ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

36会同級会(18.9.30)

2018年09月30日 23時28分00秒 | 身辺出来事

埼玉県の東児玉中学校を昭和36年に卒業した方々の同級会が本庄市の徳樹庵で開かれました。

昭和20年4月から21年3月までに生まれた、最も出生の少ない年代で学年全員で85人でした。次の年からこの2倍の生徒数になります。

残念ながら17名の方々かお亡くなりになっていました。出席者は23人で、だんだん集まれる方が少なくなります。

スナップ写真を撮りました。左のお二人は、俺たちは悪だったと自慢していました。久しぶりに参加していただいた方もおられます。農家一筋で頑張って御腰が曲がってと言っていました。

昔から近くにいていまも行き来しているとのことでした。

左のお方は皆さんがなかなか昔のお姿と一致しないと言っていました。右のお方は実業家で頑張っています。仲良しの再開を喜んでいました。

同じ地域から学校に通っていました。当時珍しかった双子の姉妹の妹さんです。

いつも同級会の世話役をやっていただいていますお二人です。

すいません。お二人のスナップ写真が漏れてしまいました。

悦ちゃんすいません。撮れなかったので、これは前回のものです。

名前を書くと「おれおれ詐欺」に使われるのでなないかと心配して載せませんでした。

お手元の名簿と照らして確認していただければ幸いです。

 

皆さん楽しい時間をありがとうございました。また会える機会を楽しみにしています。

ベストショット

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9月の花々(2018.9.27)

2018年09月27日 23時09分46秒 | 花の散策

9月はちょっとブログアップの間隔があいてしまい、撮った写真がアップできませんでした。ここでまとめて載せます。

9月の花といえば彼岸花ですが、今年はあまり撮れませんでした。団地の花壇です。

近くの普門院伊藤左千夫の墓のあるお寺さんです。持経観音 (じきょうかんのん)の前にも咲いていました。

墓地にある百日紅

野菊でしょうか。

いつものリハビリウォーキングの猿江公園ではすでに赤い彼岸花は萎れてしまい白い花がちょうど見頃でした。

亀戸中央公園ではテニスコートの脇にピンクの彼岸花がありました。

管理事務所の前の花壇には

堅川河川敷公園にはムラサキシキブの実が実っていました。

旧中川の河川敷きには葦の穂や

小さい花が咲いていました。

新宿御苑にも行ってみました。もっぱら紅葉する前の緑が厚くなっていました。萩の花が見ごろでした。

白い萩の花黄色い実がなっていました。

いつもの花壇には真っ赤なサルビアとムラサキサルビア

アメジストセージ

金木犀

杉ぽっくり早いものは茶色になっていますが若いのもたくさんありました。

新宿御苑の菊花壇 の準備が始まっていました。

中の池の白鷺

9月の猿江公園の花々はねむの木に花が咲いていました。水蓮(羊草)もまだ咲いています。

酔芙蓉

タイタンビカス

タマスダレニラの花

夾竹桃

ホウセンカチョウセンアサガオ

金木犀

ミニ木倉とスカイツリーです。

その他の花々

団地の脇の道路の端に咲いているノボタン

花見川のヒマワリと朝顔

9月は食欲の秋、冬瓜をいただいて調理しました。豚肉巻と浅漬け、サラダです。

餡かけも作ってみました。

美味しいヤリイカと煮汁で作った玉こんにゃくの煮物です。

 

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旧中川・荒川河川敷鳥と花と蝶

2018年09月14日 09時59分45秒 | 花と鳥

リハビリサイクリングのコース旧中川から荒川河川敷を巡ってみました。リハビリサイクリングの出発点は亀戸中央公園から旧中川河川敷きに出るところから始まります。旧中川の河川敷きに出た途端にコサギに会いました。しばらく、観察してみました。

石の上であたりを眺めていました。こちらをちらっと

石の間の餌を見ている?

珍しく声を出しました。

大島小松川公園の所から荒川河川敷に出ます。葛の花が咲き始めて、ちょっと甘い香りがしていました。

葛の花は葉に隠れています。

葉をかき分けたりして撮ります。

facebookの友人から葛は「ふじ」とも読むと教えられました。色や香りが藤の花に似ているところから言われるそうです。

でも藤は蔓が下がって上から咲き始めますが、葛はピンとして下から咲き始めるようです。

荒川河川敷にはコスモス畑もあります。

ちょっと盛りを過ぎてしまっていました。

荒川を上流に向かい、合流地点から旧中川の河川敷きに入りました。

こちらはキバナコスモスです。

千日草に蝶が

亀戸中央公園に戻ります。

ふれあい橋から東京スカイツリーを見ていますが左側が亀戸中央い公園になります。

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蘇我・今井神社(千葉市中央区今井)

2018年09月10日 08時55分04秒 | 社寺仏閣

蘇我に出かける用事があり、待ち合わせ時間に周辺を散策したところ、今井神社に出合いました。

出勤前の方のようですがお参りに来ていました。手水舎奥に社殿が見えます。

★ランドマーク蘇我・今井神社:

:今井神社御祭神は天照皇大神、誉田別命、菅原道真命、創建年代は不詳ですが、明治32年に八幡社、天神社を合祀、明治41年今井神社と改称したといいます。境内社

境内社の脇に

こちらは稲荷神社狛犬です。

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正源寺(君津市久留里市場)

2018年09月08日 23時17分42秒 | 社寺仏閣

君津市の久留里駅前にある施設で、うたごえがあるというので友人の車で行き参加してきました。なかなか素晴らしい歌声で感激しました。

帰りがけに、周辺を散策しました。施設の前には名水を汲む小屋がありました。

★ランドマーク平成の名水百選「久留里の生きた水」:明治中期、上総地方で開発された「上総掘り用具」により、各地に自噴井戸が掘られ、人々の生活に無くてはならないものとして大切にされてきました。
 久留里の井戸の水は、清澄・三石山系の山林に降った雨が天然の地層を通る事でろ過され、さらに地下水脈を通って湧き出てくるものです。それぞれの井戸からは、春夏秋冬、24時間、豊富な水がこんこんとわき出ており、地元の観光協会を中心に水質検査が行われ、安心安全な水として保全されています。

これらの井戸から湧き出る水は、水質の良さ、水に含まれている有用な成分、そして美味しいことから「久留里の生きた水」と呼ばれ、、県内各地から多くの人が水を汲みに訪れています。君津市の次世代に伝えたい20世紀遺産に指定されるとともに、平成20年6月には千葉県下で唯一「平成の名水百選」に選ばれています。 

上総掘り用具

施設の前の道路から木フヨウの花が見えたので坂を下ってみました。

さらに坂を下ると正源寺というお寺さんがありました。

山門だけが孤立して残されています。道路側から見ています。

お寺さんの境内から撮っています。右手に新しい観音像が建っていました。

★ランドマーク正源寺:鎌倉時代の徳治2年(西暦1307年)時宗の高僧 他阿真教上人により、上総の念仏根本道場として創建されました。その道場は、厳しい生活を強いられた民衆にとってはこの世の極楽浄土さながらに、明るく楽しい踊り念仏であふれていたと伝えられます。
 それまで、安万支(アマキ)の里と言われていた当地は、生き仏様が久しく留まられた里ということで、久留里(クルリ)と呼ばれるようになったということだそうです。

 その後二百年ほどたった天文15年(西暦1546年)、久留里城を本城として房総半島に一大勢力を築いた戦国大名 里見義堯公にとりたてられて義堯公母君の菩提寺となりました。
 その時当寺は、義堯公より260石の寄進を請け、母君の菩提の為にと阿弥陀如来を本尊として迎え、宗派を浄土宗に改めて、それまで特別の名称を持たなかった念仏道場を「福徳山 東陽院 正源寺」と号する、塔頭4軒末寺8寺を有し、朝な夕なの念仏の声は町はずれまで響き渡ると言われた大寺院へと変貌していったそうです。

栄枯盛衰は世の習い。徳川政権が終わりを告げ、新政権の下での明治時代になると、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、それとともに葵の御紋の権勢と後ろ盾を失った当寺は、塔頭末寺すべてが焼失あるいは荒れ果てて廃寺となっていきました。
 本坊 東陽院も昔日の大伽藍は焼失し、今に残る当時の面影は、山門の一部と樹齢700年の大イチョウのみとなったとのことです。(正源寺HPより)

700年の大銀杏

本堂です。

加勢観世音菩薩の御堂です。

★観音堂:正源寺境内にあるこのお堂には、「加勢観世音菩薩」と呼ばれる観音様がご本尊として安置されたおります。
 当山秘仏とされ、一年に一日だけ8月10日にご開帳されるほかは、厨子の扉を閉め、一般には拝観することは出来ません。
 この観音像は、久留里城を本城として房総半島に勢力を振るった、小説「里見八犬伝」のお話で名高い、戦国大名 里見氏の戦勝祈願佛として、平時は久留里城の奥深くに、戦時は陣中に安置して日夜ご信仰なされていた、身の丈2尺(60cm)ほどの聖観世音菩薩です。 聖観世音菩薩(正源寺HPより)

 

こちらは慈母観音菩薩像です。

鐘楼で古びた感じがなかなか良かったです。

手水舎

六地蔵は沙汰らしくなっていました。

古い石碑も結構建っています。

無縁仏の碑

境内に咲いていました。

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