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田村泰次郎の戦争文学-中国山西省での従軍体験から-

2008年12月15日 | 読書日記など
『田村泰次郎の戦争文学-中国山西省での従軍体験から-』
   尾西康充・著/笠間書院2008年

どうも、ついていけない感じである。
戦争文学というものはそういうものなのか?



「はじめに--田村泰次郎鈴木泰治」で書かれてあります。下「」引用。

「 数多くの戦争小説を創作した田村泰次郎は晩年に至るまで「『戦場』は、私の一生賭けてのテーマである」と語り続けた。彼の戦争小説の精華を収録した作品集『蝗』(一九六五年、新潮社)の「後書」には、戦後二○年を経てすべてものが「忘却という分厚い幕のむこう」に次第にへだてられてゆくのに比べて、戦場だけは忘れることがないと記されている。彼によれば、戦場の真実を知りたいという欲求が一層強まるに従って「素朴な事実の強さよりも、もっと強力なレアリティー」を追究するようになって、記憶のなかの「あるがままの戦場よりも、もっと戦場らしい戦場へと、デフォルマション」がおこなわれたという。-略-」

人間は神ではないので、忘却したくなくても、忘却する時がくるやもしれない……。

思い込みの強い人であることは理解できる……。

そして、思い込みが強いことが、よい文学とはボクには思えない……。

『肉体の悪魔』について、比較的詳しく書かれてある……。

ドイツ人の戦後責任について書かれてある……。下「」引用。

「二○○五年は第二次世界大戦が終結して六○年に当たる年である。それを記念する行事が年初から世界で開かれた。ポーランドのアウシュビッツ収容所の式典では、ゲハルト・シュレーダー独首相がナチス時代の大量虐殺について謝罪する演説をおこなった。犠牲者およびその遺族を前にして彼は「今生きているドイツ人の圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負ってはいない」が、「国家社会主義の時代とその犯罪を心に刻むことは、一つの道徳的義務」として受け止める責任があると述べた。ドイツ人を含めてヨーロッパの人々は教官をもっとその演説を聴いた。」

このことが、土下座外交だとはボクは思わない。
--多くの人も思っていないだろうとも思うが……。

こんな性格がよいとはボクには思えない……。下「」引用。

「田村の風貌には一見、太々しい性格的な感じをうける。がその一枚下には、女性的といひたいくらゐ緻密な、素直な正確を持つてゐる。友人間では、彼ほどものにてれない男はないとされてゐる。が事実は、てれるほど、彼の性格は見栄坊でもなければ、虚勢を張つてゐるものでもないのだ。李香蘭をひゐきにしたり、原節子をひゐきにしたりする場合は、田村はしんからひゐきにしてゐる。そばのものがてれくさくなるほど、ひたむきである。てれることが文学者の一つの才能のやうに心得てゐる多くの作家の中で、田村ほど素直な小説家はまためづらしい。」

贔屓というのが、いいものであるだけとは限らないだろう……。
むしろ、悪いイメージの方が強いのではないか?

惚れっぽいといっても、芸術はそんな甘いものじゃないとボクは思う……。

まあ、思うばかりで、すみません……。

しかし、そのうち『戦争文学』も手にしたいと思っています。

でも、平和のためにです……。





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