『シリーズ平和の風4 風のむらから さわこ』
マオアキラ・作/柿谷織絵・絵/汐文社1991年
ボクなら、友人のたどころさんの話をメインにしたと思います。
--たどころさんは、戦争で片腕をなくし、家族を広島の原爆で失いました……。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「終戦後、伯父夫婦のもとで実の子のようにすくすくと幸せに育ったさわこ。そのさわこの前に、兵隊服を着てヒゲをはやした大柄なフクインヘイが現われた。さわかの父親だというが、信じることができない。
白い二階建ての家で、二人だけの新生活が始まるが…
戦争によって、心に深い傷を負って帰ってきた父と娘さわこの、しだいに深まっていく親子のふれあいを描く。」
ゆうれいが登場します。下「」引用。
「わたし、中谷ぬい。
ゆうれいです。」
戦場で、人々は肉体だけでなく、心も傷をうけます。下「」引用。
「ゆうすけは、昭和十六年に戦争が始まると同時に、召集されてよそに行きましたから、六年ぶりに帰ってキタけですが、わたしは、『ゆうすけは、まるで人が変わったようになって帰ってきた。』と思えてなりませんでした。この時、ゆうすけは三十四歳です。」
いいことではありまんね……。下「」引用。
「『戦争ちゅうのは、ほんとになにもかもうばってしまうんやなあ。』と、しばらくいじけていました。が、『しゃあない! 生きてる人間が、生きるために決めたことや。幸せになろうとして決めたことや。それでええんや。』と思ってふっきりました。」
でも、そう思わないと生きていけなかったのでしょう……。
当時は、バナナがめずらしかった……。
たどころさん……。下「」引用。
「たどころさんはとゆうすけは、同じ年で小さいころからの友だちです。
たどころさんは、右のうでをひじのところからなくしています。服のそでを右だけ切って、うでの切れたところを見えるままにしています。戦争から帰って来たときは、とても暗い顔をしていましたが、一年ぶりにあらわれたたどころさんは、すごく明るいのです。
たどころさんは、広島に行っていたのでした。奥さんの実家が広島で、昭和二十年八月六日の原爆の落ちる前に、奥さんと子どもさんふたりは実家に用事があって行ったっきり、そのまま帰ってこなかったのでした。」
奥さんの実家は爆心地近く。そして、放射線傷害について語っている。
生きる水をもらったたどころさん……。下「」引用。
「広島で、何もかもがにくうて何もせんと、盗み食いしながら野宿をして、とうとうくたばりかけたとき、だれが水を口に入れてくれたと思う? いちばん水のほしいはずの人やったよ。たいていの人が、水一滴他人なんぞにやれないいうときに、被爆してだいぶたつのに、まだ痛みと熱にずっと苦しんどる人が、わしの口に水をたらしてくれた。わしは、その人のあのときの曇りのない目がわすれられん。……わしは、そのあと思うた。自分のやったこと、日本のやったことは、けっしてわすれんが、自分をにくむのはやめようと。それから楽になった。自分も人もにくまんようになったら、こんまいと思うた人間が、すてたもんじゃないと思えるようになった」
たどころさんは、うでの傷口をつるっとなぜました。」
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もくじ
マオアキラ・作/柿谷織絵・絵/汐文社1991年
ボクなら、友人のたどころさんの話をメインにしたと思います。
--たどころさんは、戦争で片腕をなくし、家族を広島の原爆で失いました……。
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「終戦後、伯父夫婦のもとで実の子のようにすくすくと幸せに育ったさわこ。そのさわこの前に、兵隊服を着てヒゲをはやした大柄なフクインヘイが現われた。さわかの父親だというが、信じることができない。
白い二階建ての家で、二人だけの新生活が始まるが…
戦争によって、心に深い傷を負って帰ってきた父と娘さわこの、しだいに深まっていく親子のふれあいを描く。」
ゆうれいが登場します。下「」引用。
「わたし、中谷ぬい。
ゆうれいです。」
戦場で、人々は肉体だけでなく、心も傷をうけます。下「」引用。
「ゆうすけは、昭和十六年に戦争が始まると同時に、召集されてよそに行きましたから、六年ぶりに帰ってキタけですが、わたしは、『ゆうすけは、まるで人が変わったようになって帰ってきた。』と思えてなりませんでした。この時、ゆうすけは三十四歳です。」
いいことではありまんね……。下「」引用。
「『戦争ちゅうのは、ほんとになにもかもうばってしまうんやなあ。』と、しばらくいじけていました。が、『しゃあない! 生きてる人間が、生きるために決めたことや。幸せになろうとして決めたことや。それでええんや。』と思ってふっきりました。」
でも、そう思わないと生きていけなかったのでしょう……。
当時は、バナナがめずらしかった……。
たどころさん……。下「」引用。
「たどころさんはとゆうすけは、同じ年で小さいころからの友だちです。
たどころさんは、右のうでをひじのところからなくしています。服のそでを右だけ切って、うでの切れたところを見えるままにしています。戦争から帰って来たときは、とても暗い顔をしていましたが、一年ぶりにあらわれたたどころさんは、すごく明るいのです。
たどころさんは、広島に行っていたのでした。奥さんの実家が広島で、昭和二十年八月六日の原爆の落ちる前に、奥さんと子どもさんふたりは実家に用事があって行ったっきり、そのまま帰ってこなかったのでした。」
奥さんの実家は爆心地近く。そして、放射線傷害について語っている。
生きる水をもらったたどころさん……。下「」引用。
「広島で、何もかもがにくうて何もせんと、盗み食いしながら野宿をして、とうとうくたばりかけたとき、だれが水を口に入れてくれたと思う? いちばん水のほしいはずの人やったよ。たいていの人が、水一滴他人なんぞにやれないいうときに、被爆してだいぶたつのに、まだ痛みと熱にずっと苦しんどる人が、わしの口に水をたらしてくれた。わしは、その人のあのときの曇りのない目がわすれられん。……わしは、そのあと思うた。自分のやったこと、日本のやったことは、けっしてわすれんが、自分をにくむのはやめようと。それから楽になった。自分も人もにくまんようになったら、こんまいと思うた人間が、すてたもんじゃないと思えるようになった」
たどころさんは、うでの傷口をつるっとなぜました。」
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