磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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科学としての反原発 市民科学ブックス 7

2011年05月20日 | 読書日記など
『科学としての反原発 市民科学ブックス 7』
   久米三四郎・著/七つ森書館2010年

知恵袋=久米三四郎。「はじめに」小木曽美和子(原子力発電に反対する福井県民会議)・著より。下「」引用。

「全国の反原発住民の理論的支柱であり、知恵袋であった核化学者久米三四郎さんが、二○○九年八月三十一日になくなってから一年になる。原子力研究に情熱を燃やし、やがてそれに疑問を抱いて各地の反原発運動にかかわってきた多くの科学者、研究者の中心的な先駆けの一人である。運動の経験の豊富さもさることながら、次なる時代を見据える洞察力の鋭さが、私たちの地域の住民運動に寄り添うように常にあった。
 ここに収録した文章は、久米さんが、運動の相当な部分を割いて取り組んだ課題のごく一部である。
 久米さんが反原発運動に生涯かかわることになった原動力は、住民から思い知らされた「足を踏まれた者の痛み」であると語っている(「反原発への道」)。-略-」



カンニング答案のような弁明。下「」引用。

「「スリーマイル島でのような事故は、わが国では起こらない」といった式の宣伝の最大のトリックは、その内容のずさんさもさることながら、スリーマイル島事故の経過を後追い的にカンニングして書かれた答案だということ、つまり“コロンブスの卵”式の弁明だということである。-略-」

すでに「むつ」が原発神話こわす。下「」引用。

「さきにその記事を引用した大熊記者は、小野周教授との対談(『朝日ジャーナル』一九七九年七月十三日号)で、つぎのように述べている。「私は、すでに安全神話は崩壊していたと思う。五年前、科学技術長長官が絶対安全ですと宣言して出帆した原子力船『むつ』から放射線が漏れた。『だから、絶対安全というのは当てにならない』という形で、すでに安全神話は崩壊しており、原子力を進めている人たちがあまり絶対安全をいわくなっていたのが『むつ』以後のことだ。-略-」

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フールプルーフ」はまさにバカバカしい……。

再度神話をつくりあげる……。下「」引用。

「推進派の人たちが、右に述べたように、「原子炉ほど安全なものはない」とか、「原子炉災害など観念の産物である」とか、「住民の心配は想定不適当である」などなどと、いいたい放題にぶち上げていた内容を、われわれは“安全神話”と呼んできたのである。それらの“神話”は「むつ」事件で消え去ったどころか、“エネルギー危機”を背景に、いっそう無遠慮な表現で唱和されてきていたことは、右にあげたいくつかの証拠が示している。スリーマイル島でのできごとは、何よりも、こうした“神話”に最大の痛撃を与えたのである。」

スリーマイル島は原発神話を破壊したのだが……。また再度……。フクシマでも再度でしょうね……。

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【暴走事故・実験炉】BORAXSL1三人吹き飛ぶ。下「」引用。

「これまでの暴走事故の例としては、一九五四年にアメリカで、BORAXという、いまのBWR(沸騰水型原子炉)の五○○分の一ぐらいの小さなスケールの原子炉で起こりました。これは、意識的に制御棒を引き抜いて、どのくらい暴走するかを調べる実験でした。つまり、そんなに暴走するとは思っていなかったのですが、暴走してしまった。そういう事故がありました。写真として残っているのは、おそらくあの事故だけだと思います。
 そのつぎに有名なのは、一九六一年に、SL1という、アメリカの海兵隊の軍事用の小型の原子炉がありましたが、国内で兵隊の訓練用に使っていて暴走を起こしました。是は、あまり確認されていませんが、三人の水兵さんのうち一人が失恋して、ヤケで制御棒を抜いて、自殺だったというふうに数年前に伝えられていますが、本当かどうかわかりません。
 そういう人的な、暴走事故です。これで三人が吹き飛んで、原子炉建屋の天井のはりに突き刺さっていた。そういうことで、これは小型ですけれども、一応、実験炉のなかにはいります。それ以来今日まで、公表されたものとしては暴走事故はなかった。とくに商業用の原子炉では、そういうことはもちろん起こったことはなかったわけです。」




「伊方原発行政訴訟の意義と判決批判--住民が暴き出した“安全神話”のからくり」

伊方原発の無責任……。下「」引用。

「その詳細は後続の諸論文に譲るが、「安全」の根拠は実に頼りないの一語につきる。それは、米国原子炉メーカーの口うつしであったり、あるいは、すでに国際原子力官僚によって占拠されたといわれているICRP(国際放射線防護委員会)の威をあてにしたものであったり、あるいはまた、伊方原発の真下で、マグニチュード七程度の大地震が起こっても、原発は平気の平左といった、底抜けの楽天主義であったりしたことが判明した。
 手続きのずさんさについても、実に多くのことが明るみに出て、審査らしい審査はやられていなかったことを示した。-略-」

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中曽根康弘は「もんじゅ」の設置許可を認めた総理、1983年5月27日。

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「もんじゅ」証拠隠し……。 下「」引用。

「しかし、「もんじゅ」の場合は、先ほどからいっていますように、裁判所が検証に入ったときには、全部掃除して片づけ、いちばん大事な証拠である白色の粉末は、まとめて小さなドラム缶につめてある。そんなばかなことをしたら原因の究明はできない。-略-」


研究会「もんじゅナトリウム漏洩火災事故調査検討委員会」。下「」引用。

「もんじゅ事故が発生したとき、久米は小木曽美和子にの連絡して、研究会を立ち上げる。久米を代表に、小林圭二(京大原子炉実験所)、小出裕章(同)、正脇謙次(京都大学)、山内知也(神戸商船大学、後に神戸大学と合併)、宮内泰介(福井県立大学、現・北海道大学)、吉村清(高速炉反対敦賀市民の会)らと小木曽が参加する「もんじゅナトリウム漏洩火災事故調査検討委員会」が発足する。-略-」

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戦中のアメリカと戦後日本……。下「」引用。

「アメリカでは戦争中、ウラン鉱山で六○○○人の労働者が働いていて、そのうち一○○○人以上が多分肺ガンで死んでいくだろうということを文献で知っていました。それと同じことが「ウラン万歳」の雰囲気の中で日本がいちばんやられていた。多分、たいした鉱山ではないと思っていたからだと思うが、私も見逃していたことを深く反省しています。」

高木仁三郎を専従事務局員にするため説得したのが久米三四郎。

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