磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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土佐の自由民権

2010年01月23日 | 読書日記など
『土佐の自由民権』
   外崎光広・著/高知市民図書館1984年

帯に書かれてありました……。下「」引用。

「自由ハ土佐ノ山間ヨリ
遠く土佐の地の血で生まれた民権思想は、全国規模の政治運動にまで発展していった、日本政治史上に多大な影響を及ばした思想である」



明治維新になって、すぐに国会ができたわけではないですね。
龍馬の跡をつぐ人たちが、民権運動をはじめたという……。

「ロンドンの高知藩士」 下「」引用。

「政府から海外視察の命令を受けた片岡健吉は、同じ命令を受けた伴権太(正順)とともに、明治四(一八七一)年四月一○日堀詰(現在の高知市中央公園南側)から屋形船に乗り、はりまや橋・大鋸屋橋をくぐり、農人町の堀川をとおり浦戸湾に停泊していた蒸気船に登った。-略-」

女は虫けらにしているようでは……。下「」引用。

「日本ほどいい国はないけれども、人が知恵をはたらかす学問もなく、女などは虫けらも同様で、日本を無駄に費やしているようでは、アメリカのようないい国になることはできない。日本もはやくこのような国なれば、私たちも四階建ての家をつくり、馬車も二つ三つ持つことができよう、と書き、これから蒸気車に乗り、ニューヨークへ向うといっている。」

今は男も同様ですね……。豊かな社会はどんどん遠のいていますね……。

幸福安全社を結成した板垣退助ら。下「」引用。

「『自由史』の記述によると、板垣はともに野に下った副島・後藤・江藤と相談し、人民が挙国一致の精神を発揮し、国家民生の隆昌をはかるためには、公議世論の制度の確立し、人民が国家と憂戚を共にする道を開かねばならないということになり、やはり官を辞した片岡と林に国会開設の建白をすることを要請した。両人は官命により外遊し、欧米文明の風物を実際に見聞し、議会制度についての知識・理解をもってはいたが、そのような大事は板垣のような天下に重望のある人たちが連結してあたるべきだといって固辞した。
 そこで板垣は自ら出馬を決意し、一一月にロンドンから帰ったばかりの古沢迂郎と小室信夫を招請してその見解を聞き、これを副島・江藤にはかった。その結果民選議員設立の建白と政党を結成して世論の喚起をはかることに決し、銀座三丁目に同志の集会所幸福安全社を設置した。」

愛国公党に。下「」引用。

「そして、七年一月一二日の夜同志が副島の家に会合し、愛国公党本誓署名の式を行なった。署名したのは副島種臣・後藤象二郎(土佐)・板垣退助(土佐)・江藤新平・由利公正・小室信夫・岡本健三郎(土佐)・古沢迂郎(土佐)・奥宮正由(土佐)の九人である。由利は福井藩出身で「五ケ条の誓文」の起草に参画し、岩倉派外使節に加わった前歴者であり、岡本は征韓論の敗退により大蔵大丞を辞した土佐人であり、奥宮は土佐の陽明学者慥斎であり、民権家としての活動しのちに大逆事件に連坐し幸徳秋水らとともに死刑を執行された奥宮健之の父である。」

「民権歌謡・民権踊」 下「」引用。

「当時の高知では民権思想を歌謡や踊などの娯楽によって普及することも行われた。植木枝盛が一○年一一月以前につくったと考えられている「民権かぞへ歌」は、おそらくその最初で、「一つとせ、人の上には人はなき、権利にかはりがないらかは、この人じゃもの」-略-」

龍馬も「いろは丸事件」の時に、歌をはやらせたと書かれてありますね。

「国会創設願望書を天皇に提出」 下「」引用。

「この大会に土佐立志社は国会創設願望書を天皇に提出することを提案した。次回の一三年三月の公会に加盟各社が願望書案を持参審議して決定するというこの提案が可決された。-略-」

坂本南海男(直寛)が東京と北海道に。下「」引用。

立志社はこの決定に基づいて、山田平左衛門と森脇直樹を九州に、山本幸彦と平尾喜寿を奥羽に、片山健吉を東京に、坂本南海男を東京と北海道に、弘田徹を東海道と長州に、桐島祥陽を山陰地方に派遣し、遊説させ、県内に社員を巡回させ、国会開設の願望についしての演説をさせ、願望同意の人びとの署名調印を集めた。」






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