磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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占領期雑誌資料大系 文学編I 戦争と平和の境界-1945・8-1946・7-

2010年04月21日 | 読書日記など
『占領期雑誌資料大系 文学編I 戦争と平和の境界-1945・8-1946・7-』
   山本武利・編/岩波書店2009年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「プランゲ文庫から精選する検閲の痕跡も生々しい原資料で味わう戦後文学
敗戦から占領へ--検閲と自由のせめぎあいの中で、堰を切って語り始める人びと」



「第1巻解説 何が終わり始まろうとしていたのか」 下「」引用。

「-略-この事態を文学者の側からたどり直すなら、内務省による検閲は消滅したが、今度はGHQ検閲を意識しつつ、しかしながらやみがたい表現の欲望に突き動かされた模索のはじまりである。文学者は、創作領域だけではなく、政治、思想、世相、風俗などさまざまな分野で発言を要請されむ、重要な役割をはたすことになる。混乱のなかで文学表現、文学者の発言をもとめる読者の需要はふくらんでいた。」

ダイク代将から婦人参政権について、日本人は何もしないと言われたという。

自由と平等は一致しない。下「」引用。

「とはいえ久生は、「自由と平等は、こりや、どうしたつて一致しないものなんですからね。かりに日本にさういふ時代が来るとしても、差別のある平等、平等のある差別、といふやりかた以外に方法がないですよ」と福井に言わせており、-略-」

自由のはきちがえをしているようにボクには思える。自由とは欲望の奴隷とは同義語ではあるまい。欲望の塊が政治屋をやっているが……。

進駐軍という言葉があるだけで、検閲をうけたようだ。

敵機という表現も……。

ネロがキリスト教弾圧したと歴史的事実ではないだろうことを書いているけど、検閲はない。

志賀直哉が「銅像」で「進駐軍」に否定的に言及していることを問題にしていない。権力にすりよる者には、ガス抜きの役目もさせるのだろうか?

占領期新聞・雑誌情報データベース

大田洋子と『新椿』創刊号(一九四六年三月二五日)。下「」引用。

「原爆投下からまだ七ヶ月しか経っていない広島において発刊された婦人雑誌。編集後記には「此の春と共に新らしく焦土の中から生れ出た『新椿』! それは地方唯一の女性の味方であり、協力者であり、相談者でもあるのです」とあり、発刊にあたって中国新聞社や中国文化連盟などの協力があたことが記されている。創刊号には細田民樹や大田洋子らが小説を執筆しており、後の号には井伏鱒二や平林たい子、寺崎浩の小説などが掲載された。」

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