ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

大宗寺

2014年12月29日 23時41分57秒 | 身辺出来事

曙橋で鍼灸治療に日でした。そこから歩いてうたごえ喫茶のともしびに向かいました。途中案内図を見たら近くに大宗寺があるというので寄ってみました。太宗寺は、浄土宗の寺院です。このあたりに太宗という名の僧侶が建てた草庵「太宗庵」がその前身で、慶長元年(1596年)頃にさかのぼると伝えられています。
太宗は、次第に近在の住民の信仰をあつめ、現在の新宿御苑一体を下屋敷として拝領していた内藤家の信望も得、寛永6年(1629)内藤家第五代正勝逝去の際には、葬儀を一切とりしきり、墓所もこの地に置くことになりました。 これが縁で、寛文8年(1668)六代重頼から寺領7396坪の寄進をうけ起立したのが、現在の太宗寺です。
 内藤家は七代清枚以後は歴代当主や一族が太宗寺に葬られるようになり、現在も墓所が営まれています。

江戸時代の前期に、江戸に出入口6ヶ所に造立された「江戸六地蔵」のひとつです。銅造で像高は267cm、正徳2年(1712)9月に「江戸六地蔵」の三番目として甲州街道沿いに造立されたもで、製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀です。
なお、像内には小型の銅造六地蔵六体をはじめ、寄進者名簿などが納入されていました。「江戸六地蔵」は深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの寄進者を得て造立したものです。各像にはその名前が刻まれていますが、その合計は72,000名以上におよんでいました。
この他の「江戸六地蔵」は次のとおりですが、永代寺のものは現存していません。
品川寺、品川区南品川3-5-17、宝永5年(1708)造立
東禅寺、台東区東浅草2-12-13、宝永7年(1710)造立
真性寺、豊島区巣鴨3-21-21、正徳4年(1714)造立
霊巌寺、江東区白河1-3-32、享保2年(1717)造立
永代寺、江東区富岡1-15-1、享保5年(1720)造立
(新宿区教育委員会掲示)


 また「内藤新宿のお閻魔さん」「しょうづかのばあさん」として親しまれた閻魔大王と奪衣婆の像は、江戸庶民の信仰をあつめ、薮入りには縁日が出て賑わいました。
 現在も、毎年お盆の7月15日・16日には、盆踊りとともに閻魔像・奪衣婆像の御開扉、曼荼羅・十王図・涅槃図の公開が行われています。
 なお、寺号「太宗寺」は、創建時の庵主太宗の名から、山号「霞関山」は、当時四谷大木戸一帯が霞ヶ関と呼ばれていたことに因み、院号「本覚院」は内藤正勝の法名「本覚院」を拝しています。

閻魔堂:文化11年に安置されたそうですが、関東大震災で大破し体は昭和8年に作り直したとのことです。新宿区指定有形民俗文化財。木造で総高は550cm。閻魔堂のまえのネコさんです。

太宗寺不動堂です。

不動尊が祀られている。

太宗寺塩かけ地蔵です。

隣はお稲荷さん

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