私が義務教育を受けた頃は、「きもち」は「気持」と「ち」抜きで表現していましたが、最近は「気持ち」と書くことが多いようです。というより、ほとんどがこちらです。
普段は余り読まない司馬遼太郎の時代小説を、このところ入眠剤にして読んでいるのですが、やっぱりというか、面白くて入眠剤にならずに覚醒剤になってしまっています。話術のうまさというか、テンポの良い進め方には脱帽してしまいます。まるで講談を聴いているような気分にさせられます。登場人物の台詞なんてのは作者の創作に違いないんですが、歴史上に実在した人物だと、本当にそのように言ったんじゃないかと思わせられます。
「司馬史観」など、書き出せばいくらでもネタが続きそうなところですが、敢えてそこは避けて、「へぇ~」と思ったことをひとつ。
表題にも載せたとおり、司馬遼太郎は、小説の文中で、「きもち」は「気持」と書いているんですね。これ、ちょっと嬉しかった。「気持ち」だと、なんだか「きもちち」とダブっているように見えて、私は落ち着かないんです。これが、「太鼓持ち」ならば、「持」には実際に「(太鼓)を持つ」という目的語を伴っているので構わないんですが。。。やっぱり、「きもち」は「気を持つ」というよりは、「心のありよう」を意味する、「気持」というひとつの熟語なので、「太鼓」と一緒にはできないと思います。
日本語の持つ「揺らぎ」というものがあるらしく、かつては「間違った使い方」とされたものが、「誤用」も多用されると「御用」になるようで、いつのまにか「それもアリ」とされてしまう。ま、致し方ないことでしょうか。「気持ち」も、辞書変換はもとより、新聞・テレビなど、マスコミもこっちを「標準」としているようです。
手書きで文章を書くときなら私も「気持」に統一出来るのですが、パソコン(ワープロ)だとつい「気持ち」のままで提出してしまったりします。後で気がついても、それこそ後の祭り。「しまった!」をほぞをかんでも間に合いません。
思い出すのは、亡父がまだ達者だった頃、私が小学生だったかな~、葉書か何かの宛名で「賢」という字を書かなければいけないのに、その漢字が分からなかったため、父に訊いたのです。そしたら、父は「賢」の「臣」のところを「II」と省略して教えてくれたんですね。でも、私はなんか違う気がして、そうじゃなくてチャンとした字で教えてくれと頼みました。しかし、頑固オヤジは「II」のままで正しいと言って譲りません。。。その後どうなったかは忘れてしまいましたが、妙に心に残っています。これなんかも「気持」へのこだわりに通じるキモチでしょうか。
もうひとつ思い出しました。父は、年賀状の宛名を書くときに、「鶴岡市」の「鶴」を「隺」の字で書くんですね。省略漢字で、まあ、間違いではないんでしょうけど、子どもの目にはどうにもうさん臭く映りました。こんな字、見たことない、って。。。
「二十」を「廿」と書くのも、なんだかむず痒いです。「十」プラス「十」だから「廿」ってんでしょうけど、じゃあ、縦線をどんどん増やせば「百」まで書けることになってしまいます。そんな無茶な。。。
燕市の地名に「廿六木」というところがあります。ちゃんと漢字変換でも「とどろき」と打つと「廿六木」と変換します。これも、「十(と)」・「十(ど)」・「六(ろ)」・「木」(き)」と読ませています。クイズみたいですね。
自分では「廿」は使いませんが、「賢」の「臣」を「II」にしたり、「鶴」を「隺」にしたりというのは、個人的なメモ書きのときは書いています。やはりトシのせいでしょうか。
ホントにどうでもイイことなんですが、そういうことに限って、自分の中では「変えられない」こだわりがあるものなんですね。
普段は余り読まない司馬遼太郎の時代小説を、このところ入眠剤にして読んでいるのですが、やっぱりというか、面白くて入眠剤にならずに覚醒剤になってしまっています。話術のうまさというか、テンポの良い進め方には脱帽してしまいます。まるで講談を聴いているような気分にさせられます。登場人物の台詞なんてのは作者の創作に違いないんですが、歴史上に実在した人物だと、本当にそのように言ったんじゃないかと思わせられます。
「司馬史観」など、書き出せばいくらでもネタが続きそうなところですが、敢えてそこは避けて、「へぇ~」と思ったことをひとつ。
表題にも載せたとおり、司馬遼太郎は、小説の文中で、「きもち」は「気持」と書いているんですね。これ、ちょっと嬉しかった。「気持ち」だと、なんだか「きもちち」とダブっているように見えて、私は落ち着かないんです。これが、「太鼓持ち」ならば、「持」には実際に「(太鼓)を持つ」という目的語を伴っているので構わないんですが。。。やっぱり、「きもち」は「気を持つ」というよりは、「心のありよう」を意味する、「気持」というひとつの熟語なので、「太鼓」と一緒にはできないと思います。
日本語の持つ「揺らぎ」というものがあるらしく、かつては「間違った使い方」とされたものが、「誤用」も多用されると「御用」になるようで、いつのまにか「それもアリ」とされてしまう。ま、致し方ないことでしょうか。「気持ち」も、辞書変換はもとより、新聞・テレビなど、マスコミもこっちを「標準」としているようです。
手書きで文章を書くときなら私も「気持」に統一出来るのですが、パソコン(ワープロ)だとつい「気持ち」のままで提出してしまったりします。後で気がついても、それこそ後の祭り。「しまった!」をほぞをかんでも間に合いません。
思い出すのは、亡父がまだ達者だった頃、私が小学生だったかな~、葉書か何かの宛名で「賢」という字を書かなければいけないのに、その漢字が分からなかったため、父に訊いたのです。そしたら、父は「賢」の「臣」のところを「II」と省略して教えてくれたんですね。でも、私はなんか違う気がして、そうじゃなくてチャンとした字で教えてくれと頼みました。しかし、頑固オヤジは「II」のままで正しいと言って譲りません。。。その後どうなったかは忘れてしまいましたが、妙に心に残っています。これなんかも「気持」へのこだわりに通じるキモチでしょうか。
もうひとつ思い出しました。父は、年賀状の宛名を書くときに、「鶴岡市」の「鶴」を「隺」の字で書くんですね。省略漢字で、まあ、間違いではないんでしょうけど、子どもの目にはどうにもうさん臭く映りました。こんな字、見たことない、って。。。
「二十」を「廿」と書くのも、なんだかむず痒いです。「十」プラス「十」だから「廿」ってんでしょうけど、じゃあ、縦線をどんどん増やせば「百」まで書けることになってしまいます。そんな無茶な。。。
燕市の地名に「廿六木」というところがあります。ちゃんと漢字変換でも「とどろき」と打つと「廿六木」と変換します。これも、「十(と)」・「十(ど)」・「六(ろ)」・「木」(き)」と読ませています。クイズみたいですね。
自分では「廿」は使いませんが、「賢」の「臣」を「II」にしたり、「鶴」を「隺」にしたりというのは、個人的なメモ書きのときは書いています。やはりトシのせいでしょうか。
ホントにどうでもイイことなんですが、そういうことに限って、自分の中では「変えられない」こだわりがあるものなんですね。