『阪神・淡路大震災医師として何ができたか-医療救護・復旧・復興10年の道のり-』
後藤武・著/じほう2004年
図書館の説明文。下「」引用。
「想像もしていない事態に直面したとき、何を基準にどう行動すべきか。阪神・淡路大震災のなかで、ひとりの自治体職員として、ひとりの医師として、被災地の医療行政の最前線で活躍した著者の記録。」
信頼すべき危機管理システムがない「推薦の言葉」前兵庫県知事 貝原俊民・著。下「」引用。
「「阪神・淡路大震災によって、多くの日本国民は、国家に信頼すべきか危機管理システムが備わっていないということを認識することになった」。これは、大震災の九月に開催された復興国際フォーラムにおけるある外国の識者の発言である。責任者のひとりとして、重く受け止めたことを記憶している。-略-
災害はひとつとして同じものはない。少しでも条件が違えば、被害の態様は大きく変わるからである。だから、阪神・淡路大震災の経験がそのまま、今後に有効な手本になるとはいえない。しかし、この経験から学んで、そこから進化した対策を将来に向けて構築することは、きわめて重要なことである。その意味で、大震災時の責任者が、みずからその軌跡を世に問うことはまことに意義深い。-略-」
小泉純一郎の構造改革で、著者は……。下「」引用。
「あの「阪神・淡路大震災」から数えてまもなく一○年目を迎えるが、世間の記憶は確実に風化しつつある。一方、この間、世の中は大きく様変わりし、医学界もご多分にもれず大きな変革期を迎えている。今春、国立大学が独立行政法人化されたのも、そのひとつの証であって、いわゆる大学附属病院もこれまでのように安閑としていられなくなってきている。わたしも、地方公営企業のひとつである病院事業の管理者として、「県立粒子線医学センター」をはじめとする県立一二病院の管理、運営にあたっているのだが、その構造改革をめざして悪戦苦闘の毎日を送っている。-略-」
【一部のみ】
「検死と監察医制度」も穴だらけ……。下「」引用。
「検視・検死によっても死因が特定できない場合には「行政解剖」が行われているが、これを担当するのが「観察医」である。「死体解剖保存法」第八条では、知事が監察医を設置し、死体の検案(検死)、解剖を行わせることができるうように定められている。
しかし、驚くべきことに、この制度が全国すべてで施行されているわけではないのだ。震災当時も、現在も、監察医を設置しているのは、わずかに東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、それに、兵庫県だけなのだ。しかも、実施対象地域が、東京都二三区、横浜市、名古屋市、大阪市、および神戸市のみに限られている。さらに、神戸市の場合、新市域である北区も西区も、実施地域から外れているといった状況にある。」
「しかしながら、この「監察医制度」が阪神・淡路大震災の際におおいに役立ったのだ。」
多くの高齢女性の死亡。下「」引用。
「検察が行われた「死者の性別」をみると、男性が四一%、女性が五九%で、女性が男性の一・五倍近くになっていた。年齢は、六五歳以上のいわゆる高齢者が四四%を占め、とくに、女性では高齢者が四九%と高く、全体のほぼ半数を占めていた。一方、男性では、高齢者の割合は三七%にとどまっていた。また、身元のわからない死体は一%以下と少なかったが、これは、地震の発生が早朝であったことから、自宅で就寝中に被災された方が多かったためと言われている。
死亡者の数を、五歳ごとの年齢階層別にみると、二○~二四歳と六五~七四歳のふたつの山が認められた。若年層の山について、地域別にみると、東灘・灘区が他の地区に比べて著明に高かった。後でわかったのだが、文教地区でもある東灘・灘区での死亡者の中には、大学生が多く含まれていた。-略-」
ほとんどが即死。下「」引用。
「「死亡時期」だが、一七日中に実に九九・六%が死亡されていた。もっとくわしく「死亡時間」をみてみると、九六・三%が午前六時までに死亡したと推定されてた。となると、実に死亡者の九割前後が即死、あるいはそれに近い状況が絶命されたということになる。」
棺桶の確保。下「」引用。
「ところで、検案後の遺体を納める「棺桶の確保」も大変だったようだ。県警から、総裁事業を所管している県の商業観光課に、棺桶の大量注文があった。死者の数が二千人に迫っていたこのことだ。連絡を受けた尼崎の「県葬祭事業協同組合連合会」から、全国のメーカーに依頼が行われた結果、二千本余りが確保された。また、「全日本冠婚葬祭互助協会」も、独自ルートで約千本確保した。」
「民間病院への支援窓口の設置」
「診療所の被害状況」
入浴作戦。下「」引用。
「また、被災者が少なくとも週一回は入浴できるよう、被災地における「一○○万人県民入浴計画」を立て、末田武史・生活衛生課長が中心になって実施することとした。入浴できない被災者がざっと一○○万人おられると仮定して、週に一回は入浴できるようにしようということなのだが、そのためには、一日約一四万三千人が入浴できる算段しなければならなかった。」
洗濯対策。下「」引用。
「また、被災地の家庭では、断水や洗濯機が被害を受けたこともあって、洗濯も思うに任せなかった。そうした状況をみて、「(社)日本電気工業会」が洗濯機一、○○○台を寄贈してくれた。そこで、神戸・西宮・芦屋市内の国有地に一時保管できる場所を確保したうえで、一月三○日から被災地に向けて発送できる体制を整えた。-略-」
マニュアルがなかった。下「」引用。
「また、神戸大学医学部附属病院長の斎藤洋一・第一外科教授は、被災地の大学病院の立場から、災害時の医療マニュアルがなかったことや被災現場への医師派遣が遅れたことを反省点としてあげられた。」
「台湾大地震への対応」 下「」引用。
「台湾とは友好交流を実施している団体が多く、台湾の特定の団体などに送金を希望する場合も考えられるので、募金のすべてを募金委員会に集約する必要はないと考えた。そして、台湾での受皿団体等をもたない団体や、個人の募金のみを委員会で集める。そうした状況であったので、目標額の設定は行われないこととし、トルコへ募金と区別するため、別口座を設定した。-略-」
公務員の数は多いけど、このようなことにどの部署が対応しようとしていたのか?
それも知りたかった……。たぶん、皆無だったろうけど……。
もくじ
もくじ
後藤武・著/じほう2004年
図書館の説明文。下「」引用。
「想像もしていない事態に直面したとき、何を基準にどう行動すべきか。阪神・淡路大震災のなかで、ひとりの自治体職員として、ひとりの医師として、被災地の医療行政の最前線で活躍した著者の記録。」
信頼すべき危機管理システムがない「推薦の言葉」前兵庫県知事 貝原俊民・著。下「」引用。
「「阪神・淡路大震災によって、多くの日本国民は、国家に信頼すべきか危機管理システムが備わっていないということを認識することになった」。これは、大震災の九月に開催された復興国際フォーラムにおけるある外国の識者の発言である。責任者のひとりとして、重く受け止めたことを記憶している。-略-
災害はひとつとして同じものはない。少しでも条件が違えば、被害の態様は大きく変わるからである。だから、阪神・淡路大震災の経験がそのまま、今後に有効な手本になるとはいえない。しかし、この経験から学んで、そこから進化した対策を将来に向けて構築することは、きわめて重要なことである。その意味で、大震災時の責任者が、みずからその軌跡を世に問うことはまことに意義深い。-略-」
小泉純一郎の構造改革で、著者は……。下「」引用。
「あの「阪神・淡路大震災」から数えてまもなく一○年目を迎えるが、世間の記憶は確実に風化しつつある。一方、この間、世の中は大きく様変わりし、医学界もご多分にもれず大きな変革期を迎えている。今春、国立大学が独立行政法人化されたのも、そのひとつの証であって、いわゆる大学附属病院もこれまでのように安閑としていられなくなってきている。わたしも、地方公営企業のひとつである病院事業の管理者として、「県立粒子線医学センター」をはじめとする県立一二病院の管理、運営にあたっているのだが、その構造改革をめざして悪戦苦闘の毎日を送っている。-略-」
【一部のみ】
「検死と監察医制度」も穴だらけ……。下「」引用。
「検視・検死によっても死因が特定できない場合には「行政解剖」が行われているが、これを担当するのが「観察医」である。「死体解剖保存法」第八条では、知事が監察医を設置し、死体の検案(検死)、解剖を行わせることができるうように定められている。
しかし、驚くべきことに、この制度が全国すべてで施行されているわけではないのだ。震災当時も、現在も、監察医を設置しているのは、わずかに東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、それに、兵庫県だけなのだ。しかも、実施対象地域が、東京都二三区、横浜市、名古屋市、大阪市、および神戸市のみに限られている。さらに、神戸市の場合、新市域である北区も西区も、実施地域から外れているといった状況にある。」
「しかしながら、この「監察医制度」が阪神・淡路大震災の際におおいに役立ったのだ。」
多くの高齢女性の死亡。下「」引用。
「検察が行われた「死者の性別」をみると、男性が四一%、女性が五九%で、女性が男性の一・五倍近くになっていた。年齢は、六五歳以上のいわゆる高齢者が四四%を占め、とくに、女性では高齢者が四九%と高く、全体のほぼ半数を占めていた。一方、男性では、高齢者の割合は三七%にとどまっていた。また、身元のわからない死体は一%以下と少なかったが、これは、地震の発生が早朝であったことから、自宅で就寝中に被災された方が多かったためと言われている。
死亡者の数を、五歳ごとの年齢階層別にみると、二○~二四歳と六五~七四歳のふたつの山が認められた。若年層の山について、地域別にみると、東灘・灘区が他の地区に比べて著明に高かった。後でわかったのだが、文教地区でもある東灘・灘区での死亡者の中には、大学生が多く含まれていた。-略-」
ほとんどが即死。下「」引用。
「「死亡時期」だが、一七日中に実に九九・六%が死亡されていた。もっとくわしく「死亡時間」をみてみると、九六・三%が午前六時までに死亡したと推定されてた。となると、実に死亡者の九割前後が即死、あるいはそれに近い状況が絶命されたということになる。」
棺桶の確保。下「」引用。
「ところで、検案後の遺体を納める「棺桶の確保」も大変だったようだ。県警から、総裁事業を所管している県の商業観光課に、棺桶の大量注文があった。死者の数が二千人に迫っていたこのことだ。連絡を受けた尼崎の「県葬祭事業協同組合連合会」から、全国のメーカーに依頼が行われた結果、二千本余りが確保された。また、「全日本冠婚葬祭互助協会」も、独自ルートで約千本確保した。」
「民間病院への支援窓口の設置」
「診療所の被害状況」
入浴作戦。下「」引用。
「また、被災者が少なくとも週一回は入浴できるよう、被災地における「一○○万人県民入浴計画」を立て、末田武史・生活衛生課長が中心になって実施することとした。入浴できない被災者がざっと一○○万人おられると仮定して、週に一回は入浴できるようにしようということなのだが、そのためには、一日約一四万三千人が入浴できる算段しなければならなかった。」
洗濯対策。下「」引用。
「また、被災地の家庭では、断水や洗濯機が被害を受けたこともあって、洗濯も思うに任せなかった。そうした状況をみて、「(社)日本電気工業会」が洗濯機一、○○○台を寄贈してくれた。そこで、神戸・西宮・芦屋市内の国有地に一時保管できる場所を確保したうえで、一月三○日から被災地に向けて発送できる体制を整えた。-略-」
マニュアルがなかった。下「」引用。
「また、神戸大学医学部附属病院長の斎藤洋一・第一外科教授は、被災地の大学病院の立場から、災害時の医療マニュアルがなかったことや被災現場への医師派遣が遅れたことを反省点としてあげられた。」
「台湾大地震への対応」 下「」引用。
「台湾とは友好交流を実施している団体が多く、台湾の特定の団体などに送金を希望する場合も考えられるので、募金のすべてを募金委員会に集約する必要はないと考えた。そして、台湾での受皿団体等をもたない団体や、個人の募金のみを委員会で集める。そうした状況であったので、目標額の設定は行われないこととし、トルコへ募金と区別するため、別口座を設定した。-略-」
公務員の数は多いけど、このようなことにどの部署が対応しようとしていたのか?
それも知りたかった……。たぶん、皆無だったろうけど……。
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