ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

病院からもどって

2019年08月08日 13時58分36秒 | 歌碑めぐり

病院にいるときに見た風景

富士山が見えます。めのまえ

の公園です。

 

のぼたんです。

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2018年最後のリハビリウォーキング猿江公園

2018年12月31日 23時27分36秒 | 歌碑めぐり

久しぶりにリハビリウォーキングに出かけました。管理事務所の前に角松が飾ってありました。イタリアポプラの葉はすっかり落ちてしまいました。ミニ木倉の池に渡り鳥のキンクロハジロが泳いでいました。

ミニ木倉の周りの風景です。

新大橋通り側のところを歩いていると蠟梅の匂いがしてきました。ユキヤナギの紅葉です。まだ葉が残っています。ドウダンツツジもまだ残っています。真っ赤なハゼもありました。皐月の花は返り咲きです。

ノボタンは継続して咲いていました。

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月の砂漠と浜千鳥の歌碑(房総半島2018.12.29)

2018年12月29日 23時21分46秒 | 歌碑めぐり

房総半島を1泊で巡ってみました。その中で御宿の月の砂漠の歌碑と和田浜の浜千鳥の歌碑を散策してきたので、アップします。

千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する、2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられています。その数メートル脇には、『月の沙漠』の冒頭を刻んだ月形の詩碑がありました(加藤の直筆による)。近くに寄ってみました。冒頭の歌碑を刻んだ月形の詩碑です。海岸に向かって右手の所には月の詩碑の表には

★ランドマーク月の砂漠記念像譜:

小麦色の柔らかい 美しい砂丘  この砂丘に寄せては返す波の音は

優しい余韻をもっている  夢とロマンにみちた童謡の名曲

 「月の砂漠」は1923年青年詩人  加藤まさを氏によって

御宿のこの砂丘で綴られた   そのことを永遠に記念するために

御宿町民が挙ってここに記念像と詩碑を建てる

 らくだに乗った王子と姫が  美しい御宿海岸のシンボルとして

多くの人に愛される事を祈ってやまない

1969年7月吉日 御宿町

松並木のところに

★ランドマーク月の砂漠の歌碑:青年詩人加藤まさをがこの御宿海岸抒情詩「月の沙漠」を綴ったのは大正12年のことである。そのころ御宿海岸は起伏果てしなく砂丘の連なりであった。

優れた詩人の感性は、この砂丘に淡い月光に照らされた王子と王女の旅を幻想したのであろう。

この詩は、佐々木すぐるによって作曲され、童謡として広く歌い継がれ、既に半世紀を過ぎている。

加藤まさをは晩年を御宿で過ごし、昭和52年高い、町内の最明寺に眠るが、不朽の名作「月の沙漠」は、日本人の心に愛とロマンを伝え、永久に生き続けることであろう。

「月の沙漠」

作詞:加藤 まさお   作曲:佐々木すぐる

1 月の沙漠を はるばると 旅のらくだが 行きました

  金と銀との 鞍置いて 二つならんで 行きました

2 金の鞍には 銀の甕  銀の鞍には 金の甕

  二つの甕は それぞれに 紐で結んで ありました

3 先の鞍には 王子さま 後の鞍には お姫さま

  乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました

4 広い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう

  朧にけぶる 月の夜を 対の駱駝は とぼとぼと

 砂丘を 越えて行きました  黙って 越えて 行きました

★月の碑と砂漠ラクダ像こんな写真もありました。(よそからお借りしました)王子のラクダ

お姫様のラクダ

とぼとぼと

砂丘を越えてゆきました。

向かった先はこんな歌碑がありました。

浜千鳥の歌碑です。

★ランドマーク浜千鳥の歌碑:浜千鳥の歌碑は、作詞者鹿島鳴秋が南房総市和田町を愛し度々療養中の愛娘をつれ訪れていました。後に、家族ともども和田町に移り住みました。療養のかいなく愛娘は亡くなりました。愛娘を偲んで童謡「浜ちどり」の歌を作られたとされています。弘田龍太郎の作曲のもと大正9年(1920年)の雑誌少女号の正月号に発表され世間に流布されました。昭和41年3月(1966年)に花園海岸の松林の中に高さ1mの黒御影石の碑石に浜ちどりの歌詞が刻まれ在りし日をしのび建てられました。

こんな写真がありました。建てた当時の者のようです。

★建碑の言葉  

   土用波が荒れる頃    磯辺の千鳥が月に消えて

   海がめが卵を生みにくる    此の土地は

   鳴秋が人情の素朴を愛した    たった一人の娘 昌子さんが

   若くして和田浦で逝った    それ以来 彼の切々たる

   傷心から「浜ちどり」や    「夜の貝」等の歌詩が

  此の海岸の街で生れた    父と娘だけのつながりの

   世界に 此の碑を建立して    霊を慰めたい。

    終わりに多くの人々の心からの

    喜捨を感謝  合掌

   昭和四十年十二月  安田誌

和田海岸です。

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