磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波ジュニア新書156 新版1945年8月6日 ヒロシマは語りつづける

2008年09月20日 | 読書日記など
『岩波ジュニア新書156
 新版1945年8月6日 ヒロシマは語りつづける』
     伊東壮・著/岩波書店1989年、1999年24刷



世界恐慌のさなかに朝鮮の方が日本にこられて、ろくな職業もなかったと書かれてありました。

--ボクは京都出身です。京都の人が戦争中はひどかったし、戦後は竹の子ぐらしだったという。竹の子ぐらしとは財産を切り売りしていく生活ですが、広島・長崎の方達はそれもできなかったのです。

戦争にあったわけではありませんが、
ぼくとこもできませんけど……。(-_-;)

そして、今の世の中も底辺の人間にとっては変わりません。同。

「ひどい仕事について必死に働けば働くほど、逆に体の調子はいっそう悪くなっていった。病院へ行けば、そのための医薬代がかかった。収入は低く、医療費がかさむ。」


世界に発した一番は英国の記者……。同。

「九月三日、むごたらしく焼けた広島の駅に緑色の戦闘服に身をつつんだ一人の外国人がおり立った。彼の名は、ウィルフレッド・バーチュット。イギリスの『デイリー・エキスプレス』の記者であり、原爆被害の取材のために日本にやって来たのだ。彼は、病院に横たわる被爆者の話を聞き、なまなましい原爆の惨状を取材して本社に記事を送った。九月五日の『デイリー・エキスプレス』は「逃げのびたものも原爆症で死にはじめる」という見出しで、「広島は、爆撃を受けた都市のように見えぬ。それは巨大なローラーが通りすぎて、ピシャッとその存在を押しつぶしたかのようである」という衝撃的な報告記事をのせ、最後を「ノーモア ヒロシマ」でしめくくった。世界へ原爆被害を知らせる第一報だった。」


アサヒグラフのことも書かれてありました。同。

「講和条約発効直前、五二年八月六日号の『アサヒグラフ』は、広島、長崎の被害写真を特集した。これは、日本映画社が占領軍の目をかすめて、ひそかに隠していた原爆写真の一部であった。この年の一○月、イギリスも原爆実験を開始、「核クラブ」の一員にくわわった」

アサヒグラフ-特別増刷 原爆被害の初公開-1952年


他の本にも書いてありましたが、第五福竜丸事件がおきたころ、アメリカは第五福竜丸はスパイだと言ったそうです。ひどすぎますね。

アメリカではルーテル派の牧師が原爆を祝福していましたが、ドイツでは核配備反対していたそうです。ルーテル派の牧師もさまざまなようです。






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