NPO法人 三千里鐵道 

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南北赤十字、離散家族の面会に合意

2013年08月24日 | 南北関係関連消息

赤十字社の実務協議で合意書を交換する南北の首席代表(8月23日、板門店)



開城工団の操業再開合意に続き、南北の両政府は8月23日、赤十字社の実務協議を通じて離散家族の面会行事に合意しました。
 
 離散家族の面会は南北分断後、1985年に初めて実現しましたが、継続されませんでした。そして15年の中断期を経た2000年、南北首脳会談の成果として再開します。それ以降、18回に及ぶ対面の面会と、7回の画像での面会事業が実施され、南北双方で4321の家族、2万1734名が面会を果たしました。2000年から2007年までは毎年開かれた面会事業が、李明博政権期には2009年と2010年に開催されただけです。3年間の中断を経て今回、9月にようやく実現することになったわけです。

 今回、面会者の規模は南北各100名です。現在、南で面会を希望する離散家族のうち、生存者が7万2千余名と言われています。韓国赤十字社はこの人たちを対象に、コンピューター抽選で200名から500名を選出する予定です。離散家族の苦痛を解消するためにも、面会の定例化と簡素化に向け、南北当局は最善を尽くすべきだと考えます。

 以下に、8月23日付『聯合ニュース』の記事を要訳しました。(JHK)
http://www.yonhapnews.co.kr/politics/2013/08/23/0505000000AKR20130823196153043.HTML?template=2085


南北は9月25日から30日まで金剛山(クムガンサン)で離散家族対面行事をすることで23日に合意した。

双方はこの日、板門店の南側地域にある「平和の家」で赤十字実務協議を開き、秋夕(チュソク:旧暦8月15日)を前後した期間に離散家族の対面行事を実施するなど、4項目の合意書を採択した。

これに伴い、2010年10月を最後に中断された離散家族の対面行事が、3年ぶりに再開されることになった。

来月に対面する離散家族の規模は南北それぞれ100人。対面の方法と形式は慣例に従うことにした。

南北は秋夕の対面に続き、11月中にも離散家族の面会行事を実施することに共感した。それで、秋夕の対面直後に赤十字実務協議を追加で開くことになった。

双方は対面による面会とは別途に、画像面会も10月22日~23日に実施することで合意した。 規模は双方で40家族ずつである。

双方は秋夕の離散家族対面に向け、29日に生死確認を依頼する200~250人の名簿を交換する。その後、来月13日に生死確認結果を知らせる回答書を、そして16日には最終名簿をそれぞれ交換することにした。対面の5日前には、先発隊が金剛山に派遣される。

韓国政府は23日の協議で、離散家族問題の根本的解決のために、▲対面の定例化、▲生死と住所の確認、▲生死が確認された離散家族の書信交換、▲韓国軍捕虜(朝鮮戦争時)と拉北者問題解決に向けた生死と住所確認、などを追加で北側に提案した。

これと関連して、南北は当日の合意書に「離散家族の対面定例化、生死確認、書信交換実施など離散家族問題の根本的解決のために、引き続き努力することにした」と明示している。

キム・ヒョンソク韓国政府統一部スポークスマンは「南は面会場所としてソウル-ピョンヤンを、規模は200人を提示したが、北が金剛山に固執し、規模は100人が最大能力だと主張した。北側の立場を受け入れる代わりに11月の追加対面に合意したので、結果的には対面者の規模が拡大された」と語っている。

また、韓国政府の当局者は「秋夕の離散家族対面団に国軍捕虜と北へ拉致された人が含まれるのか」との質問に対し、「過去18回の離散家族対面行事をした慣例」を説明した。これまでは100人のうち10%である約10人が、国軍捕虜もしくは拉北者に割り当てられてきた。

政府当局者はまた、今回の実務協議で北側から「米支援や水害支援などの要請は全くなかったし、金剛山観光の再開に関する話もなかった」と明らかにした。

三千里コラム-歴史を忘却した民族に未来はない

2013年08月20日 | 三千里コラム

サッカー東アジア杯の男子日韓戦で、観客席に掲げられた横断幕(7.28,ソウル)



 7月28日、ソウルで開催された東アジア杯男子サッカーの日韓戦で、観客席には「歴史を忘却した民族に未来はない」との巨大な横断幕が掲げられました。歴史認識をめぐる日韓両国の葛藤は今に始まったことではありません。しかし「スポーツの場に政治を持ち込んだ」と、不快感を抱いた日本人は、決して少なくなかったことでしょう。

 正直に告白しますが、筆者はこの横断幕を「自戒の意を込めた韓国人の痛切な心情表現」と、高く評価していました。単に日本への批判という次元ではなく、「どの民族国家にも該当する普遍的な格言ではないか、韓国の市民社会も成熟したものだ」と、一人で悦に入っていたわけです。

 日本の苛酷な植民地支配と独立後の長期にわたる軍事独裁統治は、朝鮮民族と韓国市民にとって苦難の時期でしかありません。しかし、その受難の時期にも、民族の解放よりも個人の栄華を、人間としての良心よりも権力への阿諛を選択する人間がいました。

 祖国が独立した後に、そして民主化が一定の進展を果たした社会で、反民族的・反民主的な人物を断罪し過ちを正すことが、他ならぬ「歴史の見直し(過去清算)事業」といえるでしょう。盧武鉉政権期に設立された『真実和解のための過去事件整理委員会』は、その典型的な機構です。

 大日本帝国からの解放と同時に分断された朝鮮半島では、植民地統治に関する歴史清算が挫折せざるを得ませんでした。独立運動を闘った勢力が執権した北と違い、米軍政の支援で出帆した南の李承晩政権は、統治機構のあらゆる分野に親日派を重用しました。そして、彼らとその子孫たちが歴代韓国政権の保守本流を構成してきたからです。その代表的な人物が現大統領の実父、朴正熙です。

 誤解を避けるために強調しますが、「親日」と「反日」は歴史用語であって、日本への親近感や反感を基準とする分類ではありません。「親日」は日本の植民地統治を支持し積極的に加担した行為であり、「反日」とは植民地支配を拒否し抵抗することを意味します。その究極が「抗日」独立運動です。

 過去清算に積極的だった盧武鉉政権から、李明博政権を経て朴槿恵政権へと保守の時代が続くなかで、歴史を否定的に見直す修正主義の傾向が強まっています。ニューライトと呼ばれる極右勢力が先鋒を担ぐ、朴正熙とその時代への美化がそれです。「歴史を忘却した民族に未来はない」との横断幕は、そうした傾向への適切な警告だと歓迎したのですが、どうやら筆者の過大評価だったようです。

 7月11日、民主党のホン・イクピョ議員が朴正熙を「満州国の鬼胎」と言及したことが波紋を呼び、彼は院内スポークスマンの職を辞すことになりました。鬼胎とは、「生まれるべきではなかった不吉な存在」という意味です。

 ホン議員は書籍の内容を引用して「岸信介と朴正熙は満州国の鬼胎と言われている。皮肉なことにその子孫が今、韓日両国の首脳だ。安倍首相は日本軍国主義の復活を目指し、朴槿恵大統領は維新共和国(朴正熙政権)の再現を夢見ている」と、かなり刺激的な発言で現政権の過去回帰を批判したのです。

 朴槿恵大統領にとって実父は、政治家として最高の模範であり目標です。ホン議員の発言は実父を尊敬して止まない彼女の逆鱗に振れたのでしょう。しかし、朴正熙に対する歴史的な評価は、もっと冷静かつ客観的であるべきです。学術的な検証においても、いかなるタブーを設定することがあってはなりません。遺憾なことに韓国社会の現状は、すでに朴正熙を聖域化しています。

 朴槿恵政権のもとで着々と進行する「朴正熙時代の美化」...。その一端が8月19日付『ハンギョレ新聞』に紹介されていましたので、要訳して紹介します。美化の対象になったのは、同じく「満州国の鬼胎」である白善(ペク・ソンヨプ)という軍人です。ある意味で朴正熙にとって「命の恩人」ですが、このような人物を英雄視する韓国軍と、それを黙認している韓国社会の現状に、切迫した危機感を抱かずにはおれません。

 もう一度、声を大にして横断幕の言葉を叫びます。
 「歴史を忘却した民族に未来はない!」 (JHK)
 


韓国軍の正統性 (キム・キュウォン記者)
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/599923.html

去る7月16日、ソウル市龍山区の国防部記者室で、イム・クァンビン国防政策室長(予備役陸軍中将)が『白善(ペク・ソンヨプ)韓米同盟賞』を制定したと発表した。イム室長に質問した。

 「ペク・ソンヨプ将軍は日帝統治期に間島(カンド)特設隊の将校として独立軍を討伐した人なのに、どうしてそのような人物の名前を付けた賞を韓国国防部が制定するのですか?」
 「…」

 「韓国軍の正統性(ルーツ)は独立軍(光復軍)にあるのですか? それとも日本軍ですか?」
 「もちろん光復軍にあります。」

 「そうすると、このような賞を国防部が制定したことに対して、過去に光復軍で活動した方々は何と言うでしょうか?」
 「…」

 韓国軍の大部分を占める陸軍の歴史的正統性は、きわめて脆弱だ。第1代~16代までの陸軍参謀総長13人の中で、チェ・ヨンヒを除いた12人全員が日本軍や満州軍(事実上の日本軍)出身だった。このうち、イ・ウンジュン、チェ・ビョンドク、シン・テヨン、チョン・イルグォン(丁一権)、イ・ジョンチャン、ペク・ソンヨプ、イ・ヒョングンなど7人が、民族問題研究所の『親日人名辞典』(4776人を収録)に記載されている。

 しかもチェ・ビョンドクとチョン・イルグォンを除いた5人は、政府が公式に認定した「親日反民族行為者」にも含まれている。「親日反民族行為者」は1005人を数えるが、日帝統治期の民族反逆者の中でも罪質が最も悪い連中だ。

 光復軍出身で陸軍の最高職位に上がった人は、1946年12月~48年10月、陸軍総司令官(陸軍参謀総長の前身)を担ったソン・ホソンだけである。だが金九(キム・グ)先生の系列だった彼は、李承晩が執権した直後に総司令官の職を追われることになった。

 その後、親日派の特務司令官キム・チャンニョンから“左翼分子”の嫌疑をかけられた彼は、朝鮮戦争が勃発するや北に連行され(あるいは自ら北に行き)朝鮮人民軍の幹部になっている。

 このような歴史についてブルース・カミングス教授(米国シカゴ大学)は、6月24日付『ソウル新聞』とのインタビューで、「日本帝国主義に対抗したパルチザン出身の金日成たちが北朝鮮で政権を担当したが、南朝鮮では金九のような民族主義者は権力を取れずに排斥された。南朝鮮で米国は、日本の警察および将校出身者を起用した」と説明している。

 大韓民国政府は、こうした恥ずかしい歴史を美化しようとする。最近では美化作業が、特にペク・ソンヨプ将軍に集中している。2005年3月、陸軍は鶏龍台にある陸軍本部に「ペク・ソンヨプ将軍室」を設けた。2009年3月には国防部が彼を、韓国最初の5星将軍である「名誉元帥」に推戴しようとして失敗した。今年の8月13日、文化財庁は彼の所持品を“文化財”に指定しようとしたが保留せざるを得なかった。

 ペク将軍は朝鮮戦争の際、多富洞(タブドン)地域の戦闘で北朝鮮軍の南進を阻止し、智異山(チリサン)ではパルチザンを討伐した。何よりも、南朝鮮労働党で活動した疑惑により死刑を宣告された朴正熙を救命した“功労”がある。しかし、間島特設隊の将校として独立運動家を討伐した罪は、どんな功労を持ってしても拭うことができないと考える。民族を裏切り、国家の正統性を否定したからだ。
 
 例えば、日帝時代に独立運動家を拷問したが、解放後には左翼人士を掃討するのに奔走した盧徳術(ノ・ドクスル)という警察幹部がいた。今、警察が左翼人士を掃討し自由民主主義を守った功労を認定して「盧徳術賞」を制定するとしたら、軍人たちはどう思うだろうか。

 アンリ・フィリップ・ペタンというフランスの5星将軍がいた。彼は第1次世界大戦時の1916年、ベルデンでドイツ軍を撃退させた功労で元帥にまで昇進したし、国家の元老として国民の尊敬も受けた。しかし彼は第2次世界大戦の時、ナチス・ドイツの傀儡であるビシー政府の首班を引き受けたという理由で、戦後に終身刑を宣告され監獄で生涯を終えている。当時、年齢が89才と高齢であったために、銃殺刑だけは免れたが...。

 大韓民国の陸軍が歴史的正統性を回復したいと思うなら、先ずは「ペク・ソンヨプ英雄化」を放棄すべきである。そして一日も早く戦時作戦統制権(統帥権)を米軍から取り戻し、韓国軍の新しい正統性を打ち建てねばならないだろう。

南北実務会談が妥結-開城(ケソン)工業団地の正常化など5項目に合意

2013年08月14日 | 南北関係関連消息

第7回南北実務会談で合意文書に署名する南北の団長(8.14 開城工団)


南北の両政府は8月14日、開城工団の正常化に向け、操業中断の再発防止など5項目からなる合意文書に署名しました。7回に及ぶ実務会談を重ねた結果であり、一時は決裂も伝えられただけに、8月15日の光復節(解放記念日)を迎えるうえで何よりもの朗報となりました。以下に、8月14日付『統一ニュース』の記事を要訳します。(JHK)
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=103704


南北は14日、開城工団の操業再開に合意した。
去る4月、北側が開城工業団地の勤労者を撤収してから129日目、先月4日の第1回南北実務会談から40日ぶりの妥結である。

開城工業団地の操業再開に向けた第7回南北実務会談がこの日午前、開城工団内の総合支援センター13階にある「開城工業地区管理委員会」事務室で開かれた。

会談で南北は、操業中断の再発防止および身柄の安全保障、開城工業団地共同委員会の設置、工団の国際化方案など5項目に合意し、キム・キウン南側首席代表とパク・チョルス北側団長が合意文に署名した。

南北は『開城工業団地の正常化に向けた合意書』の第1条で、「南と北は通行制限および勤労者撤収などによる開城工団の中断事態が再発しないようにし、いかなる場合にも情勢の影響を受けることがあってはならず、南側人員の安定した通行、北側勤労者の正常な出勤、企業財産の保護など公団の正常運営を保障する」と明示した。

これまで六回に及んだ実務会談で、北側が「政治的言動および軍事的威嚇」の止揚を主張し、南側は「北側が再発防止の責任主体」であることを明示するよう強調したが、今回の実務会談では、互いに一歩ずつ譲歩したと言える。

南北はまた、「今回の操業中断による企業の被害補償および関連問題を、今後構成される開城工業団地南北共同委員会で協議する」と明らかにした。

第2条では、「南と北は開城工団を往来する南側人員の安全を保障し、企業の投資資産を保護して、通行・通信・通関の問題を解決する」と合意している。

これと関連して南北双方は、△開城工団を往来する南側人員の安全な出入りと滞在を保障、△開城工団投資企業の投資資産保護、△違法行為が発生した際の共同調査と損害賠償など紛争解決のための機構を設置、といった具体的な項目を掲げた。

南北はまた、「常時的な通行の保障、インターネット通信および携帯電話通信の保障、通関手続きの簡素化と通関時間の短縮などの措置を取る」ことにも合意した。南側が要求してきた通行・通信・通関の、いわゆる「3通問題」が解決されたわけだ。

これらの項目を履行するために南北は、「開城工業団地南北共同委員会」を設置することに合意した。「開城工業団地南北共同委員会」は北側が第6回会談で主張したことであり、去る2007年11月に開かれた「10.4首脳宣言履行のための南北総理会談」で合意した内容でもある。

また、南北は開城工団の国際化方案にも合意した。

合意書の第3条には、「開城工団の企業に対して国際的水準の企業活動条件を保障し、国際的な競争力を備えた公団として発展させていく」と明記されている。

具体的に、△外国企業の誘致を積極的に奨励、△開城工団内の労務、税金、賃金、保険を国際水準化、△生産品を第3国に輸出する際には特恵関税を認定、△海外投資説明会の共同開催、などを推進することにした。

そして、このような合意内容を履行するために「開城工業団地南北共同委員会」を構成・運営して、傘下に分科委員会を置くことにした。「開城工業団地南北共同委員会」は、速やかに『「開城工業団地南北共同委員会」の構成および運営に関する合意書』を採決して活動を開始することにした。

だが、南北は開城工団の操業再開に向けた日程を合意文に明示しなかった。代わりに第5条で、「南と北は安全な出入りおよび滞在と投資資産保護のための機構を設置して、開城工団入居企業の施設整備と操業再開に向け積極的に努力する」と明言するにとどまった。

朴槿恵大統領にとって民主主義とは?-10万のキャンドルが訴えるもの   

2013年08月12日 | 三千里コラム

国家情報院を糾弾するキャンドル集会(8月10日、ソウル市庁前広場)


 8月10日の夜、ソウル市庁前広場は6万人の市民が灯すキャンドルで埋まった。『参与連帯』など284の市民運動団体はこの日、「国家情報院の政冶工作と大統領選挙への不法介入を糾弾する第6回市民キャンドル集会」を開催した。釜山、大田、大邱などの地方都市でも同様の集会が開かれ、全国的には約10万人の市民が参加したと推測される。
 6月から始まったキャンドル集会の参加者は、回を追うごとに増えている。また、国家情報院を糾弾する大学教員やジャーナリスト、聖職者たちの時局宣言文も相次いで公表されている。この問題は今や、韓国社会最大の政治イシューに浮上したといえるだろう。

 どの国にも国家の行政機構として情報機関が存在する。しかし、独裁政権が長期間にわたって君臨した韓国では、その弊害が極めて深刻だった。1961年5月16日、クーデターで執権した朴正熙は、その4日後に韓国中央情報部(KCIA)の創設を宣言した。1973年の金大中拉致事件など数多くの謀略事件に関わったKCIAは、民主化運動を弾圧するうえで手段と方法を選ばぬ暴力機構だった。

 朴正熙政権崩壊後に権力を掌握した全斗煥は、1981年にKCIAを国家安全企画部(安企部)に改称する。安企部の機能と役割も、軍事独裁に抗議する民衆運動を鎮圧することにあったのは言うまでもない。その後、金大中政権のもとで安企部は国家情報院(国情院)となり、今に続いている。金大中・盧武鉉政権期の国情院は、国内政治への介入や国民に対する査察活動を禁じられていたが、李明博政権のもとで権力維持のための工作機関として華々しく復活する。その白眉が、昨年12月の大統領選挙だった。

 投票日を数日後に控え与野党候補が熾烈な選挙戦を展開していた頃、国情院は組織的に露骨な世論操作を行い、与党候補(朴槿恵)の当選に決定的な貢献をしたのだ。国情院はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて、ブログやツイッターに膨大な「書き込み」を展開した。その内容はもちろん、朴槿恵を支持し民主党候補の文在寅を非難するものだった。
 12月11日、ソウル市内のレンタル・オフィスで国情院心理情報局の女性職員が、民主党の関係者たちに摘発された。任務遂行中だった彼女は、50個近いIDを不正使用して「書き込み」に没頭していたという。

 ところが、この事件を捜査していたソウル市警察庁のキム・ヨンパン長官が12月16日、緊急の中間捜査報告を午後11時に発表した。彼はまた、翌日早朝に新聞・テレビ各社に向けたブリーフィングまで行なうというサービスぶりだった。
 「国情院の組織的な関与はなく個人的な書き込みであり、選挙法違反の嫌疑なし」という内容だった。16日は投票日(19日)の3日前であり、与野党候補が最後のテレビ討論を行なった日である。テレビ討論の不得手な朴槿恵候補が受けたダメージを、警察長官の捜査報告が挽回した結果となった。そして朴槿恵候補はこの事件を、「民主党員による女性職員への不法監禁・人権蹂躙」と主張し、「国情院と結託した選挙工作云々するのは自身と与党への許し難い誹謗中傷だ」と反撃した。

 実は捜査の中間報告があった16日、国情院の情報官とキム・ヨンパン警察長官が単独で会っている。おそらく、事態の打開策を協議するための会合だったであろう。世論の推移を分析し選挙の行方を確信したのか、翌17日に国情院の幹部会議を主催した元世勲(ウォン・セフン)国情院長は、「僅少差の劣勢を僅少差の優勢へと転換できた。諸君の労苦をねぎらいたい」と訓示している。国情院はしてはならない選挙工作に奔り、警察庁はやるべき捜査を意図的に怠った。

 選挙は「民主主義の華」と呼ばれている。もっと皮肉っぽい表現で「民主主義は投票日の一日だけ機能する」と言われたりもする。日ごろは横柄な政治家が、有権者の一票欲しさに平身低頭する選挙...。その一票が故に文字通り「民」が「主」となる投票日...。選挙制度の一面を揶揄する名言かもしれないが、選択と投票の重要性を強調する言葉であることは確かだ。

 国情院が昨年の大統領選挙で行なった世論操作は、民主主義の根幹を揺るがす重大な組織犯罪といえる。大統領選挙に際し、情報機関が国民の合理的な判断と選択を妨げる工作を組織的に、しかも国民の税金を使って敢行したのだから。先ほどの言葉に倣うならば、韓国の民主主義は「たったの一日も機能しなかった」ことになる。

 問題は、選挙で当選した朴槿恵大統領の対応である。「選挙結果に承服しない野党と市民団体」をなじり、「大統領選挙で国情院からは一切の支援を受けていない」と突っぱねるだけで、真相の究明と国情院の改革には一向に関心がないようだ。その姿勢からは、危機に陥った韓国民主主義を救おうとの意志も、責任感もうかがえない。
 
 「国情院の助けで当選したかどうか」が問われているのではない。何よりも選挙に介入して世論を操作した国家情報機関の違法行為が、そして厳格な取り調べをせずに犯罪を隠蔽している警察庁の怠慢が、国政を担う最高指導者に問われているのだ。全国各地で灯された10万のキャンドルは、この事態から目を背けることが韓国民主主義の死を意味し、時代の後退を容認することになるという、歴史の警告なのだ。

 沈黙を続けた大統領は8月5日、大統領官邸の主要官僚を更迭した。人事改編の“目玉”は、政権のナンバー・ツーである大統領秘書室長に金淇春(キム・ギチュン)元法務長官を任命したことだ(ちなみに、文在寅候補は盧武鉉大統領の秘書室長だった)。これ以上ない明確な方法で、朴槿恵大統領は国情院事態に対する自らの意志を国民に示したのだろう。新任秘書室長の経歴から、大統領の胸中は余すところなく読み取れる。

 キム・ギチュンは公安検事として在職中の1972年、朴正熙の永久執権体制を可能にした改悪憲法(維新憲法)を起草した人物である。その功績が認められ、1974年にはKCIAの公安捜査局部長に就任する。彼の指揮下で、「在日韓国人スパイ団事件」をはじめ数多くのスパイ事件が捏造されていった。その後、朴正熙政権の末期には大統領官邸の秘書官となり、盧泰愚政権期には法務長官に抜擢されている。

 しかし、彼の悪名を決定的に高めたのは、1992年12月11日、第14代大統領選挙における選挙工作だった。わずか2ヶ月前まで法務長官の職にあった彼は、金泳三・金大中・鄭周永の三候補が激しく争う選挙戦の終盤、与党候補(金泳三)を支援するために釜山地域の関係機関長会議を招集した。出席したのは釜山市長、釜山地方検察庁長官、釜山地区機務部隊長(機務部の旧称は国軍保安司令部)、安企部釜山支部長、釜山警察庁長官、釜山商工会議所会長、釜山市教育庁教育監など、慶尚南道地域の政情を左右する錚々たる顔ぶれだった。

 その場で彼は、「選挙民の地域感情を刺激して与党の得票を伸ばさないと危うい。野党が政権を取れば革命的な状況になり、われわれは終わりだ」と危機感を煽り、露骨な選挙介入を指示した。彼らの発言内容は、会合があった料理店を監視していた野党側の関係者が盗聴し、全貌が公開された。選挙法違反だと攻撃されたが金泳三候補と与党は一切の関与を否定し、盗聴器を仕掛けた野党関係者を「住居不法侵入」で逆に告訴した。 
 
 ひとたび点火された地域感情の効果は絶大だった。慶尚道地域の票は与党に流れ、金泳三候補が圧勝した。公職選挙法違反の容疑で在宅起訴されていたキム・ギチュンは、当然ながら「不起訴処分」となった。一方、選挙工作の謀議を公開した野党関係者は「住居侵入罪」で処罰された。新政権誕生の一等功臣となったキム・ギチュンはその後、金泳三政権のもとで与党の国会議員になっている。三選議員として国会の法律委員会委員長だった2004年、彼は盧武鉉大統領に対する弾劾訴追議決書を作成し、憲法裁判所に提出した。

 キム・ギチュン任命に込められた朴槿恵大統領の意志を、ゆめにも過小評価してはなるまい。国情院の選挙介入と世論操作を、彼女は違法だとも、犯罪だとも見なしていない。「これしきの事で何をそんなに騒いでいるのだ?」と言わんばかりに、強行突破するつもりなのだ。

 大統領の意向を反映してか8月5日、本件に関する国会の国政調査特別委員会に出席したナム・チェジュン国情院長は野党議員の質問に答え「国情院心理情報局員の書き込みは、民主主義体制の転覆を企図する北韓の対南工作への、正当な安保活動だ。これを選挙介入だと主張することこそ、野党の政治工作だ」と開き直った。

 選挙工作を指揮した当時のウォン・セフン国情院長は今、収賄罪で拘束されている。選挙法違反の容疑に関しては、拘束を免れ在宅起訴の処分だった。一方、国情院の職員を摘発した野党関係者は「不法監禁の罪」で逮捕された。まるで、20年前の醜態を再現するかのようだ。
 国情院問題の解決責任を担うのは、朴槿恵大統領自身である。なぜなら、国情院の選挙工作は、他の誰でもない朴槿恵候補当選のために敢行されたからだ。そして、国情院は大統領直属の機関であり、大統領の命令と支持によってのみ動く組織であるからだ。

 国情院が政権延長のための機関として存続する限り、韓国社会の民主主義は衰退の道を歩むことだろう。10万のキャンドルは、民主主義を守り韓国社会の誇らしい未来を切り開こうとする、市民の良心が灯したものだ。来る8月14日、第7回目のキャンドル集会がソウル市庁前広場で予定されている。
 韓国民主主義の蘇生のために、市民よ、もっとたくさんのキャンドルを!!  (JHK)

「ソウル-ピョンヤン-東京、リレー国際シンポジウム」

2013年08月05日 | 東北アジアの平和

8月1日、東京の学士会館で開催された「ソウル-ピョンヤン-東京、リレー国際シンポジウム」



7月27日は、1953年に朝鮮戦争の停戦協定が締結されてから、ちょうど60周年になる日です。停戦協定は、戦争の終結を意味する終戦宣言でもなければ、交戦当事国間の和解を意味する平和協定でもありません。戦争の一時中断に過ぎない停戦状態は、朝鮮半島が極度の軍事緊張下にある主要因と言えます。

朝鮮半島の平和協定を求める集いが8月1日午後5時から、東京都千代田区の学士会館で催されました。「ソウル-ピョンヤン-東京、リレー国際シンポジウム」です。

当日の集いを主催したのは「停戦60周年国際シンポジウム実行委員会」です。同実行委員会は、6.15南北共同宣言を支持する在日コリアンの民族団体と人士、および朝鮮半島の平和統一を支持する日本の市民団体によって構成されました。

シンポジウムは停戦協定60周年をむかえた7月27日、ソウルとピョンヤンでの行事に参加した内外の平和学者や平和活動家が東京に合流し、それぞれの地域での成果を持ち寄り集約する内容となりました。以下に、8月2日付および5日付『統一ニュース』の記事を要訳して紹介します。 JHK


1. 米国に平和のメッセージを!
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=103548

停戦協定60周年をむかえた8月1日、朝鮮半島の平和統一を支持する在日同胞と日本市民が共同で主催する「ソウル-ピョンヤン-東京、リレー国際シンポジウム」が開かれた。

シンポジウムの基調発言を担当したのは、ラムジー・クラーク(元米国法務長官)と、ミシェル・チョスドフスキー(オタワ大学教授)だった。

クラーク氏は去る7月25日、停戦60周年記念行事に参加するためピョンヤンを訪問し、黄海南道信川郡で開催された「朝鮮戦争当時の米軍蛮行を糾弾する国際大会」で演説した。また、楊亨燮・最高人民会議常任委員会副委員長とも面談している。

一方のチョスドフスキー教授は7月26日、韓国で開かれた「停戦60年、韓半島平和協定締結のための国際平和シンポジウム」に参加し特別講演をした。そして27日には、ソウル市龍山区の戦争記念館前で開催された「停戦60年、韓半島平和協定締結のための国際平和大会」にも参加した。

先ず、クラーク元法務長官が「朝鮮戦争-忘れられた、分からなくなった、まだ終わっていない戦争」という題目で発言した。

彼は「日本が敗戦した後に朝鮮半島が分断され、ついには朝鮮戦争が始まった。この戦争により150万人が死亡したが、ほとんどは民間人だった。これはジェノサイドだった」と朝鮮戦争を規定した。

続いて彼は「朝鮮戦争は第2次大戦以後に類例がない大きな戦争だった。歴代戦争のなかでも大規模だった。朝鮮戦争のように国土全体が戦場になったことは類例がない」と朝鮮戦争の残酷性を次のように強調した。

「朝鮮戦争でピョンヤンが受けた被害は、1945年2月、ヨーロッパ(ドイツ)でドレスデンがこうむった被害よりも大きかった。この戦争により分断が長期化し、たくさんの離散家族ができてしまった。とても胸が痛いことだ。」


次に、チョスドフスキー教授が「朝鮮民族に対する米国の戦争」と題して基調発言をした。

彼は韓国での集会に参加した所感から話し始めた。ソウル市庁広場で開催された7.27の 60周年行事を回想し、「政府の主催行事には3千人が参加した。しかし、市庁広場のロウソク・デモ行事には2万人が集まった。反戦と平和協定、民主主義のために市民が結集したのだ」と語り、当時の感動を熱く語った。

彼もクラーク元長官と同じく、朝鮮戦争における米軍の蛮行をジェノサイドと規定した。 彼はその証拠として、爆撃に参加した米軍戦闘機の飛行士が「北朝鮮の全地域が瓦解した。絨毯爆撃ですべてが破壊された。北朝鮮にある都市はみな破壊された」と交信した事例を紹介した。

特に彼は、朝鮮戦争当時に米国が核攻撃を計画していた事実を強調した。「米国政府には朝鮮半島で核兵器を使用する計画があったが、断念した。ところで米国は、広島に核爆弾を投下した。無差別核攻撃という米国の“広島ドクトリン”は、北朝鮮にも適用される」と警告した。北朝鮮が米国の核先制攻撃の対象である、というのだ。

彼は「北朝鮮が核兵器を持っているが、これは防御用であって攻撃用ではない。もし朝鮮半島で戦争が起きるならば、米国が仕掛けるのであり、米国の同盟国が仕掛ける戦争となる」と釘を刺した。

彼はまた、「韓国は北朝鮮に対する戦争挑発の手先になってはいけない。韓国が統一のために先導すべきだ。統一は夢でない。歴史的なプロジェクトだ」と強調した。

基調発言を受け、パネルディスカッションが行われた。

ディスカッションはカン・ジョンホン(韓国問題研究所代表・在日)の司会で進行され、ブライアン・ベッカー「反人種差別行動(ANSWER)」事務総長(在米)、マラ・バーヘイデン・ヒリアード国際弁護士(在米)、キム・ヨンジャ朝鮮大学校文学歴史学部教授(在日)、そしてチョン・キヨル清華大学校客員教授(在中)が討論を行った。



2. 北朝鮮は“百聞は一見に如かず”の諺がぴったりの国
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=103561

ピョンヤンを経由して8月1日の「ソウル-ピョンヤン-東京、リレー国際シンポジウム」に参加した、ブライアン・ベッカー事務総長とマラ・バーヘイデン・ヒリアード弁護士に会った。お二人との短いインタビューは2日午前、学士会館のロビーで行われた。

□ 統一ニュース: 今回の7.27停戦協定日に際してピョンヤンを訪問したと聞いている。 今回が何回目の訪朝か?

■ ベッカー事務総長:4回目だ

□ 感想は?

■ 以前に比べすべての面で変わっていた。市街が美しくなったし、木が茂って人々の顔色も良く、何よりも気持ちの余裕を感じた。また、服装も良くなっていた。極めて楽観的に生きているという印象を受けた。

□ どんな人々に会ったのか?

■ 普通の市民たちだ。たくさんの人に会った。その人々と話しながら互いの気持ちが通じたように思う。また、ピョンヤンの人々は私たちを敵視しなかった。そのような意味で、南と北が敵対的である理由はないという気がした。

□ 北の政府当局者では誰と会ったのか?

■ 楊亨燮(ヤン・ヒョンソプ)最高人民会議常任委員会副委員長と会った。15分ほどの短い面談だったが、率直な意見交換ができた。印象深く残っているのは、ヤン副委員長が一番最後にした話だ。彼は「百聞は一見に如かず」という諺を語った。その諺を主題に私たちは話しあった。米朝関係を改善しようとするなら、重要な教訓になる諺だと思う。特に北朝鮮は、その諺が適用されるべき国だ。日本の人々もみなそのように言う。一度ピョンヤンに行って自分の目で直接見れば、北朝鮮に対する印象がすっかり変わる。

□ 北朝鮮に対するあなたの見解と立場は、米国では多数派ではなくて少数派だ。その点で、少なからぬ困難があるだろう。それでも平和活動家として、あなたは米国人に北朝鮮の真相をどのように知らせるのか?

■ 色々なすべき仕事がある。米国人も平和を望んでいる。北朝鮮と戦争したり敵対関係を望んでいるのではない。ただ、北朝鮮に対する正確な知識が本当に少ないということだ。これが大きな問題だ。その理由は何か? 保守的なメディアのためだ。
 米国のメディアが北朝鮮をとても好戦的にだけ報道するので偏見が生まれる。昼夜なしにそうした宣伝をするので、米国人は北朝鮮が平和を望んでいることが分からない。これから私たちは、米国人に会って語ろうと思う。そして私たちが北朝鮮で撮ったビデオを見せたい。あらゆる手段と方法を使って、米国人に北朝鮮の真実を知らせる行事を開催していくことが重要だ。

□ あなたが考える北朝鮮と米間の関係改善は?

■ 北朝鮮と米国が平和のために関係を改善しようとするなら、色々なすべき仕事がある。 一つは署名運動を展開して、ビデオも見せて事実を知らせる運動を積極的に呼び起こさなければならない。これを通じて米政府に関係改善への圧力を加えることだ。その次には交流をしなければならない。北朝鮮と米国の間で活発な交流をしなければならない。私はこれから、たくさんの米国人を連れて北朝鮮を頻繁に訪問しようと考えている。
 観光も良いのではないか? 普通の市民が、北朝鮮をよく知らない米国市民が観光するのは効果がある。北朝鮮を一度見てもらうということだ。ヤン副委員長の言うように「百聞は一見に如かず」だ。政治的な立場からの宣伝よりは、このような方法で世論を作っていくべきだ。その方が米国人の認識を変えていくのに適切だと考える。


□ 統一ニュース:あなたは国際人権弁護士として、弱者と少数者に対しても関心が深い人だと聞いている。

■ ヒリアード国際弁護士:昨日、東京朝鮮中高級学校を参観した。とても感動した。学生や教員たちに会えて、いろんな話をした。学生たちが溌剌として、とても明るいという印象を受けた。ところが、日本政府・安倍政権がこれら民族学校に対して差別している。

□ 日本政府と日本人社会の在日同胞に対する民族差別問題をどのように見るのか?

■ それは絶対に許容することができない問題だ。私たちが国際社会に向けて、このような現実を正確に知らせなければならない。国連やさまざまな国際機構を通じて日本での民族教育差別の実状を幅広く知らせ、日本政府にも圧力を加えるように多方面にわたる活動をしていくつもりだ。

□ 具体的な方法があるのか?

■ 一つ明確な方法がある。日本政府は来る2020年に、東京オリンピックを誘致しようとしている。ところで、人種差別と教育差別をするのはオリンピック精神とは相容れない行為だ。国際規約にも違反している。こうした事実を強調して、国際社会が日本政府に圧力を加えるようにしたい。この方法だけではないが、重要で効果的な方法だと思う。
 在日同胞、とりわけ女性たちや教員たちをはじめすべての在日同胞と今後も引き続き関係を維持し、互いに情報も交換しながら私のできる事をやり尽くしたいと考えている。