磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母と子でみる31 スーチーさんのいる国-ビルマと日本の接点-

2009年05月25日 | 読書日記など
『母と子でみる31 スーチーさんのいる国-ビルマと日本の接点-』
   早乙女勝元・編/草の根出版会1996年

スーチーをヒーローのように扱うことに、ひっかかる部分がボクにはある……。
--ガンジーやオバマのようにメッセージが出せないからかもしれないが……。
もちろん、被害者であることは、否定できないと思う。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「六月中旬のある日、「スーチーさんに逮捕状か?」と一部に報じられもしたが、何が起きてもおかしくないような事態がなお続いていて、いささかの予断も許されない。しかし、彼女は「私が逮捕されたとしても、ビルマの問題は何も解決しないでしょう」と語り、さらに「ビルマに平和があって、はじめてアジアの安定がある。日本も支援してほしい」と、民主化運動への支持を呼びかけたという。」

『うじ虫兵隊』という本があったという。下「」引用。

「一方、戦後まもなく神田の小出版社から刊行された『うじ虫兵隊』は、題名からして衝撃的だが、一九四五年春から夏にかけてのビルマ山中に追い詰められた日本軍の、飢えと死の彷徨を描いている。著者と親交のあった私は直接に話を聞き、出たばかりの本を贈呈された。一読してぞっとするような戦慄を覚えたせいか、まだ忘れずにいる。」

くさった日本兵の死体の描写が生々しい……。

この記録には欠けている部分があるという……。下「」引用。

「『うじ虫兵隊』は、戦場の現実を直視してすぐれた記録文学だが、ただ一つ欠けているところは、戦場とされたビルマの農民たちを思いやる心である。」

この本にも、ビルマの農民たちのことはあまり書かれてないと思いますが……。
--スーチーさんの話でも、あまり聞かれないのでは?
軍事政権で口止めされているのかもしれないが……。
もっと、それを伝えていただきたい……。

『ビルマの竪琴』……。下「」引用。

「『ビルマの竪琴』は、前掲書とはあまりにも対照的で、同時期にビルマの日本軍に材を求めながらも、拍子抜けするほどメルヘンチックな、一種の夢物語でしかなかった。-略-
 作者が人類愛を描こうとしたのはわからないでもないが、戦争とはこんなにも甘く、のどかなものかという誤解を与えはしないか。とすれば、戦争の美化にもつながる。-略-」

メークロン橋「戦場にかける橋」……。下「」引用。

「戦後すぐに、連合軍将兵の遺体遺骨捜索に参加した一日本人に、元憲兵隊通訳だった永瀬隆氏がいる。氏の『“戦場にかける橋”のウソと真実』によれば、もうその時点で、日本軍が先手をうったとみえて、よく整備された捕虜墓地とくらべ、労務者たちは死ぬとすぐその場所に埋められたり、クウェー川に投げ込まれたり、コレラで死んだ者たちは丸太状に積まれて焼かれたりで、時には線路下に土代わりに埋められたという。」

「許そう、しかし忘れない」について。下「」引用。

「そして、「許そう」グループの人でも、「しかし忘れない」までは譲ってないことを、留意すべきだと思う。
 ところが私たちの周辺では、残念ながら、そんな事実があったことさえ知らぬ者が大半ではないのか。知らないのでは、忘れようがない。」

・スーチーさんの自宅で、著者は話したようだ。

甘かったという……。下「」引用。

「--アウンサン将軍が日本の「三○人志士」として活躍していたところ、すでに日本軍国主義による南京大虐殺や、また日独伊三国同盟など危険な兆候は世界に知られていたと思います。将軍自身、日本の小隊を見抜いていたのではないでしょうか。日本のファシズムを招き入れたという批判もありますが点。
スーチー ええ。それはひとえに彼の読みが甘かったことにあります。-略-なにしろ父は当時二五歳、大変若かったのです。-略-」

この国も過去の名前で何かかできると思っている……。
--希望のない国はそんものなのだろうか?……。







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