『山村児童と広島原爆病院の交流 咲け!山ユリの心』
神田三亀男・著/日本経済評論社1988年
山村児童と広島原爆病院の方との交流。被爆された方たちのそれに対する気持ちをもっと知りたかったです。
この小学校は、広島市から60キロ離れているという。
広島県西北の山間部、山県郡戸河内町上殿にあるという。
高速バスで1時間10分のところにあるという。
上殿小学校は、いち早く日本青少年赤十字団に加わる。
そこで、平和について考えたという。
昭和26年初夏、広島市で開かれる「広島スポーツ博覧会」見学。
その時に、慰問をするために、山ゆりを売って、お見舞いしようと決める。
小学生たちは、山ゆりを採取します。
山ゆりを扱うの大変そうです……。
山ゆりを喜ばれる被爆された方たち……。
日赤病院院長・重藤文夫さんから、お礼の手紙。
巻き紙に墨書きした長文。
昭和31年、日赤病院敷地内に、日本赤十字社広島原爆病院が開院。
山ゆりをもって行くだけでなく、文集もつくろうと……。
そして長く続けられる。下「」引用。
「山ユリ慰問三十五周年
六○年六月一七日の山ユリ慰問は、回を重ねること三五回。二六年以来、一回の欠落もなく続けられた原爆病院患者の慰問。児童と教師、地域の平和を求める、ひたむきな実践であった。」
国際平和年、『平和を祈る山ゆりの像』が建立。
「平和を祈る山ゆりの像」除幕式。
上殿小学校児童65人、上殿幼稚園児34人による平和風船が放たれた。
風船を飛ばす。
山口県や、島根県方面から返事がきたという。
児童がやまゆり慰問 ~戸河内町立上殿小学校~
被爆患者さんにやまゆり届く ~安芸太田町立上殿小学校~
町花になった「ヤマユリ」【中国新聞】'05/11/14
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神田三亀男・著/日本経済評論社1988年
山村児童と広島原爆病院の方との交流。被爆された方たちのそれに対する気持ちをもっと知りたかったです。
この小学校は、広島市から60キロ離れているという。
広島県西北の山間部、山県郡戸河内町上殿にあるという。
高速バスで1時間10分のところにあるという。
上殿小学校は、いち早く日本青少年赤十字団に加わる。
そこで、平和について考えたという。
昭和26年初夏、広島市で開かれる「広島スポーツ博覧会」見学。
その時に、慰問をするために、山ゆりを売って、お見舞いしようと決める。
小学生たちは、山ゆりを採取します。
山ゆりを扱うの大変そうです……。
山ゆりを喜ばれる被爆された方たち……。
日赤病院院長・重藤文夫さんから、お礼の手紙。
巻き紙に墨書きした長文。
昭和31年、日赤病院敷地内に、日本赤十字社広島原爆病院が開院。
山ゆりをもって行くだけでなく、文集もつくろうと……。
そして長く続けられる。下「」引用。
「山ユリ慰問三十五周年
六○年六月一七日の山ユリ慰問は、回を重ねること三五回。二六年以来、一回の欠落もなく続けられた原爆病院患者の慰問。児童と教師、地域の平和を求める、ひたむきな実践であった。」
国際平和年、『平和を祈る山ゆりの像』が建立。
「平和を祈る山ゆりの像」除幕式。
上殿小学校児童65人、上殿幼稚園児34人による平和風船が放たれた。
風船を飛ばす。
山口県や、島根県方面から返事がきたという。
児童がやまゆり慰問 ~戸河内町立上殿小学校~
被爆患者さんにやまゆり届く ~安芸太田町立上殿小学校~
町花になった「ヤマユリ」【中国新聞】'05/11/14
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