だが、国会の弾劾決議を主導したのが広場の市民集会であったように、憲法裁に速やかな弾街決定を圧迫するのも広場に結集する市民の力である。保守的な性向の裁判官たちであるが、圧倒的な弾劾世論と即時退陣の声に対抗して、消え行く大統領と心中するほどの愚かな忠誠心は発揮しないだろう。朴槿恵大統領と崔順実らの犯罪はすでに、検察の一次捜査と良心的なメディアの取材でかなり明白になっている。権力の意向と同時に、世論の動向にも極めて敏感なのが憲法裁の裁判官だと言われている。朴漢徹憲法裁判所長の任期が来年1月末に迫っている。任期内に弾劾決定の判断を下すことが望ましいだろう。そのためにも、市民集会のキャンドルを絶やしてはならない。

国会の弾劾訴追が第一段階なら、間もなく始まる特別検察チームの捜査で、朴槿恵大統領の犯罪事実を究明することが次の段階だ。朴槿恵大統領とその側近たちの容疑は、①三星やロッテなど財閥からの収賄、②秘書室長や民政首席秘書官らの職務遺棄、③セウォル号事故に際して「7時間の空白」をもたらした大統領の職務遺棄、などである。これら三大疑惑を究明することが第二段階である。そして憲法裁での弾劾決定が第三段階。さらに大統領の拘束・起訴という第四段階を経て、大統領選挙での民主的政権交代が第五段階だ。新たな政権の下で諸般の民主改革を断行してこそ、2016年11月の市民革命は完成される。

市民革命の前途は険しく、長き道程となるだろう。権力と財閥、言論などが一体となって既得権を固守してきた韓国社会の構造的矛盾は、朴正熙政権から計算しても50年を越える期間に達する。敵対的な南北分断体制の下で、国家保安法は権力が民衆運動を弾圧する最大の武器だった。制定から68年が経過した今日も、この悪法は生き延びている。韓国社会の根本的な変革が容易であろうはずはないが、その前進に向けて今、広場の力を現実の政治舞台(国会)に反映させる様々な模索が続けられている。

12月8日、1141人の市民が連名で「オンライン市民議会」の結成を呼びかけた。広場の民意を国会に伝達する「市民代表団」を選出しようというのだ。共同提案者として金薫・黄晳暎などの小説家、市民集会で司会を担当した金濟東、セウォル号特別調査委員長の李錫兌弁護士などが名を連ねている。また12月12日には、大学教員、企業家、会社員、自営業者、農民、労働者、青年など各界各層の市民170名による「市民憲章」が発表され、『市民主権会議』の準備委員会が発足している。『市民主権会議』の設立趣旨文は、「市民革命の過程で表出した熱望を実践し、朴槿恵弾劾後に新しい大韓民国を準備するために結成された市民組織」と自らを規定した。そして「特定の政党や組織の利害を代弁せず、すべての人に開かれた組織であり、市民主権の実現を掲げる他団体と連帯し協力する」と表明している。

これらの運動に共通するのは、韓国政治の現状が決して民意を反映していないとの危機感であり、下からの民主主義・直接民主主義に対する強調と期待である。これまでの歴史がそうであったように、韓国の市民革命は新たな民主社会の実現に向け前進を続けることだろう(JHK)。
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北朝鮮の核実験と国連安保理の制裁決議

2016年09月30日 | 三千里コラム

対北制裁の強化を主張する韓国外相(9.22,国連総会)



朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第5回核実験から3週間が経過しました。米日韓の三国政府は「制裁のさらなる強化」を掲げ、国連安保理での決議採択に奔走しています。だが筆者は、核実験と制裁の悪循環にいささか食傷気味です。とりわけ、制裁一辺倒の無能無策ぶりは目に余るものがあります。

今年1月6日の第4回核実験に際し国連安保理は3月2日、「史上最強の制裁」と豪語する決議2270号を採択しました。決議文書は前文5項、本文52項、付属文書5項目からなる膨大な分量で、「北朝鮮の核・ミサイル開発資金を遮断するために」制裁対象を60の個人・団体に拡大しています。韓国政府はこれに加えた独自制裁として、開城工業団地の一方的な閉鎖まで断行しました。朴槿恵大統領は「金正恩政権には耐え難い圧迫だ。半年もすれば屈服するだろう」と楽観していたそうです。ところが、国際社会の前に膝を屈するはずの北朝鮮が、半年後の9月9日午前9時(現地時間)に新たな核実験を敢行しました。「史上最強の制裁」に効果がなかったことは、誰の眼にも明らかでしょう。

にも拘らず安保理で「制裁のさらなる強化」を追求するとしたら、今度の制裁は何と命名するのでしょうか。「史上最強の新たな制裁」、「史上最強の特別制裁」、「史上最強かつ最大の制裁」...。どのように位置づけても、「制裁の上塗り」は「恥の上塗り」でしかありません。国連安保理での制裁決議は十分な効力を発揮できず、北朝鮮核問題の解決策ではないことが偽らざる現実なのです。国際社会は、不都合で不愉快なこの現実を認めることから出発すべきだと思います。

1.対北制裁と中国の立場

対北制裁に関して一部で誤解しているのが、「中国の役割(責任)論」です。“北朝鮮の最大交易国である中国が、真剣かつ積極的に制裁に協力すれば金正恩政権は屈服せざるを得ない”という観点です。しかしこれは、国際政治の力学と中国の対朝鮮半島政策に関する無知の所産に過ぎません。すべての国は、その国益に沿って政策を立案し展開します。

中国政府にとって、北朝鮮の核開発は「既得権である核兵器の寡占体制を脅かし地域の緊張を高める」故に、国益とは相容れません。それでこの間、国連安保理の制裁決議に賛同してきました。しかし「朝鮮半島の安定と核問題の平和的解決」こそが中国の国益であって、米日韓の三国が追求する「制裁強化による北朝鮮の体制転換」は決して受容できないシナリオです。朝鮮半島が韓国主導で吸収統一されれば、駐韓米軍基地が中朝の境界線まで迫ってきます。中国にとっては最悪の結果であり、どんな犠牲を払ってでも回避すべき事態です。朝鮮戦争に大規模な義勇軍を派遣して参戦したのも、そのような「戦略的利害」のためです。

そして今年7月、米政府がサード(終末高高度ミサイル防衛体系)の韓国配備を決定した状況で、中国が米日韓の対北制裁強化に全面的な協力をすると期待するのは、希望的観測の域を越えた幻想と言えるでしょう。サードは言うまでもなく、オバマ政権の「アジア再均衡」政策(中国包囲政策)において核心的な位置を占めます。
“北朝鮮のミサイル脅威に対する抑止力”という口実は、中国(ロシアも含め)を愚弄するような話です。中国がサードの韓国配備に対し、「戦略的利害を著しく侵害する」として猛反発しているのは当然なことです。そして米中関係が緊張すれば、中国にとって北朝鮮の「戦略的価値」は相対的に向上します。

これらの点に関し、米国主要紙の論調は核心を突いています。『ニューヨーク・タイムズ』は9月11日付の論説記事で、「中国の国営放送は核実験後も数時間にわたって一切の言及をしなかった」ことを確認し、中国政府が事実上、北朝鮮の核実験を容認するような立場を取ったと述べています。また、中国人民大学のス・インフン(時殷弘)国際関係学教授のコメントにも注目すべきです。彼は「米国は対北制裁に関して中国に依存すべきではない。中国は米国よりも北朝鮮に親近感を持っている。中国は北の体制崩壊による混乱よりも、核兵器で武装した隣国を選ぶだろう」と示唆しているのです。

2.朝鮮半島核問題の本質

『三千里鐵道』は一貫して、「朝鮮半島の非核化」を主張してきました。北朝鮮の核開発に反対するだけでなく、韓国に対する米軍の拡大核抑止(核の傘)政策にも全面的な反対を表明しています。毎年、世界最大規模で展開される米韓合同演習では、原子力空母や最新鋭爆撃機を投入した対北核攻撃訓練が実施されているからです。

北朝鮮はなぜ、国際的な非難と孤立という代価を払ってまで、核・ミサイルの開発を継続するのでしょうか。その動機は、世界最大最強の核軍事大国である米国の脅威が発端であり、米国からの体制保全が目的だと言えます。対テロ戦争に際し「先制的自衛戦略」を導入したブッシュ政権以降、米政府は“テロ支援国家”や“悪の枢軸国”というレッテルを貼って、アフガニスタン・イラク・リビアなどを先制攻撃し体制転換を断行しました。そうした事態を目撃し、米国と半世紀以上にわたって対峙している北朝鮮が得た教訓は、「核保有だけが米軍の先制攻撃を抑止する」というものです。

日本のメディアが連日くり返す“北朝鮮核脅威”の本質は、決して核実験の回数やミサイルの性能ではありません。その本質は、核兵器の開発を追求させる敵対関係にあります。北朝鮮の核開発は米朝敵対関係の産物であり、その根源は朝鮮戦争(1953年7月に休戦)の停戦体制です。よって「北朝鮮核問題」の解決は、朝鮮戦争を集結させる平和協定を締結し、米朝(日朝)が国交を正常化する「朝鮮半島の平和体制」を構築するしかありません。

もう少し敷衍して説明しましょう。日本国民はなぜ、米国の圧倒的な核・ミサイルに脅威を覚えないのでしょうか。日米が敵対関係ではなく、同盟関係にあるからです。“米軍の核兵器が日本を守ってくれる”と信じ込まされているからです。それで、米大統領が「核兵器の先制不使用」を宣言すると仄めかすだけで狼狽え、「唯一の被爆国」が「唯一の加爆国」の核兵器に依存するという嘆かわしい現実を露呈します。

あるいは、ロシアや中国は、北朝鮮とは比較にならない高性能な核・ミサイルを大量に保有しています。しかし殆どの日本国民は、モスクワや北京から核・ミサイルが飛んで来るとは想定しません。両国とは領土問題などで決して友好的ではありませんが、少なくとも敵対関係ではないからです。国交があり、頻繁な交流と往来があります。反面、長期間の敵対関係は相手のすべてを疑い、否定し、敵意を増幅させます。優位にある側は相手を制圧しようとし、劣位にある側は恒常的な恐怖感から、手段方法を選ばず生存を優先させるのです。

9月9日、朴槿恵大統領は核実験直後の国務会議で「もはや金正恩の精神状態は(常軌を逸し)統制不能だ」と述べました。北の指導者を“狂人”扱いする論調は、日本でも溢れています。でも、再び『ニューヨーク・タイムズ』に眼を向けようと思います。9月11日付の同紙は「北朝鮮の行動は“狂気の沙汰”ではない、極めて合理的だ」という衝撃的なタイトルの論評を掲載しました。論評は在米の朝鮮問題研究者や元政府高官の分析を引用しながら、次のように北朝鮮を解説しています。

「相次ぐ核実験やミサイル発射といった挑発行為の背景には、弱小国の指導者としての、体制生存をかけた理性的な思考が見受けられる。…一国のリーダーシップが理性的だという場合、最高指導者が常に最善の道徳的な選択をすることを意味しない。自らの体制保全を最優先し、それに合致する国益を追求することが理性的な行動になるのだ。…北朝鮮は米国のイラク侵攻から生存方法を学んだ。北朝鮮の指導者にとって核開発計画は、弱小国が強大国と敵対する状況で、敵の先制攻撃を思い止まらせる唯一の道であり、平和を維持する合理的な方法なのだ」。

日本のメディアには、当事者である北朝鮮の主張がなかなか紹介されません。韓国『中央日報』のロサンゼルス版が、ニューヨークに駐在する北朝鮮外交官にインタビューしています(9月18日付)。以下はその発言の引用です。

「南と北は生存方式が違う。南は在来武器を大量に輸入するが、北にとって在来武器の軍備競争は負担でしかない。核武装は北にとって最小限の自己生存権なのだ。われわれの願いは、国防費を減らし経済発展に集中することだ。生存権が保障されないのに、経済を発展させ人民生活を改善するというのは理想主義にすぎない。…開城工団を閉鎖し制裁強化を叫ぶ朴槿恵政権は自滅を招いている。南の政治が過去に回帰したのか。かつて南北が軍事訓練するときにも互いに防御を強調し、攻撃という用語は避けてきた。ところが最近は、“平壌侵攻と斬首”を露骨に口外するようになった。同族の殺戮を宣言する政権と、どうして対話できるだろうか。…科学的でも論理的でもない“北の体制崩壊論”から脱却し、相手の体制を尊重して統一への基調を明示すべきだ。」

3.朝鮮半島非核平和への道

5日、18日、23日、57日…。この数字の意味を解読した人は、かなりの朝鮮半島マニアと言えるでしょう。北朝鮮の核実験から安保理制裁決議が採択されるまでに要した各日数です。回数を重ねるに連れ、必要日数も延びています。問題が深刻さを増し、中国・ロシアとの合意が難航している状況を示しているようです。しかし、より重要なのは、冒頭で確認したように、制裁決議では「北朝鮮の核脅威」が解消されないという事実です。

患者に譬えるなら、「北朝鮮の核脅威」は症状に過ぎません。根源的な病因は「朝鮮戦争の停戦体制」です。よって、最も正確な治療法は「平和協定の締結」となります。ところが、病因を無視して「安保理制裁の強化」という対症療法に執着しているのが現状です。処方箋が間違っていたなら、他の治療法を探るべきです。効果のない処方箋にしがみつき投薬量を増やしても、患者の耐性が助長され病状は悪化するだけでしょう。

その間、オバマ政権は「軍事的な威嚇と経済封鎖による制圧政策」(戦略的忍耐)を掲げ、北朝鮮に核放棄の先行を強要してきました。北に「先ず核兵器を放棄して武装解除せよ」と要求するのは、停戦体制下の両国関係では説得力を持ちません。また、2005年の9.19共同声明を始めとする六カ国協議の諸合意とも矛盾します。六カ国協議では、北朝鮮がその核施設を凍結→無能力化⇒完全廃棄に至る各段階に合わせて、米国が体制の安全保障、国交正常化、経済支援などを履行することで合意しました。こうした「同時行動」は、敵対関係の外交交渉では基本原則だからです。

米日韓はいつの間にか「同時行動」から逸脱し、“北朝鮮の脅威”を煽ることで対話と交渉の道を閉ざしてきました。三国の政府が言うように、北朝鮮との外交交渉は無意味なのでしょうか。その間の5回にわたる核実験は、二国間もしくは多国間の非核化交渉が、挫折するか断絶している状況で敢行されました。交渉の進展期や合意の履行期には、決して北朝鮮は核実験もロケットの発射実験も実行していません。2006年10月の第1回核実験は、前年9月19日の合意翌日に、米政府がマカオの銀行口座凍結という経済制裁を課したことが原因でした。

軍事的な先制攻撃という手段を別にすれば、対話と交渉の他に道はありません。またもや『ニューヨーク・タイムズ』に登場してもらいましょう。9月9日付の社説で「オバマ大統領は既存の制裁を強化し新たな措置を取ると言明している。だが、その効果は楽観できない。…共和党は反対するだろうが、問題の恒久的な解決には制裁を超えた交渉が必要なのは明らかだ」と述べ、北朝鮮政府が7月6日付で米政府との「対話再会」を提案した事実に言及しています。そして「大部分の専門家は、現時点での可能な目標が北朝鮮の核・ミサイル実験の中断であって、核プログラムの全面的な放棄ではないことを主張している。オバマ大統領の後任者は、北朝鮮の加速する脅威に緊急対処すべきだ」と促しました。

さらに、米政府の対外政策に一定の影響力を発揮する『米国外交協会(CFR)』も同様の提言をしています。「オバマ政権の対北政策(戦略的忍耐)は失敗した。核凍結を目標に、北朝鮮との交渉を速やかに再開すべきだ」というのです。一昨年から北朝鮮が提案してきた「核実験の中断(一時保留)と米韓合同演習の中断(縮小)」は、決して合意が不可能な交渉とは思えません。双方の利益に合致するからです。ただ、韓国政府の理解と協調が前提です。ところが“北の体制崩壊は間近に迫っている”との妄想に囚われた朴槿恵政権は、相変わらず「国連安保理の制裁強化」を掲げ諸外国に同調を求め行脚しています。

朝鮮半島の非核平和には、南北関係の改善が必須です。数日後には『10.4南北首脳宣言』の9周年を迎えます。その第4項は次のような内容でした。「南北は、現在の停戦体制を終息させ恒久的な平和体制を構築していくべきだという認識を共にし、この問題に直接関連している3ヶ国または4ヶ国の首脳が朝鮮半島地域にて会合し、終戦を宣言することを推進していくために協力する。南と北は朝鮮半島核問題解決のために六カ国協議の9・19共同声明、2・13合意が順調に履行されるように共同で努力することにした」。

また、その前提として第2項では「南北は思想と制度の差異を超越して、南北関係を相互尊重と信頼関係へと転換させていくことにした。南北は互い内部問題に干渉しないこと、南北関係に関する諸問題については、和解・協力・統一の精神に符合する方向で解決していくことにした」と謳っているのです。南北の両当局に、相互の体制尊重に基づく無条件での対話再開を訴えます(JHK)。
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忘却を願うのか?

2016年08月29日 | 三千里コラム

‘慰安婦’問題の日韓政府合意に抗議するキム・ボクトンさん(8.26,ソウル)



昨年12月28日、日韓の両政府は「‘慰安婦’問題が最終的かつ不可逆的に解決された」との合意を発表した。当事者の意思と心情を無視した政府間合意は歓迎されず、今も抗議と糾弾が内外で続いている。あれから8ヶ月が経過した今年の8月24日、日本政府は閣議決定により、10億円を韓国政府主導の「和解・癒やし財団」に拠出すると発表した。9月上旬までに、今年度の予算から支出されるという。菅義偉官房長官は「支出が完了すれば、日本側の責務は果たしたことになる」と述べた。

本当にそう思っているなら、あまりにも安易な発想であろう。昨年末の合意で岸田外相は、「‘慰安婦’問題の責任を痛感する」と発言した。真摯に責任を痛感するならば10億円は「賠償金」であるべきだが、「拠出金」と規定されている。言うまでもないが、「拠出金」に賠償や補償の意味はない。政府予算で開発途上国に支給される、「政府開発援助資金(ODA)」のような性格だと言えよう。

被害女性の一人キム・ボクトンさん(90歳)は8月26日、記者会見で次のように憤りを表現した。「幾ばくかのお金目当てに20余年間を闘ったのではない。日本政府が心から謝罪することが前提だ。韓国政府は‘慰労金’という名目でこの問題に幕を引こうとする。私たちを10億円で売り渡すことに他ならない」。

口先だけの謝罪で賠償を拒否する日本政府、被害女性たちの声に耳を傾けようとしない韓国政府…。日本では、‘慰安婦’問題合意に関する韓国社会の怒りが、なかなか理解されないようだ。参考のために、8月29日付『ハンギョレ新聞』のコラムを紹介する。筆者は統一外交問題のチーフであるイ・ジェフン記者だ。記者の糾弾は、被害女性たちを蔑ろにする朴槿恵政権に向けられている。(JHK)


忘却を願うのか?

朴槿恵大統領の言葉を思い出す。「被害者の方々は高齢であり、今年だけでも9名が他界された。生存者は46名となった。今回の合意は、こうした緊急性と現実的な制約の下で、最善の努力を傾けて成し遂げた結果だ」。昨年12月28日、韓日政府間の日本軍‘慰安婦’問題合意直後に発表したメッセージである。

大統領はその後も、折を見てこの合意を強調している。そして、12・28合意を批判する人々を‘無責任な扇動をする輩’と断定してきた。幾つかの例をあげよう。
「最大限の誠意を持って、今できる最高の合意を求めて努力したことを評価すべきです。かつて国政を担当していた時には問題の解決すら試みようとしなかったのに、今になって‘無効’だと主張して政治的攻撃の口実とするのは本当に残念です」(1月13日、年頭記者会見)。

大統領はとりわけ‘真心’と‘切迫性’を強調する。「今でも遅すぎたくらいだ」(上述の年頭記者会見)。「年老いた被害女性(ハルモニ)たちが、1人でもたくさん生きておられる間に問題を解決せねばならないという切迫した心情で、集中的かつ多角的な努力を傾けた結果だ」(3.1節記念演説)と。

だが、いつからか大統領は、この問題を口にしなくなった。「韓日関係も歴史を直視しつつ、未来指向的な関係に新しく作り変えて行かねばならないでしょう」(8月15日光復節の祝辞)。大統領の年間演説のなかでも、最も重要な光復節の祝辞において、‘慰安婦被害者’の‘慰’の字も出てこなかった。韓日関係に関しても、ただ一行の言及に終わっている。

ならば率直に伺いたい。大統領は本当に、切迫した心情でハルモニたちの苦痛に共感しているのか。朴槿恵大統領は好悪の感情を隠すことができない人だ。自分の秘書官出身であるイ・ジョンヒョン議員がセヌリ党の代表(最高職)に選出されるや、大統領官邸に招待した。そして、庶民たちは存在すらろくに知らず口にもできない最高級の、トリュフやフカヒレ料理でもてなした。しかし、2013年2月25日の就任後、大統領は一度もハルモニたちを大統領官邸に招いたことはなく、暖かいご飯の一食すら接待したことがない。否、就任の以前であれ以後であれ、朴槿恵大統領はハルモニたちに直接会ったことがない。一度として手を握ってあげたこともなく、ご飯の一食も共に食べたことがないのに、どうしてハルモニたちの苦痛を共感するというのだろうか?

12・28合意を発表した当事者のユン・ビョンセ外交部長官もまた、合意から今日に至るまで、ハルモニたちには会っていない。ユン長官の言葉もそれらしく聞こえる。「被害者のハルモニたちが皆亡くなった後に合意しても、何の意味があるのか」(2015年12月31日、セヌリ党議員総会での報告)。昨日も‘切迫した心情’(8月28日『韓国放送』の日曜診断)を強調しているほどだ。ところでユン長官はなぜ、合意後すでに6名の方が無念な思いでこの世を去られたのに、ハルモニたちに直接合って説明し、慰労して理解を求めようとはしないのか?

彼はかつて、日本軍‘慰安婦’問題を「反人道的犯罪であり、人類の普遍的な人権問題であり、未解決の生々しい問題」(2014年3月5日、第25回国連人権理事会基調演説)だと強調したのだが…。ユン長官は今年の3月2日にも、第31回国連人権理事会で演説している。しかし彼は、韓日合意を踏まえてか、今回は慰安婦の‘慰’の字も口にしなかった。

大統領と外交部長官が願うのは何だろう? 忘却なのか? 記憶なのか?

収容者の90%がガス室で死んだアウシュビッツの生存者であり、“時代の証言者”でもあったプリーモ・レーヴィは警告した。「事件は起きたし、だからこそ、再び起こり得る。これが私たちの話そうとする核心だ」(『溺れるものと救われるもの』)。レーヴィは遺書とも言えるこの言葉を書き記した翌年、1987年4月11日に、トリノの自宅アパート4階から飛び降りて自ら命を絶った。‘記憶’を避けたがる世の中に疲れて…。

忘却を願うのか、あなたは。
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真の民族解放に向けて

2016年08月19日 | 三千里コラム

朝鮮半島の平和と自主統一を求める8・15民族大会(2016.8.15,ソウル・大学路)



久しぶりに、8月15日を祖国で迎えることになった。ソウルの旧西大門刑務所歴史館で開催される「2016西大門独立民主祝祭」に参加するためだ。大日本帝国の植民地統治が終了したこの日を、北では「解放節」、南では「光復節」と呼んで記念している。

今年で6回目になる今年の祝祭では、一つの特別展示が催された。第11獄舎の3号監房をブースにした「在日同胞良心囚-苦難と希望の道」という資料展示だ。ご存知のように1970年代~80年代にかけて、母国留学生をはじめとする数多くの在日韓国人がスパイ罪を捏造され、ここ西大門拘置所に収監された。再審裁判を通じて無罪判決の確定が相次いでいるが、今回の特別展示は、ようやく韓国内でもこの問題に対する関心が高まってきたことを反映しているようだ。

酷暑の折だったが、8月14日の前夜祭にはたくさんの入場者が訪れた。もちろん、他の展示室や文化公演などが中心で、特別展示が世論の注目を集めたわけではない。特別展示の実現には、管轄部署である西大門区庁の役割も無視できない。民選区長が野党(共に民主党)出身の進歩的な人士であったことも、一つの要因といえよう。

韓国民主化運動の成果の一つとして、過去事件の再検討事業を上げたい。盧武鉉政権期に設立され、李明博政権期に解散された「真実・和解のための過去事件整理委員会」がその典型である。だが、この委員会が担った使命は未完の状態だ。真相の究明と被害者の救済がなされていない公安事件が、決して少なくないのだ。そして、民族分断と軍事独裁に基因する民衆の苦痛を、事件数を示す統計データが語り尽くすことはできない。

何よりも祝祭の名称が、私たちの課題が未達成であることを示している。「独立民主」という用語は、植民地統治と独裁政権に抵抗した歴史を象徴している。しかし、「光復」が真の「民族解放」となるためには、分断に終止符を打つ「統一」の二文字が必要だ。遠からぬ未来に、西大門の行事が「独立民主統一祝祭」として開催されることを願ってやまない。

当日(8月14日)の夜、ソウルの市庁広場では「8・15自主統一大会」の前夜祭が開催された。諸団体と全国各地からの参加者で広場は埋まり、「サードの韓国配置撤回、朝鮮戦争平和協定の締結、南北当局対話の再開」などを掲げ熱のこもったスピーチと文化公演が行われた。中でも、全国を巡回して平和統一の気運を高めてきた「統一先鋒隊」の青年学生たちが舞台に登場すると、ボルテージは頂点に達した。

相次いで、プロの芸術家たちにも劣らない公演がくり広げられた。何よりも、日本では想像できない平和統一への熱気に触れることができ、感慨もひとしおだった。統一運動の市民的な拡大という課題が、少しづつ現実化されているようで頼もしかった。

さて、リオ・オリンピックも残り少なくなった。フィナーレはやはり男子マラソンのようだ。思い起こせば、80年前の1936年8月9日、ベルリン・オリンピックの金・銅メダリストは植民地朝鮮の青年だった。ソン・ギジョン(孫基禎)とナム・スンリョン(南昇竜)。「消えた国旗」という事件を記憶される読者も少なくないだろう。表彰台中央のソン・ギジョンから、ユニホームの日の丸を消したとして、民族紙が停刊処分を受けたのだ。

表彰式で日の丸を見上げることを拒否した二人の青年、ユニホームの日の丸を消した民族新聞。植民地の時代を生きたアスリートとジャーナリストの、ささやかな、しかしとても勇敢な抵抗だった。

最後に、朝鮮民族の誇りだった二人のメダリストに関する逸話を紹介しよう。マラソン競技の終了後、大日本帝国の代表チームがレセプションを開催したが、二人は参加せず、朝鮮人だけの祝賀会に現れた。豆腐工場の壁に太極旗を掲げた祝賀会は、在独同胞のアン・ボングンが主催した。アン・ジュングン(安重根)義士の従弟である。

朝鮮国内は二人の快挙に沸き返った。「ソン・ギジョン万歳(マンセー)」の叫びは、1919年の3・1独立運動を彷彿させるほどだったという。8月13日、『朝鮮中央日報』と『東亜日報(地方版)』に日章旗を消したソン選手の写真が掲載された。朝鮮総督府は当時、印刷機の不都合で起きたことだろうと不問にしたそうだ。ところが8月25日の『東亜日報』に再度、日章旗のない写真が登場するや大騒ぎになった。『東亜日報』は無期停刊、独立運動家ヨ・ウニョン(呂運亭)が社長の『朝鮮中央日報』は廃刊に追い込まれた。

青年ソン・ギジョンの気概も大したものだった。ベルリンで外国人にサインを求められると、必ずKOREAと書いた。一連の行動から大日本帝国の特別高等警察は、彼を要視察人物としてマークした。ヨ・ウニョンとも親しく、私席では「思想犯として睨まれても構わない」と発言していた彼に対し、大日本帝国の報復は残忍で執拗だった。

「不逞鮮人が独立の気運を高めかねない」との理由で、彼はその後、内外の主要な大会に参加できなかった。マラソン・ランナーとして全盛期だったソン・ギジョンの心情は如何ばかりであったろうか。翌年、彼は明治大学の予科に入学するが、陸上部には入らなかった。彼が再びトラックに勇姿を見せるのは1988年、ソウル・オリンピックの最終聖火ランナーとしてだ。ベルリンの英雄はすでに、76歳だった。(JHK)

 
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怪物『サード』と戦う韓国社会

2016年07月16日 | 三千里コラム

『サード』配置に反対する星州郡の住民(7.13)



2006年、韓国では「怪物(クェムル)」という映画が大ヒットした。駐韓米軍基地から放流された化学汚染廃棄物が原因で、漢江に巨大な化け物が発生して住民を襲うという内容だった。10年後の今年、新たな怪物が出現した。名前を『サード(THHAD=終末高高度ミサイル防衛体系)』という。韓国社会は大変なパニックに陥っているが、発生の根源はやはり米国だ。

7月8日、米韓の両政府は記者会見で、駐韓米軍基地への『サード』配備を表明した。5日後の7月13日には、配置区域が慶尚北道星州郡に決定したと発表している。国会の審議を経ておらず、地域住民の世論を聴取したわけでもない。決定と発表は一方的だった。今回の決定には、朴槿恵大統領の意向が強く反映されているという。

政府の公式発表文によると、『サード』配置は“北朝鮮の核兵器・弾道ミサイルの脅威から大韓民国と国民の安全を保障し、韓米同盟の軍事力を保護するための防御的な措置”だという。もし政府の説明が正しいのなら、どうして星州郡の住民だけでなく、野党や各地の市民団体まで『サード』配置にこぞって反対するのだろうか。

軍事的な見地から、『サード』が北朝鮮のミサイル迎撃には無用の長物だと言われてきた。また、環境破壊や電磁波による地域住民の健康侵害も指摘されている。何よりも、米国の真意が中国(ロシア)を軍事的に牽制するためであることは明白で、中韓関係の悪化と東北アジアの緊張激化は避けられない。朴槿恵政権は対北制圧政策の一環と見なしているようだが、この怪物を引き入れることは韓国の国益を大きく損なうことになるだろう。

今回の『サード』騒動を見るにつけ、米韓の従属的な関係がいかに深刻な弊害をもたらすのか、痛感せざるを得なかった。そして、敵対的な南北関係に埋没する韓国の保守政権は、亡国的な対米依存を深化させるしかないようだ。

『サード』配置の発表は電撃的だったが、決定の過程はそうではない。数年間の周到な準備と検討を経たものである。国内世論の反発を恐れた韓国政府が、その過程を隠し続けただけだ。1年前にも『サード』配置をめぐる論争が、主要なメディアに取り上げられていた。その際に、韓国政府は「3No」を掲げて煙に巻いたものだ。“米政府の要請もなく、両国間に協議もなかった。よって何らの決定もない”という「3No」である。

しかし、『サード』配置が公式的に提起されたのは、それより前の2014年6月3日である。当日、ソウル市内の某ホテルで国防研究院が主催した安保フォーラムが開かれた。その席上、当時の駐韓米軍司令官カーティス・スカパロッティは「韓国への『サード』配置は米国の主導権(initiative)だ。司令官として、すでに私は本国政府に配置を要請した」と述べている。

“主導権”という表現は、韓米関係の本質を象徴する言葉だ。有事の作戦指揮権(事実上の統帥権)を米軍に譲渡している韓国政府は、駐韓米軍基地内にどのような兵器が導入されるのか、関与する権限すら与えられていない。米軍の決定に従うだけである。1950年代後半にどの種の核兵器が導入されたのか、それがいつ、どのような理由で撤去されたのか(誰も確認していないが)、韓国政府と国民は事後に推測するしかない。

今回も同様だろう。ただ、米政府が周到なのは、形式的ではあるが、韓国政府の体面を慮る素振りを見せていることである。“主導権”という上から目線ではなく、“同盟次元での合意”という体裁を装うことにしたのだ。提案者はカーティス・スカパロッティの前任者、バーウェルベル元駐韓米軍司令官である。

2014年7月、ワシントンで開かれた某セミナーで彼は、「『サード』の配置は韓国民にとって極めて複雑な問題だ。韓国政府が合意を受け入れ、国民の同意を得やすいように配慮すべきだ」と忠告を忘れなかった。それで、今回の両政府公式発表文には、“主導権”という用語を避けて“同盟次元での決定”と表記されれいる。

だが、単なる言葉遊びで、従属的な米韓同盟の本質が糊塗されるものでもあるまい。今回の『サード』配置を法律的な観点で見るなら、韓国の「防衛事業法」ではなく、「駐韓米軍地位協定」を適用したことに注目すべきであろう。地位協定(SOFA)の正式名称は「大韓民国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約第4条に基づく施設及び区域並びに大韓民国における合衆国軍隊の地位に関する協定」だ。そして、1953年10月1日に結ばれた「韓米相互防衛条約」は、1951年9月の「日米安保条約」をモデルにしている。

「駐韓米軍地位協定」第2条は次のような内容だ。
「合衆国は大韓民国内の施設と区域の使用権を供与される。各施設と区域に関する協定は、本協定28条の規定する合同委員会を通じて両政府が締結する」。

つまり、韓国政府にできることは、『サード』配置に適切な地域を選び、米政府に供与する協定に署名することだけなのだ。7月13日、『サード』配置の地域を星州郡と発表したことは、両国間ですでに、
星州郡供与の協定が締結されたことを意味する。

だが、問題はこれで終わらない。政府の責任は厳しく問われねばなるまい。どのような条件で土地を供与したのか、臨時的なのか永久供与なのか...。国防長官は米政府との『サード』配置協定を公開すべきである。供与期間だけでなく、供与土地の規模や私有地の収用有無も明らかではない。にも拘らず、『サード』の配置は“決定であって国会の同意対象ではない”と強弁するなら、もはや民主的な法治国家の行政とは言えないだろう。

また、『サード』の運営費用が年間1兆5千億ウォン(約1500億円)だというが、誰が負担するのか。国民の疑問と抗議に応える意味からも、朴槿恵政権は『サード』配置協定の全文を即時に公開すべきである。たとえ“大韓民国と国民の安全を保障する”協定であり合意といえども、主権者である国民の同意(国会の承認)がなければ無効である。大統領の決断が「法律」ではないからだ。

最後に、『サード』配置に強く反対してきた中国政府の見解を引用したい。政府系の機関紙『環球時報』は7月10日付ウェブサイトに掲載した労木の署名記事で次のように述べている(浅井基文さんのコラム「21世紀の日本と国際社会」http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2016/821.htmlを参照)。

「中国は韓国に対して一再ならず、『サード』の韓国配備を許すことはアメリカのために火中の栗を拾うことであり、韓国にもたらされるのは安全の高まりではなく、安全がさらに損なわれることだと諫めてきた。...韓国はアメリカの圧力に屈し、『サード』を我が家に導き入れ、自分を縛った縄をアメリカの手に差し出した。その行動は中露の怒りを買い、本来は良好だった中韓関係に破壊的要因を持ち込んだ。大国の駆け引きにわけも分からないままに口を差し挟むと、うまくやらない場合には引火して我が身を焼くことになるという自明の道理を、韓国当局は認識するべきであり、...」。

10年前の映画では、市民が力を合わせて怪物(クェムル)を退治した。今回の『サード』という迷惑な怪物も、市民の連帯した力で退治したいものだ。だがその連帯は、国際的なものとして推進されるしかないようだ。なぜなら、『サード』の重要なパーツが、青森県つがる市の車力分屯基地や京丹後市経ヶ岬に設置されたXバンド・レーダーなのだから。(JHK)
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朴槿恵大統領のマッカーシズム

2016年06月28日 | 三千里コラム

首席秘書官会議で冒頭発言を述べる朴槿恵大統領(6.27,青瓦台)



朴槿恵大統領は6月27日、青瓦台(大統領官邸)で首席秘書官会議を主宰した。大統領は韓国社会が総体的な危機状況にあるとの認識を示し、それへの対処として、国民の団結と政府への全面的な支持を強調した。

当日、北への露骨な敵意を反映した大統領の言辞は、冷戦時代のマッカーシズム(アカ狩り)を彷彿させるものだった。特に国内の反対勢力を“内部の敵”と規定しその一掃を煽動するのは、実父・朴正煕の独裁統治下で見飽きた手法である。現政権への批判の意を込めて、会議における朴槿恵大統領の主要発言を検証したい。

朴槿恵大統領の現状認識は以下の通りである。
「英国のEU離脱など、韓国経済を取り巻く内外の条件は日増しに悪化している。加えて、ミサイル発射をくり返す北朝鮮の挑発行為は、わが国の安全保障に深刻な危機をもたらしている」

ところが、危機状況への対処において朴槿恵大統領は、極めて飛躍した見解を述べている。
「国論を分裂させ北朝鮮を擁護する勢力が存在する。彼らが公然と活動しているのを座視してはならず、防止しなければならない。...国家の危機に際して最も警戒すべきなのは、内部の分裂と無関心だ。かつて(南)ベトナムが崩壊したのも、国内の分裂と国民の無関心が大きな原因だった」

では、朴槿恵大統領の言う「国論を分裂させ北朝鮮を擁護する勢力」とは誰か?
どうやら、『民主社会のための弁護士の集い(民弁)』を指しているようだ。民弁は今、政府が総選挙の直前に公表した集団脱北(中国の北朝鮮食堂女性従業員)事態に対し、当事者たちの身辺保護と意思確認が必要だと主張し、彼女たちとの面会を要求している。言うまでもなく、真相の究明を恐れる政府は一切の面会を許可しない。

また、「共に民主党」前代表のムン・ジェイン氏も含まれているのだろう。彼は米政府に対し、戦時作戦統制権(事実上の統帥権)の返還を要求すべきだと主張しているからだ。前日(6月26日)に出した論評で与党・セヌリ党は、ムン・ジェイン氏に「北朝鮮の政権を擁護する態度だ」と露骨な非難を浴びせている。

民弁やムン・ジェイン前代表を“内部の敵”と見なす朴槿恵大統領は、北への制圧政策に全力を投入してきた。“圧力をかけ続ければ北の体制は崩壊する”との妄想への執着は、歴代のどの大統領よりも強いようだ。以下の発言から、その一端を窺えるだろう。

「北朝鮮を変化させる唯一の方法は、より強力な制裁と圧迫だ。北朝鮮の核・ミサイル開発意志よりも、これを防ごうとする私たちと国際社会の意志がはるかに強いということを、彼らに見せつける必要がある。国際社会は今、北朝鮮問題に対してどの時よりも強力な連帯を形成している。このような国際社会の連帯とともに、私たち国民の団結と意志が何よりも重要だ」

朴槿恵大統領の頑なな発言には、野党からも驚きを越えた慨嘆の声が後を絶たない。とりわけ、金大中元大統領の三男、金弘傑(キム・ホンゴル)「共に民主党」前国民統合委員長
の指摘が的を射ている。彼は当日のツイッターで次のように述べた。

「故障した録音機でもあるまいに、いつまで昔ながらのアカ狩りと従北騒動に熱を上げているのだ。...南ベトナムの崩壊は、植民地支配に協力した反民族的で無能な指導層のためだ。彼らが国民を分裂させて戦意を喪失させたのだ」

彼はまた、現政権の悪政を厳しく糾弾している。
「テロ防止法や国定教科書の導入を強行して国民を分裂させたのは誰か。...ベトナム崩壊を口実に国民を脅迫し、大統領緊急措置を宣布したのは朴正熙だった。独裁政権の手法を再び使うというのか!韓国経済が深刻な状況だと言いながら、呑気な外遊に明け暮れているのは、他でもない大統領御本人ではないか。総選挙で苛酷な審判を受けたなら、少しは自重するのがよろしかろう」

参考までに、世論調査機関『リアル・メーター』が6月23日付で公表した朴槿恵大統領の支持率は、前週に比べ2.3%下落の35.1%である。一方、不支持率は2.0%上昇し60.0%だった。35%の支持率を、どう評価すべきなのか...。「不安定」には違いないが、「レーム・ダック」と見なすにはまだ尚早のようだ。ただ明らかなのは、大統領には、総選挙の民心を尊重する意志は皆無であるということだ(JHK)。
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反動化する時代状況に抗して

2016年06月07日 | 東北アジアの平和

岸信介・池田勇人らと歓談する朴正熙(1961.11.12、東京)



「在日朝鮮人人権協会」の機関誌『人権と生活』第42号(2016年6月刊行)は、“反動化する時代状況に抗して”というテーマの特集を組んでいます。そのなかで、日本軍「慰安婦」問題に関して昨年12月、日韓両政府が交わした合意についてその問題点を様々な視点から分析しています。三千里鐵道顧問の康宗憲さんも寄稿しています。「在日朝鮮人人権協会」のご厚意により、その全文を以下に転載します(三千里鐵道事務局)。


植民地主義と民族分断の克服に向けて   康 宗 憲
             
                                
解放と分断の70年が過ぎて

 朝鮮民族にとって解放70周年に当たる2015年は、これといって祝賀する成果もなく過ぎていった。安倍首相の戦後70年談話に接した私たちは、言葉だけの反省と謝罪のパフォーマンスに、やり場のない憤りを覚えるしかなかった。談話のハイライトは日露戦争への評価だった。言うまでもなく日露戦争は、大日本帝国による朝鮮植民地化に決定的な契機となった戦争だった。ところが安倍談話は「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた戦争」と美化している。朝鮮民族に対する破廉恥な開き直りであり、歴史修正主義を超えた「歴史の歪曲・捏造」と言わざるを得ない。

 一方、祖国の地に目を向ければ昨年も朝鮮半島の軍事緊張が高まり、南北関係は改善されぬまま節目の年を越してしまった。8月には、南側非武装地帯での地雷爆発を機に局地的な砲撃戦が発生し、解放を記念するどころか、南北分断を象徴する敵対状況となった。

 20世紀に、植民地支配とそれに続く民族分断の試練を生きた朝鮮民族は、21世紀の今も、そうした負の歴史を担いながら未来を切り開いていくしかない。私たちはまだ、植民地統治の残滓を払拭できておらず、新たな課題となった民族分断も克服できていないからだ。昨年12月28日、日本軍「慰安婦」問題に関する屈辱的な合意が韓日政府間で交わされた。交渉に臨んだ両国の姿勢と発言は、あたかも1965年の『韓日条約』締結過程を再現するかのようだった。「歴史は二度くり返す」のが真理であるなら、今回は紛うことなき「茶番」であろう。
 クーデターで執権した親日派の父親を讃える娘が、対日外交において異なる姿勢と原則を堅持すると願うのは、まさに「縁木求魚」というものだろう。そのことを誰よりも正確に見抜いていたのが岸信介の外孫だった。だから安倍首相は、当時も今も、日韓関係を楽観している。定期的な首脳会談をしなくとも、日本の国益は十分過ぎるくらいに保障されているのだから。「慰安婦」問題の交渉過程を見るにつけ、植民地統治の後遺症が極めて深刻であり、私たちの民族解放(植民地主義の克服)はまだ未完であると痛感するしかなかった。

 2016年の冒頭から、北の核実験と衛星ロケット発射を機に朝鮮半島は、再び国際社会の耳目を集中させることになった。国連安保理の制裁決議に加え米韓合同演習の拡大強化によって、朝鮮半島には再び戦雲が立ちこめている。世界的には東西冷戦が終焉して久しいのに、朝鮮半島は今も冷戦構造が厳然と存在し圧倒的な規定力を発揮している。朝鮮戦争の停戦体制が維持され、朝米・朝日の敵対関係は解消されていない。“北朝鮮の核・ミサイル脅威”も、こうした冷戦構造の産物であることを直視するなら、その解決は冷戦構造の克服、即ち朝鮮戦争の終結(平和協定)と朝米・朝日の関係正常化を推進することでしか実現しないだろう。解放と分断の70年が過ぎた今、朝鮮半島の平和と自主統一を願う立場から、私たちの課題を考察してみたい。

朴正熙政権の外交

 1965年の『韓日条約』については、その内容と交渉過程に関して深刻な問題点が多方面から指摘されている。その詳細を論じることが本稿の目的ではないので、いくつかの確認にとどめたい。

 先ず、基本条約で植民地支配に関する言及が皆無である点だ。日本政府は「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」という条文を、“当時は有効だったので、併合(植民地支配)は双方の同意による合法的な措置”だと主張する。韓国政府は“当初から無効”と主張するが、“無効になった時点は大韓民国樹立の1948年”とする日本政府の解釈は一貫している。国会答弁によれば歴代の日本政府(村山内閣を含め)も、少なからぬ日本国民も“植民地支配=日韓併合は両国が条約で合意した”との認識に執着している。“合法的だが苦痛も与えたので遺憾に思う”ぐらいの歴史認識なのだ。

 では、朴正熙はこの問題をどう理解していたのだろうか。1964年3月16日、彼は国内記者との書面会見で「過去、韓日両国間の諸条約はすでに1951年のサンフランシスコ講和条約で、全て無効になったと見做されている。...よって今回の国交正常化に際して、事さらに不名誉な条約に言及する必要はない」と述べた。有効期間を、日本政府よりも長期にとらえているのだ。

 大日本帝国の陸軍士官学校卒業・満州国軍将校という経歴は、彼にとって立身出世の手段だった。そうした人士が朝鮮植民地統治を否定するはずもないし、それが断罪されるべき歴史だとも思わなかっただろう。朴正熙政権で対日交渉を担当した高位官僚たちの殆どが、大日本帝国に服務した親日派だった(首席代表の金東祚は1943年九州帝大在学中に高等文官試験行政科に合格し、大日本帝国政府厚生省に勤務。初代駐日大使)。そして交渉相手の日本政府代表団は当時、彼らの上官に該当する職責だった。植民地期に形成された“主従関係”は重い。こうした人間関係のもとで、対等な国交交渉は当初から不可能だったのではないだろうか。

 「親日・反日」というのは、単に日本への親近感や反感を意味する言葉ではない。それは歴史用語だ。日本の植民地統治を容認し服務したのが「親日」であり、それを拒否し自主独立を目指したのが「反日」、積極的に武力闘争すれば「抗日」になるのだ。典型的な「親日派」である朴正熙・元大統領の歴史観を検証してみよう。

 1961年11月12日、クーデター執権から約半年後に来日した彼は岸信介、池田勇人、佐藤栄作らと会合した席で「私は政治も経済も知らない軍人だが、明治維新で日本の近代化に献身した志士たちのような心情で、韓国の政治を担当していく決心だ。...強力な軍隊を育成するには日本式の教育が最高だ」と述べ、日本の陸士出身という経歴と日本精神をしきりに強調したという。もちろん対話は日本語だった。

 李東元は『韓日条約』に調印した当時の外務長官である。彼が退任後に出版した『大統領を懐古して』という本に、この日の状況が生き生きと描かれている。朴正熙が「諸先輩方、どうか私たちを助けて下さい。日本が韓国より進んでいるのは明らかなので、“兄貴”として敬います。“兄貴”の立場で私たちを育てて下さい」と述べたそうだ。その場にいた日本側の人士たちは「ようやく話の通じる相手に出会った」と、喜色満面だったという。

韓日条約のもう一つの問題点は、植民地支配に関連した膨大な被害補償を、国家賠償ではなく請求権協定(無償3億ドル、有償2億ドル)で安易に最終解決を図ったことだ。“合法的な併合”という立場の日本政府に、植民地支配の責任を認め賠償に応じる意思はもとより皆無だった。
 1949年12月作成の外務省『割譲地に関する経済的財政的事項の処理に関する陳述』は、サンフランシスコ講和会議を控え、日本の植民地統治がいかに正当で肯定的なものであったかを主張するための文書だ。そこには「日本のこれら地域に対する施政は決していわゆる植民地に対する搾取政治と認められるべきではない。...最も低開発な地域の経済的、社会的、文化的向上と近代化はもっぱら日本側の貢献によるものである」と書かれている。

 米政府の協力でサンフランシスコ講和会議に南北朝鮮と中国など、大日本帝国の最大被害国家を排除することに成功した日本政府は、1952年に『日韓請求権問題に関する分割処理の限界』(外務省)なる文書を作成する。骨子は「今回のサンフランシスコ条約による朝鮮の独立承認については、朝鮮は日本とは戦争関係になかったのであるから、もとより賠償問題の生ずる余地はなく、従って両国間の請求権問題は、単なる領土分離の際の財産及び債務の継承関係として取り扱われるべきものである」というのだ。

 “領土分離”という発想の根底には、“植民地支配は正当で恩恵を与えた”との歪んだ認識があるのだろう。その一端を示すのが、日韓交渉の首席代表を務めた高杉晋一の発言である。彼は交渉が大詰めを迎えた1965年1月7日、外務省記者クラブで「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした。...日本に謝罪せよというのは妥当ではない。日本は朝鮮に工場や家屋、山林などをみな置いてきた。創氏改名もよかった。朝鮮人を同化し、日本人と同じく扱うためにとられた措置であって、搾取とか圧迫というものではない」と放言した。1953年10月15日の久保田妄言を凌ぐ露骨な歴史歪曲だったが、政府のオフレコ要請に応じた日本の主要紙は全く報道しなかった。

 日本政府がここまで高圧的な発言をくり返したのは、朴正熙政権が自ら屈辱的な姿勢を示したからでもある。1965年2月17日、日韓条約の仮調印に訪韓した椎名外相を歓迎する席上で、李東元長官は「過去のある期間、両国民には不幸な関係があった」と述べている。植民地統治という言葉も、36年という期間も言及せずに、膨大な被害と苦痛を単に“両国民にとって不幸な関係”だったと表現したのだ。一体、どちらの外相が発言したのか判断しかねる言葉だが、これが当時、朴正熙政権の偽らざる姿だったのだ。こんな連中を相手に、誰が謝罪しようと思うだろうか。

 請求権協定に関する朴正熙の発言も検証しておこう。朴正熙(当時は国家再建最高会議議長)は1961年11月12日、池田首相との公式会談に臨んだ。その場で彼は「日本側が請求権問題に誠意を見せるなら、李承晩政権のように莫大な金額を請求するつもりはない」と述べている。会談後、韓国記者団に対し彼は極めて明確で重要な発言を行った。11月13日付『東亜日報』は朴正熙の発言を次のように伝えている。

 「対日財産請求権に関して、日本国民が誤解しているかも知れない。明確にしたいのは、我々の請求権が戦争賠償ではないことだ。韓日交渉の成否は、日本政府がどの程度の誠意を示すかにかかっている」。本格的な交渉を再開する前に、“賠償を要求しない”と宣言したわけだ。日本政府にとっては、まさに“神風”だった。同日付『朝日新聞』も、「池田-朴会談の最も注目すべき成果は、請求権の処理方式に関し双方が合意に達したことだ」と指摘している。

 参考までに、李承晩政権は発足初期の1949年、『対日賠償請求調書』を作成しGHQに提出している。植民地支配下の強制徴用に伴う人命被害や未払い賃金など、日本政府は73億ドルを賠償として支払う義務があると主張したものだ。これとて、被害の一部しか反映されていない金額だ。だが、請求権ではなく明確に賠償金として要求したからこそ、日本政府(吉田内閣)はあらゆる手段を動員して、米政府に韓国代表の講和会議出席を阻止するよう請願したのだろう。

 韓日交渉の過程を分析する際には、1950~60年代の東アジア情勢に米政府がどのように介入していたのかを考察する必要がある。

 1949年の中華人民共和国樹立と翌50年の朝鮮戦争勃発を機に、米政府は東アジアにおける主導権の確保を軍事・政治的な局面で追求せざるを得なくなった。対日講和会議を主導し日米安保条約で在日米軍基地の半永久化を達成したのが1951年だ。東京の連合軍最高司令部で日韓国交正常化に向けた最初の予備会談が始まったのも、その翌月(同年10月)である。米国が盟主となる「米日韓同盟」の結成は、その頃から米国の東アジアにおける最優先課題だった。そのためにも日韓の国交樹立は不可欠の前提である。

 60年代には中国の台頭が著しい。64年1月にフランスが中国を承認し、10月には中国が核実験に成功する。中国包囲網形成の必要性に加え、ベトナム戦争に本格介入して北爆まで敢行し始めた米政府にとって、65年は一つのタイム・リミットだった。

 難航する日韓交渉に拍車をかけるうえで、韓国軍事政権の登場は米日両政府が歓迎するところだった。そして支持基盤の脆弱な朴正熙政権は、両国からの支援を通じて経済成長を達成し、南北関係で優位を占める必要性にかられていた。65年8月14日、『韓日条約』の批准同意案が与党単独で国会を通過した。そして前日の13日にはベトナム戦争への派兵同意案が、やはり与党単独で国会本会議を通過している。韓国軍がベトナム戦争に参戦するのは、その2ヶ月後のことだった。

 日本政府にとって、朴正熙軍事政権は“兄貴として育てなければならない”存在だった。それは政権与党・民主共和党に対する政治資金の支援として行われた。米政府CIAの特別報告書『日韓関係の未来』(1966年3月18日)によると、日本企業6社が61~65年にわたって総額6600万ドルを支援したという。CIAはこの資金が、当該期間における民主共和党総予算のうち、三分の二に当たると記述している。だが、実際の金額は1億ドルをはるかに超えるものと推測されている。その後も続いたであろう両国権力の醜悪な癒着を断ち切らないかぎり、真の意味での日韓正常化はあり得ないだろう。 

 朴正熙政権に関しては、もう一つ追加しておきたいことがある。先に紹介した高杉晋一をはじめ、岸信介、佐藤栄作、椎名悦三郎、児玉誉士夫などが、日韓修好に寄与したとして大統領から勲章を授与されている。以降の歴代韓国政府が叙勲した日本の極右人士を含めると、その数は12名に達する。

朴槿恵政権の外交

 『韓日条約』はこのように、日本の植民地支配と侵略戦争の責任を不問にする“悪しき枠組み”となった。被害者の苦痛は省みられず、抗議の声は長期独裁体制を敷いた朴正煕政権の下で封じ込められた。しかし、1990年代に入り韓国の民主化が進展するなかで、元日本軍「慰安婦」や強制徴用被害者たちが、補償を求めて起ち上がった。日本市民との連帯を通じて、“悪しき枠組み”に対する困難な挑戦が始まったのだ。
 盧武鉉政権期の2005年1月、日韓請求権協定に関する文書がようやく公開された。それを受けて結成された「民官共同委員会」は同年8月、対策案として次のような公式見解を表明している。「日本軍慰安婦問題など、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては、請求権協定で解決したと見做すことはできず、日本政府の法的責任は残っており...」。これは、「財産請求権問題が完全かつ最終的に解決された」とする“悪しき枠組み”が、当初から無効であるとの画期的な判断である。
 日本の法廷では敗訴が続いたが、韓国司法部は軍事政権下での不条理を正そうと良心的な判決を出している。2011年8月、憲法裁判所は「日本軍慰安婦問題に対する韓国政府の不作為は、国民の権利保護に対する義務の不履行である」との違憲決定を出した。そして翌年5月、大法院(最高裁)が「植民地支配に直結した不法行為による損害賠償請求権は、日韓請求権協定によって消滅しない」との判決を下している。これに基づき2013年には、ソウル・釜山の各高裁と光州地裁で、新日鉄住金(旧日本製鉄)や三菱重工業に対し賠償支払いを命ずる判決が出された。
 朴槿恵・現政権が出帆した2013年2月は、このように人間の尊厳を取り戻そうとする躍動的な状況だったのだ。安倍政権の歴史修正主義に対する韓国市民の強い反発を無視できず、現政権も「慰安婦問題の根本解決が実現しないかぎり、日韓関係の改善はない」と公言していた。だが、実父の最大功績として『韓日条約』を掲げている娘が、“悪しき枠組み”の見直しに尽力するとは思えなかった。

 朴槿恵政権の対日姿勢に明確な変化が現れたのは、『韓日条約』締結から50年の2015年に入ってからだ。年初から米オバマ政権の露骨な介入と圧迫が始まった。2月13日、米韓外相会談後の記者会見で、ケリー米国務長官は「歴史問題の解決には日韓双方の努力が必要だ。日韓関係の悪化は米国の国益を損なう。焦点を歴史問題ではなく、より重要な安保問題に当てるべきだ」と語った。日韓関係の改善による米日韓同盟の構築を優先し、日本政府の歴史認識には拘らないとの意思を表明したと言えよう。2月27日にはシャーマン国務次官補も同様の発言をしたが、それを受けて韓国与党のナ・ギョンウォン議員が鮮明な解釈をほどこしている。国会の外交統一委員長でもある彼女は「中国の台頭に対抗するためにも、韓日関係はより未来志向的に変化すべきだ。それが米政府の立場だ」と述べた。米政府の報道官かと錯覚するような発言だが、政権与党には“先見の明”を備えた人士が少なくないようだ。

 そして4月29日、安倍首相の米議会演説で日米間の歴史問題には終止符が打たれた。米政府と議会は安倍演説を、かつての戦争(アジア太平洋戦争)に対しきちんと反省し丁重な対米謝罪があったと、肯定的に評価したようだ。かつて2007年には、「日本政府は慰安婦問題に対し明確な謝罪と被害者への補償をすべきだ」と、全会一致で決議案を採択した米議会だった。この8年間に一体、何が変わったのだろうか...。何も変わっていない。日本政府が「慰安婦」問題の解決に向け、真摯に取り組んだ形跡は一切ない。逆に、安倍政権は「河野談話」の見直しすら企図している。変わったのは米政府と議会の方針だけである。

 オバマ政権の「アジア再均衡(リ・バランス)政策」において、中国への包囲網形成は緊急の課題であり、50年前と同じく「米日韓の軍事同盟」構築はその核心である。自らが盟主となり、集団的自衛権行使を可能にした日本を忠実な代理人に任命する。その下位に韓国を位置づけた従属的な三国同盟の構築において、歴史問題をめぐる日韓の葛藤は早期に収拾する必要があったのだ。歴史(慰安婦問題の解決)よりも、安保(米日韓の軍事同盟)を優先するのが米国の国益であり、そのためなら議会は、政府と一体となって日本に免罪符を与えることを躊躇しない。そのことを立証したのが2015年だった。

 『韓日条約』50周年の昨年6月22日、駐韓日本大使館で祝辞を述べた朴槿恵大統領は、「今年を韓日両国が新たな協力と共栄の未来に向かう転換点にしなければならない。最大の障碍となっている歴史問題の重い荷物を、和解と共生の心で降ろせるようにすることが重要だ」と語った。この頃から、大統領は“未来志向”や“大乗的な見地”という言葉を多用するようになった。だが、過去を直視しない“未来志向”は無意味である。歴史問題は降ろすべき重い荷物ではなく、解決すべき課題ではないのか。この時点ですでに、年末12月28日の屈辱的な合意は織り込み済みだったのかもしれない。

 朴槿恵政権の統一外交政策は、朴正熙政権と同じくその根底に、対北敵視政策がとぐろを巻いている。北の体制崩壊による吸収統一を政策目標に設定しており、その実現に向け米日と協調して軍事・政治・経済的な圧迫と封鎖を強化することを優先する。対話と交渉により南北の和解と協力を推進した金大中・盧武鉉政権とは正反対の政策である。だが、開城工業団地を一方的に閉鎖するなど南北関係を破綻させた現政権に対し、韓国市民は去る4月13日の総選挙で厳しい審判を下した。

 南北関係の悪化に加え、親日派を擁護し軍事政権を美化するための歴史教科書国定化、日本軍「慰安婦」問題の屈辱的な対日交渉、経済の失政による格差拡大などが、審判の対象になったと判断される。植民地主義と分断の克服という民族的な課題をおろそかにすることは、南北いずれの政権にも許されることではあるまい。

 最後に、日本との関係について言及したい。歴史問題(植民地支配の清算)において、被害当事者の声を封殺したままでの「最終的かつ不可逆的な解決」などあり得ない。1965年の「完全かつ最終的な解決」が空虚だったように、今回の「最終的かつ不可逆的な解決」も恥ずべき野合でしかないだろう。これが新たな“悪しき枠組み”とならぬよう、私たちは日本の良心的な市民とともに、歴史の反動に立ち向かって行こうではないか。 
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「5.18光州民主化運動」の36周年-真相は究明されたのか?

2016年05月19日 | 三千里コラム

光州民衆抗争36周年の前夜祭(5.17,光州市)



36年前の1980年5月18日、光州市民は新軍部勢力の「5・17非常戒厳全国拡大措置」に反対し、憲政破壊と民主化の逆行に抵抗して起ち上がった。全斗煥・盧泰愚を中心とする新軍部勢力は、事前にデモ鎮圧訓練を受けた空挺部隊を投じてこれを暴力的に鎮圧したために、数多くの市民が犠牲となった。市民虐殺の契機となったのは、その年の5月21日、国防長官室で開かれた新軍部勢力指揮官たちの緊急会議だった。出席者は、イ・フィソン(参謀総長、戒厳司令官)、全斗煥(合同捜査本部長、保安司令官)、盧泰愚(首都警備司令官)、チョン・ホヨン(特殊戦司令官)などである。“光州市民の闘いが激しく鎮圧が容易ではない”との現地報告を受けた彼らは、出動した軍人たちに「自衛権の発動(発砲許可)」を決議する。

自衛権発動の決定から約2時間後の同日午後1時、光州市クムナム路では戒厳軍が市民に対し一斉射撃を開始した。銃声が鳴り止んだのは午後4時だった。その日だけで、キム・ウァンボン君(当時中学三年生)ら34名が犠牲となった。自国民を躊躇なく虐殺する戒厳軍に対抗するため、光州市民は手に銃を取り「市民軍」が組織された。他地域の支援を得ることもできず完全に包囲され孤立した状況だったが、光州市民は全羅南道の道庁に篭り民主主義の松明を掲げ続けた。5月27日午前0時、戒厳軍の一斉攻撃を受け闘いは鎮圧された。10日間の闘いは夥しい犠牲をもたらした。政府の発表によっても、死者166人(傷痍後遺症の死者376人)、行方不明者54人、負傷者3,139人である。

長い間、光州市民の闘いは“北が扇動した暴動”“光州事態”などと罵倒され歪曲された。“暴徒”ではなく「市民軍」、“事態”ではない「民主化運動」として正当な評価を受けるまでには、光州という地域を超えた韓国市民社会の目覚めが必要だったし、苦難に満ちた民主化運動の進展を待たねばならなかった。その後、1987年の全国的な民主化抗争と文民政権(金泳三政権)の登場を機に、1995年「5・18民主化運動などに関する特別法」が制定され、犠牲者に対する補償および犠牲者墓地の聖域化がなされた。また、1997年には「5.18民主化運動」を国家記念日に制定し、その年から政府主管で記念行事が開かれている。

ところが、李明博・朴槿恵政権のもとで極右勢力を中心に、歴史を修正し光州民主化運動の精神を貶めようとする動きが本格化している。5月18日、光州市で開催される記念行事に、朴槿恵大統領は今年も参加しなかった(3年連続)。そして、記念式典で歌われてきた「ニム(あなた)のための行進曲」の斉唱を引き続き拒否している。合唱には反対しないそうだ。「合唱」と「斉唱」はどこが違うのか? 本質的な歴史認識の差異が反映される。参加者にとって「合唱」は聞くもので、必ずしも一緒に歌うことではない。一方、「斉唱」は民主化運動の精神を継承する意思を込めて、参加者が全員で歌うのが前提である。今年の記念式典に大統領代理で参加し演説したファン・ギョアン国務総理は、周囲の参列者が自発的に「ニム(あなた)のための行進曲」を斉唱している間も、固く口を閉じて立っていた。“民主化運動ではなく暴動事態だ”という自身の頑なな認識を表明するかのように…。

さらに看過できないのは、5月17日発刊の『新東亜』6月号に掲載された全斗煥のインタビュー記事だ。そのなかで彼は「あの当時、誰が国民に“発砲しろ”と命令するかね。馬鹿なことを言うんじゃないよ! 私は光州事態とは何の関係もない」と、白々しく市民虐殺の責任を否定している。今も“光州事態”と呼んで憚らない彼の認識が、全てを代弁しているだろう。おそらくそれは、朴槿恵現大統領の歴史認識とも共通すると思われる。前述したように、「自衛権発動」という名目で市民への発砲を許可したのは彼らだった。誰よりも、当時の新軍部勢力で最高権力者だった全斗煥が発砲命令の責任を回避し、それが容認されている現状は、36年を経た今も「5.18光州民主化運動」の真相究明がなされていないことを如実に示している。

1995年12月に「5・18民主化運動などに関する特別法」が制定され、検察は全斗煥・盧泰愚元大統領をはじめ5・18の虐殺関連者16人を起訴した。そして1997年4月には、大法院(最高裁)が彼らに「内乱罪」を適用し無期懲役などの重刑判決を確定している。しかし、主要起訴項目の内乱罪や不正蓄財は、1979年12月の「粛軍クーデター」や執権後の不正蓄財を裁いたもので、光州市民の虐殺を断罪したものではなかったのだ。ちなみに同年12月、全斗煥・盧泰愚らは大統領の特赦で釈放された(2205億ウォンの追徴金を課せられた全斗煥は、今も1673億ウォンを未納)。一大茶番劇の幕はこうしてあっけなく閉じられた。

検察が作成した10万ページ余りに達する訊問調書のどこにも、「発砲命令者」は記載されていない。軍人の銃に撃たれた死者は数百人なのに、銃を撃てと命令を下した者はいないのだ。錦南(クムナム)路など、光州市の随所で虐殺を実行した現場の指揮責任者が誰一人として起訴されなかったのは、彼らが「上官の命令により行動した」と陳述しているからだ。命令を受けて虐殺に加担した者はいるのに、自国民を殺せと命令した者は存在しない。このような歴史の冒涜を許してきたのが、この36年だったのだ。1993年、韓国の市民社会団体は5.18関連諸団体と「5・18問題解決の5大原則」に合意した。①真相究明、②責任者処罰、③名誉回復、④集団賠償、⑤記念事業、がその5原則である。①と②の原則を貫徹するうえで、核心は発砲命令者を明らかにすることではないだろうか。

「ニム(あなた)のための行進曲」のフレーズにあるように、歳月は流れても山河は覚えている。「光州民主化運動」を“光州事態”と歪曲し、「市民軍」を“暴徒”と罵倒する輩が、今も白昼堂々と“愛国者”として振る舞う状況を座視してはならない。真相を究明して責任者を断罪することでしか、真の名誉回復は達成されないからだ(JHK)。
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