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維新の烈風-高杉晋作- 文学のひろば 1

2010年02月19日 | 読書日記など
『維新の烈風-高杉晋作- 文学のひろば 1』
   古川薫・著/小峰書店1977年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「いまからおよそ百年まえ、日本には明治維新という、江戸時代にわかれをつげる歴史的なできごとがあった。日本の片いなか、長州に生れたひとりの青年が、はげしくゆれうごく時代を、どのように見つめ、どのように生きただろうか。」



「はじめに」 下「」引用。

「きみたちのなかに、もし「自分がダメな人間だなあ」と思いこんでいるような人がいるとすれば、この本を読んで、勇気づけられるのではないだろうか。
 なぜなら、この本の主人公である高杉晋作は、日本の英雄のひとりにかぞえられているが、少年時代から、勇ましく、りっぱな人物ではなかったからだ。あまえんぼうで、わがままで、身体の弱い子どもだった。
 そんな晋作が、成長するにつれて、しだいにたくましい男になり、歴史に名をのこすほどの人物になっていくようすは、きみたちに、きっといろいろなことを教えてくれるはずだ。-略-」

晋作は柳生新陰流の免許をとった剣術の達人で、長い刀をもっていたという。身長はだいたい五尺三寸(1メートル60センチ)だったという。

嘉永元年(1848)12月6日に、天然痘にかかった晋作(10歳)。下「」引用。

「江戸時代には周期的に大流行し、ずいぶん多くの人が死んだ。ジェンナーの種痘が日本に伝えられてからやっとおさまったが、長州藩でもそれが実施されるようになったのは、晋作がこの病気にかかって、二、三年後のことである。-略-」

師・吉田松陰が入牢し、師と異なり晋作は命を惜しんでいたのか? と悩み、悶々と日々を送っていたという。
酔っていて走っている犬を真っ二つに斬った晋作。下「」引用。

「そのことが、やがて松陰の耳にもはいる。
「ひごろ大きなことを言ったり、犬を斬ったりしていい気になってあばれている人間は、いざというとき役に立たない」
 松陰からそんな手紙がくると、晋作はますますゆううつになった。」

楽天家の松陰は、死刑になるとは思っていなかった。
しかし、日本の危機には非常に敏感だった松陰。

金のむしんを晋作にする松陰。下「」引用。

「まことにすまんが、牢名主にやるお金が必要なのでつごうしてくれないか」
 晋作はすぐ松陰のために金を送りとどけた。-略-」

「軍艦を買おう」と金もないのに晋作……。下「」引用。

「上海で、イギリスやフランスの優秀な軍艦や商船をいやというほど見せつけられてきた。それにくらべたら、いまの長州藩には軍艦ともいえないような木造帆船が二隻あるだけだ。これでは日本の海は守れない。
「よし、買おう!」
 晋作は、そのオランダ船を買うことにした。」

松陰神社をつくる。下「」引用。

「文久三年(一八六三)の正月をむかえた。
 おおみそかからふりつもった雪が、江戸の町を白くいろどっている一月五日の早朝、桜田の長州藩邸から、ふしぎな一団が出てきた。先頭には馬に乗った晋作、そのあとに久坂、伊藤、赤根らがつづく。
 かれらは師吉田松陰の遺骨を小塚原(こつかはら)の武蔵野若林の大夫山(たいふやま)(現在の東京都世田谷区若林町、松陰神社)にうつして埋葬しようというのだった。そこは長州藩の控地である。」








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