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バートランド・ラッセル著作集12 西洋哲学史II

2008年05月22日 | 読書日記など
『バートランド・ラッセル著作集12 西洋哲学史II』
   バートランド・ラッセル(著)/
     市井三郎(訳)/みすず書房1959年

ラッセルの時代よりも聖書学というのも進歩したと思う。それは教会の束縛を離れて自由に研究する者たちが出てきたこと。科学的に聖書を読もうと努力した人たちがいるからである。



科学的に聖書を読むとは、歴史的書物として読み解くことであると思う。

聖書も決して、神だけのことではなく、人間の文化という基盤があって、書かれて、伝えられたようです。

聖書の記者でさえ、その文化の影響を避けることはできなかった……。下「」引用。

「ギリシャ語をしゃべった古代世界の歴史は、三つの時期にわけることができよう。まず都市国家の時代というものがあり、これはフィリップ〔マケドニア王でアレキサンダー帝の父〕とアレキサンダーによって終焉せしめられたのであり、次にはマケドニア支配の時代があり、この支配の最後の残存的形態は、クレオパトラの死後ローマがエジプトを合併したことよって消滅してしまった。最後にローマ帝国の時代がくる。最初の時代は自由と無秩序とよって特徴づけられ、第二の時代は従属と無秩序とによって、第三の時代は従属と秩序によって性格づけられるのである。」

従属と秩序の時代にキリスト教は生れた。
--しかし、キリスト自身はローマ帝国に従属したわけではない。

ギリシャ哲学の偉人たちも偏見をもっていた。下「」引用。

「ギリシャ人たちは、未開人に対してきわめて強い優越感を持っていた。北方の民族は気がいに富み、南方の民族は文明を持つが、ギリシャ人だけが気がいに富むとともに文明を持つ、とアレキサンダーがいった時、彼は疑いもなくその一般的見解を表明していたのである。プラトンやアリストテレスは、ギリシャ人を奴隷とすることは間違っているが、未開人の場合はそうではない、と考えていた。」

キリスト教といっても、内容は違うこともあったという。下「」引用。

「この点でキリスト教がしたことといえば、以前の民間諸信仰を組織化したことだけである。」

ヨハネ伝について書かれてあった。下「」引用。

「とくに、「ヨハネ伝」の作者が著名であるが--をして、キリストを「ロゴス」(Logos)と同一視せしめるに至ったものは、プラトンの宗教におけるこの知的要素なのだ。ここで「ロゴス」は「理性」と訳さなければならない。」

ヨハネ伝はユダヤの地を知らないという。
--地理が間違っているという。
間違っていると、その地の人でないといわれると、地理音痴のボクは困るが……(汗)。

ラッセルも間違う……。下「」引用。

「キリスト教は最初は、ユダヤ教の改革されたものとして、ユダヤ人によってユダヤ人たちに説かれたものである。」

キリストの時代、ユダヤの地はローマの属州だった。
--ローマ人たちもいた。イエズス・キリストがローマ人に宣教もしている。
そして、異端と呼ばれるサマリアの女とも会話していたと指摘する神学者もいる。
--キリストは差別しなかった……。そして、最初からユダヤ教徒のみではなかった……。

法王たちにもいろいろな人がいたようだ。下「」引用。

「七世紀には、ローマまたは皇帝〔東ローマ帝国の〕の軍事力に服していて、歴代法王たちは服従するか、さもなくば苦難を受けるかせねばならなかった。たとえばホノリウスのように、幾人かの法王は異端を奉ずるまでに服従した。しかしマルティヌス一世のように、抵抗を試みて皇帝に投獄された法王もあった。」

そもそも、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)もとるなら、王を神は求めないだろう……。

--イエズスが、そのような者を求めたことも聖書には書かれていないという神学者もいる。









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